動きー気づき

動きと動きの不在

真我とは気づきです。真我は動きに気づき、動きがないことにも気づきます。動きとは何か、、、それが「これ」です。今も「これ」が存在し、、しかも変化しています。一時も同じ状態はなくただ変化します。これが動きです。この動きに気づくのが真我です。熟睡中は「これ」が消えます。つまり動き自体が消えています。これが動きの不在に気づくということです。だから我々は熟睡から覚めた時「パニック」にならないのです。

動きの中で

この動きの中でこの動きとは何か????という疑問が動きとして起こります。私とは誰かという質問がこの動きの中で起こります。さて私とは誰でしょうか????私とはこの体の中の自我なのでしょうか???今もこの動きが起こったのです。私とは動きに過ぎない、、、これが真実です。今その動きが起こりました。私とはこの体の中に存在する存在なのだ、、、という動きが今起こりました。そして動きは全て真我に気づかれています。

この現れては消える動きは何か???

この現れている動きは何か???それが動きの中で今起こりました。現れては消えるということはこれは実在ではないことが今動きの中で起こりました。実在ではないのならば「これ」は全て幻影なのでは???という気づきが動きの中で起こります。だとすれば動きの「気づき」のみが実在であり、、動きは全てその投影だ、、という気づきが動きの中で起こります。では何のための動きなのだ????という疑問が動きの中で起こり、、それは真我が無限なのだから、、無限であるという自覚も真我の中に含まれていて、、その自覚のためにこの投影が存在するのだ、、、という動きが動きの中に起こります。これが真我実現です。

我を忘れて

実際に

爆発音が空中に鳴ります、一瞬我を忘れてそこに意識が行きます。その瞬間完全に我を忘れています。映画に夢中になった時我を忘れて主人公に埋没し、、主人公として泣きます。我を完全に忘れています。では「我」を完全に忘れている時、、、その忘れられた「我」はどこに存在しているのですか???もしも存在しているなら、、、完全無視って可能ですか????絶対に絶対に不可能ですよね。つまり「我」という実在は存在せず、、我という思考が起こった時だけ現れる思考が「我」なのです。

つまり

普段考えられている「私」とは実在ではなく思考です。知覚です。だとしたらこの「生きている」という感覚、疑いようのない感覚はどこから来るのでしょうか????紛れもなく100%生きているという感覚があるではないですか????答えを言えば我々とは「生きている」という感覚の中に現れた思考だということです。「生きている」という感覚の中に現れた「私」という思考が私なのです。つまり我々の本性とは「生きている」という感覚のことです。その中で「この体って私だよね」という思考が起こるのです。

真我

上記の動きは「生きている」という感覚の中で起こります。意識の動きの中で起こります。意志の動きの中で起こります。真我とはこの全ての動きに「気づく」気づきです。真我は「俺は真我だ」という気づきは起こしません。それらは全て「生」「意識」の中で起こります。その動きに気づく気づきが真我です。そして生、意識の中でこの動きこそが真我の投影なのだという気づきが起こります。これが真我実現です。意識の中で存在の正体が判明するのです。意識の中で我々の正体が明かされます。

偏屈ババア

既にそう見えている

あなたの周囲に偏屈ババアが存在するとしましょう。「コメンテーターは嘘つきばかり」「芸能人は遊び人ばかり」「男は全員浮気性」「人は私が居ない場所で悪口を言いまくり」。。。。。こう信じているから実際にその「世界」にガッツリ住んでいて「やっぱり」「やっぱり」を繰り返すのです。やっぱり私の悪口を、、、やっぱり男は浮気する、、、やっぱり、、、やっぱり、、、、、そうです。実際にその世界に住んでいるのだから当たり前にそれが起こるのです。ですからこの偏屈ババアがマトリックスの世界から解放されるには「真実」を知る以外にありません。

マトリックスの世界をぶっ壊す

こう覚悟を徹底的に決めてください、でないと、、、あなたは確実にエージェントスミスの反撃に木っ端微塵にやられます。真実に迫ろうとした瞬間、、、あなたの記憶から、、、エージェントスミスが大量発生し、、あなたが真実に目覚める邪魔をします。親の死、会社の倒産、離婚、詐欺、、、何でも何でも起こるかもしれない。。。だから一心不乱に真実のメッセージに触れるのです。躊躇は危険です。

救済

ですがある程度真実に目覚めてきますと、、、もうあなたを止めれる存在は存在しません。あなたは既に不幸の原因に気づいています。間違いなく敵は、固定観念であり、この固定観念を打破しなければ、、何も変わりはしないと。それが分かってしまえば、、完全に分かってしまえば、、、どんな悲惨な状況も気になりません。「本丸」が見えてしまえば、、、それ以外はただのノイズです。株価急落、関税200%、会社倒産、、、ノイズです。本丸以外は皆ノイズです。

偏屈ジジイ

既にそう見えている

偏屈ジジイが存在します。偏った見方しか出来ない人物をそう称します。彼らは偏った見方をしていると思ってます????とんでもない。。。。そうしっかりと見える「世界」に彼は存在するのです。ですから彼にとっては「女は皆男以下の存在」「子供は大人以下の存在」「政治家は悪人」「役人は搾取側」のような世界が完全完璧に出来上がっているのです。その中で彼は反応しながら生きるのです。

全員が偏屈人間

ですからこう断言します。全員が「偏屈人間」です。全員です。育った環境によって固定観念は変わるのですから全員が「偏屈人間」なのです。彼らが世界とは「固定観念である」これを見破るまでは「偏屈人間」です。ではどうしたら「固定観念」を壊すことができるのか????これが分からなくては不可能です。それを教えてください。。。。。真実のメッセージに触れる、、これのみ。。です。

天動説を信じるオッサン

もしもあなたの周囲に天動説を信じるオッサンが居たらどうします??????あなたは宇宙空間に存在する地球の動画を彼に見せればそれで終わります。今のテクノロジーならば「天動説信仰者」を「地動説信仰者」に変えるのは一瞬です。かつては1000年間かかった認識変化を一瞬で終わらせれます。では「地動説信仰者」を覚醒させるにはどうするのですか????これも今のテクノロジーは簡単に説明できます。「あなたはマリオです。今あなたはスーパーマリオゲームの中のマリオとして存在しています。五感バリバリ発生するゲームの中です」これで終わりです。

出来ないと思っているから

やろうと頑張る

テストで学年トップを取るぞ!!!!と頑張る人は心の奥底で「出来ない」と信じているからこそこの発想が生まれます。家に帰ったらコップで水を飲むことを頑張ります。。。この会話を聞いたことがないのは「出来て当たり前」だからです。出来て当然という固定観念がある場合「頑張る」という言葉にはなりません。ここは幻想の世界です。その方の固定観念通りの世界がここに在るだけです。

世界一の金持ち

これが幻想なら世界一の金持ちにもなれるのですね?????どうですか?????ハッキリしてください。あなたに「成れます!!!!」と断言したところであなたは世界一の金持ちにはならないでしょう。なぜならば同時に自由意志がないからです。お金を追い求めるか否かを決めることができるあなたは存在しないのですから。そのようになるようになっていれば「成れる」ことになります。幻想ですから何でも起こります。

真我への探求

結論からお伝えすれば、、、そんなとこに興味を持たないでとっとと真我実現しちゃったら、、、が本音です。そこから外に関心を持つのではなくて、、、私とは誰か????に意識をフォーカスするのです。「固定観念」とは嘘のことです。嘘が作り出す幻想に関心なんて持たないで、、、さっさと真実に目覚めるのです。ここに100億円を作り出そうとも、、それも固定観念です。100億円という知覚が起こらなかったら、、何もないのですから。そっちじゃなく、、、実在に関心を持つのです。真我実現のみに関心を持ちます。

人間を辞める???

なんのこっちゃ

私は人間ではないんです。生まれてもいないし、死にもしない。このようなことを言えば、、「なんのこっちゃ」です。意味不明ですね。ですが人間ではありません。「私は人間だ」という思考がただ「この夢」で起こっただけです。「ここ」に「私は人間だ」という思考が起こったのみです。「私は人間である」という記憶が人類から飛べば、、、「人間である」という自覚を持つことは不可能になり人間は「ここ」から消えていなくなるのです。こじつけ????いやいやそれが真実です。

思考

私は人間だ、私は太郎だ、、、このような思考が消えてしまえば、、その瞬間、人間も太郎も消えてなくなります。再びこの思考が回復した時のみ、、その知覚のみが起こります。知覚だけが起こっていて「ここ」から知覚を引けば「ここ」しか残りません。あまりにも当たり前過ぎてこのことをすっかりと忘れました。つまり私とは「これ」なのです。「この夢」の中に「私は太郎だ」という知覚が起こった時、太郎という知覚のみが起こるのです。

人間じゃない

信じられないことです。真実に目覚めたら誰も存在しないことに気づいてしまいます。自我はこれに大きく抵抗します。いやいや、、、、誰もいない、私も彼もあなたも??????なわけないだろ。。。。です。ですからこのブログも誰でもない存在が誰でもない存在に向かって書かれています。精神科に行けば即入院の話題です。誰も存在はしないが確実にこの夢に気づく存在が存在します。それが真我です。

意識の後退

現象から現象元へ

多くの方は「現象」に執われ、、、、「現象」に右往左往し、、、いつしか「現象」を諦め、、、まあ俺の人生こんなもんだろうと、、、死にます。これが一般的な人生と呼ばれるものです。ですが真実に目覚めていく人は「現象」に執われ、「現象」に右往左往し、「現象」とは何だ???という疑問を持ち、、、「現象」とは固定観念だ、、、そして現象の背景には真実の私が存在するのだという気づきに至るのです。現象を通じて真実に目覚めていきます。

意識が外から内へ

外側に向いていた意識が、、、固定観念に向くようになり、、次に固定観念の大元、、、神に意識が向きます。神から出発していた意識が神に戻るのです。なんだ、この世界は私の固定観念が私の光を通じて投影されていただけか、、という気づきです。こうして意識が外から内に帰ってきます。外側に向けられた意識こそがその現象を大きくします。内側に向かった意識はかつての現象には向かいませんから、、その現象は肥大化しないし、関心も既にありません。

真我

真我とはこの全ての動きに気づく存在です。真我とはこの意識の遊びに気づき続けてきた「気づき」です。真我とは無限であり、、意識がこの事実を発見するんです。これは真我の投影で、、投影自体に意識が宿り、、このゲームが行われていたのだ、、という気づきを得ます。意識が意識の目的に至るのです。

焦点

間違い

あなたがプロのボクサー相手に試合を挑みます。間違いなく、、一発もパンチが当たらずに終わるでしょう。一発たりともパンチを当てれずに試合が終わります。なぜ????プロにはどこにパンチを打つかバレているからです。目の焦点で、、、どこに当てようかバレバレです。プロにとっては素人のパンチは丸見えなのです。人間関係に悩んだとき、、多くの方はその相手に「焦点」を合わせます。この時点で勝負はついています、完敗です。

どこに????

人間関係で悩むということは相手のどこかが気に食わない、相手の何かを変えて欲しい、、、、わけです。それ以外にありません。だから意識の焦点は確実に「相手」に向かいます。はい、この時点であなたは負けが確定します。そして相手の欠点を指摘し、変えてくれと頼むわけです。はい、この時点で負けが確定です。焦点が間違っているのです。その変えて欲しい相手の欠点は「あなたの固定観念」の反映だということです。

さて????

そんなこと言われても何の固定観念が原因か、、全くわかりません。はい、そうです。間違いなく分からないでしょう。だからその現象が今も残っているのですから。でも大丈夫なんです、原因が分かった時点でもうその現象に意識が行かなくなります。もうその現象からはダメージが起こりにくくなります。意識がその欠点に向かうからその現象が広がっていたのです。意識を「自身の固定観念」に向けた時、、相手の欠点に意識が向かわず、、小さくなります。

人間時代の固定観念

我々は神です。実際に神なのです。神がこの夢を創造し、、神がこの夢を見ます。ですがこの夢には人間が登場することから神は「私は人間だ」という固定観念を生み出したのです。そして人間なのだから働かなくては。人間なのだから自分を守らなくては。人間なのだからしっかりしなきゃ。という固定観念をガンガン生み出していきました。神が固定観念を所有したのですからその固定観念が反映した夢がここに立ち現れます。

そして

再び自身が神だったと思い出そうとも、、、かねてから蓄積された固定観念があらゆるトラブルを生み出し続けます。ですがどんなトラブルも固定観念の許可なく発生することはできないのですからそれは人間時代の固定観念の残骸です。だから何が起こっても「人間時代の固定観念」が出たなーと思ってください。あー今日も人間時代の固定観念が出たぞ。。。。。です。もう人間には戻らないでください、人間ではないのですから。

その人

その人を変える力はない

その人にはその人を変える力がありません。その人は自助努力でその人を変える力がありません。なぜならば「実在」しないからです。この夢の登場人物全てに言えることですが、、その登場人物自体にその登場人物を変える力がないのです。ですからそこで何が起きようともそれはあなたの固定観念が支えます。あなたの固定観念がそうさせます。とても簡単なことです。

実在しないのだから

実在しないのです。にも関わらずその人の力でその人を変えてしまったらおかしなことになります。この幻想を唯一変えれるとしたら固定観念以外にありません。何か固定観念が原因になって今その状況が起こっている、、ただそれだけです。それ以外に何も起こりようがないのです。そしてこの事実に立ち返る最大のメリットは「創造主」が「創造主」の在る場所に帰れるということです。創造主が創造主としてここに「在る」ことができるのです。その瞬間、創造主の波動がここに立ち現れます。

だから

何が起こってもいいのです。それは勝手に固定観念が生み出した現象に過ぎないのですから。そこに帰ります。そこに立ち返るのです。そうやって常に常に創造主としてここに在ってください。トラブルごときで創造主を降りてしまい、、人間意識に戻らないことです。創造主が人間に降臨した時、、恐怖心が芽生えあらゆる固定観念が生じます。過去の固定観念のせいで人間に降臨してはいけません。人間に降臨したからこそ生まれた固定観念のせいで、、再び降臨してはいけないのです。