イメージの住人

言葉の世界

見かけ上の我々はイメージの世界の住人です、、、この体も、この木も、このコップも、この椅子も、、、全部が全部言葉で成り立っている時点で、、、その言葉のイメージが想像され、、、そのイメージをこの現象に照らし合わせて生きています、、私というイメージが。便宜上言葉を覚えた我々人類は言葉の力の偉大さに気づいておらず、、、言葉にすっかりと飲み込まれているのです。

一人一人が全く異なったイメージを持ち、イメージの世界に生きている

一つ一つの物は名前がついていて、、この名前について人は各々のイメージを作り上げます、、、このイメージをこの現象に重ね合わせることで、、分離した現象界が生まれます、、、イメージが全員異なるということは、、全くもって異なった世界に生きていることになります、、、、本当は本質のみ、一つのエネルギーのみです。ですがそこに重ね合わせた言葉のイメージが異なるために、、違う世界を生きるというイメージが湧きます。そしてどんなイメージの世界を私というイメージが生きようともそこは苦しいのです。なぜならば本当の静寂の世界、平和な世界、至福の世界を既に幼少期に体験しているのと、、本質はそのことを知っているからです。。つまり本当の体験者(真我)がそのことをいつも分かっています。

言葉というラベルの功罪

言葉が作ったこのラベルは各々に異なったイメージを作り出させ、、この体が生き抜く上で役に立ちます、、、この体は確実に楽に生き延びることができるようになりました、、、しかしどっぷりイメージの世界に閉じ込められてしまったことで、、、精神的にはいつも苦しい、、、なぜだ????となります。生きてはいるけど、、苦しい、、、このメカニズムを打破するには、、、この事実に気づかなくてはなりません。

真実に気づけば

真実に気づいてしまえば、、もうイメージに惑わされない、、、この見かけ上の私もイメージに過ぎず、、だからこそこの見かけ上の私の幸福を追い求めても意味がないこともわかります。本当の私とは、、この言葉を作り、、イメージの世界を作り上げ、、、その中での経験の全てを回収している存在だという気づきが起きます。

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