やっぱりそうだ

満員電車

我々は本当はこの世界の創造主です、、その創造主が満員電車に乗って会社まで毎日通勤、、ストレスが半端ない。。当たり前なんです、、創造主ですよ。。この世界の創造主がなんで満員電車に乗ってを耐えなくてはならない?????おかしい、、、です。創造主は、、創造主らしくすればいい。。。創造主が満員電車に耐えるのは、、この自分は、、、この体の中の「意識」でしかない、、と催眠をかけられたからです。

ブラック労働

我々は創造主です、、その創造主がブラック労働????ブラック労働に耐える???おかしい、絶対におかしい。この意識は創造主だけに与えられたものです、、その意識をこの体の中の脳の活動程度と教え込まれ、、ただの人間に成り下がった。。。やられた!!!!です。この現象の全ては今ここで、、空から色への生まれている。その意識がこの活動そのものの証拠。

でもこの体を維持しなくてはいけませんよね????

その通りです。そうです、この体を維持しないとダメです、、死んじゃいます。どうやって、、、先ずはご自身が創造主でこの現象をここから放射していると認識を変えてください。すると世間体、世の中の評価、どうでもいい。。。だって創造主だから。周囲の勘違いの声は完全に消えます、、その認識のもとに、、始めればいい。。新しい人生を。この体にはお金がない????どうでもいい。。この体が評価されない???どうでもいいんです。その認識の上での活動がスタートします。

自我の落とし方

コツがある

自我の落とし方にはコツがあります。自我は勘違いの生き物なので、、勘違いが巧妙なんです。この勘違いの仕組みを完全に把握する以外に落とす方法はありません。ではその勘違いの仕組みを解説します。先ずは最初に意識です、この意識は今どこにありますか???どこに意識を感じますか???私は目の奥に感じます。この意識、、この意識は空から色の現象によって起こります。。この時に起こるのです。つまり空からの現象がそこから起こっているのです。そこに意識を感じるならばそこで空から色への現象化が起こっているのです。

それでいい

その意識をありありありと感じてください。ありありと、、、そしてその意識とは空から色への現象化でしか起きえないことを認めます。つまり本当の自分(空)から色が放射されています。現象がそこから放射されているのです。これが全部です、これが創造行為です。この意識とは創造主の意識です。創造主意識です。。。今私が移動すれば、、そこからこの現象が放射されるのです。その時に意識が生まれます。

この体

この創造行為には先ずはこの体があります。この体が中心にあるのです。だからこの体が動く場所で放射が起こる、、この場所とは空から色の放射です。その中心にありありと意識が起こるのです。この体、この体は今までこの意識を奪ってきたんです。この創造主の意識を体が奪ってきました。だから我々はまんまと騙されてきたのです。創造主の意識を、、、人間の意識であると勘違いしてきたんです。この勘違いがエゴ、自我です。エゴ、自我という何かがあってではないんです。この創造主の意識を、、「私」と呼んできたんです。

全員が創造主

「意識」とは創造主以外には起きないので、、「意識」がある人は全員が創造主です。意識ありますよね????じゃあ創造主です。え?????じゃあ全員が創造主ってことですか????そうです。この創造主の意識を、、、「私」と呼んで、、この体に押し込んできたんです。ですが本当は、、この意識はこのオデコの辺りから放射されて、、視界の限り広がっています。この体に収まってなどいない、、ただ濃厚に意識を感じているだけです。

本質

自我

本質が分かってしまうと、、自我とはとても曖昧で面白い存在です。本質から起こる認識を全部自分の手柄だと言い張る存在それが「自我」です。本質は今もそこから気づき、認識が起こっています。この現象を現象と認識する動きが空からまさに今起こっています。この認識を「私」がしているという勘違いが起こります。友人との会話は、実は空同士の会話とも言えますが、、その表現も本当は間違いです。空から会話が起こっているということです。そしてそこに認識が自動で起こります。

どうでもいい

本質を理解できてしまうと、、他己評価、自己評価というのがどうでもよくなるんです。なぜならば勘違いの産物である自我って評価の対象でもないからです。評価の対象でもない存在同士の評価の仕合って何か意味があるのでしょうか????何度も説明します、、この気づき、この意識は「空から現象が現れる」ことで起こる現象です。この現象を我々は「私」と言います。

この体も世界も

この体もこの世界も今「空」から現れでた現象です。そこに気づきという現象が起こるのです。ただそれだけ。。そこにこの体の中に気づく「私」が居るという思考が湧くのです。この私を人間業界では個人、自分として扱い、、関係を結びます。本当はこの私とは「気づき」という現象のことであり、、この現象は「空」から起こっているだけなんです。

真我からの導き

先ずは己を知る

自我とは何か????これを考えたところで無理です、、このありありと感じる自我を無いとか、有るとか、、不可能です。そうではなく、、、本質をから入ります、真実の理解が起こりますと、、、自我なんて完全にないことが理解できます。自我の構造が完全完璧に理解できます。本質が分かって自我の嘘が見えないというのは逆に不可能なんです。本質=本質であり、、自我は本質を利用した詐欺師です。詐欺師を詐欺師と見抜くならば、、本質を知れば勝手にそれが詐欺師であることが分かるんです。

詐欺師

自我とは詐欺師であり、、、詐欺師とは本物を知る者を騙すことができません。だから本物を知るのです、、本物を知れば勝手に詐欺師は詐欺師と気づかれます。面白いほどに詐欺師の存在を見抜くことができます。では本物とは誰か????誰ではないですね、、本質、本物とは、、この生そのものです。全活動これが我々の本質であり全部です。そしてこの認識の全て、、全認識は、、、本質が空だから成り立ちます。究極の本質は空であり、、この現象は空の影です、反映、投影です。

意織

意識とは空から影が現れたことに「気づく」ことです。影が空から現れれば、、それは意織されます。これが我々が普段感じている「意識」なんです。そうです、、今感じている「意識」は、、空から起こっているのです。全くもってこの体から起こることはなく、、全部は空から勝手に起こっています、この意識が。この意識を捕まえて「自分」と表現するのが我々人間業界です。この体の中に「自分」がいるという発想はエゴ、自我ですが、、これは嘘です。

嘘を真剣に信じることで我々は、、詐欺師になりました。あの人、この人、友人、知人、、、全部詐欺師のことです。意識をこの体の中の「何か」と信じてい生きています。ですが真実は、、この意識は何かに収まるわけがなく、、完全な空からの現れです。だから見える現象そのものから気づきが起こっているのです。ではその空はどこにあるのか????言葉でこれを表現するのは不可能です。なぜならば空は形もなくスペースでもなからです。ですから頭で考えてイメージをしても全くもって実感はできません。頭では絶対にイメージできない存在だからです。

この影、、この色、、この現象が完全に自分自身であるという自覚が生まれますと、、、色即是空が起こる可能性があります。つまり空を実感するということです。この体は間違いなくその現象の一部でありこの体がこの認識を起こしているというのは完全に錯覚なんです。この錯覚を自我と呼びます。

幻想???

見える

外に綺麗な景色が広がります。。これって幻想ですか????幻想です、、、なぜか????移り変わっていきますね、、景色が毎秒ごとに。。。移り変わるということは、、今ある景色がどこかに消えたんです。どこに消えたんでしょうか????どこですか????空です。空に戻ったんです。雲が現れ、、光が消えました、、光はどこに消えたんでしょうか?????空です。だからこれって幻想と言います。

綺麗な景色

綺麗な景色を見ている時、、、自分が消えたんです、、ではその自分はどこに消え、、どこから現れたんでしょうか???????どこですか????空です。だから自分も産物、幻想です。自分が再び現れた時、、、、一体誰がそれに気づいたんでしょうか?????空から気づきが起きたんです。自分が現れでて気づきが起こります。自分が消えたんです、、、なぜそれに気づいたんでしょうか????再び自分が現れたからです、、自分という思考が現れたんです、、再び、、、その瞬間気づきが起こり、、あれ、、今まで消えてた、、、という気づきが起きます。

右を見ると右の景色が現れます。

ではその時、、、左の景色はどこに消えるのでしょうか?????どこですか、、収納箱でしょうか????空です。そこに消えるのです。この現れては消える動き、、、を色即是空、空即是色と言います。これが起こる時「気づき」が起こります、、必ず、、、、気づかないところで「現象が」はないんです。この「気づき」を我々は「意織」と呼びます。

生まれて死ぬまで

生まれて死ぬまで、、、「意織」がない時は、、熟睡時だけです。人類の全員がそうです。。。熟睡時以外は「意織」はあります。。つまり「意織」がある時「気づき」があり「気づき」がある時、空即是色、色即是空があるんです。我々とは「意織」であり「気づき」であり「空即是色、色即是空」です。この中に仮の「私」が現れ、、私ゲームをやります。ですがどこまでいってもこの動きの中です。

私という実在

この世界に「私」という実在はありません。「気づき」「意織」が私ですが、、、この気づき、意識を分解すれば「空即是色、色即是空」という動きです。この動きが私です。そしてそこまで理解が進みますと、、我々が空とう不変の自己であるという実感、動きの自己であるという「実感」が生まれ始めます。

空であり色、色であり空

我々は空であり色、色であり空です。色がなければ、、気づきは起きず、よって空の存在にも気づけない。空がなければこの色が現れず、、気づきも起きない。我々は無限の現れ(色)であり現れを生み出す空です。景色が全く何も変わらないのならば、、我々はその景色のみであり景色を生み出す存在です。ですが無限の変化がこの景色にはありよって、、我々は無限の現れであり、、現れを生み出す「無限の不変」です。

全ての事件を

エゴとペインボディで説明していく

全ての事件をエゴとペインボディの活動で説明していく、、、これは一つの悟り方です。。エゴ、ペインボディの博士になるのです。エゴ、ペインボディの博士は、、、、エゴ、ペインボディに無意識化で活動させるわけがない。。。。つまりエゴ、ペインボディを小さくするスペシャリストです。このスペシャリストは、、、自身のエゴ、ペインボディを小さくしながら、、周囲のエゴ、ペインボディも小さくします。

真実に触れる

エゴ、ペインボディの動きを熟知して見切り、見抜き、、彼らを抹殺する方法もあれば、、、、、真実に触れ続けて、、、エゴを忘れさせてしまう、、という方法もあります。どちらも彼らに餌をあげないという意味では同じです。。全く違う方法によるエゴ、ペインボディの餓死です。真実に触れる時、、そこには自我の情報が全くない、、、なぜならば自我は思考の産物であって、、本当は何もしていないのです。だから真実に触れれば自我を忘れます、、そしてあれ何のことを「私」って言ってたんだっけ???が起こります。

両刀使い

正直に言えばこの両方をマスターしないと悟りは起きないはずです。なぜならばエゴ、ペインボディに無自覚であれば、、彼らは無自覚化だからこそ、、、悟ったと利用するでしょう。。。悟ったエゴ、ペインボディを構築します。ですからこれは重要です。一方エゴ、ペインボディをいかに熟知しても、、真実を知らなければ小さいエゴ、ペインボディと付き合いが続く可能性があります。エゴの完全消滅にまで至らないでしょう。

苦しい時は

苦しい時は、、エゴ、ペインボディがどのような活動をしているかを確認します。苦しみがエゴ、ペインボディの活動を露わにします。平安な時は真実に触れて、、真実に親しむのです。真実に触れることで、、自我が実は居ないことを悟ります。友人から嫌なことをされた時は、、その行動の奥になるエゴ、ペインボディを見切るのです。こうやって一日中、真実に触れ、、エゴ、ペインボディに熟知すると、、、囚われから解放され、、悟りに向かいます。悟りが開きます。解放が待っています。

ありえない

教えてもらっといて

例えばあなたが儲かった株の情報を友人に伝えるとしましょう、、、、実はこの株で100万円儲かった。君も買うといいかもね!!!!とっておきの情報、、、それを聞いた友人は、、、私って株に興味がなくという嘘、、、これペインボディからでもエゴからでも説明ができる不幸行動です。私はとっておきの情報を既に教えてしまった、、、その情報をしっかりと聞いた上での無反応、、、、私は情報だけ取られて、、しかも感謝の一つもされない、、、、くやしい!!!!!になります。。。。なぜこんなことを?????ペインボディです。。ペインボディが、、一番相手が悔しがる行動を取ったのです。。。。そして友人のペインボディは大喜び、、私のペインボディも大喜び。。

お互いはヘトヘト

私自身はパニック、、混乱、、、このやろう、、と思考の渦に。そして相手に思い切り怒り、、友人は泣き出す、、、、私のエゴも、、友人のエゴも大きく肥大化し、、、ペインボディも肥大化します。私(エゴ)が友人Bに情報を与えることで、、友人Bのエゴは、、マウントを取られたと勘違いを起こしBのエゴは小さくなったと感じる、、するとBはマウントを取られないために、、、あえて嘘をつく、、、これもあります。どちらにして、、、この喧嘩のあとはヘトヘトの体が残るのです。

重要なこと

重要なことは、、、この戦い、、この争いを通じてお互いのエゴ、ペインボディの活動を見切るんです。見抜くのです、、、ペインボディの行動、、エゴの行動、、これを見抜きます。これによって見抜かれたエゴ、ペインボディは肥大化の術を一つ失うのです。エゴ、ペインボディの存在を自覚するのは、、彼らの活動を鈍らせます。彼らは、、無意識化、無自覚化でこそ、、、活動できるからです。

友人A

遅れて会に参加し早く帰る

ペインボディがどういうことをするか説明しましょう。友人Aは飲み会に遅れて参加します、、、そして食事やお酒を飲み、、、周囲よりも早く帰ります。お会計の話を自らしますが、、1万円しかないと幹事に伝えます。すると幹事は仕方なく今日はお会計は大丈夫要らないよ、、となるのです。これ、、真実ではどうなっているかお伝えしましょう。。。ペインボディが、、、幹事を困らせるためにやっています、、このやり方ではお金を貰うことが難しい、、このことを百も承知でやるのがペインボディです。

幸せな人

幸せな人ならば、、、相手がお金を貰うことを断っても絶対に両替でもして、、払います。相手が困るような行動は取りません。無自覚な顔をして、、相手が困ることをやるのはペインボディです。つまり友人Aの行動とは不幸、ペインボディがやっているのです。周囲を困らせ、、周囲から友人Aは嫌われ、、友人Aも困り、、、全員が困る、、、喜ぶのはペインボディです。

エゴ

エゴの動きからも説明ができます、、もしもエゴが動くならば、、、お金を一切払わなくても喜ばれる「私」です。エゴがエゴを大きくするために、、意図して遅れ、、意図して早く帰り、、、、スターを気取るエゴになります。これによってエゴは大喜びです。エゴを大きくするために意図してこれをやったのか、、もしくはペインボディが、、、混乱困惑というエネルギー欲しさにこの行動を取ったのです。

救世主

救世主はこの事件を通じて、、、ペインボディの存在、、エゴの存在をはっきりと見切ります。そしてこれを周囲と共有し、、この事件を通じてペインボディ、エゴの存在を露わにし、、、悟りに導きます。エゴ、ペインボディの存在は露わにされますと、、、動きを取れなくなり消滅に向かうのです。エゴ、ペインボディは、、、無自覚化で動き餌を食らうのです。自覚化されたエゴ、ペインボディは餌を捕食するための活動が難しくなり、、やがては滅びます。

ペインボディと「私」を剥がす

悪事を働いて

誕生日のお祝い、、みんなで太郎をお祝いしようよ!!!!誕生日当日、、太郎が大遅刻、、、、地獄、生き地獄、、、これは太郎のペインボディがやったんです。太郎がやったんじゃなくて太郎のペインボディがやったんです。なぜ???????太郎にとっては何一つメリットはなく、、周囲にも当然ない。ペインボディは太郎と周囲の不幸を餌にするからです。

そんなペインボディを

太郎は困惑する、、なぜ当日にそんなことを?????悩みに悩む、、、その奥でペインボディがガッツポーズをとる。肥え太る。周囲は太郎を大攻撃、、、太郎は悩む、、、その全てのエネルギーを太郎、周囲のペインボディが食べる。。。です。騙されてはいけない、、、悪いのは太郎じゃない、、ペインボディ、、です。太郎はペインボディを抱き抱え、、周囲はペインボディではなく抱き抱える太郎を責める。。

ペインボディを抱き抱える

太郎はペインボディを自分を勘違いして抱き抱えている、、、そして周囲もペインボディを大事に抱き抱えています。この複数体の活動がコミュニケーションです。周囲は太郎のペインボディの活動に迷惑をかけられ混乱しますが、、、責めるのは太郎です。ペインボディではなく、、、ここ最重要ポイントです。

全員がパニックなんです

全員が全員パニックなんです、、太郎の行動が理解できない、太郎も理解できない、、、周囲も混乱する、、でも太郎も周囲のペインボディもガッツポーズをとっている。そしてそのことに全員が気づいている。悪事に対して全員がガッツポーズをとる、、同時に苦しいが起こっている。全員がこの真実を知らない、、知らないから混乱する。となります。

ペインボディ

太郎を責めるのではなく、、、太郎のペインボディを責めるのです。責めるターゲットが違うんです。太郎はペインボディの存在を自覚し、周囲は太郎のペインボディの存在を通じて自身のペインボディに気づきます。太郎の事件は実はペインボディを発見するチャンスなんです。太郎のペインボディは大きく大きく育ってしまって手が付けられない状態にまでなっていたのです。この大きな大きなペインボディこそペインボディ発見の糸口になります。

部屋にいると

洗濯機の音

部屋にいます、、、洗濯機の動く音がします、、、そこに意識が向きます。最初は洗濯機、証明、鳥の声、、がしていました。。ですが洗濯機の音が大きくなることで、、周囲の音が消えます。洗濯機の音ばかりがします。。。その時その音だけがあります、、他は消えたんです。。。。。しばらくすると再び他の音が現れました、、意識が戻ったんです他に、、、その瞬間、、洗濯機、鳥の声、、外の工事の音が現れます。

今の気づきが全て

この視界、、この音、、、、、これが全てです、、気づきが全てです、、、気づき以外は何も起きていません。何も。。。。本当は360度あらゆる現象が起きていて、、、私はその中のこれを経験しているんですよね?????違います、、、全然違います。。。今の気づきのみが現象です、、、全現象の切り抜きではなく、、、気づくことができる現象だけが今起こっています。

後ろにも世界があって

ないんです、それが、、、後ろのベッドが見えないのならば、、、存在していません。もしも存在するならば絶対に気づきます、。。気づけない存在は存在しないのです。無我夢中になって「私」を忘れてましたよ!!!!いやその瞬間消えてたんです、想像上の「私」が。映画に夢中になって、、我に返るのに時間がかかっちゃって。。。。。いやその時間、、想像上の「私」は100%消えてたんです。もしも現れていたならば100%気づかれますから。