本質

自我

本質が分かってしまうと、、自我とはとても曖昧で面白い存在です。本質から起こる認識を全部自分の手柄だと言い張る存在それが「自我」です。本質は今もそこから気づき、認識が起こっています。この現象を現象と認識する動きが空からまさに今起こっています。この認識を「私」がしているという勘違いが起こります。友人との会話は、実は空同士の会話とも言えますが、、その表現も本当は間違いです。空から会話が起こっているということです。そしてそこに認識が自動で起こります。

どうでもいい

本質を理解できてしまうと、、他己評価、自己評価というのがどうでもよくなるんです。なぜならば勘違いの産物である自我って評価の対象でもないからです。評価の対象でもない存在同士の評価の仕合って何か意味があるのでしょうか????何度も説明します、、この気づき、この意識は「空から現象が現れる」ことで起こる現象です。この現象を我々は「私」と言います。

この体も世界も

この体もこの世界も今「空」から現れでた現象です。そこに気づきという現象が起こるのです。ただそれだけ。。そこにこの体の中に気づく「私」が居るという思考が湧くのです。この私を人間業界では個人、自分として扱い、、関係を結びます。本当はこの私とは「気づき」という現象のことであり、、この現象は「空」から起こっているだけなんです。

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