これが夢だと分かって深刻に落ち込むことはできない

親の自殺も、環境破壊も、戦争も、、、

それでも人間か?ということになりますが親の自殺も環境破壊も戦争も全て夢の中での出来事です。気にする必要はありません。それでも人間なのか?ということになりますが実は人間ではありません。この夢の登場人物でしかありません。人間風に見える生命現象です。人間という確立した、分離した存在では断じてありません。だからこそ親の自殺も環境破壊も、戦争も深刻に捉える必要はないということです。軽く扱えということではなくそのそもが分離した存在はこの夢にはいないという話です。

人間の死は重く受け止め、豚の死は仕方ないと考える浅はかさ

人間が一人戦争の被害に遭えば重く受け止め、養殖用の豚の死はニュースになることは絶対にありません。同じ生命でありながら恐ろしいほどの差別をするのがこの人間です。ですがそもそもこの夢の中において独立した人間も、豚も存在しません。夢ですから。夢の中でそのような存在が現れただけです。だからこそそれをどう扱うかは自由です。環境問題反対派は豚の養殖についてすら動物虐待のメッセージを打ち出しますがそもそも動物という独立した存在はいません、夢ですから。

人種差別も、経済的不均衡も、、

これは夢です。ですから人種差別、経済的不均衡すらもこの夢の中でただ起きてるだけになります。この世で起きていることは全てワンネスの表現、そこに正負、優劣はあろうはずがないのです。ですからこれも全て夢の表現、現れということで受け入れていきます。許しがたい事件も夢の中でただ起こり続けます。それに対し深刻に受け止めるのも自由、真剣に受け止めないのも自由です。

物質があるという大前提は破綻している

小学生の頃からこの理論はおかしいと感じていた

めちゃくちゃな話ですが我々が生きているこの物質界は物質があるという大前提で成り立っています。ですがこの物質があるというこの理論は破綻しています。もしもここにコップがあるとしてそのコップが存在するためにはテーブルが必要になります。テーブルが存在するためには部屋が必要です。部屋が存在するためには家が必要であり、家が存在するためには土地が必要になり、土地が存在するためには日本という国が必要になり、、日本は地球が必要で、地球は太陽系、太陽系は銀河系、銀河系は宇宙が、宇宙が存在するためには宇宙を取り囲む環境が必要になります。この理論でいうとどこまでもそれを囲う環境が必要になり、、無限大に環境が必要になってしまうのです。つまり理論として破綻しているのです。

これは夢だという理論だけがこれを打開する

そんな中、この視界に広がる世界はワンネスが見る夢だという理論を読みました。私はこの理論を読んで人生で初めて目から鱗が落ちる感覚を得たのです。この物理次元は理論上破綻している、それを打破してくれた唯一の理論が「これは夢だということ」です。ここに広がる世界が夢だという理論以外どう判断しても理論破綻しているのです。夢、幻想でなければ、この物理現象界は説明がつかないのです。

間違いなくここにコップはある

間違いなくここにコップがあります。ですがこのコップをありのままに認めてしまったら理論破綻します。コップは間違いなく目の前にありますがこれは夢の中で確実にあるということです。幻想として確実にあるということです。これが真実です。コップの存在、白い、硬い、厚い、重い、粗い触感これは紛れもない事実です。ですがこれは夢です。この事実を認め夢であると腹落ちしていく以外に進むべき道はありません。

夢物語の絶対条件、不足感

不足感から逃げるか、不足感と向き合うか

これは夢です。そしてこの夢の中では常に不足感が湧いてきます。この夢の中で生きている限り不足感から逃げることはできません。この夢を創造するワンネス、夢そのものであるワンネスはその中に自分(主人公)という小さな小さな存在を作り上げました。この小さな小さな自分の構成物質はワンネスですから自身が実はとてつもなくかつては大きな存在であったことを知っています。にも関わらず今この夢の中にいる自分(主人公)はあまりにも小さい。そのためこの夢の中で主人公でいる限り不足感、欠乏感が次から次へと湧いてくるのです。多くの方はこの不足感とどう向き合うか?逃げます。友人とのおしゃべり、TVゲーム、雑務、忙殺、タスク処理、、、不足感から逃げ切って人生を切り抜けようとするのです。そしてこの作戦に限界を感じた時に病死もしくは自死を選びます。

不足感から逃げずに立つ向かう

不足感を生み出しているのはこの夢の中で主役を張っている時です。主役を張るためにはこの心身こそを自分自身だという思考を維持し続ける必要があります。本当はワンネスそのものであり、一時的にこの夢物語に閉じ込められた主役を演じているだけであってそれは偽りの姿です。偽りを維持し続けるためには常にこの思考(自我)を維持する必要があるのです。逆に言えこの自我を手放すとワンネスに戻ってしまいます。夢物語の中からポコッと抜け出てしまうのです。不足感と向き合う方はこれをやります、何かに真剣に向き合う、集中する、誠実に取り組むことで思考を止め、自我を落とし、その場で無心、ワンネスにシフトします。これで不足感を解消します。

最終的にはそこから夢を覚ます

いつでも夢から覚めた状態に戻ることができる主人公は夢物語に居ながら夢の外にいつでも抜け出ることができます。本当は夢から抜け出る主人公はいないのですが主人公をその場で消し去ります。いつでも自分(主人公)を消し去る感覚を覚えていきますと無我、大いなる一つ、真我、ワンネスの状態が根付いてきます。夢から出た状態です、時間や空間に作用されずそのままで歓喜、幸福、安堵になってしまうことです。

この夢物語の中で目標が叶いにくい理由

ほとんどの目標がこの夢では叶わないわけ

簡単に目標が叶うならばそれはワンネスの不完全体験になりません。完全であるワンネスは完全であることは知っています。完全であるワンネスが知らないことは不完全であることです。だからこそこの夢では簡単に目標が叶うわけがないのです。というよりもほとんどの目標は結果叶わずに終わります。夢の中で自己啓発本はたくさん出版されているのは目標が叶わないからです。目標が叶わないことがデフォルトです。

必死になると目標が叶うわけ

ところがこの夢の中で、生死を左右するような絶対絶命の時には人は火事場のクソ力という力が湧き出ていとも簡単に目標が達成できてしまったりします。これはどういうことなんでしょうか?もしくは3億円という懸賞金がかかったりしたら多くの方はこの目標を達成することもできるでしょう。そしてその自信もあるはずです。絶対絶命の状態、三億円の懸賞金がなぜ人を本気にさせかつ結果を出させるのでしょうか。それはそれらの要因によって思考が抜け落ちるからです、無思考になります。自我が出る余地がなくなります。すると不思議中からパワーが湧いてきて通常の7倍近い力が湧いてくるのです。究極の味方だと思っていた思考が抜け落ちた時、人は圧倒的な力が湧きます。無思考、無我、=ワンネス、大いなる一つです。火事場の糞力は無心に入ることによって誰でも発揮できます。

無思考になることで目標が叶うとなると人は思考を信用しなくなる

これは夢です。この夢の中で目標を叶える方法は思考を手放すことです、無思考になることです。何度も反復を繰り返し思考の出る幕を無くした時に無心、無我、ワンネス状態になり目標が叶っていきます。この感覚を一度でも身につけることができるともう思考に頼ることを一切しなくなります。思考は最強の道具ではなくなり適材適所使うための非常用器具になります。無心、無我、ワンネス状態とはこの夢から一時的に覚めた状態です。一時的に分離しているというこの錯覚から目覚めることができます。ワンネスは一時的に夢から覚めて目標を易々とクリアします。こうして夢から覚めた状態を徐々に思い出していきます。書道、花道、茶道などは何度も反復作業を繰り返すことでこの感覚を思い出していきます。火事場の糞力が出る感覚、夢から覚めた感覚、歓喜、平和、安堵にシフトする感覚を思い出していきます。

もしも事件が何も起きない一年があったら

TVのワイドショーで一年間事件が放送されなかったら

こんなことは絶対に起きないのですがもしもこの夢の中で一年間事件が全く起きなかったら登場人物、主人公は退屈になりこれは夢なのかもと気付く人が増えるかもしれません。毎年毎年のようにあらゆる事件が起き続けるこの夢は主人公を一切退屈させないように緻密に完成されています。その狙いはこれが夢だと気づかせないこと、このワンネス総指揮夢物語にどっぷりと浸からせることにあります。

究極の脱落者も、究極の成功者も夢の中で登場させ上下からプレッシャーをかける

TVを見ていれば究極の脱落者、究極の成功者がたまに出演します。何かをして大失敗してこんな生活になってしまった、何かにチャレンジしたら運良く大成功できた。主人公である私はこれらの人々を見て色々な刺激を受けます。絶対に脱落したくない、絶対に成功したい、、こうしてこの夢に没入できるのです。脱落、成功という両面から主人公にあらゆる刺激が加わり主人公は右往左往できるのです。

ワンネスは夢から覚めるという最大の感動を最後に用意する

これだけの緻密なストーリーをワンネスが用意するのには理由があります。それは先ず完璧である存在が完璧でなくなるという経験です。経験自体は完璧です、ですが不完全であるという錯覚を経験できるという経験を積むことができます。そして完全が不完全を経験し尽くした後に実は自身は完全だったという最後のどんでん返しが待っています。完全が不完全を体験し最後に完全だったと再確認するこの長い旅は感動で終わります。

夢の登場人物は常に自身をこの夢に引き摺り込む

あらゆる悩み、愚痴、相談の全てがこの夢にあなたを引き摺り込む

友人からの真剣な相談、悩み、ぐち、これらはあなたをこの夢の中にどっぷり引き摺り込む凶器です。相手が真剣であればあるほどにあなたはこの夢にどっぷりと浸かるでしょう。お金を失ってしまった、会社で悩みが多い、恋愛が上手く行かない、ダイエットで失敗した、、、あらゆる相談はあなたをこの夢に引き摺り込んでくれます。だからこそこの夢に嵌まり込みこの夢での右往左往を体験できるのです。完璧である全存在は全存在故に悩むことも、思いに更けることも、落ち込むこともできないのです。それに退屈した全存在は夢を創造しこの右往左往ゲームを誕生しました。だからこそこの夢、ゲームの登場人物たちはこの夢にあなたを今日も引き摺り込みます。

登場人物の悩みは解決しようが未解決だろうがそれも夢

夢の中での登場人物の悩みはこの夢を楽しくするための刺激物みたいなものです。正直なところ解決しようと未解決であろうと実は大した意味はありません。夢ですから。もしもあんたが友人の悩みを一刀両断で解決してもおそらく次の悩みを別の友人から聞くことになるでしょう。夢ですから。次から次へとこの夢の登場人物はあなたに悩みや愚痴でアプローチすることでなたを忙しくしていきます。あなたがそれに思い悩むことができればもうこれは大成功、夢に没入できます。

夢に没入させるためにワンネスが作ったこの夢は主人公の関心を引くことばかり

コロナも戦争も主人公をどっぷりとこの夢に引き込む事件です。どんな映画も一定期間であらゆる事件が起きますがあれは観客を飽きさせないためです。途中でこれって映画だよねと我に返らせる映画は人気のない作品です。人気作品とはアッと言う間に見終わってしまう、つまり映画に入り込ませそこから離さないそんな映画です。このワンネス総指揮作品、地球ゲームも同じ、とんでもない緻密な事件を作り出し続けあなたをこの夢から覚めさせないように工夫されているのです。

人間が見る夢と、ワンネスが見る夢の違い

人間が見る夢は毎回主人公が違う

私は多分毎晩のように夢を見ていますが毎回のように主人公が違ったりします。ある時は小学校時代の自分、社会人の時の自分、時には全く関係ない架空の人物が主人公だったり、突然芸能人の誰かになり切って主人公を務めたこともありました。毎回のように時代背景、環境、主人公が違うのです。一方ワンネスが見る夢ではいつも同じ主人公です、そう「私」です。朝起きるとしっかりと昨日の続きがスタートします。この夢はその点全くブレることがないのです。

人間が見る夢は突然時代背景がワープする

私が見る夢では、突然時代背景が変わっているなんてことは頻繁にあります。バックto THEヒューチャーではないですがビックリするぐらいに気付くと全く違う時代にワープしています。ところがこのワンネスが見る夢はそのような誤作動が起きません。突然江戸時代や、明治時代、戦国時代にシフトすることがないのです。だからこそ夢を夢と見破ることができないのです。こんな正確無比な夢は見破るのは基本不可能です。

光が鍵を握る

私が毎晩見ている夢の構成粒子は何なんでしょうか?夢の構成物質は何でできているのでしょうか。私はおそらく光ではないかと思っています。もしくは電気信号ですね。脳内の電気信号ということになります。物理学上は。ではこのワンネスが見ている夢の抗生物質は何でしょうか。素粒子、原子、物理学上はそうなります、量子、、私は光だと思っています。光があらゆる形状を作りこの幻想、緻密な蜃気楼を作り出していると考えます。人間の体の臓器を表す漢字は全て月偏、肉月でできています。胃、腸、胴体、脳、皮膚、肩、、、月という字が入るのです。月とは人間から見たらあれは太陽の光です、我々が見ている月とは土の部分ではなくその土に当たった太陽の光を見ています。これは人間の体も同じ、実在しているよでいて実は光を見ているというワンネスのヒントです。目の前にいる友人の体は何かしらの光です。これはあなたが見る夢の中の登場人物も同じです。

蜃気楼は確実に見える、だが実在はない

ハッキリと見えるのに実在しない

人間は視覚を誤解しています。蜃気楼はその良い例で確実に見えるにも関わらずその場所に行くと何もありません。蜃気楼は光と気温などが原因で発生するようですがこの事実を甘く見ています。今人間が見ている世界がもしも蜃気楼のようなものだったら、、確実に触れる、、だから実在するも間違い。確実に匂いがする、、だから実在するも間違い。確実に聞こえる、、、だから実在するも間違い。五感で確実に感じるものは実在すると言うのであれば蜃気楼の説明がつきません。我々が見ている世界、触っている世界、嗅いでいる世界、聞いている世界、、これらは五感が確実に認知しているから存在していると言うのは乱暴な考え方です。

見えるし、触れるし、聞こえるし、温度もある、、だから実在するはおかしい

五感が確実に感じることは実在すると言う考え方は乱暴な考え方です。視覚で感じても実在しないがあるわけですから五感全部で感じても実在しないはあり得るわけです。我々は五感で感じれるものは実在すると言う大前提で理論を組み立てていきますがこの理論は稚拙すぎるのです。マトリックスでも有名なセリフ「五感で感じることが本当だと思うならそれは嘘だ、脳の電気信号にすぎない」まあこれはその通りです。五感とは脳の電気信号ですからここを操作すれば人間は何でも実在していると錯覚できるのです。これが夢だということを否定できない事実です。全てがより緻密な蜃気楼だったら、、、あなたの友人も親もパートナーも会社の同僚も触って喋って、匂えるような蜃気楼だったら、、あなたはこれを実在すると必ず錯覚するはずです。

昨日見た夢を思い出してください

あなたが毎晩見る夢で、、もしも高級フレンチに行ったならばそこでは心地よい音楽、舌触りの良いステーキ、深みのあるスープ、香りの良いワイン、、全てを感じるはずです。夢の中なのに五感全部でフレンチを楽しむはずです。もしも夢の中で極寒のシベリア探検隊に派遣されたならば、そこでの猛吹雪、肌を凍らすような気温、空腹感、暗さ、、全ての五感を通じて厳しいさを味わうはずです。人間が見る夢ですらここまでリアルに味わうことができます。これがワンネス、大いなる一つが見る夢だったらそれ以上のリアリティーある夢を創造できないはずがありません。人間という登場人物が見破れるような夢であるはずがありません。

良い音楽を聴くと至福が溢れてくる理由

良い音楽とは無心にしてくれる音楽

良い音楽とはどのような音楽のことでしょうか?単純に説明すればそれは無心にしてくれる音楽ということになります。思考を止めその音楽に浸れる、つまり体に感覚を戻せる音楽ということになります。人間は思考に浸っている時不足感、欠乏感、孤独感に苛まされます。ワンネスがこの心身こそを自分自身と感違いするこの夢ゲームはそのシステム上不足感、欠乏感がひたすらに湧き出てきます。その欠乏感、欠落感を一時的に忘れさせてくれるのが意識を体に戻す時になります。なぜならば体とは今(ワンネス)にしか居れないからです。体を過去、未来に連れてくことはできません。現象界というこの夢は今(ワンネス)が過去、未来という時間の中に埋没したものを言います。その中に今(ワンネス)は存在しないのです。

良い音楽は今(ワンネス)に引き戻してくれるツール

良い音楽は聴覚を使って体に意識を向けます。思考から体に意識をシフトチェンジさせます。思考は時間軸にしか存在せず時間軸はこの夢物語です。体は今にしか居れず、今はこの夢物語には存在しません。ではどこにあるのか?それはワンネスにあります。この夢物語を創造する根源です。それが体がある場所です。つまり人間の体とはいつでもワンネス(至福)に戻るためのゲートです。一方思考は過去、未来にしか存在できず故にこれは夢物語に意識を集中させます。思考が意識を夢物語に居続けさせるのです。夢物語とは苦の世界です。良い音楽は苦(思考)から至福(体・ワンネス)にシフトしてくれる神のツールです。

書道、花道、茶道などは意識を体に戻すツール

良い音楽は意識を思考から体に戻してくれる最高のツールです。体に意識が集中できると思考が抜け落ち、自我が抜け落ち、無我、無心、至福に至ります。書道、花道、茶道などは書を通じて、花を通じて、お茶を通じて思考から体に意識を戻す教えです。つまりこれを行うことで至福に至る教えです。どっぷりこの夢に浸り夢中になりこの夢から覚めることを忘れた人間が唯一夢から覚めた瞬間(至福)を思い出すためのヒントです。芸術は五感を通じて感じるものです、全て思考から体に意識をシフトさせるものです。苦(自我)から至福(無我)に至るヒントです。

お酒を飲み、爆音の音楽が響き、ダンスを踊る場所

クラブ、ディスコとは

ここはワンネスの夢です。大いなる一つが作り出した夢です。基本この夢は苦しい場所です、そんな中でこの苦しみから解放してくれる場所があります。それがクラブや昔はディスコと呼ばれた場所です。この場所は爆音の音楽がかかり、そこではお酒を飲みながらみんなが踊り狂います。では何故この場所はストレスから一時的に解放できるのでしょうか?それはこの場所が完璧に身体感覚を取り戻せる場所だからです。この場所にいて思考に更けることは難しいでしょう、お酒も、音楽も、ダンスも体に意識をシフトさせる大きなポイントです。この場所に入った瞬間、思考をフル回転させるのが逆に難しくなります。音楽、お酒、ダンスが思考をストップさせます。つまり強制的に無心、無我に入れる場所なのです。だからこそ若者がそこに群がります。

賢い若者はそこにはいかない

残念ながらクラブやディスコは健全な場所とはいつまで経っても言われないでしょう。それはこれらの場所が中毒性があるからです。お酒、爆音、ダンス、これらは一時的な快楽を体に与え強制的に思考をストップしてくれる場所なのです。その瞬間、無心、無我になれそこから歓喜、平和、安堵が現れます。ですがこの場所を出れば再び思考が渦のように踊り狂い苦しみの世界に逆戻りします。一時的な至福の場所に興味を持つのは賢い行動ではありません、それ故賢い若者がここに群れることはないのです。

体に戻ることで至福が訪れることを学ぶ

良い音楽を聴く=至福が訪れる。美味しいお酒を飲む=至福が訪れる。体を動かす=至福が訪れる。この事実からこの夢から覚めるヒントをもらいます。この夢の中で至福に至るヒントをもらいます。これはワンネス、大いなる一つの夢ですがその中でこの夢から覚めるヒントがあらゆるところに点在しています。どうやら思考を離れ体に意識を戻すことで至福が訪れるようだ。シンプルかつダイレクトに至福に至るヒントがあらゆるところに点在しています。