見性

仏教

仏教では悟りのことを見性と呼んだりしますが、、、この漢字非常に面白いと思います。見るという言葉を悟りに当てはめています。ですが本当にその通り、、ありのままに見る、、=悟りです。ありのままに見るのですから、、こちらが何か行為をすることが悟りなのではなく、、どう見るかだけです。悟りとは「そのままに見る」ことです。誰が????誰でもない、、、ただ今目の前の視界、、これだけがあって、、それ以外は全て思考が作り出した概念だと見破ることです。

私が見るも、あれも、これも概念

私がコップを見ている、、これは概念です。本当は、、いまここ、、これだけです。。。この言葉が起こり前の段階、私もコップという言葉も起こる前の段階に気づくことが見性です。子供が見る世界には私もコップも登場しないのです。このあるがまま、、これが見性です。

あとから

言葉が何にも湧いてきていない瞬間があって、、、そこから言葉がグワっと湧いてきます。鈴木さん、佐藤さん、ガスト、スタバ、道、鳥、犬、、、、です。認識が起こります、、この認識の起こる前に、、、何も言葉が入り込んでいない世界があります。これがそれです。意識だけがある世界、、、アイアム、在るなどと表現されるこの感覚のみの世界があるんです。

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