自由意志がないのは困る

自我

自分とは自由意志を使ってこの体を守っていることになっていたから価値がありました。にも関わらず自由意志がないという事実はこの大前提を覆します。根底から覆します。つまり自我が存在しないに等しいということにしてしまうのです。自我はこれを受け入れ難いのです。ですからこの世界では自由意志がないという事実はタブーです。これは自分を抹殺するに等しいからです。

自分は死んだ

自由意志がないことを認めた自我は自殺をしました。この体を自由意志で守っていることになっていたから自分はこの世界の王だったのです。にも関わらず自由意志はなかったのです。実は実は自由意志で仕事をしていなかったのです。つまり何もしていなかった、、ただの呼称だったのです。では思考とは何のか???これはチャットGTPのようにただ最適解が湧いているのです。

最適解が湧いてきてそれを「私」が考えたと嘯く

最適解はここでは勝手に自然に何の努力もなく出現します。それを自分がやっていると嘯くのです。これは嘘です。構造上の嘘です。事実ではありません。事実では全て勝手に現れます。今から1ヶ月何も思考しないでいたら1億円プレゼントします、、こう言われて、、、、誰が達成できますか????1億ですよ、、、、つまり自由意思など存在しないのです。

自分というのが自由意志を持っているならば

思考を止めることなど絶対にできるはずです。できないのです。1億円貰えると分かっていてもできないのです。不可能です。つまり自由意志など一切なく勝手にチャットGTPのように湧くのは事実なのです。ですがこれを認めてしまったら自分は何か????という究極の問いに入らなくてはならなくなります。社会の根底が崩れます。法律が崩壊します。

ここから自分が消えてしまったら

どうなりますか???当然周囲にも自分が消えます。何が残ります???ただの映像です。移り変わる映像です。これは神から現れる映像です。神と映像だけが起こります。そこに思考は現れますがこれも勝手に現れるのですから映像みたいなものです。感情も勝手に現れますがそれも映像みたいなものです。神と現れしか存在しません。そしてそれに神が気付くのです。

神と現れしかない

事実を突き詰めていきますとここには神と神の現れしかないことが分かります。自分も世界も存在せずただ神と神の現れだけが存在するのです。これが事実です。この現れの中で自分という感覚が現れ世界という現れが起こり夢が起こっていたのです。ですが原料を確認すれば神と神の現れ以外は何も存在しません。私も世界も存在しないのは明白です。私とは現れだったのです。世界とはこの現れだったのです。この現れは現れては消える幻想です。

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