快楽と苦痛

所詮は記憶の中

あなたが記憶喪失になったならば「苦しむことも快楽も」受けることができなくなります。つまり苦しみも快楽も全部記憶の中での出来事なのです。もっと正確に伝えれば苦痛も快楽も記憶が生み出すのです。ですからそれらは共に「苦痛」という檻の中の出来事です。記憶が消えてしまって受けることが出来ない快楽は所詮は記憶、思考の産物なのです。そして快楽に溺れるということが起こる理由は快楽は溺れるほど飲んでも満たされないからです。

記憶から出る

記憶の中での苦労や快楽の中にいる内は「苦しみ」から逃げることが出来ません。苦しみ、快楽を行ったりきたりするのは意識が外に向いている証拠です。真の調和、愛は、、、記憶の中には存在しません。記憶を超えたところにしかそれは存在しないのです。では一緒に今から記憶を超えましょう。記憶の檻から出ちゃいましょう!!!目の前で起こる五感の全ては瞬時に「記憶」に取り込まれ「私の体験」に変換されます。ここを見抜きます。

目の前で

富士山の壮大な景色が今ここに起こっても、、瞬時に「富士山」という記憶の中に取り込まれ、、「日本一の山、世界遺産、ゴミが多い、観光客多い」富士山がここにある、、、という経験に書き換えられます。「これ」が記憶の中での経験に書き変わっています。これが悪いのではありません。それが起こることで過去の産物に生まれ変わっているのです。

このことが分かると

記憶を通じて見ることを見抜きます。五感が全て記憶に取り込まれ記憶を見させられていることに気づきます。こうやってマイストーリーが生まれるその瞬間に気づくのです。それに気づくのは誰か?????意識です。意識が「記憶が五感を取り込む瞬間」に気づくのです。意識が「記憶」の手口に気づき、、、「記憶」の中からボコッと抜け出した瞬間です。記憶から解放された意識は、、もう記憶の奴隷ではありません。

記憶の手口を見抜いた意識

記憶の手口を見抜いた意識はもう記憶の奴隷ではありません。記憶を意識が超えたのです。記憶から解放された意識は調和そのものです。記憶から解放された意志は愛そのものです。この状態に入ったとき、もう快楽は必要ありません。快楽をなぜか求めなくなります。記憶の中での活動に関心が行かなくなるのです。なぜならば意識、意志そのままで調和、愛だからです。