霊的進化の罠

魂という存在は便利

魂とは思考です、アイデアです、実在はしません、ですがこのアイデアは大変便利で応用が利きます。霊的進化のために霊的成熟のためにとあらゆるセラピー、メソッドが溢れかえっていますがこれは我々が一般社会でやってきた活動と何も変わりません。より高い偏差値の学校へ、より就職人気会社へ、より高いリッチな家を、、より高く高くというこの活動は魂に受け継がれここでも同じことをするのです。

より高く、より優れた、より強く、、、の輪から抜ける

我々が現実と呼ばれた社会でやってきた進化に疲弊し、スピリチュアルという世界に逃げても待っているのはこの魂の進化ゲームです。魂が進化するのは大変魅力的で神聖な香りがします。ですが散々このパターンで人生が疲れてきてまた同じような進化ゲームに参加するのはもう嫌だ、そう考えてもおかしくはありません。そうです、もう十分、進化発展ゲームは終わりにしたい、、その時に腹落ちするのが悟りです。悟る自分は居ないし悟る魂もない、、という進化ゲーム究極の終焉です。

悟り人すらも人生の最終ゴールにしてしまう

イエスキリスト、釈迦、空海、、、悟ったと言われている人は人生のゴールにされてしまいますがこれは全くの誤解、、、彼らは彼らを形成してきた「自分」「自我」が抜け落ちた体です。つまり人体の中に形成されているだろうとされてきた自分という存在が形成されなくなった体、、、自分という感覚が抜け落ち全体がその体の口を通じてメッセージが湧き上がったという事実があるのみです。多くの方がイメージする悟り人と悟りは全く異なります。

(Visited 5 times, 1 visits today)