今ここにある危機

今日本が、、、、

今日本が危ない、今後の若者に歪みが、、、、これ夢です。夢にも関わらずそのニュースを追いかけるとそれここで起こります。実際に。夢ですから。ハワイに行きたい、、、その関心を追いかけるとハワイがどこかで現れます。ハワイに行けるのです。関心がハワイという夢を生み出したのです。全てはこうなっています。関心が夢を夢化します。これとがこの夢の世界の特徴です。

あいつが影で、、、

あいつ影で俺の悪口言ってんじゃないか、、、、、と日々怯えていると本当にあいつは影であなたの悪口を始めます。だって夢ですから。あいつ影で俺のこと褒めまくってんじゃないか、、、と期待するとあいつは影であなたを褒めます。つまり関心がそうさせます。ですが根っこでは人間は信じられないと信じていればあいつは裏切るのです。

根っこでの確信

結局女は顔だよね、、、そう確信すれば、、、本当にそのような世界がここで現れます。見た目の良い女が評価されるような夢がここで上映されます。結局、、、の先にあるのは「確信」です。確信がここで夢として現れるのです。夢だから何でもいいや、、これが大切です。ここに気づいますと、、起こる現象に興味が無くなっていきます。目を釘付けにして現実を見定めてやろう!!!みたいなノリが終わります。

世の中って所詮は「金」だよね、、、、

何千回聞いたでしょうか。世の中って結局顔だよね。世の中って結局職業だよね。世の中って結局会社だよね。。。何億回聞きました???この手の話。待ってください。これ夢ですよ!!!!夢にルールなんてあるわけがないじゃないですか!!!!!不可能です。マジで不可能です。「昨日の夢の中でさーお金失ったらみんな俺の周りから消えちゃって、、、本当ショックだよ!!!!!」という話にあなたは興味を持てますか???勝手にやってろ、、、ですよね。

夢の解体作業

観念

この夢は観念が作ります。この夢は確信が作ります。この夢は思考が作ります。そのことが暴かれた時、見える世界は思考が作ったのだと確信します。それが現れるのは観念があるからだということが分かります。つまり観念こそが、確信こそがそれを生み出すのです。本当は何もないのです。にも関わらずそれが現れたのは確信が現れになったのです。

では

どうすればいいのか???現れたものは確信でしかないのだからそれは本当は存在しないのです。これは夢です。全ては幻想です。全ては幻です。その幻を生み出したのは観念、確信です。そのことが分かってきますと現れる現象に変化が起こります。何かが起こっても何かが現れてもそれに反応しなくなるのです。お化けみたいなものです。お化けが出現しても反応しなかったらやがてお化けは消滅します。

つまり

この世界の現れに過剰反応が起こりません。過剰反応するには存在が存在すると確信しなくてはならないからです。つまり過剰反応できないのです。反応が起こってくれないのです。だって何が現れたってそれはお化けと一緒だから。そのお化けは存在を確信した時に再び現れます。そのお化けは無視されると消えます。自我というお化けも無視をすれば消えます。無視するのはなぜか???だってそれも確信が生み出したお化けだからです。

ほう、そうか

禅の達人

禅の達人の話で「何があっても」ほう、そうか、、、で片付ける方がいました。なぜ彼は全てを「ほう、そうか」で片付けるのでしょうか????なぜ???だってこれは夢だからです。当然です。夢を夢と分かってしまったら「ほう、そうか」でいいに決まっています。「昨日夢で3億円当たったんだ」と友人から聞かされれば「ほう、そうか」ですよね????関心が持てますか??不可能です。

つまり

トランプが関税交渉をしてきた、、、ほう、そうか、、、です。だって夢ですから。なぜそれで苦しまなくてはならないのでしょうか、夢なのに。親が末期癌になってしまって、、、ほう、そうか、、、です。だって夢ですから。自己破産してしまって、、ほう、そうか、、、です。だって夢ですから。なぜこの夢の創造主が夢によって苦しまなくてはならないのでしょうか???

でもお金がなくて、、彼女もいなくて、、

仮にですよ。これが夢だとしてもこの体の私がお金がなくて、彼女もいなくて、、、友人も居なかったら、、、絶対に苦しいですよね?????それは違うんですか????違います。全く違います。あなたは幼少期、お金を一円も持っていなかった時期があります。お金という存在すら知らない、友人という存在すら知らない時期があったのです。その時苦しんでいたでしょうか???つまりこういうことです。この苦しみは確実に思考が生み出したのです。その思考こそが「勘違いの思考」です。この夢を夢と見破っていない思考こそが苦しみを生むのです。だから釈迦は目覚める以外に苦しみを終わらせる方法はない、、と悟ったのです。

夢の中、夢の外

あなた

あなたは今どこに居るのでしょうか???もしもあなたがこの現実と呼ばれる世界の中に住んでいるならば、というか多くの方は間違いなくそう信じてますが、、、仮にこれが夢だとしたら夢が消えれば、、、あなたも消えます。なぜならば夢の中に居るのですから。これが夢だとしたらあなたは絶対にこの夢の外に存在しなくてはならないのです。

夜の夢

夜の夢を見ている時、、その夢を見ているあなたは間違いなく夢の外に居ますね。だから夢から覚めてもあなたは存在しています。夢が消えたらあなたも消えた、、こんな経験はないはずです。分かってきましたか???つまり夢とはあなたの存在を脅かす存在ではなく夢こそが消えては現れ、、あなたは不変なのです。あなたは夢の現れに一切影響を受けないのです。

この現実

この現実で何が起ころうともあなたという存在は一切影響を受けません。この体のあなたは影響を受けますが本当のあなたは微塵も影響を受けないのです。この体も夢の一部でありこの体は不便よりも便利、不快よりも快適な方が良いでしょう。ですがそれも夢の一部です。快不快も夢、不便便利もまた夢です。

夢から覚める

夜の夢が夢だったと気づくのは夢の中ではありません。朝目が覚めた瞬間「夢だった」と気づくのです。ですがそれが夢だったと気づけるということは「夢という存在が存在する」ことに気づけます。この現実が仮に夢だとしてもそれは夢の中では気づけないのですから、、だからこそこれは夢だと気づけるのです。夢から覚めることができないからこそこれは夢なのです。

絶対に消えないこと夢

この夢は消えません。絶対に消えません。なぜならばこの夢は「神の生き写し」だからです。神が鏡の前に立った時に現れる姿がこれです。これは消えません。これが夢化して今ここに現れています。神の生き写しがなぜ夢なのか???それはこの生き写しが人間という存在を利用したものだからです。人間は言語を操りあらゆる知覚を生み出すのです。これは人間の絶対的特徴です。人間だけが夢の中でハワイ旅行に行けます。人間ストーリーが夢として現れるのです。人間とはこの夢を見るために現れた現象です。

小賢しさ

自我

自我の行動とは小賢しさです。自我は不安で不安で仕方がないから常に小賢しく自身の防衛に励むのです。その小賢しさは時に成功しますが、、その不安感が消えることは全くないためにこの小賢しさが続きます。しかしこの小賢しさが自身こそに向けられた時に自滅するのです。ですから他人の小賢しさは放っておけばいいということになります。

智恵

一方で真我への気づきは小賢しさとは真逆に向かいます。この私の防衛本能は無くなっていき、、ただ全体への愛が広がります。ただ愛だけがあるのです。愛おしさが原点になった行動になります。目の前の赤子に対して小賢しさが発動しません。目の前の子犬に狡猾さが起動しません。全く同じ感覚が人に芽生えます。

自由意志があるなら

大谷翔平

自由意志があるならば大谷翔平と全く同じトレーニングをプロ選手は全員取り組めるはずです。にも関わらず誰も同じトレーニングができません。お酒も飲むし、暴飲暴食もしちゃうし、トレーニングもしっかりと休みます。確実にこれ自由意志がないのです。自由意志があるならば全員が成績優秀者です。なぜって勉強を毎日4時間すればいいのですから。つまり自由意志がないからできないのです。ゲームしたりTVを観たりしちゃうのです。

ないないない

これさえやれば儲かるのは分かっている、、、そうです。できないのです。自由意志がないから。同じような曲を出せば儲かるのは分かっているんです、でも出来ない。そうです。できません。つまり自由意志がないのです。本当は全員が分かっています。ですがこの世界で何かを成し遂げた人は「自由意志」があることにした方が都合が良いのです。だって自身が優秀だと言い切れるじゃないですか????だから自由意思があることにしたのです。

ボーナス

あいつは自由意志でしっかりと勤勉に働いている、、、だからボーナスを多くしよう!!!!これ自由意志がないとなったら難しいのです。自由意志で勤勉に働いていることにしなかったら個人を特別視してボーナスを渡せない。資本主義ではなぜ富の格差を許すかと言えば自由意志をどう使うかは個人に委ねられているということにしたからです。だから年収1億円も居れば何十万円も居る、、そしてそれを法律が保証します。

本当は自由意志がないにも関わらず、、、

この資本主義世界では自由意志があるということにして法律が組み立てられ、、成り立っています。ですが本当は自由意志はないのです。これはパラドックスです。国家政府は自由意志がないとは絶対に言えません。犯罪者の処遇に困ります。富の格差を許せなくなります。このメッセージがマジョリティに届くことはまずないでしょう。この夢の中でそのような流れになることは考えにくいものです。ですが同時にこれは夢ですからもしかしたら大変化があっても不思議ではありません。

夢の巧妙

それが分かって???

夢なのは分かりました。それで何があるんですか???目覚めて何がメリットがあるのですか???これ圧倒的に多い質問です。結論から入ります。夢と分かって深刻に捉えれることありますか???夢って分かって何を深刻に捉えることができるのでしょうか????夜の夢で自分が末期癌になった、、でも目覚めてそれが夢だと分かった、、、、さて目覚めた後に末期癌について悩めるでしょうか???悩めません。夢ということはそれは存在しないという意味です。

ですが実際にはこの体は続きます

この体でもしも末期癌になればそれが仮に夢だろうと末期癌は末期癌です。何も深刻さは変わりません。違うんです。これが夢だと分かってしまったら末期癌だ!!!というこの感覚は夢を見る存在から起こっていることに気づくのです。これに気づいたのは自分ではなく神です。そして神はこの体の所有者ではないのです。つまりこの体が末期癌になろうと、、神は何一つ傷つきはしない、、これが真実です。

そうかもしれないが、、

そうかもしれない、、でもこの体が朽ち果てるのは間違いなく事実です。だからそれは辛いのでは????勿論です。それが楽しいことは全くありません。ですが末期癌でこの体が朽ち果てても、、神である私は何一つ失わないという真実に気づくと、、この体に対する執着は著しく消えて行きます。この体でのこの夢が消えるのです。ただそれだけです。

じゃあこの体が消えても何も問題がない???

神である私は何も失いません。何もです。なぜならばこの体は夢であり夢ということは実体が全くないのです。夢の中のお金????それも実体がないのです。勿論それはこの夢の中では使えます。使えはしますがそれで潤うのはこの体でありこの夢を見ている神とは全く関係がないのです。神にとってはこのお金は完全に幻想であり、ただお金を手にした自分という夢が起こるのです。その時幸福感らしきものが起こりますがそれは実はお金を追いかけていた自分が消えたからです。これを幸福と勘違いするのです。つまり体の死とは究極の幸福でもあるのです。

夢と夢

朝起きたらまた夢

我々は夜は夜で夢を見て朝は朝で夢を見ます。実は全く同じ夢です。そして夢を見ているが本当の自分です。夢の中では誰かに普通に話しかけられます。その結果反応します。その反応する誰かは夢の中の主人公です。この主人公とは別に本当の自分が夢を見ます。我々は夢を見ているのが「この体の私」だと勘違いしています。ですがそれは違います。夢を見ている存在は夢の中には存在できません。なぜならば夢が消えてもその存在は絶対に消えないからです。

つまり

映画を見るとき見ている存在は映画の中には絶対に存在しません。だからこそ映画が消えても見ている存在は残ります。この夢も全く同じです。夢は消えても見ていた存在は消えません。この体が消えても絶対に消えない存在こそが我々の本質です。夜見る夢が消えても絶対に消えない存在が我々の本質です。

では

では、、、この体を操っているのは誰でしょうか???主人公である私です。主人公の私がこの体を操ります。実はこの説明は嘘です。実はこの体は勝手に勝手に操られています。本当は誰もこの体を管理などしていません。ただ思考が現れ感情が現れ行動が現れているのです。そのことを自覚していないだけです。この体の動き、思考の動き、感情の動きには主体が居るはずだという思考があるのでそう思っているだけです。

夢と夢を行ったり来たりしているだけ

これは夢です。夢と夜の夢が存在します。夢が終わると夜の夢が起こります。そこに熟睡が入ります。また夢が起こります。目覚めるという夢が起こります。何をしているのでしょうか????ただ夢が続くだけです。夢が切り替わるだけです。記憶が生み出す継続的な夢と記憶が断片的な夢が交互に起こります。そしてこの夢を見ている存在は全く同じでありそれはこの夢の中には存在しません。それが神と呼ばれる存在です。

神はこの夢を見る

神はただこの夢を見ています。それが私です。この夢の主人公は見られる側です。だから主人公は現れては消えるのです。夢が切り替われば主人公も変わります。この主人公の動きは実は全自動です。そのことは自覚すれば直ぐに分かってしまいます。そして神がそれを見ています。そして神がこの夢の創造主です。つまり私こそがこの夢を創造しこの夢を見るのです。

自由意志がないのは困る

自我

自分とは自由意志を使ってこの体を守っていることになっていたから価値がありました。にも関わらず自由意志がないという事実はこの大前提を覆します。根底から覆します。つまり自我が存在しないに等しいということにしてしまうのです。自我はこれを受け入れ難いのです。ですからこの世界では自由意志がないという事実はタブーです。これは自分を抹殺するに等しいからです。

自分は死んだ

自由意志がないことを認めた自我は自殺をしました。この体を自由意志で守っていることになっていたから自分はこの世界の王だったのです。にも関わらず自由意志はなかったのです。実は実は自由意志で仕事をしていなかったのです。つまり何もしていなかった、、ただの呼称だったのです。では思考とは何のか???これはチャットGTPのようにただ最適解が湧いているのです。

最適解が湧いてきてそれを「私」が考えたと嘯く

最適解はここでは勝手に自然に何の努力もなく出現します。それを自分がやっていると嘯くのです。これは嘘です。構造上の嘘です。事実ではありません。事実では全て勝手に現れます。今から1ヶ月何も思考しないでいたら1億円プレゼントします、、こう言われて、、、、誰が達成できますか????1億ですよ、、、、つまり自由意思など存在しないのです。

自分というのが自由意志を持っているならば

思考を止めることなど絶対にできるはずです。できないのです。1億円貰えると分かっていてもできないのです。不可能です。つまり自由意志など一切なく勝手にチャットGTPのように湧くのは事実なのです。ですがこれを認めてしまったら自分は何か????という究極の問いに入らなくてはならなくなります。社会の根底が崩れます。法律が崩壊します。

ここから自分が消えてしまったら

どうなりますか???当然周囲にも自分が消えます。何が残ります???ただの映像です。移り変わる映像です。これは神から現れる映像です。神と映像だけが起こります。そこに思考は現れますがこれも勝手に現れるのですから映像みたいなものです。感情も勝手に現れますがそれも映像みたいなものです。神と現れしか存在しません。そしてそれに神が気付くのです。

神と現れしかない

事実を突き詰めていきますとここには神と神の現れしかないことが分かります。自分も世界も存在せずただ神と神の現れだけが存在するのです。これが事実です。この現れの中で自分という感覚が現れ世界という現れが起こり夢が起こっていたのです。ですが原料を確認すれば神と神の現れ以外は何も存在しません。私も世界も存在しないのは明白です。私とは現れだったのです。世界とはこの現れだったのです。この現れは現れては消える幻想です。

夢の活用方法

マントラ

これが夢だと気づけば「ありがとう」「ついてる」「楽しい」などのマントラが使えることにも気づきます。これは夢です。ですから夢の中で「ありがとう」と呟けば次にはそれに関する出来事が起こりやすくなります。これは夢です。何となく分かりますよね。楽しいと呟けば、、次は何が??となります。するとその何かが起こるのです。

ハッピードリーム

これが夢だと気づけばできれば楽しい夢が見たいものです。そうなったら「辛い」「苦しい」「悲しい」「地獄」のような言葉は吐かないことです。何が???となり次にその内容が現れるのです。その内容はイメージだろうと現実と呼ばれる夢だろうと同じことです。だって同じ夢ですから。現実と呼ばれるこの夢も頭の中のイメージも同じ夢です。同じです。

妄想

じゃあ一日中楽しいことを妄想すればいいんじゃないですか????そうです。その通りです。まさに同じ夢ですから妄想でいいですよね。。ではなぜ人は楽しい妄想を続けないのでしょうか????ここ最重要ポイントです。楽しい妄想もまさかの苦しいのです。楽しい妄想には必ず自分が存在しますねよ????この自分という存在が登場すること自体が苦しいのです。

では????

じゃあ実際にこの現実と呼ばれる夢で、、、成功しても同じでは????その通りです。全く同じです。妄想とこの現実は同じです。ん?????じゃあ成功者は苦しいのですか????当然です。だってそこには自分という存在が妄想されてます。同じなんです。妄想での成功もこの現実と呼ばれる夢も、、、自分が現れれば苦しいのです。

そこから

悟りに入ります。目覚めに入ります。つまり夢の中でも妄想でもこの現実でも成功は苦しいのです。幸福と呼ばれる状況は苦しいのです。それは妄想でも空想でも現実でも実証されます。その時この夢から覚めるしかない、、という気づきに入るのです。これが夢である以上覚める以外にないのです。夢の中では至福には至れないのです。

どうやって目覚めるの???

なぜ妄想でも夜の夢でもこの現実でも自分は苦しいのでしょうか???それは自分という存在自体の意味がこの世界とは分離した自分だからです。つまり自分という登場自体が苦しみを生み出すのです。この自分という感覚は同時に世界という存在を証明します。本当はこれは夢で夢の中に分離はあり得ません。夢はそのままで夢だからです。夢には実際には何も存在しません。夢とはそれを証明することです。だから朝目覚めて「昨日の夢で出会ったあの人は咳き込んでいたが大丈夫だろうか???」とはなりません。存在しないことが証明されたからです。

苦しいことが証明

成功しても地獄でも同じように苦しいのです。なぜならばこれを夢と見破らない限り自分が現れてしまします。自分という存在こそが苦しみを生み出すのですからこのゲームは終了がありません。だから夜の夢でも妄想でも苦しみます。この苦しいということがこれが夢で自分なんて存在しない証拠なのです。そして夢だと分かれば自分が現れても苦しくありません。自分が登場しても世界が登場しません。世界とは夢であることが見抜かれています。

自分とは世界を生み出す道具だった

自分とは世界を生み出す道具だったのです。自分とは世界の中を生き抜く存在です。自分が現れれば世界も同時に現れます。ではこれが夢だと見抜かれた場合どうなるか????自分が現れても世界が現れません。だから自分も自然に消えます。「自分ー世界」システムが現れても消えていくのです。「自分ー世界」システムが苦しみを生み出し、、その苦しみこそがこれが嘘であることを証明します。本当は神と神の夢しか存在しないのでそこには苦しみが生まれないのです。にも関わらず苦しみが生まれるのは「自分ー世界」システムが発動するからです。これは苦しみを生み出す妄想です。

苦しいからこそ夢

神はここに神の投影を表します。それだけです。この時点では何も苦しみはありません。神が居てその神の鏡に映った姿が現れます。そこに苦しみは起こりません。ですがなぜかここに苦しみが起こっています。今まさに苦しみが起こっています。なぜ???それは夢が起こったからです。夢化です。自分という存在が現れる夢がここで記憶によって起こったから苦しいのです。苦しみが起こっているからこそこれは夢なのです。