なぜあの人ばかりが上手くいくのか?

上手くいっているあの人も実は不安でいっぱい

あなたの目の前に何でも上手くいっている友人が居るかもしれません、旦那は高級取り、子供も優秀、親も金持ちで全部持っている、、、そんな友人に対しては妬み嫉みなんでも起きるでしょう。ですが安心してください、、どんな人も実は不安で不安でしょうがないのです。なぜならば自分という存在の言動を全くコントロールできないからです。私は明日大丈夫だろうか????です。全くコントロールできないこの自分を抱えながら誰しもが生きているのです、不安に決まっています。

持ち上げられれば持ち上げられるほどに

大成功した事業家が自殺、大成功した俳優が覚醒剤、そんなニュースは山ほどでるわけですがなぜでしょうか???一生遊んで暮らせるお金を稼いで何がストレスなのか?????簡単です、、自分という存在との付き合い方がわからないのです、何をするか全くわからない、そして常に違和感を抱えているがその理由もわからない、、です。自分という存在の扱いがわからず、かつ違和感の原因が見えないのです。これだけ全部手に入れてこの後は何をしたらいいのか?です。

コントロールできないことを認めちゃえば

簡単なこと、自分は何もコントロールなどできない、思考も行動も全部ノーコントロール。そしてそれを統率していたはずの自分も実は存在せずそれも思考でしかない、固定観念です。ということで自分も居ない、自由意志もないをさっさと認めちゃえばいいのです。そうなると誰かの前で偉そうにもできない、そして偉そうにしている人を見ても面白い(本当は自分も自由意志もないのだから)となります。

意識をどこに向けるか

人間は見えない世界について一日中考える

あの時友人にあんなこと言っちゃたなー友人はそのこと気にしているかー。そういえばあの友人に最近連絡してないけど起こっているかなー、そういえば旦那に今日必要ないこと言っちゃったっけ、会社で機嫌悪いのかなーです。人間は今目の前の現象ではなく見えない世界のことばかりをやたらと考えて思い悩み1日を終えるのです。ですが本当は見えない世界では何も起きていない、無です。

重要なことは今目の前に起きること

今目の前で起きることは確実に起きています、幻想として、現象として。そしてその現象によって体験が積み重なっていくのです。本当は体験しか起きていないの現象自体は幻想です、ですが体験(見える、聞こえる、感じる、香る、触れる)は真実です。体験という物質ではない真実だけが積み重なっているのです。これだけが事実です。世界はあるがままの表現でありそのあるがままの表現の中で経験だけが起き続けているのです。それ以外は全て幻想です。ですが少なくとも今目の前に起きる幻想は事実ですからそことしっかりと付き合っていくのです。

その現象が現れた時に楽に付き合えれば良い

重要なこと、それは今目の前に居ない相手が現象化して現れたと時に楽しく付き合えること。そのためにこの真実を理解することです。今起こっているかな、今機嫌が悪いかな、今恨んでいるかな、、と悩むよりも真実を理解して軽く軽くなっていくのです。するとその相手が現れた時に気軽にフランクに付き合えるのです。とはいえこの体には自由意志も自分も存在しないのでそういう流れになるかは神のみぞ知るです。

物理的失敗時に気づくこと

何も変わらない

物理的成功時にはお金がなくなってしまったら相当ひもじい精神状態になるのでは???です。ですが実際にそのような状況に置かれてみた時に気づくのです、意外と何も変わらないと。お金とはあれば使いたくなるものですが無ければ使いたいという欲望がないので何かを買いたい、使いたいという欲求が減るのです。結果欲求不満にはならない、、となります。多くの方は今ここで感じる違和感の理由を物質的な何かのせいにしたがるのです。お金が少ないから、家が狭いから、旦那が気が利かないから、、と。ですが本当は本当はこの違和感は「自分」というこの存在自体が生み出したものなのです。

物理的失敗時に気づく

物理的失敗時に、、対して何も変わらないや、、、だからこのままでもいいや、、とはならない。。やはり自分という存在から発せられる違和感、孤独感、苦しみは常に続くのです。。経済的失敗がこの違和感の理由ではなかった、、このことに気づくだけです。ですからこの時こそチャンス、本当の本当の違和感の原因を解消に意識が動くのです。ただし自分を無くそう、自分を無くそう、、、という努力は、、自分にとっての目標になるので自分を強めます。

自分を無くそう!も画面内の努力

マリオが、、、苦しみの原因はマリオ自体だったと気付いて、、、マリオを画面から消そう、消そうという努力をしてもそれは画面内での努力になります。努力をしているのは誰ですか??マリオです。自分の尻尾を捕まえようと動き回る狐のようです。そうではなくマリオが全体に再吸収される仕組みに気づくのです、そもそもマリオの中には自分は居ないんです、居ないことを理解すれば居るという錯覚は消えます。誤解を解くだけです。

物理的成功時に気づくこと

本質が全く癒されていない

将来安泰の会社に勤める、個人として売り上げが最高潮になる、周囲から多大な評価を受ける、、、このような時ってあります、実際に。なんかよく分かんないけど上手くいっているなーです。ですがその時にも本質レベルではいつもソワソワしています、いつも何か違和感があるのです、、コレで終わり???です。こんなもんなの??です。これが最高だとしたら、、、これ以上はないの??です。

個人が成し得る成功に癒しはない

個人という存在が成し得ることで究極の癒しが起きることは絶対にありません、なぜならば成し遂げた個人という存在が苦しみ発生器、孤独発生器だからです。高級車を乗り回すのが個人ならば孤独と苦しみを発信しながら乗っているのです。いやそんなこと言ったってこの体を持っている以上個人ではなくなるのは不可能では???違います、この体の中に自分が居るというのは後天的に作り出した概念、感覚なのです。人間以外の動物は自我がありません。

動物のように生きろと?

動物には自我が発達しないのですから動物にはなれません、、我々人間は一旦自我が発達します、、そしてこの自我と共に生きる期間があります、次に自我とは何だ?と疑問に思う時期が来ます、、次に実は自我とは思考でしかないのだからそれに振り回されて生きるのは馬鹿らしいと俯瞰する時期が来ます、次に自我が出しゃばってこない時期が訪れます、全体としての活動が始まります。

孤独感は思考が作り出した産物

本質は孤独ではない

一人では何もできない、いつも友達と一緒に居たい、、、なぜならば孤独だから。これは思考が作り出した孤独感です。本質はこれ全部です、いつもこれ全部、、全部が全部、、これが本質です。この中に自分という存在が居るという感覚が生まれ(現象化)ることで分離感が生まれ(現象化)し孤独感が生まれ(現象化)したのです。本当はコレしかないのでそこに孤独などないのです。これは全部です。

なぜ鳥は孤独ではないのか?

一匹の鷹が北海道の大草原の上を飛びます、、人間であれば孤独を感じることもあるでしょう、、その鷹から孤独を感じませんね。鷹には自我がありませんから鷹にとって自分とは見える景色全てです、この全てに気づくしか起きていないのです。鷹のボディを自分という概念がないということは見える世界全てが自分です(自分という概念はないが)朝目覚めて寝るまでに気づかれる現象の全てが自分です(自分という概念はないが)

悟りとは

悟りとは自他が無くなることです、見える世界、聞こえる世界、全てがここにある、以上です。それを見る私も存在せず、それを聞く私も存在しません。ただ現象が起き気づかれる。この感覚が分かってきますと孤独感が湧いてこなくなります、誰も私に注意を向けてくれない、誰も私に構ってくれない、、という思考が湧かないのです。それは真実ではないからです。真実は孤独を払拭します。

私を振ったあの人は存在しない

酷い別れで居なくなった相手

知らないところで浮気をしまくり逆キレして居なくなってしまった元恋人、、今でも私はあの人のことを恨んで恨んで忘れられません。残念ながらその人は今ここに居ないということはこの世界に存在しません、万が一電話をすれば声としてこの世界には登場するでしょう、ですがその瞬間のみです。あの人はのほほんと他の女と楽しんでいると思うと、、、残念、、、その人は今ここに居ないのですから存在しません。気づかれない現象はないのです。

じゃあ、、あの人は今どこに居るんですか???

存在しないのです、存在できないんです、気づかれていないから。この人は腹黒い人だ、、いつも腹の中では違うことを考えている、、、残念、、その腹の中の思考は存在しません、、気付かれていないから。今目の前で起きていること以外は何も起きていないのです。腹黒い人の体の中では本当は細胞分裂、リンパが流れ、血流が流れ、心臓が鼓動し、肺胞が膨らみ、、、起きてないです、、気付かれていないのですから。

ガンをもっと早く見つけていれば、、、残念!

病院に行ったら癌が発見された、、先生からはもっと早く来てくれていれば、、、と言われ、、残念!気付かれれいない時ガンは全く現象化されていないのです、気づかれない現象はないのですから。違和感を感じた時には違和感だけが現象化しました、その違和感をレントゲンで撮った時に、、その映像が現象化しました。それだけです。

日本は不景気で多くの人の生活が困窮している?

目の前で起こることのみ

どのような悲惨なニュースがマスコミを騒がしていたとしても、、、目の前の現象だけが全てです、本当に目の前で困っている人が居れば、、それが全てです。私に気づかれていない事件は世界には一切起こっていません。もしもあなたの1日の中で目の前で殺人が起きていないのであれば、、、殺人事件は起きなかったのです、一切。私に気づかれていない現象は何も起きていないのです。もしも私が気づかないところで何かが起きるのだとしたらこの目の前のあるがまま(全部)は全部ではなくなってしまう。

自己中心的?

これは自己中心的とかそういう話ではないんです、本当にこの目の前以外には何も起きていないのです。例えば目の前に卵があるとして、、、本当はこの卵の中では細胞分裂が起きているんですよ!と聞かされたとしても「私」に気づかれていないのならば、、、起きていないのです。起きようがないのです、気づかれない現象は起きないのです。そして本当は気づくのは「私」ではありません、気づきの意識が気づきます。現象が現象に気づくのです。

気づかれない現象はない

マジックってあります、、目で追えない場所で様々な仕掛けがしてあってビックリするような現象が起きる、、、嘘です。本当は仕掛けなど起きていません、気づかれていないのですから。気づかれたことだけが現象として起きるのです。「私」がマジックをやる方であれば、、仕掛けに気付いています、つまり現象として仕掛けはあるのです。

森羅万象と気づきの意識は一つ

この世界の森羅万象

今目の前に広がる世界、森羅万象はそのまま気づきの意識でもあります。現象として起こると同時に気づきが起きる。現象の起こりとその起こりに気づくが同時に起きるのです。森羅万象の他に気づきの意識があるのではない、、二つは一つです。二元でなく非二元です。今目の前に鳥が現れました、、鳥が現れるという現象は気づかれてことです、現れると同時に気づかれているのです。気づいたのは「私」ではありません、気づきの意識が気づくのです。

目の前に子供が

車の運転中目の前に子供が飛び出してきました、この子供に気づくのは気づきの意識です。私ではありません、、子供自体(現象)がそのまま気づきの意識によって気づかれるのです。子供は現れたが気づかれることはない、、そのような現象は起きないのです。すべての現象は現れたら必ず気づかれるのです、私が知らないところで満開の桜が咲いている、、、そのようなことは絶対に絶対に起きないのです。現象とは気づかれることとセットなのです。

今も地球の裏側では、、、

今も地球の裏側では幼い子供たちがお腹を空かして、、苦しんでいる、、、そのようなことは起き得ないのです。目の前の現象として現れた時に同時に気づかれるのです、気づかれたその瞬間に現象は現象になるのです。でもTVではよく映像で流れていますよ、、その映像だけが現象化し気づかれました。気づかれない現象はない、、本当にこの世界はシンプルです。

多くの方が求める幸福は経験でしかない

成し遂げた瞬間(経験)を求めて

多くの方が求める幸福とは何かを成し遂げた瞬間(経験)のことです、結果その次の瞬間にはまた新しい成し遂げるべき何かに向かって走らなくてはなりません。これは本当の幸福ではありません。なぜならば一瞬の幸福だからです。本当の幸福とは瞬間(経験)のことではなく永遠のことです。つまり個人が成し遂げる何かではなく個人から脱却することこそが至福への道なのです。

個人は瞬間でしか幸福になれない

私が幸福になる、、、これを多くの方は求めるのですが、、、個人というのは実在しないので幸福になれません。実在しない存在を幸福に導くのは不可能なのです。だから私は幸福には絶対に絶対になれないのです。そうではなく私、自分が抜け落ちおた時、本当の至福が訪れます。私を主語にしている間は幸福になれないのです。

朝起きれば私をやるしかないですよね?

そんなこと言っても朝起きれば私をやるしかなくないですか????違います、私は実在しないのですから本当はやっていないのです、、、居ないにも関わらず居るという思い込みをしてやっているのです。とはいえ社会で活動する際には名前で呼ばれ名前での付き合いがありますから表面上はそれをやらなくてはなりません。ですがそれを真実であると思えば苦しみに襲われます。

思考は悪者ではない

思考が悪いのではなく、それを自分のものとすることで苦しみが生まれる

思考自体は悪くのなんでもありません、思考は泉のように湧き続けます、これからもずっと。重要なことは思考が湧いた際にそれを自分のものとする動き、感覚が、分離意識を強め結果苦しみを作り出すということです。思考を自分のものとすることが悪いことではなく苦しみを生み出すという事実を認識することです。寒いなー、暑いなー、楽しいなー、つまんないなー、、、、あらゆる思考が湯水のように湧きますが、、、それを自分のものとすることで分離意識が生まれ苦しみが湧くのです。

世の中の99.9999%の人が思考を自分のものとしている

この世界から苦しみが消えないのは思考を自分のものとする人がほとんどだからです。湯水のように湧き続ける思考を自分から湧いた、もしくは自分が作り出したと勘違いをしています。この勘違いが苦しみを生み出すのです。そして苦しいということも悪いわけではなくそれもあるがままの表現です、苦しいが本当にダメなことならば最初からあるがままは作り出しません。

死にたくなるような苦しみも

死にたくなるような苦しみすらもあるがままの表現です、これは至福の表現とも言えます。至福が死にたくなるような苦しみを作り出したのです、、これはパラドックスです。至福(あるがまま)自体は至福ゆえに至福がどのようなものか分かりません、それで作り出したのがマリオでマリオが死にたくなるような苦しみを感じることで至福の価値を再認識できるのです。これはあるがままの悪趣味です。我々はあるがままの悪趣味に翻弄されながら生きているのです、ストーリー上。