お風呂

出る瞬間

お風呂に入ります。毎晩入りますね。入るということは必ず出るわけです。その出るタイミングはどうやって決めてますか????どういう戦略で出るタイミングを図ってますか????どういう経緯でそのタイミングに決定していますか?????毎晩毎晩どういう風にお風呂を出るんですか????なぜかある瞬間、、、なぜか必ずある瞬間に「さ、、出よ」が起こります。あの瞬間を決めることができる人は誰も居ません。

全て

全てこうなっています。全てこのノリです。何一つ、このノリから外れることは出来ません。全ての決定は全てこの「さ、出よ」と同じ原理です。だからあなたは何かを決めたことなど一度も一度もないのです。これが事実、真実です。ですがあなたの「記憶」ではそうなっていない、、、、全て決断に責任を取らされてきた。大人とは決断をする存在と言われてきた、、、だからあなたの記憶は「決断」を自由意志と解釈します。

だから

「自由意志なんてないんです!!!!」このメッセージにざわつくのは「記憶」です。記憶がこのメッセージを解釈できない、、なぜならばそう記憶されていないから。自由意志がないというメッセージを上書き記憶できない、、なぜならば前提そのものが違うから。「あなたは今火星に住んでいます」ということを言われても「確かに」とはならない。。。なぜならば記憶と整合性が取れないから。

腑に落ちると

この事実を受け入れた瞬間、記憶の総取っ替えが起こります。記憶の中の「自由意志ありきの劇ドラマ」が消え去ります。「実物の仮面ライダー」という記憶が既にあなたの記憶にないように、、自由意志ありきの劇ドラマという記憶が消し去られます。その時、、、、五感の記憶操作も同時に消えます。景色が変わります。五感を回収する記憶自体が変わっています。

悟り

悟りとは現れでる五感が「人生劇場」という記憶に取り込まれない状態を言います。悟りとは今ここで起こる五感が「人生ドラマ」という記憶によって都合よく解釈をさせない状態のことです。マトリックスを出るとは、、、五感が記憶から解放されることです。ありのままの五感がありのままに感じられるとき解放です。嘘の記憶による都合の良い解釈が終わったとき、、、それだけで至福になります。

詐欺師

騙される

TVなどのニュースで「詐欺師が捕まった」という報道が、、そして映像でその男が映される。。。。。詐欺師丸出し、、、、いやいや全開で詐欺師やん。。。。。こんな経験ないですか????絶対にありますよね。。。。だからどうやったら騙されるの??????いやいや騙される方が難しいですよね?????と思い、、、、でもさっさと忘れてしまうのです。これ、、、、いい感じのヒントです。いい感じのチャンスです。いい感じの覚醒チャンスです。。。では答えを言いましょう。。行きますよ!!!!騙された人の「記憶」の中ではその人は全くの真面目に映っているのです。その人の世界ではその人は誠実に映っています。なぜ?????なぜならば記憶が「その人」の知覚を起こすのですから。

周囲の取り巻き

周囲の取り巻きから「あの人は凄い人なんだ」「あの人は半端ない実績の人だ」「あの人は凄いんです」だからあなたはあの人に付いていけば絶対に絶対に成功できる。。。。。この言葉が「記憶」された時、、、、「記憶」がその人を「美化」させ「勇姿」に見せるのです。だからその人が現れた瞬間「凄い!!!!!」となるのです。記憶がその人を「凄い人」に作り上げるのです。だから詐欺は終わらない。。。。だから結婚詐欺、投資詐欺、、、、がエンドレスにいつまでも永遠に続くのです。

結婚詐欺

なぜあんな優秀なビジネスウーマンが、、、結婚詐欺に。。。。。なぜ??????仕事では絶対に絶対に騙されたことないのに。。。。。なぜ???????なぜならばその男が、、、その女性に「夢を見させ」徹底的に夢を見させ、、、、それが記憶に刻まれた時、、、、、、、その記憶がその男を「誠実」に見せるのです。記憶がその男の違和感ある行動を「自動削除」します。だからその男は彼女の前で「誠実」になっています。彼女の世界では「THE 誠実」になります。彼女は記憶が作り出した「映像」を見ます。彼が現れた瞬間「記憶」が視覚を取り込み記憶好みの「映像」にシフトチェンジさせるのです。

覚醒

ではあなたをこれから覚醒させましょう。今からあなたを覚醒させます。あなたは記憶好みの「世界」に住んでいます。今あなたが住んでいる世界は「記憶」好みの世界です。一つたりとも記憶から解放された世界などに住ませてもらえません。記憶好みの「世界」以外に住めないのです。なぜならば全五感は全て記憶に回収され記憶にとって都合の良い「五感」に変えられてしまうのですから。だからイケメンが作った料理は食べた瞬間「美味しく」なります。美女が作った料理は食べた瞬間「美味しく」させます。その方が「記憶」にとって都合が良いのです。

つまり

つまり、、、、我々はありのままの世界になど一切住んでいません。ありのままの世界などもうとっくに捨て去っています。記憶にとって都合の良い「世界」にしか住ませてもらっていないのです。覚醒とは「記憶が作り出す世界」をそのままに気づき、、、、記憶の世界から抜け出すことです。どうやって??????簡単です。真実とは異なった偽りの記憶を偽りと気づかせる、、、ただそれだけです。結婚詐欺師の過去の歴史を警察署で教えてもらった瞬間「THE誠実」だった彼の映像がありのままの彼の映像にシフトチェンジし、、「え???????」何こいつ??????となります。キモ、、、マジで辞めて。。。。になるのです。記憶好みの映像が消え去って「ありのまま」の映像がここに映し出されます。

生き方が分からない

大前提

天動説を信じている人に「地球が回ってるんだよ」と伝えれば「困惑」がおこります。この困惑は何から起こるのでしょうか????我々は記憶をベースに「五感」の全てを記憶によって解釈を起こして生きています。知覚ですね。五感というありのままの現象を「記憶」が解釈を起こし、、人生ゲームの中に蓄積させて生きているのです。ところがその「記憶」では解釈ができないメッセージを聞いた瞬間「シャットアウト」が当然起こります。なぜならば次に向かって生きていくことが不可能になるからです。記憶こそが「解釈」をできないメッセージを「強制終了」させます。

英語

英語を全く知らない「オッサン」に外人が英語を話すと記憶が解釈をできないがために「シャットアウト」が起こります。全く何も聞こえないようにします。悟りのメッセージは「記憶」の解釈が起こらないのです。記憶の中の大前提に当てはまらないメッセージはこうして強制遮断され、、1000年間天動説は地動説にシフトされなかったのです。

それでも地球は回ってる

まさにこの言葉です。それでも「これ」しか存在しません。何と言おうと時空間は幻想以外では存在しません。何と言おうと物理空間は幻想です。何と言おうと私も幻想です。何と言おうとこの体も幻想です。何と言おうと、我々の本質は幻想ではなく「実在」であり、それは気づきであり無限です。何と言おうと我々は生まれてきたことはないし死にもしません。

勘違いをどうしたら気づけるのか???

どうしたら?????

勘違いを勘違いと気づくためには「思考」を比較してはいけません。「思考」を比較して私の思考の方が正しいのだ、、、と気づくためには既に分かっていなくてはならないからです。悟りのメッセージが難しい理由とは本人自体が「ジャッジ」できないからです。うん、この方法の方がよりメリットがある、、、、という判断は「記憶」の中で行われます。ですが悟りとはその「記憶」自体を消してしまうという普段の判断が全く及ばないメッセージなのです。

つまり

あなたの言いたいことがよく分かる、、、、だからあなたのメッセージを信じます。という展開にはならないのです。天動説を信じている人に、、、地動説の説明は、、、「判断ができない」のです。記憶の中にないメッセージだからです。普段我々は記憶の中で「判断」を下します。ですが悟りのメッセージは記憶の中では処理ができず、、よって自我のGOサインが出ません。地動説を信じた瞬間に「神」を否定することになり、、それだけは受け入れてはならないのと同じです。悟りのメッセージは「自我」を否定することからそれだけは受け入れてくれないわけです。

自我の拒絶

拒絶があるということは、、、、自我を解体してくれるメッセージに違いない。。。ここまで俯瞰できてきますと悟りのメッセージが染み込んできます。そして染み込んだメッセージは確実に自我を破壊に誘います。確実に。拒絶するからこそ、、、、間違いないのだ。。。。この感覚を忘れてはいけません。拒絶するから、、、それは紛れもなくそこに「本丸」があるぞ、、、これです。嫌がっている、、、ならば絶対にそれが真実だ。。。これです。

恐れとは

根本原理

人間の行動原理とは「恐れ」です。人生が実在だと思っているから、、その人生が万が一失敗してしまったら、、、絶対に絶対に失敗だけはしてはならない。。。。これが多くの方の根本的行動原理です。一回の人生を失敗していいなんてありえない。だから、、、慎重に慎重に、、どこまでも慎重に生きていかなくては!!!!これです。客観的に判断して絶対に私の人生は「大損」だけはしていない。。。そう信じて生きるのです。

でも何でこんなにも苦しいのだ

しかしながらこの「普通の人生」って何でこんなに苦しいの????なんかわかんないが「やらなきゃいけないこと」多すぎじゃね????いくらなんでも多くないか????となります。そうです。この「普通の人生」を目指せば目指すほど、、苦しいんです。人生を大失敗だけはしてはいけない、、かと言って、、普通の人生とはなんと「やるべきこと」が多いのか。。。。。という二重苦、三重苦状態になるのです。

恐れそのものを断つ

では今から恐れそのものを断ちます。あなたの恐れ自体を断ちます。恐れとは何が生み出すのか?????恐れとは「勘違い」が生み出すのです。その勘違いの記憶そのものを消してしまえばそれでOKです。どうしたら勘違いの記憶は消えるの????勘違いの記憶を消すには、、、それが勘違いだと気づいてしまえばいいのです。それ間違ってますよ。。。。というメッセージに触れればいいのです。

「観る」と「変化」する

やろうとすると苦しくなる

我々は両親や学校から、、、とにかく手を動かせ!!!!考えてないで手を動かせ!!!!と教わってきました。ですから都合の悪い状況に陥った際には「手を動かす」ことで解決を図ります。社会ではこれが得意な人が「エリート」「出来る人」「勝ち組」になります。だから私もあの人のようにと憧れます。ですが私は断言します。そんなことをやっているうちは不幸ですよ、地獄ですよ。。。と。

では

では最終回答をお伝えします。ただ黙って、、、観察だけしてみてください。ただ何もせず思考もせず、、、ただ全てを観察してください。それだけです、それだけで変化が起こります。それだけで全て上手く行きます。自身がこの「あるがまま」の世界に介入しないであるがままの観照者になるのです。ただそれだけです。そんなことで生きていけるのか?????全く問題ないのです。あるがままの中にはこの体の活動も含まれているのですから。

つまり

この体の中からあらゆる思考、行動が飛び出てきます。何でも飛び出てきます。それをただ観照者として眺めます。それだけでいいのです。観照者でしかないにも関わらずこの体はこの体の面倒を勝手にみることに気づきます。観照者はただの観照者ではなく、、あるがままを包み込む神になります。森羅万象を眺める神です。神が神の座に「ドーン」と身を置いた時、神の波動がこのあるがままに流れ込み、、世界が神々しくなります。

1%の努力も必要なく「それ」であること

何の努力もなしに

幸福であるためには最低限の努力って絶対に必要ですよね?????????地域地域には文化というものがあってそれに合わせる努力は幸福になるには避けて通れないですよね???違いますか????何か間違ってること言ってます????そうですね、それはそれで重要ではあります。適応努力は快適に過ごすには重要です、それは認めます。ですがそれは幸福とは100%関係ない話です。

??????????

あなたがいう努力とは不快、快適の話です。快適はあります、ですがそれは幸福とは関係ありません。ある地域に適応できた時その時は快適ですが、、同時に次の地域への転勤を恐れます。つまり条件付きの快適は、、条件故に常に不安が付き纏うのです。それを不幸と呼びます。条件をクリアしなければならない幸福とは快適なことであり、、それは不幸なのです。

では

何の条件も一切ない幸福とは何か??????最初からそこを目指せばそれで終わりです。それは何か???それは1%の努力もなくなれる「それ」を思い出すことです。「それ」になるのに1%の努力も必要ない存在が「本当の私」でありそれに戻ればそれで即終了です。なぜならばそれを思い出せばそこから1%の努力も必要ないのですから。その「それ」とは「私は在る」という決してなくならない感覚でありそれに気づく「気づき」です。1秒たりともそこから外れることなく在り続ける存在です。そして出来事の全ては「それ」の中で起こる幻想です。ここに戻ります。これがホームです。我が家です。

男である、人間である、、、

事実

私は紛れもなく人間であり、紛れもなく男です。そして年齢は45歳、、、全てが真実です。疑う余地は100%存在しません。そうですか、、、、それならば100%そうなんでしょう。ではお聞きします???ならばそのことを常に常に感じていますか???その自覚は100%何をしていようとも感じてますか???映画に夢中になっている時もそれを100%実感していますか????していませんね。。。。そうです。できるわけがないんです。なぜならばそれは事実ではなく「その思考」が起こった時のみ芽生える自覚だからです。

??????

男だという自覚、人間だという自覚、45歳という自覚、、自分の顔はこれだ、、という自覚はその自覚が起こった時のみ起こります。それは思考です。その思考が偶然にも湧いた時のみ現れるのです。ですからそれは事実ではないんです。本当の自分とは何の努力もなく永遠に「それ」であることができるものだからです。思考が湧いた時のみにしか自覚できない存在はフェイクです。

じゃあ何だ????

じゃあじゃあ、、それは何ですか????そんなものあります??????あったら教えてくださいよ!!!!!あります、絶対に絶対にあります。それは「在る」という感覚です。これは100%途切れることなくあります。意識があるとき「在る」という感覚は絶対に絶対にあるはずです。そしてそのことに「気づく」気づきも100%あります。この二つのみが事実です。これだけが問答無用で存在する実在です。そしてだからこそあなたは「それ」です。あなたはそっちのことです。男性、人間、45歳、、、、は全て幻想です。あなたは「在る」でありそれに気づく気づきです。それだけです。

自我が存在しなかったら

真我を発見できない

犬や猫は、、、、「自分は実は無限の存在だったんだ」という気づきを得ることは不可能です。絶対に不可能です。ですが人間だけが「自らはこの体だ」という勘違いを起こし、、いや違った、、、自らはこの「無限の気づき」だった、、、という気づきを起こすことが可能です。勘違いできる人間だけが「無限の気づき」を得るのです。メッシの偉大さを知るには「俺もサッカー上手いぜ」という勘違いを起こす必要があるのです。つまり人間は真我を発見するための道具として幻想の世界に生まれたのです。幻想として。

最初から真我

この体が幻想としてこの幻想の世界に生まれ出ようとも、、、真我が真我でなくなることは不可能です。ですから「私は在る」という幻想の中で勘違いが生まれ、、勘違いが消え、、真我の発見という幻想が起こります。全て幻想です。真我とは無限であり気づきだ、、、、という経験すらも、、、この「私は在る」の中で起こります。そしてその「無限としての自覚」「気づきとしての自覚」こそが、、、真我の中には最初から含まれていなくてはならないのです。

だから

だから時間を超えた存在、真我の中には最初から「その自覚」は既に含まれています。その自覚はこの鏡に映った世界の中にも登場しなくてはならないのです。時空間という幻想の世界では、、今ここでそれが起こります。ですがその自覚は最初から真我の中に含まれています。時空間の幻想ゲームの中でその自覚はある日起こり、、、真我の存在に気づくのです。

「私は在る」は不変

変わらない

注意深く今から観察してみてください。「私は在る」という感覚、この感覚に変化はありますか???この感覚自体に変化は存在するでしょうか???どうですか????ありませんよね。。つまり「私は在る」という感覚は不変なのです。では「私は在る」という感覚の中に現れでるあらゆる景色、思考、感情、音、味に変化はありますか????100%ありますね。映像は毎秒ごとに確実に変わっていきます。では、、、、、「私は在る」=動き、、、で在るならば、、、、、、どちらかは偽物ということになります。不変=「私は在る」=動き、、、、は成り立たない。。。。だから不変=「私は在る」=動きの幻想、、、、となります。

「世界=幻想」であることが不変

「私は在る」という感覚は不変、世界は幻想で在ることが不変、、、、よって「私は在る」=世界=「幻想であることが不変」、、、、となります。だから私は居ないんです、幻想以外では。あなたも居ないんです、、幻想以外では。。。。「私は在る」=幻想の世界、、、、だけが存在します。そしてさらに突っ込めば、、、「私は在る」は熟睡と共に消えます。熟睡中は「私は在る」も消える。。。故に「私は在る」は何かに依存しています。何かが無ければ消え失せてしまいます。何か????それが「私は在る」=幻想の世界、に気づく存在「真我」です。

真我が不在の時

真我が不在の時はありません。真我の中に「私は在る」=幻想の世界、が立ち現れ、、真我の中にそれは消えます。そしてまた真我の中に「私は在る」=幻想の世界、が立ち現れるのです。なぜ????なぜ立ち現れるのでしょうか????それが真我=無限、、、であり無限の中には「無限である自覚」も含まれていなくてはならず、、、その自覚を作り出すには真我の鏡が必要であったということです。真我の鏡に映った姿を見て「お!!!無限だ!!!」という自覚が起こるのです。それがこの「私は在る」の中で起こります。この自我の存在も全く問題ないのは「本当は俺って無限だったんだ」という気づきのためにあるからです。