マインドが描く悟りは戯言

マインドは悟りすらも好きなように描く

マインドは悟りを実は恐れています、本当の悟りとは自分がいなかったという事実を思い出すことでありこれはマインド、自我(心身こそが自分というマインド)が錯覚、嘘であることを見抜くことです。マインドは人間という独立した存在がいてそれをいかにサバイブしていくにはマインドが必要であると囁きます。この大前提を否定されてしまうと自身の存在理由が崩壊しますからその気づきは自身(マインド)の死を意味するのです。だからこそマインドは悟りをマインドにとって都合が良いものに解釈し真実に触れないように導くのです。カルト集団の教祖が悟った(本人曰く)後に狂気の行動にシフトするのはこのパターンです。悟りは人間が進化向上し偉大な存在になるようなストーリーとは全く違います、これはマインドが好きな悟り物語です。

深淵な目をして、落ち着いた表情の老人

マインドが好きな悟った人とは、澄んだ瞳で髭を蓄え言葉数少なく意味深なことを呟く老人です。マインドはこのような人にならばければ悟りを開けないと呟くことでこれが夢であるという事実から遠ざけます。悟りとはこれが夢であるということから覚めることであり、この夢の中でのストーリーとは何も関係がありません。夢の中で主人公(私)が評価を受けようと、卑下されようと、高尚な存在と認めらえようと、、何も関係がない。ですがマインドは好きなように悟りを装飾します。悟りをこの夢物語での出来事にしようとするのです。マインドはいかにこの夢に「人間のフリをした神」を取り込み続けるか、この役割を貫徹します。

自暴自棄、傍若無人、、、こんな人間が悟ことは許されない

マインドは悟りすらもストーリー、夢の餌食にしますから、、、信用がなく、学歴もなく、人徳に欠ける人間が悟れるはずはない、、こう断言することで悟りへの関心を回避します。関心を抱くのは人間扮する神ですがマインドはそう囁くことで神にもう少し人間体験をした方がいいと提案するのです。あなたはまだそのような境地には達していないという思考でストーリーを長引かせます。神に比べれば人間とは無知無能の存在、そこに優劣などあろうはずがないのですがマインドはそこを責めるのです。人間はもう少し人望が集まったら悟りに興味を、もう少し収入が安定したら悟りに関心を、、と悟りを先延ばしにしていきます。

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