マントラ
これが夢だと気づけば「ありがとう」「ついてる」「楽しい」などのマントラが使えることにも気づきます。これは夢です。ですから夢の中で「ありがとう」と呟けば次にはそれに関する出来事が起こりやすくなります。これは夢です。何となく分かりますよね。楽しいと呟けば、、次は何が??となります。するとその何かが起こるのです。
ハッピードリーム
これが夢だと気づけばできれば楽しい夢が見たいものです。そうなったら「辛い」「苦しい」「悲しい」「地獄」のような言葉は吐かないことです。何が???となり次にその内容が現れるのです。その内容はイメージだろうと現実と呼ばれる夢だろうと同じことです。だって同じ夢ですから。現実と呼ばれるこの夢も頭の中のイメージも同じ夢です。同じです。
妄想
じゃあ一日中楽しいことを妄想すればいいんじゃないですか????そうです。その通りです。まさに同じ夢ですから妄想でいいですよね。。ではなぜ人は楽しい妄想を続けないのでしょうか????ここ最重要ポイントです。楽しい妄想もまさかの苦しいのです。楽しい妄想には必ず自分が存在しますねよ????この自分という存在が登場すること自体が苦しいのです。
では????
じゃあ実際にこの現実と呼ばれる夢で、、、成功しても同じでは????その通りです。全く同じです。妄想とこの現実は同じです。ん?????じゃあ成功者は苦しいのですか????当然です。だってそこには自分という存在が妄想されてます。同じなんです。妄想での成功もこの現実と呼ばれる夢も、、、自分が現れれば苦しいのです。
そこから
悟りに入ります。目覚めに入ります。つまり夢の中でも妄想でもこの現実でも成功は苦しいのです。幸福と呼ばれる状況は苦しいのです。それは妄想でも空想でも現実でも実証されます。その時この夢から覚めるしかない、、という気づきに入るのです。これが夢である以上覚める以外にないのです。夢の中では至福には至れないのです。
どうやって目覚めるの???
なぜ妄想でも夜の夢でもこの現実でも自分は苦しいのでしょうか???それは自分という存在自体の意味がこの世界とは分離した自分だからです。つまり自分という登場自体が苦しみを生み出すのです。この自分という感覚は同時に世界という存在を証明します。本当はこれは夢で夢の中に分離はあり得ません。夢はそのままで夢だからです。夢には実際には何も存在しません。夢とはそれを証明することです。だから朝目覚めて「昨日の夢で出会ったあの人は咳き込んでいたが大丈夫だろうか???」とはなりません。存在しないことが証明されたからです。
苦しいことが証明
成功しても地獄でも同じように苦しいのです。なぜならばこれを夢と見破らない限り自分が現れてしまします。自分という存在こそが苦しみを生み出すのですからこのゲームは終了がありません。だから夜の夢でも妄想でも苦しみます。この苦しいということがこれが夢で自分なんて存在しない証拠なのです。そして夢だと分かれば自分が現れても苦しくありません。自分が登場しても世界が登場しません。世界とは夢であることが見抜かれています。
自分とは世界を生み出す道具だった
自分とは世界を生み出す道具だったのです。自分とは世界の中を生き抜く存在です。自分が現れれば世界も同時に現れます。ではこれが夢だと見抜かれた場合どうなるか????自分が現れても世界が現れません。だから自分も自然に消えます。「自分ー世界」システムが現れても消えていくのです。「自分ー世界」システムが苦しみを生み出し、、その苦しみこそがこれが嘘であることを証明します。本当は神と神の夢しか存在しないのでそこには苦しみが生まれないのです。にも関わらず苦しみが生まれるのは「自分ー世界」システムが発動するからです。これは苦しみを生み出す妄想です。
苦しいからこそ夢
神はここに神の投影を表します。それだけです。この時点では何も苦しみはありません。神が居てその神の鏡に映った姿が現れます。そこに苦しみは起こりません。ですがなぜかここに苦しみが起こっています。今まさに苦しみが起こっています。なぜ???それは夢が起こったからです。夢化です。自分という存在が現れる夢がここで記憶によって起こったから苦しいのです。苦しみが起こっているからこそこれは夢なのです。