ペインボディと「私」を剥がす

悪事を働いて

誕生日のお祝い、、みんなで太郎をお祝いしようよ!!!!誕生日当日、、太郎が大遅刻、、、、地獄、生き地獄、、、これは太郎のペインボディがやったんです。太郎がやったんじゃなくて太郎のペインボディがやったんです。なぜ???????太郎にとっては何一つメリットはなく、、周囲にも当然ない。ペインボディは太郎と周囲の不幸を餌にするからです。

そんなペインボディを

太郎は困惑する、、なぜ当日にそんなことを?????悩みに悩む、、、その奥でペインボディがガッツポーズをとる。肥え太る。周囲は太郎を大攻撃、、、太郎は悩む、、、その全てのエネルギーを太郎、周囲のペインボディが食べる。。。です。騙されてはいけない、、、悪いのは太郎じゃない、、ペインボディ、、です。太郎はペインボディを抱き抱え、、周囲はペインボディではなく抱き抱える太郎を責める。。

ペインボディを抱き抱える

太郎はペインボディを自分を勘違いして抱き抱えている、、、そして周囲もペインボディを大事に抱き抱えています。この複数体の活動がコミュニケーションです。周囲は太郎のペインボディの活動に迷惑をかけられ混乱しますが、、、責めるのは太郎です。ペインボディではなく、、、ここ最重要ポイントです。

全員がパニックなんです

全員が全員パニックなんです、、太郎の行動が理解できない、太郎も理解できない、、、周囲も混乱する、、でも太郎も周囲のペインボディもガッツポーズをとっている。そしてそのことに全員が気づいている。悪事に対して全員がガッツポーズをとる、、同時に苦しいが起こっている。全員がこの真実を知らない、、知らないから混乱する。となります。

ペインボディ

太郎を責めるのではなく、、、太郎のペインボディを責めるのです。責めるターゲットが違うんです。太郎はペインボディの存在を自覚し、周囲は太郎のペインボディの存在を通じて自身のペインボディに気づきます。太郎の事件は実はペインボディを発見するチャンスなんです。太郎のペインボディは大きく大きく育ってしまって手が付けられない状態にまでなっていたのです。この大きな大きなペインボディこそペインボディ発見の糸口になります。

部屋にいると

洗濯機の音

部屋にいます、、、洗濯機の動く音がします、、、そこに意識が向きます。最初は洗濯機、証明、鳥の声、、がしていました。。ですが洗濯機の音が大きくなることで、、周囲の音が消えます。洗濯機の音ばかりがします。。。その時その音だけがあります、、他は消えたんです。。。。。しばらくすると再び他の音が現れました、、意識が戻ったんです他に、、、その瞬間、、洗濯機、鳥の声、、外の工事の音が現れます。

今の気づきが全て

この視界、、この音、、、、、これが全てです、、気づきが全てです、、、気づき以外は何も起きていません。何も。。。。本当は360度あらゆる現象が起きていて、、、私はその中のこれを経験しているんですよね?????違います、、、全然違います。。。今の気づきのみが現象です、、、全現象の切り抜きではなく、、、気づくことができる現象だけが今起こっています。

後ろにも世界があって

ないんです、それが、、、後ろのベッドが見えないのならば、、、存在していません。もしも存在するならば絶対に気づきます、。。気づけない存在は存在しないのです。無我夢中になって「私」を忘れてましたよ!!!!いやその瞬間消えてたんです、想像上の「私」が。映画に夢中になって、、我に返るのに時間がかかっちゃって。。。。。いやその時間、、想像上の「私」は100%消えてたんです。もしも現れていたならば100%気づかれますから。

いつの間にか

消える

自分というのは消そうとすると失敗します。消そうとすることで逆に自分を強化します。本当は居ないのに消そうとしているわけです、、、ということは想像を強化しているんです。勝手に消えるんです、、だから放置しとけばいい。それよりも真実に触れていきます、、真実に長けていけばいいのです。真実を身近にするんです。

どうやったら左打ちに

右バッターが、、、、野球のために左打ちに変えるとしましょう。。。。。その際に右で打っていた頃のイメージを消そう消そうとする努力って必要ですか?????右のバッティングではこうやって振っていたから左の場合は、、、って必要ですか????必要ないんです。全く。そうじゃなく、、、左打ちに慣れるだけです!!!何千回もバッドを振って、、、左に慣れるんです。悟りも完全に同じ、、、真実に慣れるんです。

千本ノック

悟りは千本ノックです、、、真実にひたすらに触れるのです、、真実に触れまくると、、相乗上の「私」がいつかガツンと消えます。。。もう右打ちを思い出せないのです。右で打つてどんな感じだったっけ????になります。絶対に。。。英語に親しみ過ぎると、、、日本語を思い出せない。。。これです。悟りとは触れまくって触れまくって、、、自分を忘れさせちゃう行為です。

辞めちゃえ

全部

全部嫌なら、、、今の生活、今の会社、今の人間関係、、全部嫌ならば、、、辞めちゃって大丈夫です。なぜならばそれでは何も失わないから。。。。本当は何も失ってないんです、、大丈夫です。失ったという勘違いはおこるかもです、、半端なく、、、でも真実では何もうしなってないんです。そして最初から何も持ってもいません。

全てを抱えているという勘違い

会社員としての私、親としての私、長男としての私、、町内会長としての私、、、全部全部勘違いです。この日本で必死に生きる存在、私、、、、、勘違いです。。真実は、、「経験」=私です。経験を所有する「私」ではないんです。経験者=私でもない、、、経験=私、、以上。最初から経験者=私は勘違いです。。。。居ません、、居ないんです、、、居ないんだから消えもしない。想像上の人物、私が消えます。

いやいや

じゃあこの今苦しんでいる私の存在は、なんなんですか?????100%の実感で苦しんでいる私が居ますよ!!!!!違います、、苦しみだけがあるんです、、辛さだけがあるんです、、しんどい、、だけがあるんです、、、全部感情です、、これだけがあって、、、それを感じる私という想像上の存在ネッシーが居るんです。というよりもこの想像上の存在「ネッシー」を信じているから全苦しみが誕生します。

勘違いの分だけ

苦しい

勘違いの分だけ苦しみが生まれます、、、、勘違い=苦しみです。この地球があってその中に今日もこの小さな私が生きる、、、はい勘違いです。その分苦しみます。。。音がなる、、そのこの以外は何も起きていない、、ただそれだけ。。はい大正解、、苦しみゼロです。音がなったのを感じた私、、はい、、勘違い、、苦しみです。つまり世の中の常識って完全に完全に勘違いです。

分かったとて

全部わかると何が変わります????全部変わります、、だって価値観というものが180度変わりますから???真実は価値観でもないんです。。真実=真実です。真実が分かると、、湧いてくる思考が変わります、感情が変わります、、、そして人間常識業界との付き合いが、、、変わります。いろいろ悩み苦しみ生きている人々に対して自然と慈しみが生まれます。ただこれは、、人対人への感情ではないです。

覚者の言葉

分かりかたって無限にありますから、、覚者の言葉は面白いのです、、、その切口があるんだ???そんな経験から入るんだ、、、あれ???多分ここはまだ勘違いしてるぞ、、、ここに関しては恐らく無自覚だな、、みたいな。。が起こります。

宇宙があってその中に

じゃない

今も宇宙空間は壮大に広がり、、、何万光年の広がりの中に「私」が居る。。。。嘘です、、完全に嘘です。。。。そんな現象は起こっていません。。。起こっているはずがないんです、、、構造上不可能です。。。もしも今宇宙の果てで、、惑星と惑星がぶつかり、、クラッシュしているならば、、気づきます、、気づくに決まっているんです。。誰が?????私「意識」です。「私=意識」が知らない現象って皆無なんです。全部現象は私に気づかれます。

地底人

太陽の裏側では、、どうやら黒点が増殖し、、、地球の内部では実は地底人が住んでいるらしいよ!!!!嘘です、、完全に嘘です、、、、もして地底人がいるならば、、、、気づきます、、、完全に気づきます、、、誰が?????「私=意識」がです。地底人の出現に気づけない「私=意識」はいないのです。

私=意識=神

地底人が、、もしも今地球の奥底で誕生したならば今「私=意識」が気づくんです。100%、、、気づきます。空がら色が生まれる時、、あることが起きます、、、何か????気づきです。。。つまり現象=気づきなんです。気づき=全現象です。要は気づきのないことで起こっている現象はないのです。名古屋に住む私の娘は、、そろそろ起きただろうか????ないです、そんな現象は。

意識=大きさがない

どこからでも

悟りとはどこからでも導けます、なぜならば真実は一つであり、、どこから登っても「真実」という山頂にたどり着くからです。それを意識から導きます。空から色が生まれる時、、「意識」が生まれます。気づくが生まれます。全ての現象は完全に気づかれます。つまり今私(意識)が気づいている現象以外は何も起こっていません。これが真実です。私(意識)に気づかれない現象はないのです。つまり今私(意識)が見てる世界(現象)が今の全部です。

どうなると

そうなると、、、、世界=意識(気づき)です。気づき(意識)以外は何も起こっておらず、、それだけです。では気づきに大きさはあるのでしょうか????ないです。つまり、、、この世界は無です。気づきしかないのですから。現象は確実にあるが、、、その現象な全て気づかれ、、それが全てです。その現象とは気づきであり、、、気づきに大きさがないようにこの世界は「無」なのです。

視界

我々は形がある世界に生きているように「感じて」いますが、、、嘘です。。気づいた「現象」しかない世界に生きています。何かに気づく時、、、、「この体が」気づくと勘違いしていますが、、、体などありません。。。だって視界に気づく時、、その視界しか出現していないからです。その時体は存在していないのです。なぜならば体に気づいていないので。

TV

TVに夢中になっている時、、、その映像だけが存在します。気づかれた映像のみが全てです。。。もしも体を感じながら。。TVを見るならば、、、その感じと映像が全てです。それ以外はどこにあるんでしょうか???ないです。現象化していないんです。つまり一般の方は大勘違いしています。この体を残したままTVの映像があると思っていますが画像に夢中になっている時、、、体はないんです。存在が消えます。

気づきのみ

毎瞬毎瞬気づきのみが起こり、、その気づき以外が存在しません。世界は=気づきです。気づきに大きさがないので真実は「気づき」であり、、、無なんです。この辺りが実感として分かってきますと全く違った何かが生まれます。色即是空、空即是色とは。。。まさに真理であり、、それ以外はありません。色即是空が起こる時、毎瞬、、、気づかれます。色即是空は全て気づかれるのです。だからそれしかない。。色即是空、空即是色のみ。そしてそれは「気づき」です。

化物

簡単だからこそ

トラブルが起こる時、家族間、会社間、クライアント、友人、、、、どのようなトラブルが起ころうと奥にニヤッと笑う何かを感じませんか????ドラマを見れば簡単ですよね???????主人公がとんでもないトラブルに巻き込まれる時、、、ニヤっとする何かが居ますよね。。。ペインボディです。自分の不幸、人の不幸にニヤッと笑う何かを感じたらペインボディと見抜いてください。不幸依存症、、なぜ????エゴをここに閉じ込めておきたいエネルギー体です。

最高に幸せなはずが

優秀なエゴは、、取引をうまくやり遂げ、、、全く働かなくていい、快適な生活を手に入れます。ところがペインボディが黙っていない、、不幸依存症、、、ネガティブエネルギー体は、、、イライラ、退屈、孤独とおう感情を操って、、エゴに思考させます。。これで人生は終わりか????このままで私の人生終わっちゃうの????です。

不可能

ささやかな幸せで私十分なんです。。ダメなんです、無理なんです、、それが難しいんです。なぜ????本当の私はこの私じゃないから、、、本当の私をこの体に閉じ込めようとする動きは、、、常に苦痛を作ります。だから諦めるしかない、、

意識の奥底

意識=色÷空

現象はすべて空から生じます、、空から生じ色に空と色は次元が異なるために「気づく」という『意識』が生まれるのです。この意識を我々は朝起きた瞬間に感じます、「朝日」に「気づく」「コーヒーの香り」に「気づく」つまり意識です。この意識を常に常に感じているために「意識」の存在を否定する人間は皆無です。神をひてする人は居ても意識を否定する人はいません。仏を否定しても「意識」を否定する人はいません。「意識」このが神、仏です。

そうだ!!!スタバ行こう!!!

この思考が意識されます、、、するとスタバがイメージ化され、、そこに意識が向きます。意識の連鎖が起こるのです。この連鎖が起こり続けなくてはスタバに辿り着かないのです。ですが最初の「スタバに行こう」は勝手に起こっています、、ここも重要です。意識の連鎖のスタートは勝手に湧くのです。そして意識そのものは構造上、、コントロール不可能です。空から色が生まれるを誰がコントロールできるのでしょうか??

それでも

我々が感じられる神はこの意識しかないんです、、神様がやっている全現象を生み出すとは、、まさにこの「意識」だからです。だから意識=神=仏=現象です。現象をあるがままに感じるとは、、そのままで至福なんです、意識しかない=至福です。あるがままの現象をあるがままに受け入れるとは=至福なんです。この発生する意識を「私」という小さい箱に閉じ込めた瞬間「苦しい」が生まれます。

本当の本当は

意識は作れない

私はひたすらに意識が現象化を起こすと言ってきました。例えば右に意識を起こせば、、、右の視界が現象化します。左に意識を向ければ、、左の視界が現象化します。上下、、全部意識です。。。。ですがその意識はどうやって起こっているかといえば「空から色」が起こった時です。つまり意識自体を作るという行為を行うことができる存在はいません。意識は起こるんです。

だから

滅茶苦茶な話ですが、、右、左、上、下と意識を向ける、、、というこの「意識」は誰も作れないのです。にも関わらず今もそれができます。意識を向けるができてしまうのです。完全にできるにも関わらず、、意識は「空から色」が現れた時に起こるのです。これが完全なパラドックスです。つまりつまり、、、とんでもないことをしてしまった、、悪事を働いてしまった、、やってはいけないことを!!!!も全部意識が作っていますが、、その意識は構造上作れる存在がいない、、となります。

全自動

ここが分かってしまうと、、例の全自動というところに落ちます。完全完璧に現象は意識が起こせますが、、その意識自体を起こせる意識はないのです。意識を起こす意識がないのならばこれはもう完全全自動です。ここが空にまで認識が落ちるポイントです。意識はありありと自覚できる、、感じる、、、だがその意識は、、「空から色」が起こらないと顕現しない。。。ここです。最終の気づきです。