チャンピョン

王者

パーセンテージで考えたらボクシングで食べていくのはほぼ不可能です。世界王者になって初めてボクシングで食べれる世界と言われています。ではなぜボクシングを目指す若者が絶えないのでしょうか???パーセンテージで言ったら東大に入るよりも難しいにも関わらずです。彼らは計算ができないのでしょうか???勘が鈍いのでしょうか???井上チャンピョンはただのお気楽な青年だったのでしょうか???違いますよね。真逆ですね。ではなぜ????

真実

真実に目覚めていきますとパーセンテージというのが意味がないことが分かります。数字上の確率が実はあまり関係ないことが「分かって」きます。なぜかというとこの現実とはこの私の意識が作り出しているからです。いまこの瞬間の世界はこの瞬間だけのものです。ですから過去にどうだったという情報は情報に過ぎません、情報を真実と捉えた場合だけ今が過去の影響を受けるのです。数字は過去の産物であって「今」とは何も関係がないと自覚できた時、情報を超えた結果が生まれるのです。つまりボクシングで食べるという事実です。過去の影響を一切受けない真実が生まれます。

五感の変化

概念から純粋な五感へ

我々はこの世界の中のこの肉体が「五感」を駆使して生き延びている、、、そう思っています。そう考えています。そう盲信しています。ですがそれは嘘です。真実ではありません。にも関わらず我々はこの体が五感を生み出していると信じていますからその五感はその概念の影響を受けます。真には見えておらず、真には聞こえておらず、真には味わっていないのです。なぜならば勘違いのストーリーの中に五感が一瞬で巻き込まれていくからです。

緊張

分かりやすく説明しましょう。。。あなたがレストランで食事中に憧れのミュージシャンが登場、、その瞬間にもはや「パスタ」の香り、触感、味覚が飛びます。間違いなく在るのです、ですが飛びます。これが五感の概念化です。我々は常に常にこれをやっています。現れでた五感が概念に記憶に取り込まれていくのです。真実のメッセージに触れていきますと、、五感の概念化、記憶への取り込みがなくなっていきます。その時真の五感が始まっていくのです。

旅行

なぜ人は旅行に行くのか????なぜ?????それは五感が記憶に取り込まれないからです。全くの新しい場所での食事は記憶に取り込まれにくい。。。カテゴライズが行われにくいのです。だから美味しい、楽しい、になります。ですが今ここで真実に生きていれば、、、どこに行っても何も変わらずに「美味しい」のです。楽しいのです。だってもはや五感は記憶に取り込まれないから、思考に取り込まれないからです。

自我でなくなることは出来ても、、、

真我でなくなることは出来ない

我々は自我の状態になることは出来ます。そして自我ではなくなることも出来ます。この体を自分とすることもはできるし、この体は私ではないとすることも出来ます。それは現れては消える現象です。ですが「真我」でなくなることは出来ません。「気づき」でなくなることはできないのです。一瞬「気づき」でなくなってしまもう!!!!不可能です。全くもって不可能です。つまり真我=気づき、でなくなることはできないのです。

我を忘れて

我を忘れてネットフリックスに夢中になることは出来ても、、、、ネットフリックスを見ているという経験を無視することは不可能です。我を忘れて映画に夢中になってもその経験を無視することはできません。何かが常に今起こっていてそれをなかったことにすることは出来ないのです。私のことはいつでも忘れることが出来ますが、、経験を無視することはできません。だから今も何か経験が起こっていてそれは無視できません。

行為者から観察者へ

行為者ではなかった

実は実は「行為者じゃなかった」これ衝撃的事実です。行為者じゃないって意味不明、学校でも会社でも、、いつも責任の所在は行為者「私」でした。なぜ????嘘やん、ありえへん。。。。。ですが事実ではあなたは行為者では絶対にありません。1ミリも行為者ではないんです。1%も行為者ではないんです。これが事実です。行為者じゃないって言ったって誰がこのブログを読んでんだ????私以外にこのブログを読む奴は居ないだろ!!!!違うんです。「読む」という経験だけが起こっています。経験はあっても経験者は存在しないのです。

経験の観察者へ

経験があるのだから経験者が絶対に100%存在するはずだ!!!!これが我々人間業界の「推測」です。事実ではなく推測です。で、、、実際は経験だけが「ボコッ」と生まれたんです。味覚だけが、聴覚だけが、触覚だけが「ボコッ」と生まれたんです。だから騙され続けてきたのです。毎晩見る夢には主人公が現れ半端なく経験が生まれていますが「経験者」は実在しません。幻では生まれますが幻です。この夢も全く同じ原理です。

この意識、この意志

この経験の創造主をあなたにこっそり教えましょう。それがこの意識、この意志です。この意識と意志が変容し経験になっています。一秒たりともこの作業が途切れることがありません。一秒もです。常に常に瞬間瞬間、意識と意志がこの経験に生まれ変わっているのです。経験=意識+意志です。ではなぜそのことが分かっているのか???なぜその仕組みが分かっているのですか????なぜならばその動きに気づく存在が存在するからです。それが真我、絶対と呼ばれる無限の気づきです。

世の中

何も分からない

なぜ怖いの???だって世の中複雑過ぎて分からないことだらけじゃないですか????こんな複雑な世の中を大安心で生きていくなんて不可能じゃないですか???絶対に不可能でしょ!!!!でもですよ、、だとしたら幼児はなぜあんなに大安心で生きているんでしょうか???自身の将来を憂いていませんよ。なぜ?????そりゃ言葉も何も知らないからでしょ。。。。いやいや何も知らないからあなたは将来を恐れているんですよね????だとしたら幼児は半端なく何も知らないじゃないですか・・・

学校

学校であなたは半端なくあらゆることを学びました。幼児の頃よりも何万倍も知識が増えています。だったらなぜ今不安なんでしょうか???知識自体が不安解消に全くなっていないことが分かりますか?????だとしたらですよ、、、この知識は「嘘」の可能性があることに気づけますか?????幼児の何万倍の知識を詰め込んで不安ならば、、、その知識が嘘であることに気づけますか???

最終回答

そうなんです。全て嘘です。身に付けて不安が消えないのならばそれは嘘なのです。我々は嘘を教わってきたのです。どんな嘘??????この世界が最初にあってそこに私が生まれた、、、という嘘です。私が生まれる前世界など存在していなかったのです。世界が私なのですから笑。私が居ない世界など存在しないのです。私が世界を生み出したのです、そして今も私が世界を生み出しています。だから今あなたは世界を認識していますよね???

問題=恐れ

だったら

今あなたは何か問題を抱えているでしょうか???老後の心配????老後の心配とは何でしょうか???それは恐れです。問題とは将来こうなったら大丈夫だろうか????という恐れです。この貯金額で大丈夫か???という恐れです。ということは恐れがなければそれは問題ではなくなってしまいます。だったら恐れ自体を消してしまえば「問題」も全て消えてしまうことに気づきますか???

消してしまえ

恐れが問題ならば、、、恐れが全くない人には問題も全くないことに気づけますか???だったら最初から恐れ自体を消してしまえばいいのです。恐れとは????恐れとは何か?????恐れとは「この肉体の危機」です。この肉体が安全に運航できるか????これが恐れです。ではなぜこの肉体の安全を恐れるかと言えば「この肉体=自分」だと思っているからです。「思っている」のです。ですから全ての恐れはこの推測が支えているのです。

じゃあ

この肉体を自分だと思っているから「恐れ」が生まれるのだとしたら、、この肉体が自分ではないと確信を持ってしまえば「恐れ」も全て消えます。つまり問題も全て消えてしまいます。そして事実ではこの肉体は自分ではありません。自分の一部が肉体です。自分の一部がこの思考です。自分の一部がこの感情です。自分の一部がこの机です。自分の一部がこの空間です。自分の一部がこの時間です。自分の一部がこの太陽です。自分がこの世界です。

何を恐れる???

それが分かってしまったら何を恐れることがあるのでしょうか????この広大な世界でこの小さい小さい体だけを「自分」と信じてきたからあらゆる恐れを抱いてきました。ですがそれは嘘なのです。盲信だったのです。この「世界自体」が私です。私が世界です。ならばもう恐れることは何もありません。つまり問題が全て消えてしまいました。

ポジティブシンキングの罠

ポジティブシンキングという自己啓発系のジャンルがあります。全て肯定、全てポジティブ、全てOK、、、、ペットボトルの中に水が三分の一でも三分の一もあるじゃないか!!!!です。これある程度上手く行きます。ある程度です。ですがここに執着が始まりますと、、、、苦しくなります。段々疲弊します。最後には鬱になります。なぜ??????だってポジティブを享受する「私」がガッツリそこに存在するからです。上手くいく「私」がそこに存在しなくてはならないのです。本当に「私」はポジティブシンキングの恩恵を受けている???いつもいつも気にします。それで鬱になります。

そっちじゃない

では答えを言いましょう。ポジティブを受ける「私」は事実では存在しないのです。だから状況が何であろうとも何でもいいのです。これは夢です。この意識、この意志が生み出す夢です。ですからどんな夢がここで展開されてもいいのです。何が起こったってハッピーです。この意識、この意志が生み出しているんですよ。それが凄いのです。そこが最高なんです。ですから事実ではポジティブとかネガティブとかちゃんちゃらおかしな話なんです。全てが今この意識、この意志から生まれている夢だという事実が半端ないのです。

つまり

この私を取り巻く環境が「ベター」であれば気分もベターに違いないという催眠が効いちゃっているから苦しいのです。事実では全くそうではなくこの夢をこの意識、この意志が作っているというこの事実が半端ないのです。ですからこの意識、この意志の働きに「ポジティブ」も「ネガティブ」もないわけです。全部この意識、この意志が作っているんですよ!!!そこに感動してください。というよりもそこに感動しちゃいます、事実の半端なさに感動が起こってしまうのです。

YES MAN

ある映画

YES MANという映画がかつて上映されました。ジムキャリーの映画です。この映画は「意識」と「思考」の関係について大変わかりやすい映画です。主人公のジムキャリーはかつて友人の誘いを全て『NO』と断ってきました。パーティー、結婚パーティー、キャンプ、結婚、ライブ、映画、、、どの誘いも『NO』です。そして人生は悲惨そのもの。ある日とあるセミナーに参加したら「YES」「YES」全てYESと言わなくてはならないという教えに出逢います。そこからジムキャリはー全て「YES 」の回答に。。。すると人生が急展開に良くなるという話です。

種明かし

では種明かしをしましょう。なぜ「NO MAN」が「YES MAN」に代わると人生が好転するかについて。行きますよ。NO MANがYES MANになるためには「意識的」でなくてはならないからです。自分の口から出てくる言葉に「意識的」でないといけないからです。つまりそれまでは意識的でなかったのです。YES MANになるには言葉に意識的でないと不可能です。これどういう意味でしょうか????分かってます????意識が「思考」を観察し始めたのです。意識と思考の合体が離れ分離し意識が思考を観察し始めたのです。思考に取り込まれた意識が思考から分離し意識そのものに戻ったのです。

それが楽なんです。思考を観察する意識は思考ではありません。かつては意識=思考でした。ところが思考を意識することで意識は思考と離れ、、、意識そのものになったのです。これが目覚めです。意識が自身が意識だったことに目覚めたのです。覚醒の瞬間です。映画の主人公はここまでは分かってはいませんが事実ではそれが起こります。ポジティブシンキング、、これも同じです。意識が意識的に思考を観察することです。なぜそんなことが出来るの????なぜならば我々はこの体でもなく思考でもなく「意識」だからです。

全て過去のもの

記憶

我々は現在に生きていると思っています。紛れもなく今現在に存在していると思っています。だって今にしか存在できないのだから。それは間違いありません。ですがちょっと気になることが、、、机もテーブルも、私も、、ソファーも全て「過去」が無かったら存在していません。過去を抜きにして「机」という知覚を「生み出す」ことができません。過去を抜きにして「私」も存在できません。過去を抜きにして「あなた」も存在できません。つまりこれらの全ては過去が生み出した投影です。

知っているもの

今現在、知っている「もの」に囲まれているならばそれは全て過去が生み出した「もの」です。ですから過去が創造主です。過去が主役の創造です。だから「退屈」という感覚が生まれます。だって全部過去に知ったものしかないのだから。じゃあ「今」に生きていないということですか???その通りです。今、過去が創造主になって投影を生み出すのです。だから退屈になります。

では

では行きます。どうしたら現在に戻ってこれるか?行きますよ。この現在は今この意識、この意志が今生み出しているという真実に目覚めるのです。今この意識が生み出しているのが真実だから、、そこに目覚めます。ここに過去に知った物物があろうとも、、全てこの意識が生み出している事実に立ち返ったならば、、、そこに気づきます。それが真実だからです。記憶が今過去の投影を生み出そうとも、、それも今意識が記憶となって生み出したのです。だから新鮮なんです。新鮮が基本なんです。新鮮でないならそれは事実が歪んでいます。

世界をがぶ飲みする

この世界を今がぶ飲みします。この意識がこの意志こそがこの世界を今生み出しているという事実に戻れば、、何が目の前にあろうともそれは今創出されています。それが真実です。この真実に気づいて「退屈」はあり得ないのです。だって事実今この意識、この意志が創出しているのですから。我々は過去の投影を生きて、、苦しみ、その苦しみを解消しようと快楽を求めます。ですが手に入る快楽の全ても過去の投影ですから、、退屈になります。快楽はなぜ毎度毎度必要かと言えば、、退屈が形を変えた刺激だからです。そっちに行かないでください。真実は半端なく新鮮です、真実は容赦なくフレッシュです。そこを忘れてはいけません。

かつては夢の中に居た

思い出す

真実に目覚めていきますとかつての生活が「映画」を観ていたんだぐらいに感じます。昔は凄い緊張感のある映画の中に居たなーという感覚です。全く実感が違うのです。そういやそんな映画をマジで観てたわ、、、そんな感じです。あん時は何でもかんでも心配してとにかく「後悔」だけはしてはいけない、だから慎重に慎重に、、、がルーティンでした。とにかく後悔だけはしたくないから。。これがヒエラルキートップの映画を観ていたのです。一回きりの人生を後悔してたまるか!!!!!が人生のテーマでした。

だが

ですがそこから真実に目覚めていくのです。え???魂????え????宇宙人????え???輪廻転生????え????オーラ????なんなん、、でもこれって何か懐かしい、、、え????そうか。。こっちが本当かも。もう戻れません、もう回帰不可能です。何だ、やっぱりそうか!!!この苦しい感じってやっぱ変だと思っていた。。。。が起こります。そこからは絶対的存在に関心が「ガツン」と起こります。もう全てが夢だと分かっています。全てが夢だと分かったあとは「これ」だけが全てになるのです。もう時間も空間も超えていますから「これ」だけです。

映画やTV

映画やTVを観るとビックリします。いやいや過剰でしょ、その感情表現。いやいやそこまで思考働きますか、、、そのことで。嘘でしょ、何か小説家でもなりたいんですか????ぐらいに思考、感情の渦に腰が砕けてしまうのです。見てられない、、、だって全く感情が入らない。なぜならば考えていることが全く違うから。という感じになります。何を俺はあんなに色々恐れていたんだ、、、、になります。その時はもう映画は楽しめない、TV もネトフリも不可能です。だから今のうちに観ておくのも手です。