これは幻想である、それを見抜ける人間はいない

夢の中でそれを夢だと気づく主人公はいない

自身が見る夢の中でこれが夢だと気づく主人公はいません。夢の途中でこれって夢ではないか?このような気づきに至ことはまあありませんよね。そしてここは重要になりますがこれが夢であると気づくのは夢を見ている自身であって夢の主人公ではありません。このリアリティー、現実社会でも同じですがこれを夢だと気づける主人公(私)はいません。この夢を見ている神以外にです。主人公にこれを夢と気づく力はないのです。あるのはこの夢を見ている存在だけです、つまり神です。

このリアル世界を生きる主人公とは

もしもこのリアルの世界を生き抜く私(主人公)が本当に存在していると思っている限りはこれが夢だと気づくことはできないでしょう。この体の中に自分がいるという思考、思い込みはあくまでも錯覚であり事実ではありません。この体の中に自分がいるという思い込みを信じ切ることでこの人間ゲームはスタートしますがこれは錯覚です。毎晩見る夢の中で主人公が自身の存在を疑わないようにこのリアルストーリーでもこの体の中に自分がいるということに疑問を持つ者はいません。

この体の中に自分がいるという前提で全員が同意する

世の中に自分一人しか居なればこの体の中に自分が居るという概念、アイデア、考え方は浸透しません。たまたま両親がいて、友人がいてこの体の中に自分が居るという考え方を無武備で信じ込む環境があったからこうなりました。大自然の中で生み落とされ動物に育てられたらこの体の中に自分が居るという感覚は皆無です。自分というアイデアも存在しません。悟りを開くとは大袈裟な話ではなくこの人間として当たり前の常識を壊すことです。この体の中に自分が居るという大前提が実は思い込みですよという大きなお世話な提案です。地球の周りを宇宙が回っていると信じられていた時代に「地球が太陽の周りを回っている」と話すのは大きなお世話だったはず。これと同じことを言っています。

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