もっと優しい人になろう?

もっと大人になろう

無駄です。全くの無駄です。良い人になろう!!!!無駄です。なぜか分かりますか????思考で生み出す良い人、、、は演技です。思考で生み出す優しい人は演技です。優しい人なら「こういう行動をとるだろう」という演技です。大人なら「こんな動きをするだろう」という子供の演技です。これらは演技なので疲れます、そしていずれ破綻します。

傷つくことができない

優しさとは「もはや守るべきものがなかった」という気づきが起こします。真の余裕です。全くもって守るべきものがないと分かった時、、、そこから愛が溢れ、、その愛が行動になった時「真の優しさ」です。この優しさには見返りが必要ないのです。見返りを期待した優しさが「演技」の優しさです。優しくしたのだからそれ相応の対応をしてくれ!!!です。真の優しさは「相手」によって変わることがありません。演技の優しさは「見返り」を期待できる人間にだけ起こります。

無敵

敵の消滅

この物理空間は存在しません。この時空間も幻想として存在します。つまり実在しません。ですから当然この体も存在しません。ですから守るべき私というのも存在しません。実在はこの幻想の全てを生み出す「無限の気づき」のみ。その他は全て真我の投影です。そのことが分かってきますと、、、、守るべき存在が皆無であることが分かります。この体も世界も幻想に過ぎないことがハッキリと分かってしまった時、、この体を守らなくては!!!!という固定観念が消えます。

敵から????

守るのは誰から????誰から守らなくてはならなかったのですか????それはこの体に危害を与える存在です。その存在からこの体を守らなくてはならなかったのです。実はこの固定観念「この体に危害を与える存在からこの体を守らなくては」という固定観念こそが「敵」を生み出していたのです。ですがもうそれが嘘だということが分かってしまいました。すると幻想の敵が消えます。守るべきこの体が消えると危害を加える敵も消えるのです。

拒絶

自我を消滅させるメッセージ

覚者のメッセージは昔から嫌われてきました。なぜか???なぜならばこのメッセージは「自我」を消滅させるメッセージだからです。どうして自我が消えてしまうのか???自我を支えるのは「記憶」です。この記憶自体が消えていってしまうと自我も消えてしまうのです。ではなぜ記憶が消えるのか???その記憶が間違っているという事実を突きつけられた時その記憶は消えます。

天動説

天動説が常識だった時代に突如、地動説が唱えられました。その当時の支配者層はこれを認めませんでした。なぜ????なぜならばそれを認めた瞬間「天動説によって支えられた全て」が消えるからです。天動説によって支えられた存在「神」も同時に消えてしまうからです。だから当時のキリスト教上層部はこれを断固として拒否したのです。悟りのメッセージは自我を支える根底を否定します。その時困るのが「自我」です。ですから自我はこれを断固拒否するのです。悟りのメッセージを断固として拒否する理由はそれを受理した瞬間、、自我も消えます。

戦う

かつてのキリスト教上層部が徹底的に地動説学者と戦ったように、、、自我も徹底的に「真実のメッセージ」と戦います。ハイヤーセルフ、過去世、パワースポット、ソウルメイト、、、この辺りはまだ受け入れても「真実のメッセージ」は受け入れないのです。断固拒否です。記憶自体がこのメッセージを受理しません。「何を言ってるか分からない」で終わらせるのです。ですが私は断固言い放ちます。その拒絶反応こそが「真実のメッセージを真実のメッセージと認めている証拠」ですよと。

どうしよう???

なぜ????

人は判断に迷った時「どうしよう????」と考えます。どちらがベターな選択かを考えます。これもう既に苦しみのゾーンに実は入っています。え????これだけで????当たり前ですよね。。。常識ですよね。良識のある大人ほど判断を「吟味」しますよね????違うんです。これこそが苦しみなんです。なぜならば自由意志がないからです。自由意志がないから何を選んでも選ばされているのです。ですから「どうしよう???」は無駄です。ただし「どうしよう???」も全自動で起こるのでそれも避けられません。

将来

うちの子にはこうなってほしいから慎重に慎重に将来を選択していかないと。。どちらの塾を選ぶかで人生が変わってしまう。。。。。。これ普通のお母さんの発想です。ですがこれも苦しみのゾーンに入ります。「全て決まっています」その子の人生は実はもう既に決まっています。その子の人生映画は既に撮り終わっているのです。ですから慎重に慎重に考慮しても良いのですが残念ながら全て決まっているのです。ですが同時にお母さんが心配するのも全て決まっています。

どうしよう???が消えていく

真実に目覚めていきますと、、、どうしよう????が消えていきます。「人生映画が既に撮り終わっている」ということが分かって一体何に真剣に悩めるというのでしょうか????映画の主人公が悩みます。「明日どんな演技をしようか????強く怒ろうか???いややっぱり優しくした方がいいか、、、悩む」監督が言います。「大丈夫、、、全て脚本家が決めるから」、、、、、、、そうなんです、、全部こんな感じです。この事実がガツンと入って来ますと、、、どうしよう????が消えます。

深く潜る

どこに??

我々は日々悩みます、日々苦しみます。。。もっと楽に生きれたら。。。。なぜ???なぜ悩むのでしょうか???次から次へと問題が起こります。なぜ????何をしたらもう悩まなくて良くなるのか???そこが分かりません。ですが同時に日々悩んでいる人もいればいつも飄々と生きている人もいる。その違いは何だ???それはお金があるとか、地位や名誉があるとかそこじゃないこともなんとなく分かっています。何が違うのか???

真実

実はその理由はとても簡単なんです。その理由は「真実の気づき」これだけです。どこまで真実に気付いているか、、これだけなんです。真実に目覚めますとそれだけが人を救うことが分かります。究極の視点に立ちますと、、「人は何一つ自分の意思で物事を選択していません」「この物理空間も存在していません」「この体も存在していません」これが事実です。ですがそのことを多くの方は分かっていないのです。分かっていないから、、ジタバタします。大いにもがくのです。これが苦しみです。

ですが

だからと言って「ちょっとちょっと、、勘違いしてますよ!!!!」と肩を叩いて教えてあげる必要も全くないのです。大きなお世話です。なぜならば誰しもが全員自由意志なく最短最速で悟りに向かって動いているからです。その方独自の歩みをしているだけです。だから何一つ、誰一人救わなくてならない人も存在しないのです。皆を救わなくては!!!!とはならないのです。つまりそのぐらい宇宙は完璧です。だから私も完璧です。あなたも完璧です。全員が完璧です。

恐怖は記憶が生み出す

だから

恐怖は記憶が生み出します。あなたが記憶喪失になった時「学校が怖い」「会社が怖い」「男が怖い」「女性が怖い」「社会が怖い」というトラウマが全て一掃されます。全てです。勿論、動物的本能危険回避はあります。ですがこれは感情ではありません。トラウマは全て記憶が支えます、恐怖は全て記憶が支えるのです。真実のメッセージに触れてもこの記憶が「恐怖心」を生み出し、、、そのメッセージに近づこうとさせません。何か恐怖心がフツフツと湧いてきます。それは記憶です。記憶が「セオリー」にはないこのメッセージに恐怖を覚えるのです。記憶こそが「理解不能なメッセージ」に恐怖心をうみだします。

つまり

つまり恐怖心が湧くということは逆に言えば記憶を破壊してくれるメッセージだということです。恐怖心の親玉から恐怖心が起こるメッセージとは親玉を破壊するメッセージであるということです。ですからこのメッセージに触れ続けてください。震えながらこのメッセージに触れ続けてください。記憶が破壊されていけば、、恐怖心も小さくなっていくのです。

悟りとは

悟りとは勘違いの記憶の削除です。勘違いの記憶が勘違いであることが判明した時、その記憶は用無しになり消えます。天動説が嘘だと分かった時、、、天動説をベースにした理屈が記憶から消えます。そうです、勘違いを勘違いと暴いてしまえば記憶から勘違い記憶が消えるのです。これを軽くなったと言います。真実に触れる、、記憶から恐怖心が湧く、だからこそこれが真実だと気づく、、、勘違いの記憶が削除される、、これを繰り返します。どんどん楽になります。恐怖心発動マシーンから恐怖心が弱まっていきます。

もはや人間じゃない

人間

「早く人間になりたい」妖怪人間ベラの言葉です。そうです。我々は人間であり妖怪からは憧れる存在なんです、、ですが結論から言いますと、、我々は人間ではありません。え?????そうです。我々は人間ではないのです。この物理空間は存在しないのです。ですから人間も存在するわけがないのです。え?????嘘だろ。。。そうなんです。気持ちはよく分かっています。私も過去は意味不明でした。ですがどこから考察してもこの物理空間、時空間は存在できるわけがないのです。だから人間も幻想以外では存在しません。

宇宙人

我々は猿から進化した人間である、、よって人間よりも進化した宇宙人はUFOに乗ってもっと神秘的な姿の二足歩行人だろうと考えます。ですからどの映画でも大体そんな感じです。ですが違います、残念ながら違うのです。人間が存在していなかったのですから、、宇宙人とはもはや物体だという自覚を持たない「存在」なのです。この体はアバターに過ぎないことを人間よりも強烈に自覚がある「存在」です。話が分かりにくくなってきましたね笑

宇宙人

宇宙人とは人間よりもより真理に気づいた存在であると定義すれば、、、その存在はこの体を「自分」とは全く思っていない存在なのです。時空間は幻想でありこの物理空間も完全に幻想であることを自覚できています。ヨグマタはそれを瞑想で実感しサマーディに至ります。ジニャーナヨガはこれを言葉で説いて悟りに導くのです。この自覚に至る方法は無限に存在しますから各々の好きなやり方を選べばいいのです。自身をもはやこの体ではないという絶対的自覚が生まれますと、、「存在」になります。その存在は既にこの宇宙は自身のものであるという自覚に至っていますからそこから現れる幻想もまた変化していきます。呼吸数が減る、脈動が減る、人の心が読めてしまう、、あらゆる現象が起こりますがそれはそれは全てこの自覚から起こってしまうのです。

会話

私に話しかけているという知覚

誰かがあなたに話しかけてくるとしましょう。あなたは「何ですか???」と当然答えます。もしもあなたが記憶喪失である場合、、、「・・・・・・・」何も反応ができません。記憶が正明で「見知らぬ誰かが私に話しかけて来た」という知覚が起こった時のみ「何ですか???」という反応が起こるのです。つまり会話を支えるのは「記憶」なのです。当たり前のように行われる「会話」とは記憶が支える動きのことです。

では

その記憶は何が支えているのでしょうか???何が記憶になっているのでしょうか???それがこの意識、この意志です。これらが記憶を作り出し会話という動きになります。この意識、この意志が五感を記憶に取り込んで会話を成立させるのです。「聞こえた声」を記憶が解釈し、、会話を成立させるのです。全てはこの意識、意志が行っているのです。ですから全ては幻想であるというのは本当です。記憶も幻想ですか???勿論です、なぜって意識が消えれば記憶も消えます。今ここで消える記憶が実在であるわけがないのです。実在ならば意識が消えても記憶は残ります。

成長マニア

成長していないと気が済まない

俺は今成長しているだろうか???この環境で成長できるのか????分からない、不安、、、とにかく成長していないと気が済まない。。。この衝動は何から生まれるのでしょうか???何から???この衝動は「自身」を世界から切り離された小っぽけな存在、、とした時から起こったのです。小さく、非力で、孤独な私は大きくなっているという錯覚を持たないとやってられないわけです。

不安になるという事実

こんなに頑張って成長できたならもういいでしょう。もう十分に成長したんでしょ、、だからもう成長のことは忘れて普通に楽しくやればいいじゃん。。。。ですが全く不安が消えない、、全くです。つまり成長など何もしていないのです。何もです。そろそろこれに気づかないといけない、、成長が不安を払拭するならばもう大丈夫になっていないとおかしいのです。つまり成長などしていないから不安が消えていないのです。

真の成長

真の成長とは何でしょうか???真の成長とは自我の拡大ではなく、、、、自我の嘘を見破ることです。自我の嘘を見破るのですからそれは「一瞬」かもしれない。。。。。仮面ライダーの真実を知るのは「一瞬」かもしれない。。。。自分という存在を疑い、、、そこに勇気を持って挑んだ時真実が見えてきます。その真実は自我が急拡大して最高の自分ストーリーをぶち上げるよりもとんでもないご褒美です。あなたが夢見る最高の最高を超えるプレゼントが待っています。

意識が真我を捉える

ついに

真実のメッセージに触れていきますとあらゆる催眠が解除されていきます。洗脳が解けていきます。矛盾が消えていきます。意識がこの体から「ガツン」と解放され意識そのものになります。意識が思考から「ドカン」と解放されて意識そのものになります。意識が自我から「ボコッと」外れて意識そのものになります。意識と意志がありのままの意識、意志になります。意識、意志からありのまま、森羅万象の動きが起こっているのが分かります。意識、意志の中で森羅万象の動きが起こりその一部が自我でもあることが分かります。そこには愛と調和しか最初からなかったんだという気づきです。

そして

そしてそして、、、、ではその動きに気づいているのは誰だ????という次なる疑問、究極の疑問が起こるのです。だとしたら、、、何がこの動きを知っているのか???なぜこの事実を知るに至ったのか????という疑問です。知るに至ったのは間違いなく自我ではありません。私ではないのです。その時、、、意識が「真我」「気づき」に気づくのです。本当の存在を知ります。究極の合体です。外側に向いて意識の動きが、、内側に向かった時、「真我」を知るのです。そうか真我という「無限の気づき」がこの意識を生み出し世界を生み出していたんだという気づきです。

コンチキショー

なんだ最初から「それ」はここにあったのです。最初から探し求めていた「あれ」はここにあったのです。だってそれ自身が本当の私だったのですから。全てが繋がります。真我、気づきから意識と意志が現れ、、それは同時にこの世界を生み出します。それらは全て真我の投影であり、、真我の投影が「意識+意志=世界」だったのです。かつての私は意識、意志の動きに過ぎず、、ゆえにこの私は現れては消える幻想のようなものだったのです。全ての矛盾が消えていきます。世界が本当の私にガブッと呑まれる瞬間です。