海であることを忘れた波は悟りに興味を持たない

矛盾するようだが波は海に戻りたくない

私自身スピリチュアルに興味を持つようになって15年以上経ちますが驚くべきことに最初の13年間は本当の意味で悟りに興味を持てませんでした。スピリチュアルと悟り、二つは近い関係のようでいて実は全く異なります、異なるというよりも真逆と言っても良いかもしれません。今でこそはっきりと違いが理解できますが15年間もスピリチュアルを学んできてそこに気づきませんでした、かなり近いことを学んでいるような気になっていたという事実がいかに自我は悟りすらも活用して存続しようとするかの証明です。

スピリチュアルの多くは精神的欲求を満たすための道具になっている

人よりも多くのことを知っているという自覚は自我の大好物です。自我は人より知識を持っているという事実が自我の拡大、自我のマウンティングを強くします。私は優秀である、他人よりも多くの知識を理解する優秀な存在だ。このように自我は知識を利用するわけですがその中でもスピリチュアルに精通することはよりその傾向を強めます。多くの方は目に見える世界しか知らず自身は目に見えない世界にまで造詣が深いのだ、、これは自我にはたまらない喜びなのです。誰も知らない世界を我輩は知っているぞと。そしてこのスピリチュアルの世界の多くはどんなに複雑怪奇で摩訶不思議の世界であってもこの自我の存続にあっては寛容なのが特徴です。自我を肯定し、なんなら輪廻転生と呼んだ他の惑星ですらこの魂は移住して生き抜くという自我の存続には大変都合の良い話の展開になっているのです。この世で体が滅びてもまだ違う惑星、違う時代にこの魂という自我の別称は存続できるのだと。これで自我は胸を撫で下ろしてぐっすりと寝れるわけです。

悟りを正しく表記している本はなぜか読み進めることができなかった

悟り、解放、解脱、、これらを正しく説く本に出会ったことはこれまでも何度もあったのですがなぜか不思議にも興味を持てないのです。スピと悟りは兄弟であると捉えているにも関わらず読もうとすると強烈な無関心が襲ってきます。なんか読みにくいし説明も周りくどく不親切な本ばかりだと真剣に考えていました。読みたくなるのは精神世界でなおかつ自身(自我)が同時に豊かになる本ばかり。幸福になったり経済的に豊かになれると詠う本ばかりです。結局のところ悟りもスピもいかにこの自我が豊かになれるかを説いていると真剣に考えていました。だからこそ悟り系の本を読み進めていくと頭が混乱していつの間にか辞めてしまうという展開がほとんどに。

あなたは実はいないのだ、、

自我の終焉、自我の消滅、、悟りの本質はそこにある。本のタイトルでこのような言葉を徐々に目にし始め私は少しずつですがそこに興味を持ち始めました。これだけ経済的も精神的にも豊かになるための努力をし続けてきたにも関わらず気づけばまた貪るように次の本を読み進めている自分に気づきました。この戦いはどうやら終わりがないなと、、、。そこで私は覚悟を決め「悟り」「解放」「解脱」「ノンデュアリティー」を掲げる本に真剣に向き合うようになったのです。幸福になるあなたはいない、あなたがいなくなれば全てがOKになる、、至福とはあなたの欠落だ、、、、世の中の常識、成功哲学、スピリチュアルの内容はあなたの進化、あなたの努力、あなたのバイブスの上昇、これが当たり前ですが、、、悟り系だけが、、あなたがいなくなればいい、、、これは真逆、正反対の内容です。ですが今ではよく分かります。自我の存続は人類の興味でありそれ以外の情報はこの世では先ずまともに取り扱われないということが。

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