信じる

エゴ

エゴとはセルフイメージです、、、これは外的環境によって構築された虚構です。この虚構を信じるという状況が起こり、、、ここから「苦しい」が起こります。外的環境によって形成されたエゴ、自我は、、、それを前提にした思考が湧き上がり、感情が湧き上がることで、、肥大していきます。外的環境によって強制的に形成された自我は、、それを前提にした思考感情が湧き上がり、、ドラマが広がっていくのです。

セルフイメージ

セルフイメージは外的環境によって形成された創造物です。これは実態がありません、、、この実態がない存在を実態があると勘違いすることから「苦しみ」が起こるのです。大いなる存在が「私」をイメージすることで、、孤独感、分離感、を味わうことになります。

つまり我々は外部環境によって外部環境とは異なる「自分」という存在を作り出し孤独感分離感を勝手に作り出し苦しんでいるのです。本当はこの自分などは存在せず、、我々はいまここそのものです。作り出したセルフイメージ、自我を維持することで「苦しい」世界を作り出しました。

間違う????

相手が間違う????

私の意見は正しく相手の意見は間違っている、、、こう思うケースは山ほどあるでしょう。ですが真実を伝えれば、、自我をベースにした意見の全ては間違っています。自我というセルフイメージを実在と信じた思考の全ては間違っているのです。だからこの人間社会で、、正しい意見というのを求めるならば、、社会から逃避する以外にありません。人間社会の意見は全部間違っています。

真実以外

真実以外の概念思想は、、全部間違いです。この個人が居てという前提の発想、思考、概念は全部間違いでありゆえにこの人間社会の中で関わりを持つならばそれは大前提です。正しいを求めるならば覚者の言葉以外を聞いてはいけません。ですが人間はこの社会で生きていく必要があり、、、だから間違った概念の中で生きていくのです。

間違っているのが前提

あなたの意見はここが間違いだ!!!!と宣ってもいいのですが、、、個人という前提の意見は全て間違いです。だから他人と関わって生きていくならば、、そこは大前提なのです。ですから他人の意見の批判は全部無駄です。悟りの境地からすれば間違っているが当然であり、、そこを批判したり判断したりするのは、、、全て自我エゴの延命措置です。

構造上不可能

幸福にはなれない

自我とはセルフイメージです。この自我が幸福になるのは構造上不可能です。セルフイメージがどうやったら幸福になることができるのでしょうか????できません。自我をセルフイメージと見抜くまでは、、、、苦しいままです。ですがこれを教えてくれる人はいません。全員が全員騙されています。自我は構造上幸福にはなれないのです。全体によって作り上げられたイメージが至福に至るって意味不明です。ところがマーケット、市場、経済は、、、個人、自我はこうなったら幸福になれますよ!!!!!と洗脳しています。

まんまと騙される

この車、この家、この家電、この時計、このファッション、、、こそがあなたを幸福にします!!!!は全部嘘です。「あなた」というのはセルフイメージのことであってイメージが幸福になるのは不可能なのです。私はイメージであって、、イメージは幸福にはなれません、構造上。幸福になれるのはイメージではなく実在です。私とは本来主語にはなれないのです。私は幸福です、、、は構造上不可能なんです。

イメージは感情を所有できない

私というイメージは感情を所有できません、、、だから感情とは一瞬なんです。宝くじに当たって最高!!!!を所有できる私は居ないんです、、、だから一瞬で苦しいに戻ります。なぜ最高!!という気持ちを所有できないかと言えば、、私がイメージだからです。実在しない存在が感情を所有できないのは当然なんです。にも関わらず人間はそのことに気づきません。私というセルフイメージをどうしたら幸福に至らせれるかを毎日毎日考えているのです。

セルフイメージ

例えばある親が子供に、、、私にはニューヨークのビルがあって、、私が死んだらそのビルはあなたに譲るわ、、という嘘の情報を子供に伝えて育てるとしましょう。その子供はビルの所有者であることを自覚しながら生きていくことになります。ビルの所有者だから勉強は必要ない、働く必要もない、美人のパートーが居て当然、周囲も私を大切にして当然というセルフイメージを作り上げていきます。これが自我です。外部情報によって作られた概念、イメージが自我です。セルフイメージによって起こる思考、感情も変わっていくのです。

嘘がバレる

20歳の誕生日にそれが嘘であったことが発覚しました。するとそのセルフイメージは大きく大きく変わります。ビルの所有者であったはずが、、何も資産がないただの男だったと。セルフイメージは失墜します、湧いてくる思考、感情も大きく変わるのです。これが自我です。その音自体は実は何も変わっていなにも関わらず外部情報によって大きく大きく変わるのです。

ビルの所有者時代

ビルの所有者と思い込んでいた時代と、、それが嘘であると気づいた時代、、、どちらが幸福であったでしょうか???多くの方は、、ビルの所有者時代に決まっていると思うでしょう、、違うんです。セルフイメージが大きければ大きいほど、リアリティはあればあるほど、、人は苦しいのです。ビルが実は無かったと気づいた時点では奈落の底に落ちますが、、そのあとは実はセルフイメージが縮小し、、穏やかになります。

セルフイメージ

セルフイメージとは嘘です。外部から与えられてた情報によって作られた嘘がセルフイメージです。このセルフイメージを信じれば信じるほどに、、、苦しくなります。本当の自分は、、、大いなる存在であり、、セルフイメージではないのですから、、自己が分離すればするほどに苦しくなるのです。

幻を幻と見抜く

セルフイメージをセルフイメージと見抜きますと、、、もう自我を信じることができなくなります。自我とはイメージであり実態はないのです。ですからこのイメージが周囲からどう思われようと、、イメージが変わり続ける以外にないのです。もともとがイメージであり、、これからもイメージです。イメージが幸福になる?????あるわけがないのです。

手放さない

過去のコミュニケーション

コミュニケーションとは生きる手段です。子供は親とのコミュニケーションで生き延びてきました。だからコミュニケーションスキルはサバイバルスキルです。だからこそこれを簡単に手放すなんてできません、これを手放す=死を意味するからです。よって子供はパートナーを選ぶ際にこのコミュニケーションを許容してくれる相手を探します。この本当のコミュニケーションを許して受け入れてくれる人を探すのです。

おかしいのは分かっている

どのほど歪んだスキルであってもそれで生き延びてきたのだから手放すのは至難の技です。簡単にはそれはできません。簡単にサバイバル手技を手放せる人間などいません。ということでこのコミュニケーションはしぶといのです、バイオレンス、DV、感情爆発、、、あらゆるコミュニケーション上の問題は、、、手放せないスキルに依存しています。

だから

本当は本当はおかしいのは分かっているんです、だからこそ親くない人間には一切その部分は出さない、出せない、、、そこには大きな溝が生まれます。親しい人間は古いスキルが使える相手、、親しくない人間には全くその部分はださない、、こうなります。エゴ、自我の究極の目的はエゴ自我の存続です。古いコミュニケーションに問題あるか否かではなく、、存続こそが重要なのです。

理解

させてもらえない

エックハルトトール、トニーパーソンズ、パンジャジ、ガンガジ、、世界には覚者と呼ばれるような人々が多数いまして、、書籍もたくさん読むことができます。これらの本を読んで感じること、、全く実感が湧かない、、、湧かないんです、、、実感が。何回読み返してみても、、あれ???本当にこれって以前に読んだっけ???状態です。なぜでしょうか???なぜ実感が湧かないのでしょうか????簡単です、分かってないからです。

分かってない????

本って実感の確認作業です、、既に実感していることの確認を本でします。だから何も実感していな分野の本を読んでも意味不明です。そいういう意味では、、それらの本がすらすら読めるのは既に悟っている状態でなければならない。。多くの方にとっては意味不明でいいとなります。分からない、、、という実感が先ずは必要で、、だから次に分かるという実感が起こります。分からないを先ずは実感することが重要なのです。

分からなくても続ける

分からない、、、それで辞めてしまう、、これは悟りの敗退です。分からないことを実感する、分からないって凄い、、分からないって奇跡です。。分からなくていいから、、、読み続ける、書き続ける、、、、これを続けていきます。するとある日、、ガツン!!!ときます。。何かと何かが繋がるんです、、、あれ????あの人のあの文章って、、こういうことか!!!が起こるんです。だからとにかく続けます。

見性

仏教

仏教では悟りのことを見性と呼んだりしますが、、、この漢字非常に面白いと思います。見るという言葉を悟りに当てはめています。ですが本当にその通り、、ありのままに見る、、=悟りです。ありのままに見るのですから、、こちらが何か行為をすることが悟りなのではなく、、どう見るかだけです。悟りとは「そのままに見る」ことです。誰が????誰でもない、、、ただ今目の前の視界、、これだけがあって、、それ以外は全て思考が作り出した概念だと見破ることです。

私が見るも、あれも、これも概念

私がコップを見ている、、これは概念です。本当は、、いまここ、、これだけです。。。この言葉が起こり前の段階、私もコップという言葉も起こる前の段階に気づくことが見性です。子供が見る世界には私もコップも登場しないのです。このあるがまま、、これが見性です。

あとから

言葉が何にも湧いてきていない瞬間があって、、、そこから言葉がグワっと湧いてきます。鈴木さん、佐藤さん、ガスト、スタバ、道、鳥、犬、、、、です。認識が起こります、、この認識の起こる前に、、、何も言葉が入り込んでいない世界があります。これがそれです。意識だけがある世界、、、アイアム、在るなどと表現されるこの感覚のみの世界があるんです。

手口

知ってしまうだけ

自我というのは動きに特徴があります、これを完全の把握してしまえばもう自我の策略に乗ることはない。自我の手口を完全に把握すれば終わりです。自我の活動は完全無意識化で行われますから、、意識化すれば終わりなんです。自我とは無意識化での活動生命体であり、、意識的にこれを把握すればもう活動できません。自我が活動できなくなるとどうなるか????大我に則った活動が起こります、真の安らぎの中で行動が起こるのです。

自我の卒業

自我を消す????自我は消すのではなく勝手に消えるのです。自我が消えるためにはどうするか????簡単です、自我の動きを理解するだけです。自我は動きを理解されてしまえば活動できなくなります。簡単に説明すれば自我活動中は「苦しい」が消えません。だから自我の活動を知って自我の活動を許容するは起きないのです。だからいかに早く自我の動きを知るかになります。

自我の動き

自我の動きに興味が湧く、、、ここに至ること自体が難しいものです。多くの場合自我の活動に対し興味が持てません。あらゆることに興味が出ても自我の動きには興味が出ないのです。自我活動の発展には興味が湧いても自我活動の終焉には興味が起こりません。つまり自我に興味が湧いている時点でほとんどゴールです。ウーパールーパーに興味があるんです、、、何年もすればその種の活動の全てを把握できます。自我もまったく同じ興味が湧けば理解は直ぐです。

最適解選択マシーン

自我

自我とは最適解選択マシーンです、その状況の中で、、最も最適な選択を自動的に選択してしまうマシーンです。我々は実はこの最適解選択マシーンに則って生きています。人を信用できない理由は、、全員が最適解選択マシーンだからです。そういう意味では誰も何も選択していないのです、最適解をひたすらに選択するマシーンに乗っているだけです。

最適解選択マシーンとして接すれば

人間は最適解選択マシーンですからそこから外れることはないのです。だから裏切りとかって本当はないんです。。。これまでも最適解選択マシーンだしこれからもそうなのです。裏切りとは、、、この真実を理解していないからこそ起こったという勘違いをするだけです。あんなに親身になったのに、、なぜあんな裏切りを!!!違うんです、、最適解選択マシーンの判断がそうなったしこれを拒否する選択肢がないのです。

可愛い

自我を最適解選択マシーンであると見抜けば、、、もう何も怖いものはありありません。人を信用するって意味不明です、、最適解選択マシーンを信用するとは、、そのままに見抜くということです。最適解選択マシーンが最適解選択マシーン以外にはなれないことを見抜くのです。本当の信用とはそういうことです。この人だけは信用できる、、とはその人が最適解選択マシーンだということを見抜くことです。

島に住んで

俺はこの島の村長になる、、これは島しか知らない状況での最適解です。東京に出れば必然的に夢は変わります、これを裏切りと表現するのは勘違いです。それしかない中での最適解が村長だっただけです、、それ以外の選択肢を知ればその中での最適解が選択されます。人を過度に信用するのではなく、、、人とは最適解選択マシーンであると悟ることが重要です。

余剰エネルギー

断食の凄さ

余剰エネルギーは何かしらの形で発散しないと余ってしまいます。余剰エネルギーはそのため何かしらの出口、発散を求めるわけですが一番簡単な方法は思い悩むことです。思い悩むことで、、、発散させようとするんです。何かを問題視することで余剰エネルギーを使わせるという方法を使います。だから最初から余剰エネルギーを摂取しない、、これが有効です。そのために一番効率が良いのがファスティングです。

お腹が鳴ったら食べる

お腹が鳴ったら食べます、お腹が鳴らないうちは食べない、、この方法を採用しますと、、余剰エネルギーが無くなっていきます。本当に必要な量しか体が欲しなくなります。結果悩むという行為が起こらない、無駄な思考が起こらない、、が起こるんです。悩むためのエネルギーを最初から取らないということです。