朝起きたらまた夢
我々は夜は夜で夢を見て朝は朝で夢を見ます。実は全く同じ夢です。そして夢を見ているが本当の自分です。夢の中では誰かに普通に話しかけられます。その結果反応します。その反応する誰かは夢の中の主人公です。この主人公とは別に本当の自分が夢を見ます。我々は夢を見ているのが「この体の私」だと勘違いしています。ですがそれは違います。夢を見ている存在は夢の中には存在できません。なぜならば夢が消えてもその存在は絶対に消えないからです。
つまり
映画を見るとき見ている存在は映画の中には絶対に存在しません。だからこそ映画が消えても見ている存在は残ります。この夢も全く同じです。夢は消えても見ていた存在は消えません。この体が消えても絶対に消えない存在こそが我々の本質です。夜見る夢が消えても絶対に消えない存在が我々の本質です。
では
では、、、この体を操っているのは誰でしょうか???主人公である私です。主人公の私がこの体を操ります。実はこの説明は嘘です。実はこの体は勝手に勝手に操られています。本当は誰もこの体を管理などしていません。ただ思考が現れ感情が現れ行動が現れているのです。そのことを自覚していないだけです。この体の動き、思考の動き、感情の動きには主体が居るはずだという思考があるのでそう思っているだけです。
夢と夢を行ったり来たりしているだけ
これは夢です。夢と夜の夢が存在します。夢が終わると夜の夢が起こります。そこに熟睡が入ります。また夢が起こります。目覚めるという夢が起こります。何をしているのでしょうか????ただ夢が続くだけです。夢が切り替わるだけです。記憶が生み出す継続的な夢と記憶が断片的な夢が交互に起こります。そしてこの夢を見ている存在は全く同じでありそれはこの夢の中には存在しません。それが神と呼ばれる存在です。
神はこの夢を見る
神はただこの夢を見ています。それが私です。この夢の主人公は見られる側です。だから主人公は現れては消えるのです。夢が切り替われば主人公も変わります。この主人公の動きは実は全自動です。そのことは自覚すれば直ぐに分かってしまいます。そして神がそれを見ています。そして神がこの夢の創造主です。つまり私こそがこの夢を創造しこの夢を見るのです。