あり得ない
この体を小宇宙と捉えると、心臓の動き、血液の流れ、細胞分裂、爪の伸び、髪の毛の発育、、全てが全自動です。その中で呼吸を自分の意思でコントロールしているという感覚こそは生まれますがその感覚こそが全自動で起こります。全て全自動です。そこに突然宇宙の摂理とは反して自由意志という完全分離構造が生まれてしまったらこの宇宙はその瞬間に崩壊します。
何もやっていない
ですが自由意志という感覚は100パーセント存在します。存在しなくてはなりません。なぜならばそれも含めて無限の活動だからです。自由意志がないという完全自覚の中での動き、自由意志があるという感覚の中での動きも含めて無限なのです。だからこの感覚はあっていいのです。ですが100パーセント存在しません。全て自動で完璧に動きが存在します。ケチをつけることが全く不可能な動きが起こり続けます。このことに気づいた瞬間何かが変わります。
見なくていい
全てが全自動であるという気づきが起こりますと自分と称する存在の中から現れる思考、行動、感情に無執着な感覚が生まれます。見なくていいのです。見なくていいのですが完全に見えています。他人と称する存在の中で生まれる思考、感情、行動も全て見えます。見なくていいからこそ全て見えます。プロのサッカー選手がアマチュア選手の動きを完全に見切ることと同じです。
悟る
悟とは自分と称する存在からの動き、他人と称する存在からの動きを完全に俯瞰して見えることです。見なくていいのです。見る必要がないのです。コントロールしなくてはという重責が完全に抜け落ちた状態で完全に見切った活動が起こるのです。いや活動でもありません。ただ見切るが起こり続けるだけです。プロのサッカー選手は全選手の動きを見切った状態でただ淡々とプレイします。魔法にかかったようにアマチュア選手が抜かれていきます。そして軽々ゴールを決めるのです。他人はその動きを見て「神」だと言います。違います。ただ淡々と動きを見ているのです。
守る必要もない
しっかりコントロールして自分も守らなくてはならないという発想は嘘だったんです。勝手に自動で思考が動き、感情が動き、行動が起こってこの体は守られていたのです。ですからこれからもそれが起こります。自由意志という感覚の中でそれが起こります。ですが本当は全て自動運転です。だから放っておいて大丈夫です。と同時に変な期待も消え失せます。頑張ればこれが叶うかも、、という期待が薄れていきます。頑張るという行為も自動運転の中に含まれているかもしれないし、いないかもしれないからです。
嫉妬
他人への嫉妬妬みも消えていきます。なぜならば自動運転だからです。自動運転で上手くいっているように見える人も現れ上手くいっていないように見える人も現れます。だから放っておけばいいのです。神の視点が起こった時、この場所がリーラと呼ばれる所以が腹落ちします。千人千様の動き、100人100様の動きがここに現れます。そのことに感動します。
認めて欲しいから
神の視点が手に入った時、高級車、高級住宅、お洒落な服装、見栄えの良いパートナー、どれもが周囲から認めて欲しくて欲していたことに気づきます。あれ???俺なんでこんなもの求めていたんだろうか??そうかこれで周囲に俺って凄いと認めてもらいたかったんだ、、です。これだけ手に入れれる俺は堅実に自由意志を使い倒したと認めてもらいたかったのです。でもそれが解放されます。自由意志など100パーセント存在しないのですから。全てはただの偶然です。