苦しい、、が悟りを開く

楽しいが悟りを閉じる

苦しい、、この感情を人間は嫌います。当然です。いかに苦しいから逃げ続けるか、、ここが勝負です。ですがこの苦しいから逃げ続ける限り悟りは開ません、この人間ゲームのカラクリに気付けません。生きていると湧いてくる「苦しい」この感情はどこから湧いてくるのか?この苦しいは「自分」という存在、この体、思考、感情を自分のモノとするこの存在がどうも関わっている、、、大人になると苦しいから逃げる手段を覚えますがどうやらこの苦しいは子供時代よりも大人になってからの方が激しい。自分という存在は記憶に依存しています、記憶がなければ自分は維持できません。苦しいは実はこの記憶に維持された自分から生まれそしてこの自分を壊してくれる可能性を秘めています。なぜならばこの苦しいは「自分」がこの世にいる限り延々を湧いてくるからです。「苦しい」は自分が解消されるまで木っ端微塵に壊れるまで追いかけてくる核弾頭魚雷のようなモノです。

「苦しい」から逃げ続けれると思ったら大間違い

「苦しい」は核弾頭魚雷のように「自分」がこの世から居なくなるまで追いかけてきます。自分とは記憶が支えていますから経験を積めば積むほどにこの自分は強化されます。そして自分が大きくなればなるほどに「苦しい」という核弾頭魚雷も大きくなり追いかけ続けてきます。「苦しい」は「自分」が生み出しそして「自分」が木っ端微塵に壊れるまで追いかけてくるという恐ろしいメカニズムです。釈迦はこの世を「苦」と見抜き、キリストは人間を「原罪」と表現したのはこの理由です。人間とは自ら核弾頭魚雷を発射しそれに追いかけられるというギャグのような仕組みを作りました。ただこれを裏で操るのは全存在、神です。そして苦しんでいるのも人間という形に成り切る、遊ぶ神です。人間も神、苦しみの感情も神エネルギーです。

何もない

この世は神エネルギーで全部できています。見える世界の全て、触れる世界の全て、匂える世界の全て、味わえる世界の全てはたった一個のエネルギー神でできています。そしてそれを感じる人間の体も当然神でできている、この体が湧き上がっているように感じる思考も感情も全て神エネルギーが振動数を変えたモノです。この神エネルギー以外のモノはこの世には存在していません。もしもこのことが腹落ちしますと突然自分が居なくなります、全部になります、神エネルギーそのものになります。そこには分離は一切なくただ揺れ動く神エネルギーだけがあります。この体を自分と思い込むのも神エネルギーです。自我も神エネルギーだった。。。何もない。。この突然の理解が自分を木っ端微塵に壊します。

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