何が起ころうとも私には影響を与えない

マハラジ

これもマハラジの言葉です。何が起こっても私には影響を与えることができません。何をいうてんねん????ここに天災が起これば確実にあなたは逃げ出さなくてはならないでしょう!!!!影響受けまくりですよね????半端なく影響受けてますよ。。。。いいえ、、それでも全く一切の影響を受けていません。「逃げなくては!!!!!全速力で逃げなくては!!!」という思考と行動は「私は在る」の中で確実に起こるでしょう。ですがそれは全て「私は在る」の中の活動に過ぎないのです。ですから何も変わってはいないのです。

天災で

天災であんたは腕を失くしてもですか?????病院で入院することになってもですか?????それで影響受けてないってどんだけポジティブシンキングなんですか????ポジティブを超えて頭がおかしいんじゃないですか?????「何が起ころうとも」それは「私は在る」の中の活動に過ぎず、、、その活動は「私は在る」ではないのです。ですから何も起こってすらいないのです。この体を私という思考が起こった時、悲惨だという思考が起こり、苦しみが現れます。ですがそれすらも「私は在る」の中で起こる活動に過ぎず、、何も変わってもいません。

だから

だから私は100%断言します。あなたには何も起こらないと。あなたの中では色々起こりますが、、それはあなたをはみ出すこともなく傷つけることもなく、、ただ起こるのです。だからあなたは無敵です。一回も負けたことがないほどの無敵です。これからも絶対に負けないぐらいに無敵です。勝負は既についているのです。あなたがこの「私は在る」の中の何か、、、と思考した時のみ、、、苦しみが起こります。苦しみが起ころうとも「私は在る」は何一つダメージを受けていないことに気づいてください。

私の世界は実在、あなたの世界はマインド

?????

マハラジの言葉です。私の世界は実在だが、あなたの世界はマインドである。。。なんのこっちゃ分かりませんよね?????でも分かるようになります。この世界を物理空間を実在と思考している間は、、、まさにマインドです。マインドでしかこの世界を実在だと実感することはできません。なぜならば本当はどうしたってこの世界は幻想でしかないからです。幻想でしかないこの物理空間を実在と「思う」ことができるのは「マインド」でしかないからです。だからあなたの世界はマインドなのです。

では???????

私はこの世界を幻想と見抜きました。。。見抜いたということはもう「マインド」ではないんです。幻想だと「思う」のではなく幻想と見切ったのです。だから私の世界は幻想として実在なのです。幻想という事実であるという意味で実在なのです。ではこの世界が幻想という意味での実在ならば、、、この幻想を作り出すのは誰か????という疑問が起こり、、あ、、、私だ、、、、という事実に目覚めます。

つまり

この世界、この体、かつての私は幻想であり、、、幻想という状態が不変であるという意味で実在であり、、それを支えるのが「本当の私」であるのです。それこそが実在です。それこそが真実です。あなたはまだ幻想を現実と夢見ているのです。だからあなたは夢の中に居ると覚者は「喝破」します。現実という夢だと気づいたあなたは「夢」を「夢」と見破った瞬間、、、あなたはもう夢から出たのです。目覚めるというのはそういう意味です。目覚めるとは「現実という夢」から出ることです。

小さい頃は、、神様が居て、、

不思議に夢を叶えてくれた

ユーミンの有名な曲の歌詞です。「小さい頃は神様が居て不思議と夢を叶えてくれた。」これ当然なんです。だってこの世界は私のものですから。この世界が私の中にあるのですから。「私は在る」という感覚の中がこの世界です。ほら、、空を見上げれば「私の中に空が確実に100%広がります」この事実をすっかり忘れて「世界の中に私が居る」という記憶がガッツリ完成された瞬間、、、五感が全て記憶に取り込まれます。世界こそが私を支配します。

恐怖心

その瞬間に恐怖心が起こり、、その恐怖心こそが、、、あらゆる問題をでっち上げるのです。だから次から次へと問題が現れては消えていきます。問題処理の人生のスタートです。ですがこの世界には一つのルールがあって、、現れたものは消えなくてはならないのです。ですから恐怖心も絶対に消えなくてはならないのです。ですから、、、この恐怖心に散々、散々苦しみ続け、、、この恐怖心こそが悪の親玉だと気付かされ、、この恐怖心の削除に意識が向かわされます。今あなたがこのブログを読んでいるならば今まさにその現象は起こっています。

さらば恐怖心

ではどうやってこの恐怖心は取り壊されるのでしょうか????記憶です。記憶こそが恐怖心の親玉です。ここを押さえます。ここをマシンガンで打ち込みます。ここをゴルゴ13バリの照準で撃ち抜くのです。恐怖心を作り出す記憶とは何だ??????????その恐怖心を作り出す記憶とは何???????勘違いの思考です。散々散々教わってきた勘違いの思考こそが「悪玉」です。ここを消すのです。その消去方法が「真実のメッセージ」となるのです。

意識

全ては意識

ヨガをやっていると常に感じますが、、意識が体を次々に変えていきます。ヨガのポーズを毎日繰り返しますと毎日少し変化します。意識が体を変えていくのです。動かない場所に意識を送れば、、、そこが開放されていきます、ジニャーナヨガは、、、、真実を言葉で伝えるヨガです。真実を言葉で伝え、、、真実を「意識」することで少しづつですが、、、真実が見えてきます。真実に光が当たり、、真実が見えてきます。ですが「記憶」はこれを邪魔します。記憶は「真実」を見えないようにします。なぜか????まだ記憶に意識が向いているからです。

徐々に

ジニャーナヨーガを極めていきますと、、、徐々に徐々に偽りの観念ではなく「真実」に意識が向き始め、、そこが意識できるようになります。今ここで何が起こっているかが明白になっていきます。今ここでは「私は在る」という感覚、、そしてその中で幻想が動くのです。思考という幻想、感情という幻想、何でも起こりますが、、全て幻想です。そしてそれに気づく気づきが我々の本質「真我」でありその全てに気づけます。

実に面白い

全ては意識です。ですから意識をそこに向ければその場所が変わっていきます。真実に意識を向けると、、この意識の場があるがままに変わっていくのです。嘘を信じる時、、その嘘に意識が向くことで嘘が現象化します。それも意識です。真実に意識が向くとかつての嘘の観念に意識が向かなくなることでそっちは現象化されずあるがままが現象化されてきます。ハタヨーガは体に意識を向けることで体を変える体感を得ます。ジニャーナヨーガは真実に意識が向くことで、、固定観念が解除され、、この視界そのものを変えていくのです。

恐怖

固定観念

アメリカから帰国子女が学校にきました。彼女は授業中に突然先生に「質問」します。そこ分からないのでもう一度教えてください。周囲はびっくりします。「え?????」先生と平気で口論します。「え??????」つまりこういうことです。彼女の中には「恐怖心」がないのです。だから平気で先生と口論をするのです。恐怖心を支える記憶がないから、、、、、平気にアクションを起こします。

日本人

日本人には日本人特有の、アメリカ人にはアメリカ人特有の恐怖心があります。戦争中、、、アメリカ人は日本人の「死の美学」を恐れました。「こいつらは死ぬのが怖くないのか????」です。彼らには日本人の行動が恐怖だったのです。日本人が死を恐れなかった理由は「記憶」です。大和魂、、、という死んでも魂が残るという「記憶」が恐怖心を生み出さないのです。今日本人は死を恐れます。死を恐れるからあらゆる「ルール」が生み出されそのルールで雁字搦めになっています。

つまり

記憶がなくなれば恐怖心がなくなります。恐怖心がなくなれば問題が消えます。問題とは全て思考です。恐怖心という思考が問題に化けているのです。恐怖心を消すならば記憶を消す必要があり、、、、勘違いの記憶が消えてしまえばそれで「終了」です。え?????パソコンは???スマホは????なくなってしまうのですか????いやいやそれは勘違いではないですよ。。。。勘違いの記憶のみ消去します。

主演「私は在る」

役名「太郎」

この世界で貰った名前は役名です。「太郎」という名前は「役名」です。では主演俳優は誰ですか????誰が主演ですか????どこに主演は存在するのですか????「私は在る」という感覚、、、これが主演名です。主演は「私は在る」なのです。「私が在る」が今も役名「太郎」をやっています。ですから一瞬たりとも「私は在る」が太郎になったことはありません。今も太郎は存在しません。だって「私は在る」が「私は在る」以外になったことなど一瞬もないのですから。。。どうですか???ありますか、、「私は在る」という感覚が崩壊した瞬間って存在しますか???

じゃあじゃあ

全員が「私は在る」ってことで大丈夫ですか????役名は役名に過ぎず、、人間は人間という幻想に過ぎず、、、ただ「私は在る」のみしか存在しないで間違いないですか?????その通りです。おっしゃる通りでございます。太郎が現れようと、次郎が現れようと、三郎が現れようと、、、、全て「私は在る」が演じる役名です。主演俳優しか存在しません。主演俳優が「私が在る」であり「意識」であり「これ」です。「それ」です。

それ以外

「私は在る」以外の存在ってじゃあ何ですか?????この見える全ては何ですか?????それが幻想です。「私が在る」という感覚以外は全て現れては消える幻想です。ですから、、、、そんなものに振り回されるのは終わってください。全て幻想だから今も現れては消えています。愛の幻想に振り回されないでください。それらは放っておいて大丈夫です。愛が形を変えて現れているだけだから。。。調和が形を変えて現れているだけだから。

それでも

私は在る

あなたは「私は在る」はこの世界で何があっても揺るぎない、、、だから何かは全て幻想だと断言しました。だったら体が死んでも「私は在る」は消えないのですね????そうです。だから体外離脱を経験した者が存在するのです。体から離れても「意識」と世界が消えないのです。「私は在る」と世界が消えません。つまりこういうことです。私とは「私は在る」であり幻想の世界であり、「意識」だということです。正体は「それ」です。「これ」です。

なぜ?????

ではなぜこの世界では嘘が蔓延っているのですか????なぜこの体を「自分」とする考え方が真実とされているのですか?????それはそのような動きが「これ」でただ起こったのです。「それ」でただ起こったのです。あえて詳細に説明するならば、、、、「これ」は無限でありその無限の中には「勘違いのこれ」も含まれていなくてはならなかった、、、ということです。

全員が全員嘘を信じている世界って、、、、、

面白すぎますよね????だって全員が全員この幻想の世界では嘘を信じています。笑っちゃいますよね???でもその全員は全て幻想です。真実では「私は在る」「これ」「それ」「意識」以外は全て幻想です。幻想だから変わっていきます。「私は在る」「これ」「それ」「意識」は何も変わりはしないが中身のみがガンガン変わっていくのです。だから「私は在る」の中身で何が行われようと、、、どうでもいいのです。そしてその中身とはあなたの固定観念です。

私は在る

損害

友人からあなたは大バッシングを受けます。とんでもない罵詈雑言、、、誹謗中傷、、を受けます。多くの場合は落ち込みますよね。。。。。ですが、、、、ちょっと確認しますが、、、何が起ころうとも「私は在る」という感覚は微塵も微塵も変化していないことに気づきますか?????気づきますよね????「私は在る」という感覚が罵詈雑言によって消えた、、、とは絶対に絶対にならないのです。つまり、、、、つまり、、、何もダメージを受けていないのです。あなたは「私は在る」です。だからあなたは罵詈雑言レベルでは100パーセント、ダメージを受けれません。これが真実です。これが真理です。

じゃあ

じゃあ行きますね。。。。。傷ついた、、、、、という思考、感情は何ですか??????それは想像行為です。私がこれだけ言われたのだから、、、、傷ついて当たり前という想像です。何一つ傷ついていないにも関わらず「傷ついた」と想像し怒っています。ですが明晰に明晰に観察をすれば「全く何一つ」私は在るという感覚はNOダメージです。そしてあなたは「私は在る」だと今気づいた瞬間、、、、一度も私は傷ついた経験がなかった、、という真実に目覚めます。

自作自演

つまり傷つくことができる存在というのは存在しないのです。もう一度伝えます。何かによって傷つくことができる「私は在る」は皆無です。「私が在る」が出来事によって損傷をした?????勘弁してください。だからあなたは一度も何かを失ったことなどありません。一度もです。ただ失ったと想像していたのです。想像で失ったとイメージし勝手の傷つき、勝手に落ち込んでいたのです。何というギャグでしょうか。。。何というコントでしょうか。。。。。何という、、、、、、

「私は在る」に影響を与えれない幻想

つまり

目の前で車は電柱に激突します。あなたはそれを見ます。そんなとんでもない事件が起こっても「私は在る」というこの感覚を失わせる力はありません。目の前で大地震が起こります、、、ですが「私は在る」という感覚を無くすことは不可能です。そうです、何が起こっても「私は在る」を揺るがすことは不可能なのです。なぜ????なぜ??????それはこの全ては幻想だからです。幻想だから「私は在る」という感覚に指一本触れることができないのです。

要は

要は、、、、何一つあなたを損なうような状況は存在しないのです。目の前で電車が脱線事故を起こそうとも、、、「私は在る」という感覚を損なう力はないのです。なぜ????????だって幻想だから。幻想だから「私は在る」を損なえないのです。因果という言葉があります、コップを落とせばコップは割れる、、、、割れようと割れまいと、、、「私は在る」はびくともしません。なぜならば幻想だからです。幻想だから、、びくともしないのです。つまり因果とは幻想です。マインドが生み出す幻想です。だからこそ何が起こっても「私は在る」という感覚はビタ一文崩せないのです。

だから何????

で?????これが幻想だと証明されて何かメリットでもあるんですか??????何もメリットがないなら全然どうでもいいんですけど。。。。。実は大ありです、大いに大いにメリットがあります。あなたは嘘を教わって嘘を信じて記憶を膨張させ続けてきました。その嘘の記憶こそが「恐れ」を生み出し、、その恐れこそが「問題」を生み出してきたのです。この世界を現実と嘘を教わって嘘を信じたから「恐れ」が生み出され、、、恐れこそが問題を作ったのです。だから嘘を嘘と見抜けば、、、、問題も消えます。

ショックで味がしない

食事中

食事中に「実は俺結婚してて」この告白を受けた女性は、、その瞬間から味がしなくなります。さっきまで美味しく食べていたパスタの味がしなくなる。。。これ分かりますよね????絶対経験ありますよね????そうです。味覚が瞬時に記憶に取り込まれ、、、味が消されます。記憶が生み出すストーリーが出現し、、味が一掃されるのです。つまり、、、、記憶は全ての五感を瞬時に取り込み、ストーリーの一部に変えます。だからショッキングな事件で味が消えます。

グレイ

なぜ?????こんな天気の良い日に、、、なぜ?????視界がグレイなのか??????信じられない。。。なぜ?????それは「視界」が記憶に取り込まれ、、、「グレイ」の映像にシフトチェンジさせるのです。視界自体は実は変わらない、、、あるがままの姿、、、ところがそれを記憶が取り込み「グレイ」な映像に見事シフトチェンジします。

あるがままと記憶

記憶が勝手にそれをすることはわかりました。では、、、だったら、、、、私がそれを阻止すればいいんですよね????だったら私の出番ですよね??????不可能です。私とは記憶が定期的に生み出す思考のことです。まさかの私は記憶の一部です。だから不可能なんです。記憶に依存している存在が記憶を打破するってどうやって????そんなことしたら「私」消えちゃいますよ。

真実

あなたがやるべきことは、、、、ただ真実のメッセージに触れてください。ただ触れるのです。真実に目覚めたとき、過去の勘違いは自然に消えます。ただ触れるのです。そしてただ消すのです。消そうと思う気合は一切必要ありません。ただ真実のメッセージに意識を向ければ勘違いの思考に意識が向かわなくなります。ただそれだけです。意識を偽りの観念に意識しなくなった時その記憶が消え、、視界が変わります。