この苦しみを終わらせることができるのは思考だと言い張る思考

今のこの苦しみ解決は思考に任せろと主張する

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見ている夢です。この夢の中に自身がいるという錯覚からこの夢物語はスタートしますがこの夢物語、ここに居るだけで基本苦しみが湧いてきます。湧くように設定されているのです。そしてこの苦しみをいかに解消するか?そこで出しゃばるのが思考です。我こそがこの問題を解決できるぜよ!と主張し問題解決に手を挙げて立候補します。結果思考が主導権を握り表面上は問題が解決されていきます。ところがです、また不足感、欠乏感、孤独感が湧いてきて次なる問題が発生するのです。そこでまた手をあげるのが思考です。前回は我こそが問題を解決した、今回も我に任せよ、そう主張して前回の実績を掲げながらさらに前倒しで主張してきます。結果この思考が大活躍してまたしても問題解決を図るのです。ところがです、またしても欠乏感、欠落感、孤独感が湧いてきて次なる問題が、、、、こうして人間の苦悩は延々と続くのです。

思考に問題解決を委ね続ける限り苦しみのループからは抜けれない

思考に問題解決を委ね続ける限りなぜ苦しみが解決しないかと言えば問題の本質を完全に見失っているからです。不足感、欠乏感が湧き出るメカニズムこそに思考がガッツリ絡んでいるのです。我こそがこの心身なりという思考、この思考こそが苦しみを沸き続けさせる根源です。この根源である思考が問題解決のためにフル回転する限り根元のメカニズムが解体するわけがないのです。問題が起きた時に思考に頼らない、むしろ一切の思考を使用しないで解決する方法を考えます。それが同じ動作のルーティンです。同じ動作、作業を繰り返すことで問題を解決させていきます。思考の出る幕を最初から遮ってしまうのです。

例えばダイエットであれば、、、

例えば体型にコンプレックスを抱く方は、、一日中ネットサーフィンをして自分を解決してくれる情報を漁ります。来る日も来る日も自分の問題を完璧に解決してくれるだろう情報を探し回るのです。思考フルスロットル、思考全開でこれらの情報に触れ続けていきます。結果そのような問題解決に至ってもまた新しい問題が湧き出てくるわけです。そうではなく1日30回ストレッチをすると決めて思いついたらやるを繰り返していきます。気づいたらストレッチ、気づいたらストレッチです。こうすることで一切の思考に頼らずに無心に入っていけます。どんなルーティンで今回の問題を解決するか?これを基本に問題解決を図るのです。思考を問題解決に最初から参加させない、これがポイントです。無思考な状態(至幸)で問題解決を図れば途中段階も至幸になれるということです。

夢の中で本当に目指しているのは戻ること

あらゆる欲望、目標は全てこの代替品に過ぎない

双対の世界に「私」は誕生しそこからこの私は色々と動き回っています。なぜかじっとしていられない、、、中から衝動が溢れてくるのです。退屈、暇、刺激が欲しい、安定が欲しい、認められたい、、何処かに属したい、、好きなことをしたい、、目立ちたい、認められたい、、、このような欲、目標が泉のように湧いてくるのです。どこまで行ってもこの欲がなくなることがなくこれを釈迦は「苦」と表現しました。この表現は人類で初めて真実を突き止めた人と称されるのは理解できます。ただし釈迦、ゴーダマシッダルータも夢の登場人物に過ぎないので人間ではありません。大いなる一つが人間錯覚ゲームをしているのですから不足感が湧くのは当然のことです。

自分がなぜここまで欲望につき動かされ続けるか分からない

希望の大学にさえ受かれば楽しくなるはず、希望の会社に就職が決まれば楽にらるはず、結婚相手が見つかればこの孤独感はなくなるはず、、人間はあらゆる目標を設定しそれが成し遂げられた暁には今の問題は消えてなくなると信じます。ところがそれが成し遂げられても一瞬で次の苦しみが襲ってくるから面白いものです。人間とはこのようにラットレースに乗せられ続ける存在なのです。それは私をこの体(人間)思考であると錯覚することからスタートします。

先ずは欲望に騙されない、、ここから深刻人生から脱却する

これは夢です、そしてその夢の中にいる時苦しみが湧いてきます。夢の中に自身はいるんだと勘違いし続けている間だけこの苦しみが湧いてきます。そしてその苦しみを解消するためにあらゆる欲望が湧いてくるのです。大いなる一つに戻る代わりにあらゆる欲望が湧いているのです。この事実から逃げなければもう欲望がそれを叶えてくれるとは信じないはずです。湧いてくる欲望に振り回されるのではなく欲望を通じて無心に入る、無思考に入る、もしくはこの事実を直視するという次元に入ります。

自我の完成は強烈なストレス生活の完成

自我が完成しストレスフルマックス

これは夢です、ワンネス(気づきの存在)が見る夢です。この夢を夢たらしむ存在、夢にとって絶対的に必要な存在、それが自我です。自分(自らを分ける)とは全体からの分離のことでありそれを維持するシステムこそ自我です。自我がなければこの夢物語は維持できません。自我が崩壊すればこの夢から覚めます。自我は幼少期、思春期、社会人、成人と、、、社会的役割が増えていくに従い強化されていきます。自我の完成とはストレス生活の完成なのです。本来は広大無辺である存在がこんな小さな体に閉じ込められ思考すらもその中に存在すると勘違いすることで不足感、欠乏感、孤独感を生み出すストレス発生装置なのです。

会社に行けば思考を使わなくていい

なぜ学校に行き、なぜ会社にいくのか?人間がなぜ起きている時間のほとんどを何処かに所属しそこで言われた仕事を、勉強内容をこなすことに費やすのか?それはそのほうが思考を使わなくていいからです。思考を使えば苦しくなります、そのため思考を使わなくてもいい環境に身に置くことを自然と覚えます。その究極の場所が会社です。朝から晩まで基本的にやることは決められていていかにそれを正確にこなすかを求められます。分業制になっていて其々が得意な業務に専念できる場合もあります。そういう意味では会社は人間のストレスを軽減してくれる場所とも言えます。

思考の暴走を自身で抑えることが出来たら

人間は考えれば考えるほどに自我が強化され先ほどの理論で苦しくなっていきます。思考フルマックス=ストレスフルマックスです。思考フルマックス=自我全開=夢没入=無我消滅=ストレスフルマックスです。思考の暴走がこの夢物語での快適不快を決めるのです、だとしたらいかに思考を止めるかです。何かに没入することでこの思考は止められますから基本人間の行動をルーティン化していきます。考える必要性をなくしていき決まったルーティンの軸を作っていきます。茶道、書道、剣道のように決まったことをルーティンでこなしていきます。反復することで何かを成し遂げていきます。すると無思考、無心、無我の感覚に自然と入れるようになっていきます。無思考、無心、無我とは大いなる一つ、ワンネスの状態、つまりこの夢から覚めた状態です。

強烈なストレス、、、それは夢だと気づくチャンス

毎晩見る夢でも絶対絶命の危機は夢から起きるチャンスのはず

あなたが毎晩見る夢の途中で、、絶体絶命の危機、強烈なストレス的状況、、、これは夢から覚めるケースあるはずです。夢から覚めちゃう時って、、幸福の極みではなく、、ストレスの極みが多かったりしないでしょうか。これって自我が強烈に緊張し、、緊張の極みから、弾ける、、陰が転じて陽になる、、陽が転じて陰になる、、自我が緩んで我(ワンネス)に返る。夢の中に自分から、、、、自分に返る。。。こんなメカニズムです。

この夢、ワンネスが見る夢でも、、、

主人公である私が絶体絶命のストレス状態にある時、もうどうでもいい、、こんな人生なんて終わってもいい。。こんな状態のとき、、自我が壊れてきています。強烈なストレスのエネルギーで自我が壊れる、、、これって要はワンネスが見る夢劇場が壊れる瞬間です。夢から覚めワンネス(主人公としての)がワンネスに戻る瞬間。主人公を主人公たらしむ自我がこの夢劇場のストレスで歪みが入り、ヒビが入り、ワンネスに戻る。

とは言え簡単にはいかない、、、

強烈なストレスがかかった時に自我にヒビが入ります。この心身こそが自分自身であるという思考を支えるエネルギーが弱まります。自我はそのまま崩壊するか、その状況を逃げるか、、、勿論逃げるケースが圧倒的に多い、、それが引きこもり、不登校、転職、廃業、など今までの行動を辞める自我の働きになります。ですがその逃げ場もなかった時には自我が崩壊しワンネスに戻る、、夢から覚める、、これが一瞥体験、気づきの一瞥、覚醒体験と呼ばれる多くです。

一生忘れられないような嫌味を言われても、、

夢の中での発言を気にするのはおかしい

これは夢です。ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢の中であなた(主人公)が他人(脇役)から一生忘れられないほどの嫌味、悪口、暴言を言われてしまったとしてもそれも夢の中での出来事です。そうしたのはワンネスです。脇役(他人)に何の自由意志もありません。だからこそムキになって言い返す必要はないのです、もちろん思いっきり言い返してもいいのです。ですがどちらも夢の中での出来事です。半沢直樹よろしく三倍返しにしても大丈夫です、ですがそれも夢です。

命を狙われたら

何かとんでもないトラブルに巻き込まれて命を狙われてしまったら、、、迷わず警察に通報してください、、、夢ですがやっぱり痛い思いはしたくないですよね。夢ですが痛覚はガンガンにあります。刺されたら強烈に痛いです。夢ですが。五感は全開です。夢ですが飲み屋で人に絡めば普通に殴られます、、、そして痛いです。夢ですが路上で猥褻行為をすれば普通に捕まります。そして普通に留置所に入れられます。

夢ではあるが、、五感全開

これは夢です、、夢だからといって全く寝ないで仕事したり、、長距離を無理して歩いたり、、三日間食事をしないなど無理をすれば普通に疲弊します。この夢はスーパーリアリティーショウ。五感全開です。自ら不快なことをする必要はないのです。

「自由意志はない」は本当?

夢の中のキャラに自由意志はあろうはずがない

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢のキャラに自由意志はあるのか?という話題はこのスピリチュアル業界では常に話題の的です。結論から言えばキャラには絶対に自由意志はありません。あなたが毎晩見る夢であなたの許可なく自由に発言する脇役、主役が存在し得ないようにこの夢、現象界と呼ばれるワンネスの夢において自由意志を持つ者などいるわけがないのです。夢ですから。だか今もこの瞬間に自由にこの文章を書いているこの「私」の自由意志をどう説明するのか?それは簡単です。自由に書いていると勘違いしている人間としての「自分」とワンネスがセットになっているのです。ワンネス即主人公です。主人公はさも自分が全て考えている、動いていると感じています。ただそれだけ。毎晩見る夢で散々やっている「あれ」です。

夢の中のキャラに自由意志はなかったが。。。。

「あなたに自由意志はないんです!!」喪黒福造の例のあのズバババ、、、並のインパクト。一気に自身を失うこの言葉。尊厳はないのか?価値が一瞬にして貶められているようです。ですが安心してください。キャラ(主人公)としては一切自由意志はありませんが制作総指揮(ワンネス)としては主人公の発言、行動どころか全部決めています、脇役のセリフまで全て。今もこうやってブログを書いている私(主人公)の全てを今決めています。だから自信をなくすのではなくむしろ自信をさらにつける必要があるのです。主人公だと思っていたら実は制作総指揮だった。。。というオチ。

自由意志はない、、、

これを書くとブログは一気に人気がなくなると言われています。やはり人間様にこの言葉を伝えるのはご法度なんでしょう。自由意志を取り上げられれた人間に何の価値があるのか?という話ですよね。これはこの夢物語では絶対に言ってはいけないNGワードです。舞台の上映中に主人公が脇役にこの言葉を言ったその瞬間、舞台の他の役者は凍りつきます。舞台中に絶対に言ってはいけない言葉なのです、、最も空気を読めない奴の言葉「あなたに自由意志はない」ですがこれは夢ですから、、、誰にも自由意志はないです。それでも自由意識はない。それでも地球は回ってる。

「自分は特別な気がする」は当たり前

特別も何もこの夢の主人公

あなたはこの夢の主人公です。この夢、ワンネスが見ているこの夢の主人公があなたです。ですからあなたが見ているこの現実、視界に広がる現象界においてあなた以上の存在はありません。あなた以外は脇役、チョイ役、いても主要キャラぐらいのものです。だからこそ自分こそ特別、自分だけは何か違うと感じるのは当たり前です。全員平等、全員が特別、人を比較してはいけない、、綺麗事は色々ありますが自分(主人公)以外は全て夢の登場人物に過ぎません。

主人公すらも夢の登場人物に過ぎない

この映画、夢はあなたの視界とセットで広がっています。あなたの聴覚とセットで広がっています。あなた目線、あなた五感で広がっています。ですから他の登場人物とあなたが同価値であろうはずがありません。あなたがいなければ他の登場人物は存在できないのです。だからこそ他の登場人物から何か誹謗中傷を受けても気にする必要はありません、所詮は脇役の主役への嫉妬です。あなた無しでは存在できない脇役の戯言など気にするほどの価値はないのです。ただしあなた(主役)すらもこの夢の登場人物でしかないことも事実です。

あなたを認識しているのがワンネス

今もこのブログを書きていると意識している存在がいます、私がこのブログを書きている、それを認識する、気付いている存在が間違いなくいます。食事をしても、仕事をしている時も、会話をしている時もそれを見ている、気づいている存在、それがワンネスです。この夢を見ている張本人です。この夢の主人公であり脇役であり、全てを認識する存在です。

思考の優劣という不毛な勝負から抜ける

人間ゲームは思考の優劣勝負

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢の中では登場人物は思考の優劣勝負を頻繁に起こします。偏差値勝負、学歴勝負、要領勝負、出世勝負など、、これはどれも思考の優劣を勝負しているようにも見えます。この思考勝負の弱点は思考こそがこの自分(主人公)を夢の中に閉じ込めるツールだということです。思考を駆使すればするほどに自身をこの夢に閉じ込めます。夢の中は不足感、欠乏感、孤独感を湧き出し続ける空間です。時間、空間の世界とは不足感製造時空間なのです。

思考は観念であり夢物語を書き換える

これは夢です、その中で思考はこの夢物語の書き換えを行います。この世界はこうなっているという思考はそのままこの世界、夢を書き換えていきます。ですから思考には力があります、思考とはそのような力があります。ですがこの夢物語に居る間は不足感が湧き出してきます。それがあらゆる欲望に代替され人間はその欲望を叶えるために動き続けるのです。どこまで行っても夢物語の中で至福に至ることは絶対にないのです。常に欲望を叶えるために動き続けるのがデフォルトです。

崇高な欲も下衆な欲も所詮はワンネスの代替品

これは夢です。そしてこの夢の中にいる限り不足感を湧き続けて生きていきます。この不足感はあらゆる欲望として代替されていきます。ワンネスが見る夢ではワンネスは人間に生まれ変わっているのですが同時に不足感を抱えます。広大無辺なワンネスがちっぽけな人間としてこの夢を生きるのですから当然です。そうなると人間はあらゆる欲望を抱えることになります、ワンネスの代替品を求めて日々動き回るようになるのです。その欲望は崇高なものから下品なものまで様々でしょうが全てはワンネス、大いなる一つの代替品に過ぎません。

時間の中で至福に至ることはない

時間とは夢の世界のこと

時間とはこの夢の世界の中でしか存在できません。時間とは記憶の世界、夢の世界でしか存在しないものです。夢の中にいるときに時間は存在します。夢から外れることができれば時間は存在しません。大いなる一つが夢を見ている、それがこの現象界です。時間の世界です。大いなる一つが人間という有限の存在と錯覚することからこの夢物語はスタートしますから不足感、欠乏感は常に湧き出てきます。人間という存在は時間の中にしか存在できません。ゆえに時間の中で至福はないのです。

将来幸福になるは不可能

多くの努力する人間の目標とは将来幸福になりたいです。幸福とは将来成し遂げるものであり今は幸福出なくともいつか幸福になる、これがほとんどの人の目標設定です。ですがこのほとんどはその目標を達成することができません。それは幸福とは時間軸の中で達成できるものではないからです。時間軸の世界は夢の世界のこと、夢の世界に存在する人間は=不足感製造機なのです。不足感製造機が将来幸福になることは絶対にありません。不足感製造機である人間が幸福になるためには人間であるという錯覚を解く以外にないのです。

時間から外れる=至福

時間の中に生きている状態で永遠の至福を手に入れることは絶対にありません。時間の中で手に入れることができるのは一時的な快楽としての幸福でありそれは時間の中で失われます。本当の至福とはこの時間から外れることであり夢から覚める以外にありません。時間を超えたところに戻る以外にないのです。そこで重要になるのはこの思考です、思考は自身を時間の中に閉じ込めるツールであり思考を使えば使うほどに時間の中に閉じ込められることになります。思考とは自我です。自我とはこの心身こそを自分自身と勘違いする思考であり思考を使うほどに自我は強化されます。

子供の頃はこれが夢だと覚えていた

子供はなぜ深刻ではないか?

祖父の葬式、祖母の葬式、、、こんな時でも小さな子供は一切空気を読まず楽しそうにしています。重苦しい空気を逆に不思議に思いながらも、むしろそれにも気づかずに遊び周ります。子供には理解ができないのです、この夢の中で深刻になるのが。目の前に広がる世界は幻想、夢であり深刻に慣れる要素は実はありません。だからこそ大人が深刻な顔をして将来を心配するその姿にピンとこないのです。ですがそんな子供も7歳ぐらいになる頃にはすっかりとその事実を忘れこの自称現実社会にどっぷりと浸かってしまうのです。その頃から子供の顔からは無邪気さが抜け重くなっていきます。大人の顔になっていきます。

深刻になるためには目の前の現象が絶対的真実だと思い込む必要があり、それには7年間を要する

これはワンネス、大いなる一つが見る夢です。そこから人間としてこの世に誕生するわけですが赤ちゃんと呼ばれる時期にはそのことをしっかりと覚えています。深刻になるという感覚をどうしても理解できません、勿論犬が怖い、大人が怖い、、、など心身の危険が迫った時には恐れを抱くでしょう。ですが絶対的深刻さは子供にはないのです。そこから子供は言葉をお覚え、知識を吸収することでこの夢にどっぷりと浸かり始め分離感覚を強固にしていきます。つまり分離を絶対視する、夢ではなく現実と呼び始めます。

自我が完成すれば大人、サバイバル能力は高まるが深刻さも高まる

夢であるのも関わらずこれを現実であるとハッキリさせるのは多くの知識が必要になります。知識を得ていくことで少年、少女は大人になり、、夢を現実と錯覚できるようになるのです。そしてその方がこの夢の中ではサバイバル能力が優れていきます。自分は自分、他人は他人、人を一切頼らない、頼れるのは自分だけ、、、強烈な分離意識は強く生きることはできますが同時に不足感、孤独感、欠落感を生み出し続けます。自身(ワンネス・完全・完璧・至福)がこの心身こそを自分と勘違いすれば不足感が湧いてくるのは当然です。