無事内定

大丈夫???

なんとかして無事内定を受け取る、あなたは就活に苦労して、、、なとかして1社内定を受けました。良かった、良かった、本当に良かった。。。。本当に苦しかった、、でも結果が出たのだからもう安心。。。本当ですか????本当に安心してます????内定が出なかったらどうしよう????という「恐れ」は本当に解消してますか?????いやいや、、、内定が出たのだから、、その恐れは当然解消してますよ!!!!、、、、本当ですかね????内定が出なかったらどうしよう、、という恐れは、、、その会社が合わなかったらどうしよう、、に変化しただけじゃないですか????

根本的恐れ

では最終回答を言います。その恐れの本質は「どこかに雇ってもらえないと生きていけない」これです。この恐れが内定確定のために動き、次に就職という動きになり、会社で頑張るに変わります。「どこかに雇ってもらえないと困る」という恐れこそがこの行動の動機になっていることに気づけますか???これが固定観念として強く強く働くから、、どこかに雇ってもらえないと困る「現実」がここに現れ続けるのです。会社倒産、経済不況、株価不安定、、、、全てこの固定観念が起こし続けます。

恐れに蓋をする

解消、解消、、、とにかく問題解消、、、火消し、火消し、、、とにかく火消し、、、、これが我々自我の行動です。大前提は変えようがないのだから火消し、火消し、、、火消しで人生を終えてやる。。。。これです。こんなことをひたすらにやっています。根本的恐れが招く問題の数々を必死に解消していくのです。ですがその大元の火は恐れであり、、、この恐れが消えない限り、、、問題が変幻自在に変わっていくだけです。

解決方法、、無駄

何か問題が起こります。それを解消する方法を考えます。解決方法は心、記憶、思考から起こります。ああしよう、こうしよう、、、、、全て無駄です。勿論合理的な解決方法は存在します。屋根が壊れた、、、ではあの業者に。。。。それでいいのです。ですが、、、、これ、、、、何をしているのか????問題を心が生み出し、、問題解決を心が生み出しているのです。自作自演です。問題を問題たらしめているのは記憶です。そして問題解決方法も記憶から出現します。

記憶

記憶がなければ、、心がなければ、思考がなければ、、、そもそも問題自体が存在しないのです。ですから問題とは記憶、心、思考の変容のことです。だから問題という実体こそが存在しないのです。だから問題=実体がない、、これで終わりです。問題は次へと次へ、、記憶、心、思考が生み出しますが、、、実体が全くないのです。そこに気づいた時、、問題への関心が消えます。問題自体が希薄になっていきます。

では

では問題の正体が分かったならば記憶、心、思考の正体を見つけましょう。これらは何だ??????記憶、心、思考の正体は、、、、「この意識、この意志」です。今まさにここに存在するこの意識、この意志が記憶になり、心になり、思考になって問題を作り出し、、この意識、この意志が記憶になり、心になり、思考になって解決方法を作るのです。この意識、意志から勝手に自動に自然現象のようにこの動きが起こります。

分かってきましたね

そろそろ分かってきましたね。この意識、意志が形を変えて問題を生み出し、この意識、意志が形を変えて問題解決を図っていたのです。しかもそれが全自動で起こっていたのです。ですからこれからもこのスタイルで同じ動きが起こり続けます。ですがこのことが分かってしまえば、、、既に問題は問題ではなく、、、解消方法も解消方法ではない、、、ことが分かるのです。全ては意識と意志のお遊びです。

私はいつ、どこで何をしたら悟れますか???

アベシ、、、、

会計士の資格は学校で5年間勉強して獲得しました。会社では毎朝二時間早く出勤して最速で係長に、、、では、、私は今回いつ、どうやって何をしたら悟れますか?????こうなります。どうしてもこうなるんです。これが自我の動きです。時空間の中で私はいかにして悟れるのですか????これこそが罠です。悟りとはこの時空間も私も幻想だよ、、という気づきです。全てが幻想だよ、、、という気づきです。主体である私が幻想だったという気づきが悟りです。

幻想?????

幻想って言ったってこの世界は確実にあるし行為者「私」も確実に存在するではないか!!!!何を言ってんだ????という話ですよね。ですが、、、、ですが、、、、、あなたは毎晩夢を見ますよね????その夢でも世界があってあなたが登場して五感バリバリなの分かってます?????この現実と何が違うんですか????何も違わないですよ。つまり夜の夢が幻想ならば、、これも幻想なのです。この事実に反論があるなら、、、証拠をください。

分かりました

確かに夢だと考えればこれも夢ですね、反論はないです。だとしたらですよ、、、この夢は誰が見ているんですか?????いやいや今あなたは夢を見ている自覚がありますよね????そのあなたが見ているんです。つまりあなたこそがこの夢の創造主でありこの夢の傍観者です。その中にこの体が現れ、、私が現れ、、私劇場をやっていたのです。だからこの経験は「非二元」なんです。夢の創造主「あなた」が夢を見ているだけだから。

無我夢中

え??????

無我夢中という言葉があります。無心になって何かに取り組んでいる状態です。無心ですから当然私も消えています。例えば目の前で老人が倒れていたら「自分など忘れて」救急車、心臓マッサージ、人工呼吸、、、この時自分のことなどスッカリ忘れています。これをやっている自分ってカッコ良いかも?????いやいやそんな余裕はないです。ですが自分なんて存在しなくていいんですが「この意識」は消えてますか????絶対に消えていません。自分は消えても意識が消えていないのです。

自分=意識、の嘘

自分とはこの体に存在する意識のことです。意識は100%常にあるからこの意識を自分だと考えています。そこに反論はないはずです。ですがこの意識があっても無心があります。意識があっても私をスッカリと忘れている状態があります。私が消えたならば意識も本当は消えなくてはならないが、そうではない。ですから違うんです、意識の中に私が存在する時があって、意識の中から私が消える時があるのです。私=意識ではないんです。

この意識、この意志

つまり、、私とはこの意識、意志の中に登場する一時的な登場人物に過ぎないのです。そしてこの世界も意識の中に現れる登場キャラです。だから私が消えても世界が消えても意識は残ります。東京からハワイに行っても意識は残ります。記憶喪失になって私が全焼しても意識は残ります。意志も残ります。そして本当の私、真我とは、、その全てに気づく気づきです。この動きに気づく気づきが真我です。真我という無限の気づきから意識として現象が現れます。意志として現象が現れます。私はその一部です。あなたもその一部です。全てはその一部です。時空間もその一部です。

その評価すらも

気にならない

周囲からの評価、気になりますか????周囲からの批判は気になりますか???その評価、批判は事実としてこの意識、この意志が生み出しています。この意識、この意志が他人の評価となって批判となって「今」ここに起こるのです。ですからそれも自分でやっているんです。このことが知識ではなく実感として分かるようになりますと「気にならない」が起こります。何にも気にならないのです。だって自分でやっているのですから。

他人からだと分かっているのに

見た目上は紛れもなく他人です。他人なんです。この体ではなく他人からその声が起こるのです。ですが気にならないのです。逆に不思議なぐらいです。この意識という存在がありありと在ってその意識を強く強く感じていますと「気にならない」が起こります。この絶対安心の「意識」がここに在ってこれが他人の意見によって全くもって損なわれないことが分かっています。「私」がどんなに批判を受けてもこの意識は全く何も傷つかず、損なわれず、、ここに堂々と存在します。

私も意識の枝分かれ

私も意識の枝分かれ、動きの一部、波です。そのことが分かっています。だから他人も意識の枝分かれ、動きの一部、波です。批判誹謗中傷もどれも波の動きです。本当の私=意識、は海です。このことが実感できた時、「気にならない」が起こります。誹謗中傷すらも意識の動き、調和の動きなのです。意識としてここにドカンと存在する時、調和としてここにドカンと存在しています。その時他人の誹謗中傷は「意識」の動き、調和の動きに感じます。

全く違う意味

時空間

時空間は我々が生み出しています。時空間の中に我々が存在するのではなく我々が時空間を生み出しています。そうなりますとこの生み出された時空間の見方が変わってきます。なぜこんなものを我々は生み出したのでしょうか????なぜ?????こんなものを生み出さなければ我々は一切苦労などしなくていいし、面倒な仕事だってしなくていい。我々がこの時空間の中に後付けで生まれてきたと思ったから仕方なく適応してきたわけです。ところがどっこい我々が今この時空間を作っている??????ふざけんな、、っていう気持ちですよ!!!

気づきの後

我々こそがこの時空間を生み出しているという気づきは、、、私を大きな存在にします。今までの私ストーリーもこの時空間の中に存在したのですから「本当の私」が時空間を生み出し私ストーリーを重ねて作ったのです。つまり「本当の私」はとんでもない存在ということです。時空間も私劇場も合わせて作ってしまうぐらいのとんでもない存在が私なのです。私ってどのぐらいとんでもないの????この無限の現れを作っちゃうぐらいにとんでもないんです。なぜ?????無限だからです。本当の私は正真正銘の「無限」です。だからこんな時空間もチョチョイのチョイで作るのです。

だから

だからもう小さなことで気にする必要は全くないです。時間がない????いやいやそれもあなたが作ったんです。為替相場が半端ない、、、いやいやそれもあなたが作ったんです。原油高、、、いやいやそれもあなたが作ったんです。あなたの中でそんな現象が次々に無限に現れます。だってあなたが無限だからです。だから現象も当然無限に現れますが創造主がそこを気にする必要はありません。創造主は「ドーン」と大上段から構えてください。

時間と空間を越えるとは???

明晰に分析すれば

明晰に明晰に分析すれば時空間というのは存在できるわけがないのです。ですから時空間は実体ではありません。実体ではないとすればそれは幻想ということになります。ですが幻想としては確実に「在る」わけです。ではどうやってこの時空間という幻想は存在できるのでしょうか???それが「この意識と意志」です。今あなたは意識と意志を100%感じていますよね??感じていないとは言わせませんよ。だって生きていると100%言い切れるのはこの意識と意志があるからに違いないからです。その意識と意志が幻想としてこの時空間を生み出すのです。

ですから

時空間を越えるとは、、この意識と意志無くして時空間は存在できないのです。時空間はこの意識と意志の器の中で現れるのです。この器が「意識と意志」でありその中の幻想時空間がこの世界のことです。ですから時空間を越えるのです。その証拠に今目を閉じてください。この世界は瞬時に消えますが「意識と意志」は100%残っています。世界は消えても器は消えません。そして深い眠りについて全ての五感が消える時、意識と意志も消えます。それは同時に消えます。

また現れる

全五感が消え、同時に意識も消えます。これが熟睡時です。ですがどこかでまた目覚めます。朝がきます。意識が復活し同時に世界が現れます。私も現れます。どこから????どこから現れたんですか????消えてしまったにも関わらずどこからこれがボコッと現れたのですか????それが真我です。意識と世界がボコッと現れたことに気づく存在、これが真我と呼ばれる存在です。

目覚めた後

真実に目覚め

目覚めた後は人生が消えるのですか????とんでもない、、、人生はしっかりとあります。幻想の動きとして人生は続きます。友人に会えば「私」も勿論登場します。「私」が登場してくれないと会話が成り立ちません。友人を友人と知覚できなければ会話ができません。全て同じように起こります。そしてその動きの全てがこの意識、この意志によって起こっていることが分かっています。意識がこの体とはもはや分離して意識が主体となってこの人生劇場が起こっていることが分かっているのです。

勘違いが終わっただけ

つまりこれは勘違いが終わっただけなのです。世界という私とは個別の存在が存在してその中に私が生まれた、、、という妄想が終わり、この世界の全てがこの意識、この意志から今この瞬間現れていることに気づくのです。そしてその全てに気づく存在が真我であり「気づき」であり「無限」です。我々の本質です。だから新しい登場者、登場者とも言えない存在が「再発見」されただけです。ですがそれは最初からここにあってただ存在の役割を忘れていたのです。

だから

それが分かって日常生活は送れるの?????とんでもない、何も変わっていません。何も変わってはいないが「勘違い」がただ消えただけです。ですがその勘違いが消えることで「五感」はストーリーから脱却し、生は生そのものの輝きを見せます。ストーリーの中に閉じ込められた「生」がストーリーの外にガツンと現れでます。意識が体の中からガツンと外に出ます。もうこの意識を所有する私はここには居ません。アイデンティティとしての私だけです。

仮面ライダー

舞台裏で

小さい子供に仮面ライダーのショウに行けば本物と信じて見入ります。これが我々の人生というものです。そして舞台裏で初めて、、、仮面ライダーの衣装を半分脱いだ「オッサン」がタバコを吸うのを子供は見ます。これが目覚めです。小さい子供は「???????」何が起こっているか最初は戸惑います。現実が崩れ去り、、真実に目覚めます。悟りもこれと全く同じ、真実に気づき、、現実が崩壊するのです。

ですから

仮面ライダーのオッサンを見るのも一瞬、真実に気づくのも一瞬です。この意識がこの意志がこの世界を今創造しています。それが事実です。これが間違いだと証明するのは不可能です。諦めた方がいいです。なぜならばこれが真実だからです。この体、この私はこの意識、意志が今生み出すのです。生み出されていない時、体も私も消えています。永続する世界など最初から存在しません。意識が起こっている期間だけ目の前に世界が広がっているのです。意識が不在の時、世界もこの体も不在です。

気づき

意識が意志がこの世界を生み出したとしても、、、それに気づけなければこの世界は存在しないのと同じです。つまり我々はこの意識が作り上げる世界に気づく存在です。意識がこの世界、この体、この私を作り上げ、、、それが「気づき」によって気づかれるのです。私も気づかれる対象の一つです。その気づきを真我と呼びます。意識は「気づき」の投影として現れます。現れた瞬間「意識=世界」が現れるのです。

どちらを生きるか

過去か今か

多くの方は過去を生きています。過去を今生きているのです。過去の記憶を通じた今を生きています。記憶が織りなす世界を生きるのです。これがマトリックスです、思考に囲まれた世界です。ですがこの意識、意志がこの現実を生み出していると気づいた時、、世界は今になります。今が世界になるのです。過去は今とは全く関係がなくなります。それは事実として今この意識がこの世界を生み出しているのですから。過去から引き継がれた世界が今あるのではなくこの意識こそがこの世界を今創造するのです。

ストーリー

多くの方はこの地球が存在してその中で我々は非力ながらも生き延びていると想像しています。事実ではこの意識がこの世界を今も作り上げています。今見えている世界はこの意識、この意志こそが作っています。もう想像の世界に住むのは辞めてください。想像の世界は想像ゆえに苦しいのです。息苦しいのです。想像して窒息状態です。惑星が地球に衝突すると脅されて生きているようなものです。ですがそんな惑星が今ここに存在しないなら存在していないのです。創造主であるこの意識が惑星に気づいていないのですから。