これからどうなる?

多くの方は心配に意識を向ける

これから世の中ってどうなっちゃうんだろう???多くの方は将来に対しいネガティブなイメージを湧かせます。残念!!!この世界はあるがまま、大いなる一つの表現の場所ですよ、無限の存在のアートの場所で何を憂いているのか??おかしくないですか、、、この大宇宙を作り出した存在の表現の場所にも関わらず何を憂いているのか???です。

この大宇宙で小さく考える矛盾

この大宇宙は常に変遷膨大しているわけですが人類が考えた常識が来年も通用するって逆におかしすぎるわけです。この地球の中に常識って何なんだ、、という話ですし、、この日本の常識って何なんだという話です。宇宙は常に動いていて太陽系も動き続け、地球も動き続けているのです。この体を生きるばせるために小さく小さく考えて生きるって虚しすぎるわけです。

たった一つのエネルギー

宇宙がどんなに広大無辺であろうと、、、今ここにあるエネルギーが全てです、ここ以外にエネルギーは存在しません。ここ以外に宇宙は存在しえないのです。もしもここ以外に宇宙が広がっているならばここはたった一つのエネルギーではないことになります。ここは部分ではなく全部です。今私がいる場所が全部です、そしてこの私も実は存在しません、私という分離したエネルギーは存在しえないからです。

スピリチュアルについて

ゲームとしては確実にある

スピリチュアルについてノンデュアリティはどのような見解を示すのか????先ずこの見える世界はあるがままのアートです、あるがままとは無限です、無限が作り出したアートですから何でも起こる可能性を秘めています。オーラ、チャクラ、透視、宇宙人、アセンション、パラレルワールド、、、何でも起きえるのです。なぜならばこの世界は無限(あるがまま)のアートだからです。前世ってあるんですか???輪廻転生ってあるんですか????何でもありえるのです、無限のアートでは。

マリオゲームでは何でも起きえる

マリオはマリオゲームのキャラです、マリオゲームは40年間であまりにも変化進化しました、、ゲームのルール、映像、音響、何でも変わりました。これはこの世界も全く同じです、、何でも起きえるのです。五感を超えた世界がこの世界には起きえる可能性を持っています。風水、パワースポット、気学、易学、、、全部スーパーマリオの進化と同じで何でも起きえます。

解放の仕方は無限大にある

このやり方でしか解放は起きない、悟りは起きない、目覚めは起きない、、、これでは無限の世界ではなくなってしまう、無限のアートではなくなってしまう、、この世界が。ここは無限のアート、無限の投影、無限の鏡ですから、、、何でも起きえるのです。ヨガでしか、瞑想でしか、マントラでしか、座禅でしか、、、悟りは起きない、、なんてことは絶対に絶対にありません。

成功はない、なぜならば幸福にならないから

この世界には成功は存在しない

成功って幸福とセットでないと意味ないですよね、なんのために成功するのだとしたらそれは幸福になるために決まってます。だからこそ成功→幸福が成り立つわけです。ですが人間はこの中に自分が居ると認識している限り幸福にはなれませんからつまり成功もないのです。一億円の年収、タワーマンション、社会的評価、この先に人としての幸福があるならばそれは成功ですがそれはないのです。

では我々は何を目指して生きればいいのか???

それは悟りです、解放です、目覚めです、、、目指すと言う表現は危険ではありますがそこに最終ゴールがあることは理解するのが大切です。そこに向かって毎日毎日頑張るというのはこれは今までの目標達成と同じになってしまいますから気づきが起きるのを待つのです。自由意志は本当はありませんからそこにベクトルが向き続けるかは分かりません。ですがそこにゴールがあることは理解しておくべきです。すると苦しいが起きた時にそのことを毎回思い出すことになります。

ゴールがハッキリすると、、、

ゴールがハッキリしますと苦しいが起きれば原因が分かります、全ての苦しいは実は自分が居るという思い込みから来る苦しみの変化した姿でしかないのです。ですから何か嫌なことがあっても全部実はそれが原因です。友人からキツイ言葉をもらった、、だから苦しい、、ではないのです。日々苦しいが湧いていてその状態に厳しいことばを貰ったから苦しいのです。順番が違うのです。

自分が存在する苦しみから解放されると

これから解放されますと、、、友人からの嫌味も罵詈雑言も何もかも響かなくなるのです。なぜならばデフォルトが苦しくないから。デフォルトが苦しくないのですから何を言われても一過性の感情しか湧き得ないのです。我々はデフォルトで苦しいが湧き続けそこに苦しいが足し算されることで対象を憎んでいます。ですがフラットに苦しくなければ一時的な感情は波のように消えていきます。

桜木花道の中には自我が確実にある

人気漫画の登場人物には自我が存在する

なぜ人気漫画は泣けるのか?なぜ人気漫画は興奮するのか???それはキャラクターの中にしっかりと自我を認識できるからです、、こんな時桜木花道だったらこんなこと言うよね!!です。これが確立しないアニメは全く人気がでないのです、、、キャラがブレブレで、、全く信憑性がない、、、そもそも漫画のキャラに自我など存在しえないわけですから言動で自我があるかのようにやってくれないと困るのです。

自我があるかのように無意識に行動していく

矢沢永吉は矢沢だったらこんな時どうするか???と考えて矢沢を確立していきます、、本当は居ないのです、、、ですが世間が求める矢沢を一生懸命演じるのです、、、まるでスター矢沢永吉が実在するかのように。これをみんなやっているのです、、親が求める自我を育てていくのです、両親が期待する、仲間が期待する自我を育て上げていくのです。これを人間はやっていくのです。

仕事場では仕事場の、仲間内では仲間内用の自我を作る

両親が期待する自我と就職した職場が求める自我が全く異なる時、、苦しいが際立ちます。そんな自我用意していないんですけど、、です。ですが家に居ても家用の自我は100%存在しますから結局は苦しいのです。自我は本当は無いのですから、生き延びるために方便として成長させてきたこの自我をどこかで見抜かなくてはならないのです。

矢沢永吉を辞めた矢沢永吉は楽になる

矢沢永吉が矢沢永吉を辞めると楽になるんです、だって本当は存在しないんですから。そして自我が自我を辞めると楽になるんです、だって自我って本当は無いんですから、思考の産物ですから。このことが分かってくると人生ってシンプルになるんです、だって死ねば自我は消えます、最終的には全員が至福に帰るんです。どうせ死んだら至福に戻れるならば、、今ここで至福に帰ってもいいんです、自我って100%存在しないよね!!が分かれば至福です。

素晴らしい人生?

人生がなかった!?

私の人生は良い人生だった、、誰でもそう感じて寿命を迎えたいものです、ですが実際には人生ってないんです。人生が存在するためには人生を歩む自我が必要になるんですがそれは実際にはありません、空想、妄想、幻想としては100%存在します。思考としては100パーセント存在するのが自我です。ですが真実においてはないのです、そんなエネルギーは存在しないんです、なぜならば世界はたった一つのエネルギーしかないからです。

コーヒーカップも、時計も、自我も存在しない

コーヒカップという独立分離した存在は本当はないことを皆知ってますよね、、だって元々は陶器であり陶器の原料は土です、そして土の原料は火山灰だったりします。ですから無いんです、本当はそんなもの。時計も金属の集合体、金属は元々岩の中の材料でしかない、、だから時計なんてものは存在しません。つまりこの世界に独立した何かなどないんです。自我とはこの体の中にあるとされる想像物です、ないんです本当は。

だから人生はない

コーヒカップの人生、、、これはディズニー映画の話です。時計の人生、、これもアニメーションの話です。この体の人生、これもアニメーションの話なのです。コーヒカップの中に間違いなく思考を操る存在が居るはんずだ、、、となってもコーヒーカップ自体が本当は土の塊でしかないのでそれはファンタジーです。人間の体という本来は全く独立していない存在の中に思考が湧き出しこの中に自由意志が居るはずだというファンタジーを作り出したのです。

人生がないとして

人生がないなんてなんて空いんだ、、だとしたら何のために生きるのか????違うんです、、人生がないことが分かってしまったらこのような質問は出るはずがないのです。究極の至福からこのような質問は出てこないのです。空しさを作り出している自我が、、この質問を投げることで生存を図っているのです。我々は何も考えず真実に触れていけばいいのです、するとどこかで真実が思考のファンタジーを再吸収します。

目の前のコーヒーを飲む

真実の話をしよう

目の前のコーヒーを飲みます、、、、真実の説明と概念の説明を分けて考えてみましょう。目の前に景色が見えます、、これは真実です、、今目の前の光景、これは真実です。ですがその光景の中にコーヒーカップ、テーブル、おしぼりという独立した存在は実在しません、これは概念です。次にコーヒーカップを口に含みコーヒーを味わいます、、味がする、、、これは真実です。。。味がする、、という言葉は概念ですが、、、ある経験が起こることは間違いなく真実です。口の中を液体が通ります、、、口の中を液体が通るというのは概念ですが経験が起こったのは真実です。

コーヒーの香りがする

コーヒーの香りがするという表現は概念ですが、、ある経験が起きたのは間違いなく真実です。お腹が膨れる、、、お腹が膨れるという表現は概念ですが、、、ある経験が起きたのは真実です、、この経験に基づき、、お腹が膨れた、、、という思考が湧いてきました、、これは真実です。コーヒーを飲み終えることでカップが空になりました、、、この表現は概念ですが、、この景色は真実です、、、その真実に基づき、、コーヒーカップが空いたなーという思考が湧くかもしれません、、それは真実です。

気分が良くなる

コーヒーを飲み終えることで気分が良くなるとしましょう、、この言葉は確実に概念ですが、、、何か経験が起きたのは真実です。ある経験が起きた後に、、、コーヒーって気分が良くなるなーという思考が湧いたとしましょう、、、これは真実です。このように真実と概念は全く異なります。真実には言葉がないのです、、、ですが経験として確実にあります、、、、言葉はどこでも概念です、、、言葉が連なるような事実は全く起きていないのです、、言葉はどこまでいっても真実を指し示す方向指示器の域を出ないのです。

小学校卒業時のクラスメイト

あの時のみんなは今

それぞれの人生があってそれぞれの道を歩む、、もう二度と会わない人もいるでしょう、、、卒業式の先生の言葉、、、実際に今みんなは何をやっているのだろう????ふと思う瞬間があります。みんな子供が居て忙しくやっていたりもしくは専業主婦になってのんびりやっているんだろうな、、、です。ところがこれは概念、思考、想像です、真実は全く違います。真実は誰も存在しない、です。

今この瞬間に存在しない人は宇宙に存在しない

今ここに当時のクラスメイトは居ませんよね、、その場合、、、そのクラスメイトは宇宙に今存在しません、当時の先生も、クラスメイト全員が宇宙に存在しません。今宇宙に存在するのは今見えている人だけです。嘘だろ????なわけない、、地球だけで80億人が居るんだけど、、、居ません、、、居ないんです。いまここにないエネルギーはないんです、いまここにたった一つのエネルギーがあるのです。たった一つです、もしも見えない場所にクラスメイトが居たら、、いまここのエネルギーはたった一つではなくなってしまうのです。

もっと深い話

今目の前の友人と話をしています、、、、友人が考え込んでいます、、、何を考えているの????大谷翔平の移籍先についてずっと考えていたんだよ、と答えるとしましょう、、、、本当でしょうか???これは真実ではありません。友人がもしももしも大谷翔平について考えていたのならば、、その思考に気づくはずです、、誰が?気づきの意識です、、気づきの意識が気づかない現象(思考)は存在しないのです。つまり友人にはそのような思考は湧いていないのです。

気づきの意識が気づかない現象はない

「明日吉牛食べよう!」こんな思考が湧いたとしましょう、、、なぜこの思考は認識されたんでしょうか????それは脳がそのなっているからだ!となります、、、違うんです、、気づきの意識がそれに気付いたのです。脳というのは幻想としてはありますが、、実在はしていないんです。気づきの意識がその思考に気付いたからその思考が認識されたのです、、「私」ではありませんよ、気づきの意識です。

なんであの人はあんな人生を歩むのか??

実は勝手に起こっている

毎日疲れ果てはスーツを着て顔が死んでいる人が居ます、その人に私は毎日通勤途中に会うとしましょう。その時に感じること、なんであの人はこんな人生を受け入れているんだろうか???です。なぜあの人の自由意志はそれを受け入れているのだろうか????となりますが残念ながらその疑問は真実を取り間違えています、真実はその行動が勝手に起こっているのです、もしもその人になぜそんな生き方を受容しているのか??と問えば日本の経済事情を考えて受け入れていると、、答えるかもしれません、、だとしてもそのまさに思考が勝手に湧いているのです。

だとすると、、、

だとすると、、そうです、、他人の心配は全くする必要がない、、です。なぜそのような行動をとるのか???それは勝手にその行動が湧いているだけだからです。思考も行動も全自動で湧いているのですから、、深刻に捉えるべき現象はこの世界には皆無なのです。絶対に絶対に潰れる立地にラーメン屋を出す人がいる、、、ですがなぜ???は愚問なのです、、その人にも全くわからない、、さらにその人も実在はしないのです。

世界はただ回っている

地球はなぜ回るのか????そこに意図はないんです、それと同じように人間の行動にも一切の意図がないのです、、あるのは後付けの思考です、、その思考も勝手に起きるのです。こじつけの思考が起きます、しかも自分という存在ありきの思考が勝手に起こるだけです。なぜ地球一周旅行したの????それは子供の頃からの私の夢なんです!という後付けの答えが勝手に勝手に湧いたのです、、、真実、事実は、、ただその衝動が起きたのです。

ピカソすらも

なぜピカソは絵を描き続けたのか????それが勝手に起きたのです。なぜゴッホと違ってしっかりと売れるようなプロセスを踏めたのか???それが勝手に起きたのです。でもピカソはインタビューで言うかもしれません「絵をどうしても売りたかった、しっかりと歴史に残る画家になりたかったんだと」だとしたらその思考が勝手に湧いたのです、、、そしてそれをそう仕向ける自我など全く存在しないのが真実です。

なんでそんなことやったの??

この問いで自我が形成される

コップを割る、、、なんで割ったの???注意をされます、母親から。本当は勝手に手が動き勝手に割れたのです。でも母親からはなぜ???と問われる、、それで、、不注意で、他のこと考えてて、、、という思考が湧きます。この流れです。本当は勝手に手が動き勝手に割れたのが事実です。コップを割った犯人は居ないのです、この体が勝手にそれをやりました。

なんで万引きしたんだ????

スーパーの店長は万引きした人に必ず聞き出すでしょう、、なぜ????すいません出来心で、、、こうなるでしょう。ですが本当は勝手に万引きしたい、、が湧き、、勝手に手が動く、、、この流れです。そこにそれを扱う自我は存在しないのです、、勝手にそれが起こったのです。だから無罪放免した方がいい、ということではありません。真実と概念は違うということです。

相手に理由を聞く無駄

なぜ浮気したの?なぜ学校をさぼったの??なぜ????この質問には、、相手の中にその人の行動を決めることができる自我が存在することを大前提にしています。ですが本当は自由意志はないし、その自由意志を扱う自我は存在しません。ここを理解しないと365日架空の自我を考えて生き続けなくてはならなくなります。人間ゲーム、自我ゲーム、渡る世間は鬼ばかりゲームになっていきます。

一日中の思考を観察する

ほぼ自分ありきの思考が湧き続ける

1日の思考を観察してみてください、ほぼ自分ありき、相手ありきの思考が湧き続けているはずです。自分という存在、相手という存在が実在しているかのような思考が湧き続けています。これはもう完全にストーリー、ゲーム、幻想の中に入り込んでしまっている証拠です。マリオがマリオありき、クッパありき、ピーチ姫ありきの悩みを抱えている状態です。マリオ、クッパの中に自由意志を所有する自我が存在するかのような悩みです。本当はマリオもクッパもノコノコも自動運転です。

自由意志はない、を徹底する

我々は何十年間も自由意志がある、、、を前提に生き過ぎてきました。ですから相手が何かアクションを起こせば相手の中の自我が自由意志を行使したと思うわけです。そして私がそれに反応した時も「自分」がそう判断したと思うわけです。この思い込みが全てです、本当は自由意志も自我もなく、、ただ思考が湧き上がっているだけなのです、そしてその思考は湧き上がると同時に気づかれます、気づきの意識に。

あいつ、こんなことやりやがって!!、、、いや待てよ。

あいつこんなことやりやがって、、、、待てよ、、、、そうか自由意志はないわけだから、、あいつの体を通じてそれが起こっただけだ、、、それをあいつはコントロールできないし、、そもそも自由意志がないのならばあいつすら存在してない、、、、こうなります。全部の行動がこのように再構築されるのです。これはトレーニングです。何度も何度もこれを練習するといつか相手の中に自我を想像しなくなります。