1時間の遅刻

友人との飲み会

友人と飲み会があります。19時に渋谷駅。その時、、、、19時1分前にラインが入ります。ごめん、仕事で1時間遅れます。「嘘やん」ですね。これ何ですか????事前に言ってくれれば、、俺も仕事して時間潰せたのに。。。です。これこそが「ペインボディ」です。相手が最も苦しくなる状況を「無自覚」にするのです。事前に連絡しないことを無自覚にやります。ペインボディは不幸依存症ですから、、これは常に常に人を自分を不幸にする瞬間を狙うのです。

喧嘩になる

友人が到着後、、なんで事前に言わないんだよ!!!この怒りのエネルギーをそれぞれのペインボディが食べます。お前だって前やっただろ!!!!過去を掘り返してさらに怒りを起こします。ストーリーをリバイバルさせて怒りを作り出してペインボディが食べます。友人のペインボディが最初に仕掛け、、私のペインボディがそれに乗るのです。

思考

自我の思考は、、お前はあの時、、お前だってこの時と、、、ストーリーを生み出し続け、、映画が上映されます。争いのど真ん中には「私」と相手という自我が登場し、、怒りのエネルギーを全開にし、、ペインボディがこれを食べるのです。まさか喧嘩の仕掛け人が「ペインボディ」とは知りません。

解決方法

これらの動きが全自動で起こりますから、、解決方法はありません。この動きに気付いた時あなたの反応は確実に変わっていきます。そのペインボディの動きを友人が見切れないのならば相手の行動が変わることはありません。その上でそれに今後も乗っていくのか、それとも乗らないかです。私自身は自身の動きを見切って行きます。

明晰な分析

「あなたは今後も恐らくこういう人を不快にする行動をするから、、次にそういう行動があればこの関係は終わりにしましょう。」このレベルの発言を相手に伝えた場合、、、相手はペインボディの動きに敏感になります。相手ではなく相手の奥にある「神」がペインボディを見切るのです。ペインボディを見切ってくれるような発言には力があります。

有名人

会う時

あなたが有名人に会うとしましょう。いきなりレストランで隣の席に居る、、、、その瞬間「あなた」は「あなた」を隠します。「あなた」はペインボディを隠します。あなたはあなた無しでその時間を過ごします。あなたはあなたが居ない状態で時間を過ごします。ではその時間は苦しい時間ですか??その時間は苦痛の時間ですか??

全く違う

違いますね。感動の時間です。そうです。感動が起こるのです。恍惚が起こるのです。神の時間です。神が神を自覚した時間です。神が勘違いの自分を隠した時間です。神が神の時間を過ごすのです。それを感動と言うのです。

日本人

お辞儀

西洋の方は、、人に会うと、、ハローと呼び合います。日本人はお辞儀をして頭を垂れます。そして神社に行くと、、頭を下げます。神様との挨拶と、、人間との挨拶が同じなことは分かりますか??そうです。同じなのです。全員が神です。そのことが分かっていたのです。だから挨拶はお辞儀です。

天皇陛下

天皇陛下に会うとしましょう。あなたは緊張して自分を隠します。あなたは緊張して不幸依存症を隠します。あなたを隠したならば隠したのは「あなた」ではあり得ないことは分かりますか???不可能です。あなたはあなただけは隠せないのです。つまりあなたを隠したのは「神」です。神が神と一体になっていた「私」を隠したのです。

ペインボディの逆襲

ペインボディ

指摘を受けたペインボディは一旦は小さくなりますが、、その後に復讐の機会を待ちます。復習できるタイミングをジッと待つのです。何が一番ダメージか知っていますからそこを突いてきます。ですが相手がその行動こそがペインボディの活動であることを見抜いている時、、終わりを迎えます。つまり相手はその復讐にダメージを受けないのです。今に在る時、失うものがないのです。

罪悪感

ペインボディは究極の不幸依存症体ですから自身も相手も不幸にしようとします。つまり犯罪者です。犯罪者が自身の中にはっきりと存在するのです。この犯罪者が自身の中に居てそれを自分と思っているわけですから罪悪感は半端ありません。罪悪感が半端ないからそれを感じたくない、、だから、、この罪悪感を周囲に押し付けようと目を光らせます。誰か指摘できる人間は居ないかと狙うのです。あの人が、この人が、、と狙っています。これは全てペインボディの生存戦略です。

狡猾さ

動揺

話をする時、ペインボディは疼きます。ペインボディは不幸依存症ですから、、その行動を指摘されると、、ウズウズします。その話は聞きたくない、、しっかりと聞いてしまったら、、動きを見切ってしまう。だから聞けない、、。上司が部下にペインボディ的行動を指摘すると、、ウズウズしてしまう。話を切り替えたくなるのです。

相手の弱点

ペインボディは相手の弱点を知っています。ですから夫婦喧嘩であれば、、これを言えば話が終わる話を知っています。「離婚」「別居」、、こういうキーワードを言ってでも話を終了させるのです。そしてそれが通用しない時、絶叫して終わらせます。逃げ道を残してはいけません。逃げ道があれば逃げます。ですが実際には逃げ道が必ずありますから、、逃げます。

生きていけない

このレベルの退路が絶たれている時、、ペインボディを見抜く存在が現れます。ペインボディをジッと見る存在が現れます。それが神です。真我です。自我はペインボディに気づけません。気づくのは気づきです、神です、真我です。つまり退路を断たれた時、真我は真我になるのです。神は神になるのです。狡猾なペインボディは気づきによって発見されるのです。

ペインボディと神の分離

ペインボディの動きが見切られた時、、真我はペインボディと離れます。ペインボディは真我から強制分離させられます。気づかれたペインボディはもはや興味を失われ、、興味がそこに行かずに小さくなっていきます。気づきに気づかれたペインボディは死を迎えます。

苦しむことができない

自我の崩壊

真理は自我のメカニズムを壊します。自我とは苦しみのメカニズム、これを壊すのです。今月の売り上げが低い、どうしよう、、、、、残念!!!自由意志がないから何も決めれません。あるがまましかないのです。やばい株が激下り、、、どうしよう。。。残念、、どうかできる個人は居ません。ですが勝手に売り上げ改善のアイデアが起こり行動が起こるかもしれない、、ですが、、勝手に株の勉強が始まって優秀なトレーダーになるかもしれない。

あるがまま

あるがままとは部屋で朝から飲んでソファーに居続けるわけではないのです。起こるがままです。旅行行こう、仕事しよう、麻雀しよう、、何でも起こります。何でもです。それに対する抵抗の思考が起こらない、、起こるかもしれないが既にそれが勘違いと分かっています。起こりことを起こるがままに許すのです。諦めでもあります。何が起こっても許します。肯定です。

犬に噛まれる

じゃあ犬に噛まれてもそのままにしてろと?????ぶん殴ってください。。。ぶん殴ることも起こるのですから。ですが犬を恨むことも起こらない、、だって自然現象ですから。全てが自然現象です。ここで抵抗が起ころうとも自然現象です。このメッセージに不快感が起こっても自然現象です。自然に非自然は存在しないのです。

人間活動

実際には

実際には人間活動などありません。ただ五感が起こり思考が起こり感情が起こるだけです。実は何も起こっていないのです。全経験から「五感」思考、感情を引いたら「ゼロ」です。「0」です。なしです、何もないのです。そしてその「0」こそが真我です。「0」がこの五感、思考、感情を生み出すのです。それだけです。「0」が全てを生み出しています。この「0」とは全てを生み出す「0」です。

人間活動

つまり人間活動とはこの「0」が生み出す五感、思考、感情です。そしてこの五感、思考、感情には境目がありません。ラーメンを食べる時どこからが味覚でどこからが嗅覚でどこからが触覚なのか??毎瞬毎瞬何かが起こりそれが続くのです。ただこの無限の終わらない知覚が続きます。

あらゆるものが「0」の現れ

全ては無から起こるのです。全てはゼロから起こります。そして現れは現れては消えます。何も残りません。「ゼロ」に戻るのです。ですからこれは幻想です。実体があるわけがないのです。そのことに気づきますと世界が「生」として現れていることに気づきます。あらゆるものは生です。ライフです。

過去と未来

過去を悔やみ未来を憂う

人間はいかに過去を悔やみ、未来を憂いていることに時間を使うというのでしょうか??あの時こうしておけば、未来に向かって何か準備しなきゃ。。です。このことに時間をどれほどに使うのでしょうか???ですが実際には全て自動運転です。自我というフィルターを通った時だけ自分がやっているという感覚のみが起こるのです。実際には全て自動、自然、勝手に起こるのです。

重さの解消

全部を自分が決めていると確信するから重いのです。この俺の決断は大丈夫か???このプレッシャーを毎日毎日感じながら生きるのです。会社辞めていいだろうか???ここで結婚決めて大丈夫か???大丈夫です。全く自分でなどやっていませんから。全てが自動運転です。

自我は何をしている???

つまり自我には実体がないのです。自分という記号です。呼び名です。それ以外は全て自動運転ですから何もさせてもらえません。だから過去を振り返る必要もないし、未来を憂う必要もないのです。何もさせてもらえないのですから。にも関わらず毎日未来を過去を憂いて思考を起こし続けると重い重い世界がここに広がります。

悟り

離れる

悟りとは自我の動き、自我が生み出す思考の動き、ペインボディが生み出す感情の動きを俯瞰することです。多くの場合これらと意識が一体化し、、何が起こっているか全く無自覚です。無自覚の中で無自覚に思考感情が動くのです。何も気付いていないのです。悟りとはこの正反対です。明晰にこの動きを見抜くのです。意識が俯瞰して思考、感情を眺めている状態が悟りです。

酔っ払い

酔っ払いは自分が何を話しているか全く気付いていません。自身から発せられる思考に無自覚なのです。明晰とは悟りとはこの正反対です。今どのような思考が現れているかに気づきます。これを徹底的に自覚していきますと、、自由意志がないこと、ペインボディが勝手に暴れること、この二つが互助組合のように協力していることが分かります。その時、本当の私は思考と感情に一切巻き込まれずにただ在る状態に入ります。神の愛が現象世界に満ちていきます。真我の平和がここで現れます。一切のコントロールの動きが消え、、解放が起こるのです。

自由

自由とは

自由とは最初から自由しかないという意味です。自由のみです。自由ではない存在が存在しないのです。自由の中に「自由じゃない」という思考が自由に現れたのです。自由の中に「苦しい」という思考が自由に現れたのです。この事実を見抜いた時、、私も自由の一部に過ぎなかった、私こそが自由であることに気づきます。

そうは言っても

これを概念で理解しようとしても無駄です。こういうメッセージに触れ続けて染み込ませていきます。するとあるとき「分かった」が起こります。突然英語が聞き取れる感覚です。突然英語が耳に入ってくる感覚です。突然稼ぎ方が分かってくる感覚です。突然ボールを打てる感覚です。突然ゲームのコツがわかる感覚がきます。