下部チャクラを開く

思考は、、、上部チャクラ

現実が退屈だからと言って、、、、上部チャクラを動かし、、、思考にふけていますと、、、益々下部チャクラが、、閉じ込み、、、、、、バランスを崩します、、、、今、、、、現実が退屈なのは下部チャクラが閉じているからであって、、、その解決方法を上部チャクラに依存すれば、、、、益々下部チャクラが閉じ、、、さらに現実が退屈になるという負のスパイラルに入ります。現代人の多くはこのパターンです。

下部チャクラを活性化する

下部チャクラを活性化しますと、、、自然と動ける体になります、、、現実を切り開く力が湧きます、、、この現実(実は幻想)を切り開く力がつくことで、、、退屈から解放されます、、、、思考にふけるのはなんと言っても現実が退屈だからです、、、だからこそ、、、下部チャクラを活性化して、、、、この現実を動き回れる体にしてしまい、、、退屈から解き放たれます、、、、

退屈の反対が満足

思考ばかりが先行する、、この世界は、、、、退屈ゆえに起こります、、、退屈だから思考しよう、、、退屈だからせめて思考して刺激を作ろう、、、この連続です、、、、そうではなく、、、、下部チャクラを最初から活性化してしまい、、、、動ける体を手に入れます、、、五感を活性化して、、、、五感が鋭敏になり、、この世界(幻想)をしっかりと感じることが出来た時に、、退屈が無くなり、、充実に変わります、、この充実の延長線上が、、大充実=悟りです。

開脚という動き

下部チャクラの活性化には、、、足の開発が重要です、、脚という体の部位を徹底的に活性化していきます、、足裏マッサージ、、ストレッチ、、ヨガ、、なんでもいいので、、、徹底的に動かします、、癒着を剥がし、、、滞りを解消するのです、、、これによって、、、下部チャクラは活性化し、、、第一チャクラから、、順番に開いていきます、、、、すると五感が研ぎ澄まされて、、、退屈ではなく大満足、大充実が起きます。

最初に理解がある

なぜ苦しいのか????

なぜ苦しいのか???先ずはこの疑問、思考から始まります、、、そしてそれを毎日思考するわけです、、、なぜ???なぜ?????なぜ????そしてその探求が始まります、、、、ですがこの探求は多くの場合は非常に困難な探求になるのです???なぜか????それはこの苦しいの理由がさっぱり分からないからです、、、、そして多くの場合、、、それは、、、、、ワンネスがワンネスであることを思い出すことである、、、という結論を知ります。。。ですが、、、、じゃあ、、、、どうすりゃいいんだ???です。答えが分かったとて、、、、するべきことが分からない、、、、、

思い出し方を教えろ!!!

それが分かったとて、、、、どうやって思い出せばいいのでしょうか??????瞑想、ヨガ、座禅、マントラ、お経、、、、今度はそれが分からない、、、、、迷路地獄、、、、これを知識で解決しようとすれば失敗します、、、、なぜならば、、、知識は、、、、退屈を埋めるために発生したため、、、、知識は本当の意味での解決を図る道具ではないからです。。。。。真実を発見するのは体であり、、、体に真実を発見させます、、、知識は、、、、退屈を解消するための道具です。理解が終わったら、、、体で再発見させます。

目の前にある

真実は実は目の前にあります、、、今も真実しかありません、、、、今も悟っていて、、、、真実をありのままに見ています、、、ですがその真実は、、、、虚しい、、退屈を表現した真実ゆえに、、、、ここから逃げたいのです、、、自我システムという真実の表現の中で我々は苦しんでいるのです。。。。体の中に自分が居るという、、、この観念が真我の中で起こり、、、苦しみが生じます、、、、この観念からくる苦しみが体を蝕み、、その蝕みが、、、退屈を生じます、、、、このサイクルを断ちます、、、蝕みを強引に解消します、、すると、、、本当の真実、、静寂である真実が顔を出します、、、頻繁に顔を出すようになります、、、、静寂の真実が手招きします、、、

もう少し

静寂の真実から手招きが起き始めたら、、簡単、、、、ただ体の蝕みを解消していきます、、、体の感覚から、、そして理解をさらに明晰に、、、そしてまた五感を研ぎ澄ます、、、そしてまた深い理解を、、、、この繰り返し、、、、何かを手に入れる、、安定した暮らし、、常識、、、、これらは正しい五感の開発、深い理解によって勝手に起こります、、、、追い求めるのではなく、、ただ普通に手に入ります。

感情を解放し、、五感を高める

体に溜まった感情

体に溜まった感情を、、、エネルギーとして感じ、、それを成仏させていくことは、、、五感を高める最も大きなツールになります、、、東洋医学では、、、、、、陰陽五行の経絡上に、、、全感情が溜まっていくと考えます、、、、この感情を、、、、、マッサージ、鍼灸、導引、漢方で解放し、、、病気を治すのですが、、、これが全身の五感を変えます、、、視覚は木、味覚は火、触覚は土、嗅覚は金、聴覚は水、、、、となります、、、つまりこれら五行の狂いは、、この世界の狂いです。

この世界をどう感じるかは、、、五感に依存する

感情は五行の経絡に溜まり、、、感覚は五行の経絡に依存する、、、そして感覚がこの世界を作り出しのですから、、、世界とは健康に依存することになります。勿論感情を生み出すのが我々の観念でありこの観念の形成を理解することは大変有効です、、、ですが溜まってしまった感情を今処理することで、、、五感が変わり、、、世界が変わってしまうという事実に目を向ける必要があります。

世界は五感で出来ている

この世界は五感でできています、、、というよりもこの世界は完全なる虚構ですから、、、幻ですから、、、この世界とは実は実在しません、、、この体もしかりです、、、ですが、、、この体を使った経験、感覚は確実に実在します、、、、ということで、、、この感覚の鋭敏さが、、、、この体験の充実度にそのまま影響するわけです。

体は全部分かっている

大きなことはしない

体を休める、ストレッチをする、、マッサージをする、、塩風呂に入る、、、、どんなことでもいいのです、、、体を解放していきます、、大きなノルマを作って急激に変えようとしるのではなく、、、徐々に徐々に解放していきます、、、、、個人が好きな方法で合った方法で、、、行っていけばいいのです。

五感が鈍れば思考が飛び出す

五感が鈍り始めますと、、、、思考が湧きます、、、思考が退屈を解消しようとします、、、、ですがこれに乗ってはいけない、、、やばい!!!五感が鈍っているな、、、、と体に意識を向けるのです、、、変な思考が湧く時は、、、体の五感が鈍り始めています、、、、思考に逃げない、、、体に向かいます、、、五感が解放されればされるほどに、、、、幸福度がハッキりと高まります、、、

五感VS思考、、ではない

五感が鈍くなり、、、、退屈になると、、、思考が飛び出す、、、つまり思考は、、、、体のセイフティーネットです、、、、セイフティーネットに甘えないことです、、、、思考は退屈凌ぎの覚醒剤ですから、、そこに甘えてはいけない、、、あ、、やばい!!!五感が鈍っている、、、で体に戻るのです、、、、体の五感を開いていきます。

悟りを今日から感じる

悟りとは感じるもの

悟りとは頭での理解ではありません、、、思考で理解して、、、それで終わるものではない、、、徹底的な体感です、、、体感ですから五感で感じるもの、、、、今日この瞬間に悟りを少しでも感じたら、、、、次に進める、、、ではどうやって悟りを感じるか????簡単です、、、今この瞬間の満足度が、、悟りの満足度です、、、今、、、こうして部屋を見渡す時の満足度が、、悟りの感度になります。感じるをコントロールすることはできません、、、これが真実です。

寝不足で、、

寝不足が続いている状態で、、、、散歩をする、、、、全く楽しくない、、、なぜならば、、、五感が開いていないから、、、、散歩が気持ちが良い時、、、、五感が間違いなく開いている、、、、ここに注目します、、、散歩が楽しい、、、この状態に体を導きます、、、、散歩だけでも大満足、、、、五感は開き切っています、、、そこまで五感が開いた時に、、真実を受け入れる土台ができます。

全ては全自動で起こる

このメッセージは日常が大変過ぎる人には恐らく届かない、、、、メッセージを飲み込む、、余裕がない、、だから意味がない、、、、体を解して解して緊張を取り除き、、、、幸福度が完全に上がったっ時に、、、、このメッセージが届く、、、、その時、、、、全てが理解できる、、、、自動反応、諸行無常、森羅万象の動きが分かる、、、本当にその通りだ!!!と、、、、それがさらなる五感解放に繋がります。つまり究極の悟りです。

自我OSを必要としない体

守るために、、

この体を守るために、、形成された自我OSですが、、、これに頼り切った状態は基本苦しい、、、、体を守ることはできますが、、、、虚しさ、退屈に、、、常に襲われます、、、、なぜか?????この世界の真実を知らないために、、、全くの勘違い生活をしているからです、、、、、この体があって、、その中に自分が居て、、、この世界を生き延びる、、、、というのは勘違いです、、、ですから目指す先にある幸福が、、、全く違う場所にあるのです、、、、

空を見る

空を見る、、この一瞬の体験を、、、、最高に感じるか、、退屈に感じるか、、、ここが全てです、、、幼少期は、、、、空を見るだけで楽しかった、、、、、ですが今は退屈、、、なぜ??????なぜか?????五感が閉じているからです、、、五感が閉じれば、、、、体験が薄くなるのです、、、、唯一の真実、、、体感に、、、、思考が混ざり込み、、、、ありのままの真実に触れられなくなっています。

思考が混ざる????

思考が混ざるとは???つまりこうです、、、、、、考えながら、、、、カレーを食べると、、、、味がしない、、、考えながら、、映画を見ても、、、集中できない、、、、、、全ての経験は無思考になることで、、、感動が生まれます、、、、この逆転現象が起きているのです。。。。五感が鈍ることで、、、思考が周り、、、思考が回ることで、、さらに五感が鈍る、、、、という負のスパイラルに入っているのです。

退屈な世界???

多くの方がニュースを観てホッとするのは、、、、苦しいのは私だけではない、、、と思えるからです、、、だからニュースには、、、、暗いニュースが多いのです、、、、、ホッとできるからです、、、、ですが本当は、、、五感が鈍り、、、、全ての現象を、、、暗く感じる、退屈に感じる、、、、体になっているのです、、、世界をそう感じ取るのではなく、、、その五感こそが世界を作り出すのです、、、この世界は完全な幻想であり、、、、本当は感じることはできないのです、、、

感じることができない????

そうです、、、本当はこの体も、、、この世界も幻想であり、、、、感じる、、、がおかしいのです、、、ですがこの幻想は、、、、感じるために作られた故、、、、、感じることができる、、、、、無限という存在が、、、無限ということを「感じる」ために作られた世界なのです、、、、退屈も至福も感じることができるのです。

退屈を散々味わったならば、、、、

退屈を散々味わったならば、、、、、もう味わう必要はない、、、、、そしてこの体を健康に健康に導くことことで、、、、五感を研ぎ澄ましていくことで、、、自我OSが、、、大我OSにアップグレードされます、、小周天OSが大周天OSにアップグレードされます。

感覚という魔法

この世界は感覚でできている

健康に気を使う方は気づいていますが、、、この世界は自身の健康、不健康によって大きく見え方が変わります、、こっちの体調で感じ方が180度変わってしまいます。それほどまでに、、、この世界はこちらの感覚が作用します。健康に気を使う方ですらも全く気づいていない事実があります。それはこの世界はこちらの感覚だけで成立しています。決まった世界が先ず存在するのではなく、、こちらの感覚の中でしか存在したことがないのです。

つまり「感覚=世界」

世界が先にあって、、、その上でそれを人間がどう感じるか、、、ではなく、、、、、感じる=世界です。。。ですから、、、どう感じるかが、、、そのまま世界そのものであり、、、、こちらの感覚が全てを牛耳っているのです。。。。そしてもしこの世界が地獄だと今感じているのならば、、、感覚が地獄レベルに落ちている、、だけなのです。。。逆にこの世界が天国に感じているならば、、、感覚が天国レベルに高まっているということです。

感覚が高まる????

五感を高めていきますと、、、そのまま世界は高い世界に移り変わります、、、、五感とは体ですから、、、体の感覚を開いていきます、、、、すると、、、この世界はそのままに素晴らしくなっていきます、、五感で感じるのが世界ではなく、、、世界がこの五感で成り立っているからです、、、、体の緊張を取り除くことで、、、世界の緊張が緩むのです。体が緩み切った幼稚園児は、、「箸が転がるだけで楽しい」が起きます。

真実を知る

この世に蔓延している嘘を見破ります、、、我々人間はこの世に蔓延した嘘によって、、、緊張を強いられる毎日を過ごしています、、、、その嘘とは、、、、自由意志がある、、そしてそれをコントロールする自分が居るという嘘です、、、、これは嘘です、、、、ですがこれを「はいそうですか!」となる人は居ません、、、ですがこれは完全な嘘なので、、、その真実がいつか絶対に分かる日が来る、、、と信じて生きてください、、、「地球はそれでも回っている」、、、、この真実に向かって、、、生きるのです。

五感を取り戻し真実を知ると

五感を取り戻し、、、真実に向かって生きていきますと、、、真実が顔を出してきます、、、真実に気づくことが多くなります、、、、、なぜならば真実は一つであり、、そこが変わることはないからです、、、我々の五感が真実を捉えるその時に向かって、、、五感を開き切っていきます、、、思考は真実ではありませんから、、、あらゆる観念を持ち込みます、、あれはこういう意味では???これはこういうことでは????ですが真実はたった一つ、、、全てが全自動、全反射、ノーコントロール、諸行無常に、、移り変わるのみ、、、これを我々の体は最初から気づいていて、、、ただそれを忘れているだけです。

虚しいとは真逆

無限の現れ

今目の前に無限の現れが起こり、、、「私がそれを見た」が起きました、、、これは宇宙創造最大の目的であり、、これ以上の目的はここにはありません、、、、つまり、、、、我々は何かを見た、、、という経験こそが最大の恩恵であり、、それ以上の目的は実はこの世界には存在しないのです、、、、だから幼児は、、、、目の前の玩具に、、、、、夢中になり、、、、至福に至るのです。。。。。。。ですが大人は、、、、このおもちゃは私にとってどんなメリットがあるか????損得で思考し、、、、霧がかかった世界にいきます、、、、霧がかかった世界ゆえに、、、、探求を続けるのです。

全く何も見えていない

実は我々は全く物を見えていません、、、ありのままとは真逆な景色を見ています、、ゆえに、、、この世界は退屈だ、、、と感じ、、、、なんとかしてこの退屈な世界で、、、刺激的に生きれるかを探るのです、、、、ですが本当はこの世界は、、、、全てが神々しく、、、、それが見えていないということが、、、、この世界を苦しいと感じてしまう要因なのです、、、、、

今目の前に神が居る

幼稚園児が生きる世界は、、、神の鏡です、、、今神がそこに居ます、、、、、、、、ですが我々大人は、、、目の前に神が居ることに気づきません、、、、とんでもない不感症患者になっているのです、、、目の前の神に気づかない、、、鈍感人になっているのです、、、、、、、、幼稚園児は毎日が神の創造物で溢れています、、、、大人は、、、、体が鈍り切り、、、、目の前の神に気づいていないだけなのです。

体を解放する

幼稚園児と、我々大人の決定的違いは何か??????体が鈍感になってしまっているのです、、、感じる力が落ちているのです、、、、目の前の神に気づかないぐらに鈍感になっているのです、、、だから体を解放します、、、、積極的に体を緩めます、、、、緩めることで体を強くします、、、、緊張による強度ではなく、、、緩め切った状態からくる強度を高めます、、、、すると、、、、今を感じる力が増えます、、、目の前の神に気づきます、、、、これが悟りの道です、、、、ありのままに感じる、、、、ありのままに生きる、、、ありのまま。

ありのままに感じるために

全自動

全てが全自動である、、これもありのままに感じるツールです、、全てが全自動であることを理解することで、、ありのままに見やすくなります、、思考が湧いてこなくなります、、感情が湧いてこなくなります、、幼稚園児はこれが分かっています、、、全てが全自動であることを、、、思考、感情、行動をコントロールしているなど考えていません、、、、だから今を感じています、、だから今を感じまくっているのです。。。。

試しに

スポーツすると食事が美味しくなります、、マッサージをしてもらうと、、ただそれだけで幸せになります、、、ヨガをすると、、その後のお酒が美味しくなります、、、感覚は体の影響をダイレクトに受けるのですから、、、これを突き詰めます、、、収縮したエネルギーを全解放していきます、、、感覚がどんどんどんどん鋭敏になっていきます、、、原始感覚が蘇ってきます、、、すると、、、、何もしなくても幸せ、、、という悟りの階段を登り始めるのです。

この世界は幻想だから

幼稚園児は感覚が全開です、、、だからといって彼ら彼女らは、、、何もしないなどあり得ない、、その感覚を使って、、、感じまくっています、、、ボールで遊び、おもちゃで遊び、、毎日感じまくっています、、、毎日が変化、変化、変化、、、これです。。。この世界が幻想で、、、この幻想は幻想故に退屈なのではなく、、、この幻想は感じまくれる人にとっては天国です、、、感じれない人には地獄、、、感じるとは全緊張を解放し、、感覚を鋭敏の局地にすることです。

幻想は、、体験の場所、、

この幻想は幻想ゆえに、、体験しなければ、、地獄の場所になります、、、ですが一方で我々は毎日体験しかしていません、、、部屋に居るのも体験です、、、ということは、、、この体験の濃度が充実度を決めるということです、、、体験の濃度とは、、、感じる力です、、、感じる力が最大限か最小限かによってこの世が天国にも地獄にもなります。

小我とはブレーキ、大我がアクセル

ブレーキを解体する

子供が大人になる過程においては、、、自身を守るという意識がどうしても必要になります、、、財布を持ってお店に入れば、、、財布を盗まれないように、、、「自分の財布」という意識が必要になります、、これが自我形成の目的です。守る、守る、守る、、、、車でいえばこれはブレーキ、、、ブレーキが無くては車は直ぐに壊れるのです。。。。ですがこのブレーキばかりを踏んでいますと、、、車が全く前に進まないという状況になります、、、これが苦しみです、、、、何かをスタートしようとしても、、、ブレーキが直ぐに踏まれていまう、、、人生が退屈の局地になっていきます。

頑張るが、、、、ブレーキから起こる

よし毎日、、ランニングしよう、、、、これがブレーキ(小我)から起こります、、、ブレーキがランニングをするのですから、、、何も何も進んでいる気がしない、、、、そうです、、、、見た目は進んでいても何も起きていない、、、ブレーキですから、、、、、ではアクセルである大我を働かせて、、、、無理です、、、ブレーキがかかってしまっているからです、、、

大我(アクセル)はいつでも踏まれている

アクセルは常に常に踏まれているのです、、、全員がこのアクセルの中にいますから、、、アクセルは実は全開なのです、、、ただブレーキが踏まれてしまっている人が多い、、、だからこのブレーキを剥がすだけでいい、、、ではどうしたらいいか????体の緊張を物理的に解体するのです、、筋肉を解してしまう、、、筋肉という緊張、、収縮したエレルギーを物理的に解放するのです、、これが完全にブレーキです、、ブレーキの物理的現象です、、、この現象をそのままで解放します、、小我というブレーキが効かなくなる、、小我というブレーキが忘れさられる、、、、大我(アクセル)全開になっていきます。