真我への再吸収

心が真我を発見する???

心は思考は真我を発見できません。なぜならば心も思考も真我によって発見される「側」だからです。ということで思考も心も真我を発見できないのです。悟りに関する書籍を多く読んでも全然分かった感じになれないのは思考は真我を発見できないからです。ではどうしたら心は真我に至るのですか???真我が心を再吸収するのです。真我が思考を飲み込むのです。

眠りに落ちる

よし今日は8時には寝よう!!!さて寝るぞ!!寝たい、寝たい、、、寝てやる!!!!無理です。思考では眠りに入れません。眠るには寝れる状態に至るのです。チューニングです。真我へのチューニングです。真我に意識が向くと眠りに落ちます。目覚めも全く同じです。真我に意識が向けと思考が心が真我に飲み込まれます。真我実現とは「思考では無理」なのはこのためです。眠りに思考で至れないように真我実現も思考では不可能です。

繋がりたい

友人関係

友人は多い方が良いよね、彼女は居た方が良い、、、だって一人では孤独だから。その通りです。概念では間違いなくその通りです。ですが実際には違います。これって思考で二つが一つになるって思考しているのです。思考の中で繋がっているって思考しているのです。事実は全く違います。だからう友人と何時間も語り付きした帰り孤独が起こるのです。なぜならば何も変わっていないから。思考の中で繋がった夢を見ているだけです。

事実

では事実を伝えます。最初から分離など全く存在しません。これは夢です。その中で物理的分離は不可能です。どう考えても物理的分離は不可能です。だから分離は夢です。分離という夢が立ち上がっているのです。事実では最初から分離など起こっていない。だからそれを思い出すだけ。分離という夢を消すだけです。覚者はそれに気づき全て自分だとなるのです。ただ移り変わる夢の映像があるだけだと悟るのです。

真我

夢の中の自分もあなたも分離しているように感します。それは仕方のないこと。ですが私はこれらではなくこの夢の創造主です。夢そのものを生み出す親です。親は一人です。その子供である夢はこの親の投影です。だから分離は不可能なのです。分離は不可能である以上、夢の中の分離は分離ではなく分離感という夢です。

思考のマスター

悟り

悟りとは思考のマスターです。完全理解です。思考が何をしているか分からないから苦しみが生まれます。思考の反射ゲームが終わらないのです。思考が止まらない理由は思考を知らないからです。だからパニックが生まれます。なぜ??嘘だろ??あのやろう、またやっちゃった。。。です。これが人生です。人生とは思考を知らない夢です。

勝手に湧く

では思考とは何か???思考とは勝手に湧く自然現象です。風、雨、光、雪、、、、思考です。これをコントロールできる誰かは存在しません。それまでは思考とは自分でした。思考こそが自分です。だから湧いてくる思考にしがみ付きます。私がこう思考したんだから、、その思考は重要だ、、です。だから苦しむのです。突然降る雨に混乱しないように、突然起こる思考にもパニックになりません。なぜならば勝手に自然に起こるのですから。

雨が止む

突然降る雨にパニックを起こすと雨が止みません。突然起こる思考にパニックを起こすと思考が止まりません。雨は止んでも思考は止みません。これが思考の罠です。湧いてくる思考に注目すると思考が止まらなくなるのです。そこには感情も伴います。思考は暴れてもいいのです。放っておけばいい。だって誰もコントロールできないのですから。すると止まります。

お酒

プレッシャーからの逃避

お酒とは何でしょうか???なぜ飲みたくなるのか???プレッシャーからの解放です。やりたくないこと、やらなくてはならないことを考えて、、苦しいからそこから解放されたいのです。飲めばその思考が湧かなくなる、脳が痺れてその思考を起こすことができなくなります。だからその時間だけ楽なのです。ですがその思考を止める根本解決には全くなっていません。だから次の日も次の日も次の日もそのプレッシャーが襲ってきてまたお酒を飲みます。

思考を薬物で止めるのでなく

思考を薬物で強制停止するのではなく、その思考、プレッシャーを与えるその思考が何かを極めます。見抜きます。その嫌な嫌な思考がなぜ起こったのか???その思考が起こるということは「真理」に目覚めていないのです。真理がまだ理解できていないからその嫌な嫌な思考が湧きます。そしてその思考が苦しいからまたお酒を飲むのです。根本解決にシフトします。お酒を飲みたい時こそ苦しみの思考を止めたからこそ真理に触れていきます。真の救済です。真の救済に向かうのです。思考を止めたいというこの動きこそを真の救済に向かわせます。

意識の焦点

どこ??

意識をこの個人に当てると「自由意志」がバリバリに存在する世界です。個人が各々が好き勝手に動き回る世界が起こります。ですがその意識を根源に向けた時「完全な自動運転」という世界が起こります。全てが全自動の起こりがある世界です。そこに意識が安定した時全ては神の現れであることが分かります。完全な大丈夫の世界です。

意識

現実が同じなら意識をどこに向けるって何か意味あるんですか???意識が向こうが向かまいが現実は現実ですよね???違います。全く違います。これは夢なんです。夢ですから意識が向く場所で夢が広がるのです。世界が最初にあってそこに意識を向けるのではないんです。意識が向くとそこの現実が広がるのです。つまり根源に意識を向けると根源の活動がその時まさに広がるのです。

逆にいえば

逆にいえばこの事実を知らない時、根源の活動一切を知らずに死にます。つまりこの現実と呼ばれるこの世知辛い世界のみを生きて死ぬのです。だってそこにしか関心(現実)が向かないのですから。世界という固定した何かが最初にあるのではないのです。意識を向けると世界が誕生するのです。根源に意識が向かれた時そこに根源の活動が生まれます。その現場が発見された時真の安らぎが起こります。

ART

全て

街を歩きます、あらゆる景色が広がります。その全てが神のアートです。人間が手を加えることなど一切できないアートが広がっています。ゴッホの作品、ピカソの作品だけが神の作品ではないのです。全てです。全てが神による神のための神だけのアートです。そしてその鑑賞者も神です。神以外が存在しないのです。不純物はゼロです。

では人間は???

では人間は何をやっているのですか???何もしていません。人間は何もできません。ただ神に動かされるままです。神に操られるままです。ですからこのブログも神が書いています。人間はただそれを行う道具です。そしてこのブログの読者も全て神です。神以外が存在しないのですから。

心が生み出す何か

手に入れる

全てのものは心が生み出します。ならば手に入れたい何かも確実に心が生み出します。そのアイテムを手に入れた瞬間、手に入れなくてはならない「私」と手に入れなくてはならないアイテムの二つが消えます。心の動きが消えるのです。その瞬間恍惚状態、思考が消えるのです。その体験が忘れなくて人は彷徨うのです。しかし全ては心が生み出すのですから手に入れたところで思考が消えるか、それを手に入れた私という心の動きが起こるのみです。それで何が変わるのでしょうか??

何も変わらない

そうです。何も変わりはしません。手に入れた私という心の動きが起こるだけです。そしてまた次の瞬間から心の動きが起こり不快感が生み出されます。この心の動きを消したくてまた心が生み出すアイテムを探し求めます。これを一生を通じて行います。ですがどこかで気づくのです。心が生み出すアイテムを手に入れたところで同じでは???そうです。その時心は外ではなく自ら生み出す外の世界ではなく中に入っていくのです。

自我というお化け

これは夢

これは夢ですからそこに現れる全ては幻想、お化けです。自我もお化けです。自分という感覚を作り出すお化けが自我です。その存在が存在するとある時確信が起こりお化けが生み出されました。そこから何年間とこのお化けと共に生きるのです。このお化けの存在維持は確信です。周囲から生み出された確信がお化けを支えるのですから確信が消えればお化けも消えます。つまり真実に目覚めてしまえば嘘の確信が消え、お化けも消えます。自我が消えるのです。

つまり

自我を消そう消そうとするのではなく真実に目覚めれば自我は消えます。真実とは「唯一の実在」に気づくことです。それ以外は何も存在しないことに気づくことです。すると自我も存在しないことに気づきます。確信が崩れ自我も消えます。

消えない欲望

抑えなくていい

過去世で性欲を抑え込んできた場合、その抑えた記憶が引き金になって今世それが爆発するかもしれません。抑えなくていいのです、そこを抑えたらおかしなことになります。起こるならばそれを満たせばいいのです。欲は抑えるのではなく勝手に消えていきます。気づきが続きますとこの見える世界に関心が薄れてきます。執着が消えます。すると性欲も消えていきます。

でも

食欲も、性欲も、睡眠欲も消えなくていいのです。あったらあったでいいのです。まだまだ欲があるんだなと気づけばそれで終わりです。大切なことはこの世界の真実に気づくこと、ただそれだけです。だからそれ以外は放って好きにさせればいいのです。気づきが進めば勝手に消えていきます。今砂遊びをしたい子供には飽きるまでさせればいいのです。飽きるまで。飽きれば次に進みます。

真我への関心

真我への関心と性欲への関心は両立しません。なぜか????なぜか????それは真逆だからです。これが夢と分かって夢の中身に関心が持てますか???昨日の夢にあなたは関心を持っていますか???あり得ないことです。つまり気づきが起こればこの夢への関心は薄れます。だから真我への関心は奇跡です。もう既にこの夢から解放が起こっています。関心がないのに苦しむことができないからです。

食べなくてはならない

観念

朝ごはん食べた???昼ごはんは????我々は生まれて直ぐに「食べる」という仕事を強要されます。食べなくてはならない、、これが強烈に強烈にインプットされます。食べる理由は生き延びるため、、ですがこれは夢です。夢で食べなくてはならない理由はありますか???ないのです。全くないのです。つまり食べなくてはならないという確信をうみこまれて今食べています。

不食

だから不食の人が居るのです、それも夢ですが存在します。不食があり得るのです。科学ではこれは証明できません。証明はできませんが存在します。不食があり得るのはこのためです。そして不眠も存在します。これは夢です。何でもあり得て当然です。不労もあり得ます。不死もあり得るでしょう。夢ですから。何でもあっていいのです。

〇〇しなくてはならない

これは夢です。〇〇しなくてはならないという夢は何でしょうか???そんな夢あり得ないでしょう。〇〇しなくてはならないと確信するからそうしなくてはならない夢が現れます。〇〇しなくてはならないと信じなければそんな現実も現れません。これは夢です。信じればそうなります。私だけそこから卒業しちゃっていいんですか???安心してください。夢の中には誰も居ません。