記憶
我々は現在に生きていると思っています。紛れもなく今現在に存在していると思っています。だって今にしか存在できないのだから。それは間違いありません。ですがちょっと気になることが、、、机もテーブルも、私も、、ソファーも全て「過去」が無かったら存在していません。過去を抜きにして「机」という知覚を「生み出す」ことができません。過去を抜きにして「私」も存在できません。過去を抜きにして「あなた」も存在できません。つまりこれらの全ては過去が生み出した投影です。
知っているもの
今現在、知っている「もの」に囲まれているならばそれは全て過去が生み出した「もの」です。ですから過去が創造主です。過去が主役の創造です。だから「退屈」という感覚が生まれます。だって全部過去に知ったものしかないのだから。じゃあ「今」に生きていないということですか???その通りです。今、過去が創造主になって投影を生み出すのです。だから退屈になります。
では
では行きます。どうしたら現在に戻ってこれるか?行きますよ。この現在は今この意識、この意志が今生み出しているという真実に目覚めるのです。今この意識が生み出しているのが真実だから、、そこに目覚めます。ここに過去に知った物物があろうとも、、全てこの意識が生み出している事実に立ち返ったならば、、、そこに気づきます。それが真実だからです。記憶が今過去の投影を生み出そうとも、、それも今意識が記憶となって生み出したのです。だから新鮮なんです。新鮮が基本なんです。新鮮でないならそれは事実が歪んでいます。
世界をがぶ飲みする
この世界を今がぶ飲みします。この意識がこの意志こそがこの世界を今生み出しているという事実に戻れば、、何が目の前にあろうともそれは今創出されています。それが真実です。この真実に気づいて「退屈」はあり得ないのです。だって事実今この意識、この意志が創出しているのですから。我々は過去の投影を生きて、、苦しみ、その苦しみを解消しようと快楽を求めます。ですが手に入る快楽の全ても過去の投影ですから、、退屈になります。快楽はなぜ毎度毎度必要かと言えば、、退屈が形を変えた刺激だからです。そっちに行かないでください。真実は半端なく新鮮です、真実は容赦なくフレッシュです。そこを忘れてはいけません。