五感開発マシーン

この体

この体を五感開発マシーンとして捉えます、、、この幻想を最大限感じるマシーンにしてしまいます、、、この幻想は体験しかできない場所です、、、この体験だけが真実です、、事実です、、、だから、、、、この体験の密度を上げていきます、、、、そのためには五感の鋭敏さを上げていく、、、これしかありません、、、、ここから離れると思考に取り込まれます、、思考の甘い罠に取り込まれます、、、

思考はいつでも、、、

思考はいつでもフル回転待ちです、、、思考はいつでも刺激に満ちています、、、いつでも悩みたい、考えたい、、なんでもしたい、、、だからフルオープンです、、、、ですがここに入ると抜け出れなくなります、、、なぜならば簡単だから、、思考に入り込むのは、、、、五感を開くよりも、、、思考にふける方が簡単なのです、、、だから、、、、退屈が解消しない、、、

思考に逃げない、、、

思考にこの退屈を解消してもらおうとしないことです、、思考ができることは幻想を作り出し刺激を与えてくれるだけです、、、本当にこれだけなのです、、、、、退屈解消は実は全くしていない、、、こん真実に触れることとは全く関係がないのです、、、それが思考です、、、、真実は体験でしか味わえない、、その真実が今この目の前に現れています。。。

退屈に責任を取る

退屈がスタート

あれ????なんか暇だ、、、なんか退屈だ、、、なんかつまらない、、、、いつの間にか人間はこの退屈地獄に入り込みます、、、なんだかしらないが退屈、、、、これが普通でしょう、、、、ではなぜ?????退屈なのか????簡単です、、、この世界、、この無限の世界を感じる力が落ちたのです、、、ただ感受性が落ちたのです、、、それだけです、、、、

退屈ゆえに思考にふける

退屈だから、、思考にふけり、、、嗜好品にふけり、、、TVにふけり、、、スマホにふけるのです、、、全ては退屈がスタートです、、、退屈しのぎに、、、思考を利用するのです、、、、ですがこれは全て現実逃避、感受性逃避、、五感逃避です、、、これでは、、、益々現実は退屈になります、、、、

五感を開く

退屈故に、、退屈逃避をしていただけだった、、、、ただこの場所、、いまここが退屈だから、、、、何か夢中になれること、、何か意識を集中できることを探しているだけ、、、、これではいつまで経っても同じこと、、、いい加減、、、退屈と真っ向勝負をしなくてはならない、、、、、、そうです、、いまこの場所が大満足にならなくてはならない、、、今この場所に、、、ただ居るだけで、、、、大満足、、大充実、、、にする、、、五感を開いて、、、、五感を開く習慣を持つ、、、ただそれだけ。

退屈は五感が作る

五感が鈍れば、、、

五感が鈍れば、、全てが退屈に感じます、、何を観ても、、、感動が起きない、、、何を体験しても感動しない、、全部が全部予想通り、、、全部が全部想定内、、、、つまらない、、退屈、、、どうせこんなん、、、がエンドレスに続きます、、、、実際には実は五感が鈍り、、、思考が廻り、、、負のループを回っているだけです、、、、

体を開いていく

体を物理的に緩めていきます、、、体を物理的に浄化していきます、、、、、、見える世界が変わります、、新鮮さが出現します、、、感動が起きます、、、、なぜ???五感が鋭敏になっているからです、、、感動を感じるほどに五感が開いたからです、、、、チャクラが解放し、、経絡が開いているからです、、、、体に溜め込んだ感情というエネルギーが成仏しているからです、、、思考の無駄な回転が止まります。

真実に迫る

真実はこうです、、、全てが全自動、全反射、全無意識に、、起こります、、思考も感情も行動も全部が全部自動です、、これを感じれるまで体を開いていきます、、、この真実を体感でもって感じた時が悟りです、、、あ、、本当だ、、、全部自動で動いている、、、本当に何一つ、、、自分なんて存在は関与していない、、、ただ起こりが起こっているだけだ、、、、が理解できます、、体験できます。

メッセージを理解する体にする

言葉の限界

言葉での理解には限界があります、、言葉は、、音の連続に過ぎません、、、この音の連続で、、、悟りを理解する、、体感するというのはどう考えても無理がある、、、、、悟りとは、、、この音の連続が生み出す、、世界が嘘であるということの体感だからです、、、、悟りが圧倒的な体感であるならば、、、悟りを体感できる体にしてしまう、、、これが有効です。

体を開く

体を開きます、、、体の緊張を解し、、、、五感を鋭敏にしていきます、、、、野生動物は五感を鋭敏にしなければ、、、生き残れない、、、結果この世界をダイレクトに感じます、、、この状態が静寂です、、平和です、、、この世界をダイレクトに感じることができれば、、、至福、静寂、が押し寄せてきます。ですが五感が鈍れば、、、この世界をありのままに感じることが出来ませんから、、、退屈、、、になるのです。

退屈からの脱却

野生動物は至福の中に居て、、、人間様は退屈を生きる、、、、頭脳に頼っても退屈ならば、、、頭脳を使って悟るのは難しいでしょう、、、退屈を作り出す頭脳が、、、はたして人間を至福に連れていけるのか?????という話です、、、無理でしょう、、、そうではなく、、、野生動物のような五感を取り戻します、、、この五感の先に、、ありのままの世界を感じるという状態が待っています。。。。

一人暮らし

子供が一人暮らしを始める時

どんなに一人暮らしを憧れても、、、不健康であれば、、一人暮らしをしようとはならない、、、どんなに一人暮らしをしたくても、、、体が脆弱であれば、、、アクションを起こせない、、、つまり知識はそこでは無力です、、、これは悟りも同じ、、、、どんなに悟りの知識を増やしても体がそれに見合わなければ、、、、悟りは起き得ないのです、、、ですが悟りたいという思いが起こるのは、、、もうその準備が始まっている証拠です。

悟りたいが起こったら、、、、

悟りたい、、、、が起こったら、、、、もう体がそこに向かっています、、、自我の解放を体が求めているのです、、、そこで知識ばかりを増やしても難しい、、、なぜならば、、、自我によって守ってもらう必要がこれまではあったのだから、、、ですから、、、その時はさらに体を開きます、、、体が悟りに耐えうる状態にもっていくのです。。。不健康、心がどん底からの覚醒は非常パラシュートの稼働です、、大ピンチ自我プログラムの解体です、、、、これは全然違います、、、、

悟りに耐えうる体の構築

修行は必要ない、、、それを連呼する覚者も居ますが、、、、その人はたまたまそうだっただけ、、、どう考えても自我プログラムは体を守る必要性を持って維持されている、、、ですから、、、健やかにこのプログラムを解体するならば、、、体を健康に健康に開いていく、、、チャクラを第一から開いていく、、、気の巡りを一つ、一つ開通していく、、この連続です。

真実を知るものは、、深刻になれない

真実は人を究極なレベルで癒す

本当は何一つ、、、自由意志はなく、、、ただ起こりが起きているだけ、、、この真実が我々を待っています、、この真実に我々は最終的に吸収されます、、、、真実から逃げることは誰もできず、、、、この真実に向かって我々は生きているのです、、、この夢は最後は真実に吸収されるのです。

真実は、、、、一つ

この世界に真実以外のものは存在せず、、、構成要素は真実の一点です、、、この真実が、、、あらゆる形に変化し、、あらゆる体験を引き起こしているだけです、、、ですからこの世界で救済されない人は誰も居ません、、、その人を構成する要素が、、、真実だからです、、、、我々が救済される唯一の方法は、、、そこに気づくことです、、、絶対的体感によってこれに気づくことです、、、

真実は完璧なプロセスで、、ここに至らせる

真実は、、、完璧なプロセスで、、、ここに人を至らせます、、、自我は完璧なタイミングで解体され、、大我にシフトします、、、大我という決まったものはないのですが、、つまり我々は我々という認識が突然シフトします、、、小我は大我に吸収されるのです、、、完璧なタイミングで、、、、我々ができる唯一のことはそれが起きるのを待つことだけです、、、、完璧に起きる自我の解体を待つということしかできません。

面白いって何????

面白いは、、、ありのまま

日本はお笑い天国です、、、、TV番組を観れば、、、いつもお笑い番組が放映されています、、、お笑いとは何でしょうか????人が笑うのは何を感じているのでしょうか?????笑いとは、、、この自分が全くコントロールできずにことが進むことを諦めることなのです。。。。何年も準備して受験をしたら、、受験日を間違えた、、、、この人間の悲しい性こそが笑いです、、、実は何もコントロールできていない、、、ここに人間が触れると、、「ホッとする」そこに笑いが生まれる、、、、

何一つコントロールできていない

本当は何もコントロールできていないのです、、、本当は、、、どこまでも、、、その真実を垣間見ることで笑いが起きます、、、、何一つ、、本当はコントロールできていない、、、、、この事実は感じる力を上げなくては理解できない、、、、、この事実を感じているのは幼児です、、、、つまり、、幼児レベルに体を解放するれば、、、、この究極の真実を感じることができます。

なぜコントロール出来ているという勘違いが起きたのか????

分離した個人が「全てをコントロールしている」という勘違いが起きなければ、、、、全体を感じることはできません、、、全体は全体ゆえに、、、、分離しているという確かな感覚がなければ、、、この世界を構築した意味がない、、、ということになります。そういう意味では、、、徹底的な分離感、、徹底的な孤独感はこのゲームにおいて重要な要素であるということです。

徹底的な孤独感を癒してくれる

現在のお笑い芸人とは、、、この徹底的な孤独感を癒してくれる存在です、、、世の中って本当はこんなんですよ、、、という真実を、、、笑いというツールを通じて、、、表現しているのです、、、そんなに深刻になる必要はないですよ!!!です。みんな全然自分のことなどコントロールできていないじゃん、、と気軽な気持ちにしてくれるのです。もしもこれが真実でないならば、、、誰も癒されない、、、となります。

下部チャクラの不活性は、、、現実を退屈にする

退屈な野生動物は居ない

退屈に悩む野生動物は、、、この現実の世界では存在しません、、、、退屈とは人間特有の状態です、、退屈はどうやって生まれるのか????退屈は五感が閉じた時に起きます、、、、五感が閉じ切って、、、この幻想の世界を感じることができなくなった時に、、、退屈が襲っていきます。そしてその退屈を解消するために思考をフル回転するのです、、つまり妄想で満足しようとする動きが起こります。ですが野生動物にはこれが起きない、、、それはこの現実が全く退屈ではないからです。

五感を野生動物並みに

五感を野生動物のように開いていきますと、、、、このありのままの世界がありのままに見えてきます、、、ただ街を歩くだけで、、、、背景に光が輝くのです、、、白い光の中から物体が生まれるのが分かります、、味覚が研ぎ澄まされ、、、全てが美味しくなります、、、、、音に静寂が宿り、、、、、、喧騒でも静寂を感じます、、、全ての現象に神が宿るのです、、、これが悟りの階段です。

下部チャクラを開く

下部チャクラを開きますと、、、、この幻想の中の動きが大きく変わります、、、一番大きく変わるのは、、、この体という幻想です、、、この幻想が動くのです、、、、動き回りたいという衝動が起き、、、その動きは非常にシンプルです、、、そうだ、、、シンプルな動きこそが気持ちが良いという気づきも同時に起こるのです。そうだ、、、この地球は神の遊び場だ、、、、という気づきが起きます。。。。リーラです。今退屈ならば何も考えずに、、、下部チャクラを活性化させます。。。。たったそれだけで人生に活気が戻ります。

体はいつも全部を感じたい

自我システムの陰転

体は本当は野生動物のように、、、ノーストレスで過ごしたい、、、至福、静寂の中で過ごしたい、、、ですがこの自我OSシステムによって、、、体の安全確保が優先される、、、、結果、、、、思考に振り回され、感情に振り回されて、、、五感が閉じていく、、、、五感が閉じれば、、、、常に退屈、、、新鮮さが、、、この世界から消える、、、、新鮮さが抜け落ちた世界で、、、益々思考がフル回転し、、、刺激だけを体に与え続けるのです。

自我システムの功績

全部をありのままに感じたい、、、この衝動は全体から起こり続けます、、、、ですが、、、、自我OSシステムは、、そうはさせない、、、、、ところがこの自我OSシステムも、、、、全体から起きている、、、、ではこの目的はなんだ?????そうです、、、この世界(幻想)は全体から離れるという幻想が生み出しており、、、この幻想を生み出す大元は、、、、この体験を積みたくてこれを起こしているのです。自身が全体であるという認識が欲しくて、、、、分離体験が起こり続けているのです。

目的が分かったならば、、、、

そうです、、、悟ることが目的なのです、、、自分は全部だった、、、ただこれを経験したい、、、そのための分離体験、、、、ならば早くそこを体験しましょう、、、、、、目的はそれだけですから。。。。全体が、、、お金、名声、安定、称賛を欲しがるわけがない、、、なぜならば全部自分だから、、、、つまり、、、、、この衝動は、、、全体に戻るための、、、序章に過ぎない、、、、何を手に入れても満足できないという気づき、、からの全体への帰還、、、、、への衝動、欲求、、、、、、これだけが真の欲求です、、、、それ以外はそれに気づくための、、、、分離体験。

世界は私の中にある

これまで一度も世界の外になど居たことがない

この五感が掴んだ世界にしか我々は居たことがありません、、五感で感じた世界は、、、我々の世界であり、、この五感が感じていない世界は、、存在していないのと同じです。。事実我々は、、、、この五感が感じた世界に生まれ、、、今までこの五感で感じていない世界には住んだことがないのです。世界は我々の五感の中にあり、、そこ以外に存在しえないのです。

固定した世界は存在しない

固定した世界が先ずはあって、、、そこを我々の体が感じるのではなく、、、我々の感じたもの、、、=世界です。、、、世界は全くの幻想であり、、、固定した世界は存在しません。我々の五感=世界です。。。つまり五感を開いていけば、、世界はいくらでも変化します、、、我々の五感が全てです、、、、この事実をしっかりと捕まえて、、生きていきますと、、、世界は本当に素晴らしい、、この世界は無限の可能性に満ちているということが分かります。

幼児はそのことを分かっている

幼児が遊びに夢中になるのは、、全部が自分であることを確信しているからです、、、自分の中で蝶が起こり、自分の中でセミが鳴き、、、、自分の中で宇宙が広がります、、、この事実が分かってしまって、、、一体何をこれ以上求めるのでしょうか????この求めるという衝動自体が大勘違いから起きているのです。

体を開く

体を開きます、、ヨガ、ストレッチ、マッサージ、瞑想、鍼灸、、、、あらゆるメソッドを使い体を開きます、、、体を開くとは体の感覚、、効くという感覚に徹底的に寄りそうのです、、、、徹底的に効くに拘ります、、、すると徐々に体が開いてくる、、、、デトックスが進み、、体の流れが解放され、、、各経絡、各チャクラが、、整ってくる、、、、この時五感が鋭敏になり、、、世界が変わるのです、、、世界から退屈が抜け落ち、、鮮明になります、、、明晰になります、、、静寂、平和が訪れます。