創造主の波動

出したいですか????

どうしたら神になれるか???どうしたら創造主になれるのか????どんな修行を重ねたら神になれますか???どうか、どうか教えてください。どんな修行でもやってやります。では教えますね、、、いきなり創造主になって創造主の波動で世界を満たす方法を。それは、、、、これを夢と見破る、、、ただそれだけです。そしてこれを夢と確信して生きるのです。ただそれだけです。さあ今やってください、今です。「ここ」だけが世界でこれ以外は世界ではありません。さあ今それを見破ってください。

金メダル

金メダルを取った瞬間lこみあげる涙、、喜びが涙となってここに現れます。それを超えた感動の波動を今ここで出すことができます。これを夢と見破った時それが起こります。この体は夢の一部です。このPCも夢の一部です。時空間は夢の一部です。この思考も夢の一部です。この感情も夢の一部です。どうですか??何か変わってきましたか???変わりませんか???創造主の波動が出ていませんか???神の波動に満ちてきました???

それでも

古い古い固定観念がまだここには100%あってそれが今ここで再現されています。女ってこういう生き物だよね、男ってこういう生き物だよね、、、日本人てこうだよね、、外人ってこうじゃん、、、全て全て固定観念でありその固定観念が今あなたの目の前で出現します。そして「やっぱり」とあなたは感じます。やっぱり!!!じゃないんです、、、あなたの固定観念という楽器が奏でる音楽が今ここに現れているだけです。

どんなに酷い人も

真実

目の前にどんなクズが存在していようともそれを創造したのは私なのだ、、という自覚が生まれますと、、愛おしくなります。そのクズの存在こそが愛おしいのです。これを思考で考えても無駄です。とんでもない詐欺的な行為をされたとしても奥底では愛おしいのです。だからといって再び詐欺的行為をされたいとは思いませんから明晰に「NO 」ができます。冷静沈着、大胆不敵な『NO』が起こるのです。ですが心の奥底では愛おしいのです。

例えば

例えば、、、、週刊文春に一切の芸能スキャンダルが消え、、、清廉潔白、、のみ、、、、善行、善行、、善行三昧、、、、になったら、、、、買いますか?????苦しくて買いません。他人のクズさ、他人のだらしなさ、他人の幼稚さを、、、見て「ホッと」していますよね????なぜ?????だって確実にこの体からも「幼稚さ、クズさ、だらしなさ」がガンガン起こるからに決まっているじゃないですか。。。。だから愛おしいのです。クズが他人の体を通して現れるのが。。。。

ただし

全てが全自動、森羅万象の動きに過ぎない、、、という自覚が生まれていきますと、、、ここに迷いがなくなります。ここに苦しみがなくなります。ここに皮算用がなくなっていきます。ここに狡猾さがなくなって行きます。ここからクズ的行為が消えて行きます。なぜ?????だって一切の迷いがないからです。自己中毒がなくなり自己中毒から現れる行動がなくなっていくのです。だからって個性、気質は残ります。寿司が好き、ビールが好き、サッカーが好き、、、何でも残りますが、、、迷いがないのです。

圧倒的自覚

神である

創造主であるという圧倒的自覚を持ちますと、、世界に奇跡が起こり始めます。それは当たり前の話です。創造主であるという圧倒的自覚を反映した世界になります。「世界の中の私」という固定観念が生み出していた世界から「創造主である」という真実そのものである世界に変わるのです。固定観念が生み出してきた世界が崩れていきます。

奇跡

奇跡の内容を知りたいですか????詳細に語るとスピっぽくなるんで避けますが、、、「時計を見ればいつもゾロ目」「お店に行くとタイミング良く入れる」「友人からタイミングよく誘われる」「臨時収入が増える」「トラブルの方が逃げていく」「厄介な人が逃げていく」何でも何でも起こります。だって創造主ですから。創造主と思っている、、ではないんですよ!!!!本当に創造主なんです。この事実を嘘で塗り固まれて、、騙されていたんです。

痛み

何????

心の痛み、体の痛み、、、、あらゆる痛みが存在します。もしもあなたが何かしらの痛みを抱えた時、、、どうしますか????どうしよう、どうしよう、、、、どうしたらこの痛みは無くなるの????お医者さん、、友人、、、家族、、、、と解決方法を求めて彷徨います。その時、、痛みは拡大していきます。痛みというメッセージから逃げる時、、、痛みというメッセージは大きくなるのです。そうではないんです。この痛みは何を私に伝えようとしているんだ???と痛みに向き合うのです。

痛みの声を聞く

対処方法にばかり関心を持つのではなく、意識を向けるのではなく、、、この痛みの声を聞きます。この痛みは何を私に訴えかけているのか????です。しっかりと痛いに向かっていくのです。すると何かが分かります。痛みの原因が分かってきます。苦しみの原因がわかってきます。ヨガをやり体を整えていくと、、痛みを感じやすい体になります。ですが同時に原因も分かるので、、楽なのです。

究極

多くの人は対処療法が大好きです。病院、薬、占い、友人に聞いてもらう、、、全部対処療法です。どうやってこの痛みを誰かに消してもらうか、、、に意識が動いています。対処療法の弱点は、、、常に常に痛みが現れ、常に常に治してくれる誰かが必要になるということです。究極的なこと言ってしまえばその痛みも「愛と調和」でできています。それが真実です。ですから真実に徹底的に向き合う時、、その痛みは消えます。

結果

追い求めてる時点で

あなたが何かしらの結果を求めている時点でまだ世界と私の二極構造の中に居ます。世界の中に私が存在しています。世界が私になった時、、、それがどんな世界であろうとも「満足」が起こります。どんな世界であっても不満が起こりません。私=世界になった時、、、ただそこに世界があるという事実に愛おしさを感じます。世界が愛になります。この体にも愛おしさを感じるし、この体の私にも愛おしさを感じます。

全て失う

あなたが大切だと思っていたもの、全てを失うとしましょう。仕事、家族、、何もかもを失ってしまっても、、、何も変わりません。全て失ったはずなのに、、、私=世界が確実に確実に存在します。その失った何かの代わりに何かが現れて、、、満足が起こります。満足を失う力を持つものなど何もないのです。世界イコール私になった時、私を損なうことができるものなど何もないことに気づきます。家族を失い、仕事を失って損なった気分になるのは「思考」の仕業です。思考の中、記憶の中で生きる時のみ、、損なった感覚を覚えるのです。

これが鏡であるという100%の確信

これ

ある日気づくと、、、本当に「これ」しかないことに気づきます。この世界とは「これ」だけだったのです。そしてこれをこれと自覚する存在は誰か????となるのです。それが真我であり神です。本当の私が、、ただ「これ」に気づいています。「これ」とは本当の私の鏡に映った姿です。だから「これ」が今後とも消えることもなくこれからも「これ」として在り続けるのです。そして「これ」は私の鏡に映った姿ですから「これ」には神が映し出されているのです。その圧倒的自覚が起こった時、、「これ」は神らしくなるのです。つまり「これ」=愛と調和になるのです。つまり「これ」=意識+意志=調和+愛、です。

右往左往

これが私の鏡だという自覚がないとき、、固定観念を通じた私の姿がここに「現れ」ます。つまり100%の自覚を阻害する固定観念が残っているのです。その時、、「これ」に苦しみ、悲しみ、恨み、辛み、、、などの感情が起こるかもしれない。ですがそれすらも本当の私を気づかせてくれるヒントです。残った固定観念を炙り出すヒントとして「これ」にしっかりと起こるのです。

だから

だから何が起こってもそれを忘れないことです。全て真の私、真我の鏡がここに現れます。それ以外が存在しません。ここ以外は何も存在しないのです。その証拠にあなたは「ここ」以外を見たことがないはずです。ここ以外で何か経験したことがありますか????100%1000%10000%断言して言いますが「ここ」以外で経験が起こったことはないはずです。その自覚がそのまま「ここ」に反映されるのです。

神に意識を向けると世界が神らしくなる

神とは何だ???

これは神が鏡に映った姿です。神が鏡に映し出された姿が「これ」です。ということはこの事実に意識を向ければ「これ」が神々しくなるのです。分かります????言っている意味が。。。。神が鏡に映っているという自覚は「これ」を神々しい姿にします。「これ」を現実だと夢見れば、、、それはより現実臭い姿になってここに現れます。「これ」を神の鏡に映った姿ではなく、、「ただの現実」と意識を向ければそれがよりそうなるのです。ですが何が映し出されても神の写し絵です。

だから

いかにその自覚を持つかです。写し絵に関心を寄せるのではなく、写し絵の大元「神」としてこの写し絵をただ眺めるのです。つまり今神である「あなた」がこのあなたの映った姿を見ているという圧倒的自覚を持った時、、そこに映し出される姿=現実は神々しくなるのです。それはかつての現実と呼ばれる世知辛い貧しい世界ではなく神々しい世界です。事実として今神の写し絵、、がここに現れでているのですから事実を絶対に忘れないようにします。あなたがやるべきことはそれだけです。

自分を発見するという体験

無限の体験

ここは物理空間では断じてありません。ここは時空間でも断じてありません。ここは無限の体験がただ現れるだけです。無限の体験が現れる場所ではなくただ体験だけが現れるのです。ですから空間も時空間も存在しなくていいのです。明晰に観察すれば事実として体験以外が存在しないのです。そしてその体験は無限種類でなくてはならないからその中には「自分自身を発見する」という体験が含まれているのです。この自分自身とは「真実のセルフ」のことです。真実の自己です。

では真実の自己とは

ではその真実の自己とは何でしょうか????真実の自己とは自身が「無限であり気づき」であるということです。そしてそのことに気づくためにその投影が生まれ、、それがこの世界です。そのことに気づいた時、、愛と調和が溢れることから、、、そうか自分自身は愛と調和でできているのだ、、、という気づきも起こるのです。自分自身が愛と調和そのものだったんだという気づきの経験もこの無限の経験には含まれていなければならないのです。

過去が未来を牛耳る

脅し

記憶喪失になったあなたが転職活動をする時「恐れ」はありません。記憶喪失になったので辞めます、、ただそれだけです。ですが記憶が鮮明なあなたは「次に失敗したらどうしよう、今回失敗したということは次もそうかも」となります。これ「記憶」が「未来の失敗」というイメージを起こし脅しをかけているのです。二度あることは三度ある、、です。

でもそれって重要なことですよね????

二度あることは三度ある、、、これって重要なことじゃないですか!!!!事実ですよね。。。。それを確認する前に、、、「その記憶が間違っている」という事実の話を今しています。その記憶が勘違いですよ、、という話です。真実のメッセージは「自分ストーリーの上手くいくいかない」の話をしているのではなく上手くいこうと、いかまいと地獄です。。という話です。

その過去

自分ストーリーが確実にあって、、だから慎重に慎重に、、、というのが記憶の脅しです。ですが自分ストーリー自体が嘘であるという公開が悟りです。この物理空間自体が存在しません。時空間が存在しないのです。そしてこの意識、この意志から今この夢が起こっているだけ、、、これが真実です。ここに行かないと、、人生が実在だと信じている限り、、上手くいけば上手くいかなくなることに怯え、、、上手くいかなければそのまま苦しい、、というワープからは逃れられないのです。

自我からセルフへのシフト

それは突然

これは夢だ、本当に夢だ。。。。この自覚が突如生まれた瞬間、、自我の人生が終わります。この夢を見ていたのは自我ではなく本当の自己、セルフだったという気づきです。人生の主役がこの私ではなく、、この夢を傍観する存在、本当の自分にシフトします。それは突然かもしれない。。。。急激なシフトチェンジが起こります。軸が移動しします。パラダイムシフトです。

記憶

その瞬間過去の記憶の全てが、、、勘違いだったことが明白になります。この自分が世界を生きて認識しているという自覚の崩壊です。世界と私の両極構造が一瞬で崩壊し、、夢があって、ただそれが見られる、、という非二元が起こるのです。見ているのはこの体の私ではない、、夢の創造主です。ですからこの物理空間も完全に幻想です。時空間も完全に幻想です。かつての記憶は音を立てて崩れていきます。この私が世界の中を生き抜くという夢から覚め、、ただ夢の創造主と傍観者だけが残るのです。