友達も可愛くなくてはいけない

女子アナグループ

絶対に友人も可愛くなくてはならない、、そう信じた女性は友人も美人で固めていきます。そうすればいつも男性との接点が維持できる。そして見事にそれを成し遂げます。毎週毎週飲み会の話、、ですがその可愛い友人達は性格が悪い人間ばかり、わがままばかり、平気で人を裏切る人間ばかり、、となるのです。最初は耐えます、仕方ない、我慢しよう、、、ですが我慢が限界を迎えます。もういい、、冗談じゃない、、もうどうでもいいや、、、見事確信は消えたのです。現れた確信は現れた瞬間消え去る運命にあるのです。

美貌にしか興味がない男性ども

美人で固めた友人グループはわがままばかり、、、、さらに出会う男性はどいつもこいつも見た目さえ良ければいいというカスばかり、、、こうしていつか「どうでもいい」が起こるのです。見た目ばかり気にした友人グループの解散です。「見た目が良い友人で固めなくては」という確信が壊れます。崩壊します。現れた確信は消え去る運命にあるのです。そして見事消えます。

好条件の結婚相手

絶対に年収〇〇以上

結婚するなら絶対に年収は1000万円以上でなくては、、、そう確信した女性は、、、見事その相手を手に入れた後、、、、とんでもない苦労を相手からさせられます。それでも条件を落とすわけにはいかない、、年収300万円の男の変えるわけにはいかない、、、と苦労します。苦労しながらも耐えに耐えていきます。ですがどこかで我慢が限界になり、、、もうどうでもいいや、、が起こるのです。見事その信念は消え去って運命を果たしたのです。

奢ってくれない相手は駄目

デートで奢ってくれない相手なんて絶対に嫌だ、、そう確信すればその確信は消え去る運命にあります。ですからデートで奢ってくれない相手が連発します。また奢ってくれなかった、、また、、また、、、また、、、、そしていつか、、もういいや、、奢ってくれなくてもいい、、、という事態が起こるのです。もういい。お金のことなんてどうでもいい、、が起こるのです。確信は木っ端微塵に消え去ったのです。

男たるもの、、

崩壊

「男たるもの妻子を養って一人前」このような信念を強く持つとしましょう。この信念は現れた瞬間消える運命にあります。そのため働いて養えない状況に追い込まれるか、、時代が変わって男女平等になり男の収入が激変するなどが起こりこの信念は手放されるのです。なんで俺はあそこまで強い信念を持っていたんだろうか???という疑問すら生まれます。

他人よりも好条件の会社

他人よりも好条件の会社に勤めなくてはならない、このような信念を持った時、その信念は消える運命になります。そのためその会社に入ってから苦労が絶えません、苦労が絶えないけれど、、条件を落とすわけにはいかない、、とそこにしがみつくでしょう。しかしあまりに苦労が続く時、、「もういいや」が生まれます。もうどうでもいい、、会社の条件なんてクソだ、、、が起こります。そしてその信念から解放されます。解放された信念は消え失せて運命を消化します。

遅刻はするべきではない

ルール

「社会人ならば遅刻はすべきではない」このようなルールを所有すると、、このルールは消えるべき運命になります。するとそのルールを所有する人間の前に遅刻をする人間が大量に現れ出し、もしくは自分自身が遅刻をせざるを得ない状況に追い込まれます。もしくは大尊敬する人間から頻繁に遅刻をされてこのルールをいつかどこかでは手放すことになるのです。

現れたものは消える運命にある

人間の体はいつか消えます。昆虫も動物も消えます。いつかは必ず消えます。だからルールも現れれば必ず消えます。資本主義というルールも現れたのですからいつかは消えます。国という概念も現れたのだからいつかは消えます。県という概念も現れたのですからいつかは消えます。

老後には備えるべき

20代から老後のために備えるべきという概念を所有すればその概念は消える運命にあります。そのため老後のことなど一切考えられなくなるような状況に追い込まれるか、、、老後に備えに備えた友人が若くして死ぬなどの現実を見せられ、、、、「老後に備えるべき」という概念を捨てざるを得なくなるのです。

働かなくてはならない

なぜ???

なぜ働かなくてはならないのか??それは生きていくにはお金が必要だと信じているからです。お金が必要だと信じるからそのような世界がまさに今この目の前に現れ働かなくてはいけいない状況を生み出します。だから人は一攫千金セミリタイアに憧れます。ですがその大前提であるお金がなくては生きていけないという発想、信念こそがこの現実を生み出すことに気づいてください。

創造主

我々はこの世界の創造主です。創造主がそう信じればそのような世界が立ち現れます。そしてその信念は消える運命にありますからそれが信念であると気づかれるまで苦しみ続けるのです。何がこの苦しみを生み出しているのかという犯人探しの終焉が「気づき」です。これが信念によりという気づきに至るまでこれが続くのです。

物質ですらない

この世界は物質ですらないのです。物質だという思考はありますがその思考がなかったら「物質」という感覚も存在できません。学校で全ては物質だよと学習するまで幼児の世界には物質は存在しないのです。どこかでこれを物質だという概念が生み込まれ始めて物質が誕生します。全ては記憶が生み出した概念です。そのことに気づきますと働かなくてはならないも概念であり、事実ではないことに気づきます。

お金が必要

そう思うから

お金は大切、お金は必要、、そう信じたからそのような世界がまさに今この目の前に現れています。お金が必要だから働かなくてはならない!!!そう信じたからそのような世界が現れます。働かなくていい????待ってください、なぜ創造主が働かなくてはいけないのでしょうか???創造主が働かなくては生きていけないと本気で信じればそうなります。

つまり

全ては思い通りの世界です。今まさに思い通りです。働いてお金を稼がなくては生きてはいけないのだ、、そう強く強く信じた時、その世界が現れます。そしてその観念は消え去る運命にあるから苦しいのです。苦しいからこの観念が消えてなくなるまで苦しみが起こります。起こり続けます。苦しい現実こそがこの思い込みを消すのです。そして全て思い込みが生み出す夢だと気づくのです。このことに気づくまで永遠にそのような現実が起こるでしょう。

思っている通りだから無限

思っている通りだと気づかずにいるから無限

この世界が無限に存在する理由は思っている通りの世界だからです。それに気づかない人類は無限の世界が存在することにも気づきません。世界は無限です、なぜならば各々の思っている通りなのですから。そして「思っている」その想いは完全自動運転で決められていくのです。無限の世界が自動運転で構築されていくのです。そしてそのことに気づいたその瞬間世界がまるで変わって見えます。

世界がこうだから

世界がこうだから私はこう生きよう、こう我々は教わってきたのです。この世界に順応しなくてはならない!!!こう教わったのです。世界がこうだから我々はこう生きなくてはならない!!!ですがそれは間違った観念です。間違った観念は消滅される宿命にあります。だからその観念を消したくなるような現象が次々に起こるのです。

世知辛い世界

世知辛い世界と信じればその通りの世界が現れ、、その思い込みを消したくなりような現実が次々に起こるのです。こんな世知辛い世界ならば死にたい、でも死ねない、、世界って世知辛いだけじゃないかも、、世界って本当は愛に溢れているかも、、、という現実を信じたくなるような現実が起こります。そしてその思い込みは消えます。

思っている通り

実は

この世界は実は「思っている通り」の世界です。にも関わらず我々はそのことに気づかずにこの世界を変えようとします。都合の良い世界に。ですが既に完全完璧に「思っている通りの世界」なのですからそれをどう変えようとも今までの世界に戻ります。自分でその世界を作り出しておいて「変えよう」という発想こそが悲劇なのです。こんな世知辛い世界をなんとかして変えたい!!!この発想自体がおかしいのです。

その通り

政治家が街頭演説で「この世界を変えます」と宣言する時、それは「思っている通りの世界」を変えて見せますと言っていることになります。何があろうと思っている通りの世界が生み出されます。だからそこを変えない限り努力は常に水の泡です。変えるというこの発想こそがギャグです。常に常に思っている通りの世界がここにあります。だから幻想なのです。だから何でもいいのです。神が表す世界は思っている通りで価値があるのです。

自我の投影

苦しみ

この世界に私と他人という概念、社会と私、世界と私、会社と私、友人と私という概念を作り出しますと自我が生まれます。世界とは分離した自分という概念です。この概念が強化されればされるほどに苦しみは強化されます。その苦しみはこの夢に投影されてこの世界は混乱を極めます。この苦しみを証明する夢が広がります。この苦しみを立証する世界が誕生するのです。

気にしない

この世界がこの社会が厳しい世界ならばあなたの自我はまだ強化されています。周囲が自分に優しくなったのならば自我が緩んでいます。会社勤めに疲れてもう何もかもどうでもいいやとなった時、自我は緩み世界も緩みます。夫婦関係に悩みに悩み、もうどうでもいいやとなった時、自我が緩み世界も緩むのです。

受け入れる

何があっても受け入れる

何があっても受け入れる癖が付きますと、、楽になります。楽しくなります。なぜならば全ては神から起こった出来事でありそこにジャッジは不可能なのです。全てです。神の奇跡を受け入れたとき抵抗するエネルギーが消え、、楽しくなるのです。多くの方は出来事をジャッジします。あれはもうちょっと、これはもうちょっと、、、ですが神が起こしたのです。なぜジャッジが可能なのでしょうか??

情熱

受け入れて楽しくなってきますと、、さらに情熱も芽生えてきます。情熱的に動けるようになります。行動そのものに楽しみが染み渡ってきて情熱的になります。情熱的な行動には結果が必要ありません。結果が出なかったら面白くないゲームは面白くないのです。結果が出ないにも関わらず面白いから情熱的であれるのです。