有名人の自殺に思うこと

有名俳優、有名女優の自殺について

コロナに入り有名人の自殺がニュースになりました。名実共に評価を受けるような役者さん、女優さんの自殺は一体なぜ起きるのでしょうか。顔も良く、スタイルもよく、かつ収入も良いといった世間的には全てが勝ちゲームの状態でなぜ有名人は死を選ぶのでしょうか。この事実に自我はどう答えを出すのでしょうか。自我は常に不足、欠乏で欲求が起こります。自分がこんな小さな体一つで体以外の世界は全て自分以外。とてつもない小さな自分と、とてつもなく大きな自分以外、、これで自我は孤独、欠乏という感情を生み続けるマシーンになります。本当は存在そのもの、神そのもの、が自我というこの体の中こそが自分というメカニズムに乗っ取られてしまった結果強烈な無価値観に苛まされてしまうわけです。結果地位も名誉もより良きパートナーも、子孫も、見た目も全部欲しいという欲しい欲しいマシーンになっていきます。

最初から諦めて絶望と共に生きていくか、チャレンジを繰り返し最後に絶望をするかの二択

人生には二択が用意されています。最初から人生を諦めてこんなものだと絶望して生きていく生き方と、あらゆるチャレンジを繰り返し、地位や名誉、収入を手に入れながらもやっぱり何も永遠に満たされることはないと最後に絶望するかです。どちらも最後は絶望というところが同じです、つまり自我のプログラムが起動している状態で永続する満足を手に入れるのは不可能ということです。ですからそのことを若くに悟り何も目指さないと決め込むか、徹底的にチャレンジし自我が欲する欲望を満たし続け最後に疲れ果てるかの二択が用意されています。亡くなってしまった有名人は私からすれば後者になります。

もう一つの選択肢、夢から覚めてしまう

そして最後の選択肢があります。それがこの世、夢から覚めてしまうということです。今見ている夢から覚めてしまえば絶望感を味わないですみます、そしてこの夢から覚めるのは誰か、それは人間活動を行っている自我ではありません。存在がこの夢、自我を通じて見ている夢から覚めるということです。渇望ゲーム、不足ゲーム、快不快ゲーム、刺激退屈ゲームであるこの夢から覚めてしまうということです。これで絶望を味わなくて済みます。

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