バレた

自我ペインボディシステム

エックハルトトールは「エゴ、ペインボディ」だけをまとめて一冊の本を書きました。それがニューアースです。この書籍は爆発的に売れたわけですが、、、なぜか??????バラしてしまったのです、絶対にバラしてはいけない秘密をバラしたのです。そうですエゴとペインボディの存在を。ただしただしほとんどの方は本を読んでも気づけません、、革命的な内容にも関わらず読ませてもらいないのです。

10年間

私もニューアースは書店で10年前から知っていたんです、、売れまくりだったから当然です。ですが、、読めない、理解できない、苦しい、、もういいや、、、です。読ませてくれないんですよ、、自我ペインボディが、、、ペインボディは感情爆発装置ですから、、、読んでいる間中、、感情で邪魔するんです。飽きた、イライラ、苦しい、孤独、、、、、、???????読めない。

突然の理解

ところがところが突然理解できたんです、、私の場合はファスティグが大きかった。ファスティングで強制的にペインボディを小さくできたから、、、突然読めた、、そして分かった!!!!が起こったんです。半年間のファスティングで強制的にペインボディを弱体化し、、その合間にニューアースの理解に至りました。全く邪魔をされずに、、理解が起こったんです。

最強の敵

気づいていない

うちの上司本当に手強くて、、うちの嫁さんは本当に怖いから、、、うちの娘は性格が激情型で、、、残念!!!!!本当の敵は自我ペインボディシステムですから!!!!!!それに比べたら、、、全く全く手強くないですよ!!!!自我ペインボディシステムを怖いと今思っていないとしたら、、、かなりヤバイです、アウトです。

感情を自由自在に操る存在

ペインボディとは感情エネルギーです、ネガティブな感情エネルギーです、、この感情エネルギー体が自由自在に、、感情花火を打ち上げ、、、イライラ、不安、怖い、寂しい、、を千差万別に起こします、この感情は「私」が絶対に無視できないものです。だから「私」はこの感情を放っておけない、、思考をフル回転してこの感情を消そうと動くのです。これがこれがペインボディの餌になります。そして自我全開になります。

自己防衛

最強の敵がなぜこの体の中に居るのか??????それはこの敵が実は外敵から守ってくれるからです。外敵から守りために体の中にその数百倍怖い敵を飼っているのです。嘘でしょ??????な話です。だからだから人は苦しみから解放されないわけです。とんでもない猛獣を体に飼っておきながら、、、怖い怖いと怯えて生きているのが人間の真の姿です。

暴走の終焉

自我ペインボディ

なんで自分はもっと評価されないんだ???なぜもっと高い評価を貰えないのか????悔しい。。。。これペインボディが意図的に発した花火です。問題が無くなると、、、、世間的には問題が無くなってしまうと、、、、ペインボディが騒ぎ出し感情の花火を打ち上げます。ドカンドカンと、、すると、、、この不満足感の原因は何だ????そうだ、、、もっと評価されるべきだからだ!!!!!となるんです。もっと大切にされるべきなんだ、、誰から?????周囲からだ!!!!!となります。

ドカンドカン

問題が無くなってしまったら、、、ペインボディも、自我も活躍する場所がない、、、、何からも守る必要がない。。。まずい、、、、ペインボディが感情の花火を打ち上げます、、、不満不満、、イライラ、、、この不満はなぜ?????私がもっとモテていないからだ、、私が全く実力通りに評価されていないからだ、、なぜ彼は私の良さが理解できないんだ?????

突然の理解

この仕組みが理解できますと「静寂」になります。ペインボディが花火を打ち上げない、、、なぜ????だって打ち上げても意味がないから。。。打ち上げてもそこから思考の渦を起こしてくれないならば、、やったってしょうがない。。。。この作戦が突然止まります。ペインボディ自我システムの最強の戦略が突然消えます。

観察対象

分かってくると

分かってきますと、、感情はただの観察対象になります。。この感情、、イライラ、ムカつき、悲しみ、ハッピー、、全部が全部ペインボディーが湧き出す、、、ペインボディーの維持システムです。イライラが湧き、、次に犯人探しが始まる、、つまり思考のグルグルが起こる、、、自我システム発動です。この思考をペインボディが食べる。私ストーリーは維持され、、ペインボディも維持される。。。。

なんという簡単なシステム

分かっちゃうともう簡単なんです、、はっきり言って超簡単。感情は対象に向かって起こるのではなく、、ただ起こるのです。。。そして勿論頭を叩かれれば、、「怒り」が起きますが、、これも結局はペインボディを維持するためのチャンスでしかない。怒りが湧いたのはなぜだ?????「私がこの人から叩かれたからだ」ということです。ストーリーが生まれ、、なぜ???なぜ??なぜ???という思考の渦が湧く、、これをペインボディーが食べる、、、自我が肥大化する。。。はい自我システムが安全に維持されます。

ペインボディに騙されてそのまま死ぬ

多くの方はペインボディ存在を知らずに知らずに知らずに死にます。何も気づかず、、毎日毎日イライラ不安、怒り、恐怖、、を味わいまくって、、しかもそれが自ら起こしているとは露知らず、、、、原因を外に向け中に向け、、、思考を回しそれが餌にされ、、、自我が肥大化し、、、それに気づかずに死ぬのです。

自由に動けない

なぜ?????

本当は動きたいんです、でも動けないんです、、だって不安や恐怖が勝手に湧いてきちゃって。。。。。どうすればいいんでしょうか????簡単です、感情のシステムを理解するのです。感情がどこからやってきてそこからどう機能するかを理解するのです。そうすれば動けます、だってもう感情は感情に過ぎず、、そこに振り回されることがなくなるからです。

でも不安が湧けば不安ですよね????

不安が湧いたら不安なんですから、、、どうしろと??????不安はなぜ湧くのでしょうか????なぜ不安が湧くのですか?????ポイントはそこです。。。なぜ不安が湧いたのでしょうか??????それは不安になる要因があるからですよ、ニュースを見れば、TVを見れば、怖いのばっかりじゃないですか!!!!!違うんです、、不安は勝手に勝手にペインボディから起こったのです。ペインボディがガツンと花火を打ち上げたのです。

維持

ペインボディはネガティブな思考を餌にして肥え太っていますから、、これが欲しい、、、お腹が空くとこいつをガツンと欲しくなります。そこで、、ネガティブな感情花火をドカンと打ちあげて、、、犯人探しをさせます。怒りの感情花火を打ちあげておいて、、怒りの犯人を思考にさせるのです。誰だ??誰だ???誰だ????です。こうやってネガティブな思考の渦を作り、、食べます。さらにこれにより自我ストーリーが起こるので自我も大きく肥え太るのです。

成功

ネガティブな感情に一切関心を持たない賢者もいます、、どこかでこれに気づいたのでしょう。その場合は、、ポジティブな感情花火をペインボディが打ち上げます、、、俺ってすごいっしょ、もっと大きくみせたい、もっと成功者と呼んで欲しい、、見栄、評価、称賛を求める感情が起こるのです。そこで誰か誰か誰か、、このハッピーな私を見て!!!!と思考の渦が起こるのです。これによって自我は肥え太り、ペインボディも肥え太るのです。

脱洗脳

無意識

洗脳とは無意識化で行われる行動です、、無意識ですからその動きが自身の体の中で起こっていることを自覚していません。無自覚ゆえに、、この動きを止められない。なんで俺こんなに怒っているのか???なんで私はこんなに悲しいのか????分かっていないのです。だからこれを理解してしまえばもう無意識化での感情が起こらないということです。

意識化

ペインボディの動きを見抜きます、自我の動きを見抜きます、、全部の手技、動きを完璧に理解できた時に、、無意識化の動きが終わるんです、全てが意識化された時「苦しい」「悲しい」「怒り」「驚き」「不安」という好きじゃない感情が消えます。だって欲していないのですから、本来。

感情を見抜くと

感情のカラクリが理解できますと、、「私」の登場回数が激変します、「あいつ」「こいつ」「あなた」も減っていきます。なぜならば、、、本来はそれはないからです。感情が湧き上がるから、、「私」「あなた」が登場するんです。すると自我のストーリーが消えていきます、、これが幻であるといいう「実感」が生まれます。エグいぐらいに日常が静かになるんです。

兄弟

自我とペインボディ

自我とペインボディーは兄弟です。自我とは私は居るという妄想であり、この妄想を生かし続けるにはペインボディとい感情エネルギーが重要になります。この二つは放置されると小さくなって消えてしまうがゆえに定期的に餌、エネルギーを必要とするのです。ペインボディは感情エネルギー体ですから、、感情を自由に想起できます、例えば急なイライラ、ムカつき、孤独、、、など、、これを起こすのです、花火のように。「バコーン」と、、すると、、この感情を確実に感知した直後、、「私」は、、犯人を探します、、正確には犯人を探す「私」つまり自我が起こるのです。この時点で効果は成功です。自我が起こりました。

次に

犯人探しをする「私」と、、それに付随して、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日俺の悪口を言ったから、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日陰口を叩いたから。。。目の前のこの嫁か????随分態度が大きいぞ、、、、です。こうやって思考がフル回転します、、これを、、ペインボディーがガブっと飲み込みます。そしてこの思考の渦では「私」と「誰か」というストーリーが起こるのです、、映画が上映されるんです、ドラマが進みます、漫画が始まります。自我OSががっつりと確立し、、イリュージョンの中にどっぷりです。

物語

我々を物語の中に押し込める最大のポイントそれが「感情」です。感情という疑いようのないツール、これを体は使って自我システムを維持するのです。寂しい、悲しい、辛い、怒り、、これらは100%実感できるのでそこから物語に打ち込むのです。寂しいのは誰????「私」しか居ないよね!!!!です。怒っているのは誰?????私しか居ないよね!!!!です。

一日中

こうして私たちは一日中「私」という檻の中に閉じ込められます。感情がガンガン湧くことで、、私ストーリーに閉じ込められるのです。ドキドキする時、、、このドキドキは何だ?????そうかあの人に夢中なんだ「私」が。。。です。こうやってこうやって「私」は誕生しあなたも誕生し、、妄想、幻想、夢の住人として生きるのです。

判断を下してくれ!!!

これどう思う????

あの人あんなこと言ってたよ!!どう思う????あの人最近こんなことやってるんだよ、どう思う????あの人から私こんなこと言われちゃって、、、どう思う?????この世界の親しい登場人物は、、見かけ上のこの「私」にこう尋ねてきます、、そして判断を求めます、、判断してくれ!!!です。これ罠です、気をつけて、、、、あるがままです、、ただ起こったのです、現象には意味など微塵もないのです。ここで「それは無いよね!!!」「それは酷い!!」をすれば私が判断を下すのです、、判断に私が参加したのです、宇宙にルールを設けたのです。

苦しい

宇宙に一旦ルールを設ければ、、、そのルールによって見かけ上の「私」が苦しむのです。正確には「苦しい」が湧きます。ルールって、、当たり前ですが、、実在していることになっている「人物」が対象ですよね、、、残念!!!!それが罠です、、、「人物」って幻想、現象、現れて消えていく「やつ」です。これがストーリーです、、私ではなく誰かのストーリーを思い描くという罠です。あるがままの世界から「はい、抜けました」です。

判断の罠

現れ出る現象に「判断」を下せば、、その現象がまさかの実在であることを証明することになります、嘘の証明です。この瞬間に緊張感が起こります、苦しいが起こるのです。「あの人の行動ダメだよね」これによってあの人を実在化し、、その行動をNOとジャッジしたのです、、、これが起こったのです。本当はあの人は現象です、、その行動も現れです、、それをストーリーとして実在化したのです。この実在化によってストレス物質が吹き出します。真の安らぎから離れます。

日々瞑想

生活

視座が変わりますと、、毎日が瞑想になります。毎日生きること自体が瞑想なのです。なぜか????あるがままをあるがままに見れるようになるからです。多くの方は歩くだけで「自分」が「判断」を下していきます。あの人格好悪い、あの人可愛い、あの人パッとしない、あの人、あの店、あの、あの、、、です。私とあの人、あの店を比較して、、比較して、、を繰り返しています。これは瞑想ではない、、ストーリーです。そうではなく、、現象そのものを感じるのです、そこに自分を置かずに、ただ現れては消えていく現象をそのままに観察します。

思考が現れても

思考判断が現れてもそれを反省するのではなく、、、その現象を感じます、そこからキャッチボールに入るのではなく、、、感じるのです。現れを現れとして感じます。あれ、今判断が起きたなーです。あれ思考が今起きたぞ、です。思考判断すら、、観察の対象なのです。一体化ではなく観察です。自身のペインボディーはお腹が空けば、、ネガティブな感情を現し、、ネガティブな思考を起こす仕掛けをしてきます、、それを感じます、、そこから思考の渦に入るのではなく、、、感じるのです。そしてペインボディーすら観察の対象にします。

何が楽しいのか????

そんなことして何が楽しいのか??????それこそが自我の罠、エゴの罠、思考の罠です。「私」は実は楽しむなどできないのです、、「私」ができることは刺激を貪り、、刺激を得る(これも錯覚)ことで束の間の苦しみ解消をしているだけなのです。だから楽しむの罠に落ちないでください。そこはただの刺激地獄です。そうではなく、、観察をやってみます、、無我になって観察をします。。すると徐々に徐々に、、生のダイナミズム、空即是色の凄みを感じれるようになります。

正気の抜けた世界

毎日毎日判断ばかりを下していますと、、ストーリーの世界から抜けることができなくなり、、その世界は無機質、虚無、正気の抜けた世界です。試しにやってみてください、、道ゆく人全員をジャッジしながら通勤してみてください。どんどん気の抜けた世界に入っていきます。逆に判断を一切辞めてみるのです、、あるがままをあるがままに感じるのです、、すると、、世界が変わります。これはマジックです、イリュージョンです。

悟りを開く

開いて人生を始める

悟りなんて遠い世界の話、、こうやって悟りは遠ざけられエゴ支配からの脱却を阻止されます。自我、エゴ、自分、私は、、、イメージに過ぎないのですがそのイメージにしっかりとあらゆる情報が紐づけられて、、私ストーリーを構成します。あまりに多くの情報がこれに紐づけられるがゆえに「私」はとんでもない存在感を放つのです。ですがこれをやっている間は至福には絶対に至れません。なぜならば自分とはイメージに過ぎず幸福になれるわけがないのです。

悟りを開いた後の人生

悟りを開いた後の人生ってどんな感じなんでしょうか?????簡単です、個人という概念が抜け落ちた人生です。個人が実在するという概念が抜け落ちた人生です。それって人生と呼んでいいんでしょうか????正確には人生ではないです、だって個人がもう居ないのですから。でもこの体の旅は続きます、全体の中の一部としての体の活動は続くのです。

至福の中で

個人という概念が抜け落ちますと、、至福の中に入ります。個人という概念こそが「苦しみ」を生み出していたことに気づくのです。個人に付随する思考感情こそが苦しみの根源だったのです。これに気づきます。個人が居るという前提の思考、感情こそが苦しみを生み出していたのです。個人が実は居ないという気づきは、、突然の至福です。そうです、我々はいつも至福の中で個人という苦しみのゲームをしていたのです。