時間の中で至福に至ることはない

時間とは夢の世界のこと

時間とはこの夢の世界の中でしか存在できません。時間とは記憶の世界、夢の世界でしか存在しないものです。夢の中にいるときに時間は存在します。夢から外れることができれば時間は存在しません。大いなる一つが夢を見ている、それがこの現象界です。時間の世界です。大いなる一つが人間という有限の存在と錯覚することからこの夢物語はスタートしますから不足感、欠乏感は常に湧き出てきます。人間という存在は時間の中にしか存在できません。ゆえに時間の中で至福はないのです。

将来幸福になるは不可能

多くの努力する人間の目標とは将来幸福になりたいです。幸福とは将来成し遂げるものであり今は幸福出なくともいつか幸福になる、これがほとんどの人の目標設定です。ですがこのほとんどはその目標を達成することができません。それは幸福とは時間軸の中で達成できるものではないからです。時間軸の世界は夢の世界のこと、夢の世界に存在する人間は=不足感製造機なのです。不足感製造機が将来幸福になることは絶対にありません。不足感製造機である人間が幸福になるためには人間であるという錯覚を解く以外にないのです。

時間から外れる=至福

時間の中に生きている状態で永遠の至福を手に入れることは絶対にありません。時間の中で手に入れることができるのは一時的な快楽としての幸福でありそれは時間の中で失われます。本当の至福とはこの時間から外れることであり夢から覚める以外にありません。時間を超えたところに戻る以外にないのです。そこで重要になるのはこの思考です、思考は自身を時間の中に閉じ込めるツールであり思考を使えば使うほどに時間の中に閉じ込められることになります。思考とは自我です。自我とはこの心身こそを自分自身と勘違いする思考であり思考を使うほどに自我は強化されます。

子供の頃はこれが夢だと覚えていた

子供はなぜ深刻ではないか?

祖父の葬式、祖母の葬式、、、こんな時でも小さな子供は一切空気を読まず楽しそうにしています。重苦しい空気を逆に不思議に思いながらも、むしろそれにも気づかずに遊び周ります。子供には理解ができないのです、この夢の中で深刻になるのが。目の前に広がる世界は幻想、夢であり深刻に慣れる要素は実はありません。だからこそ大人が深刻な顔をして将来を心配するその姿にピンとこないのです。ですがそんな子供も7歳ぐらいになる頃にはすっかりとその事実を忘れこの自称現実社会にどっぷりと浸かってしまうのです。その頃から子供の顔からは無邪気さが抜け重くなっていきます。大人の顔になっていきます。

深刻になるためには目の前の現象が絶対的真実だと思い込む必要があり、それには7年間を要する

これはワンネス、大いなる一つが見る夢です。そこから人間としてこの世に誕生するわけですが赤ちゃんと呼ばれる時期にはそのことをしっかりと覚えています。深刻になるという感覚をどうしても理解できません、勿論犬が怖い、大人が怖い、、、など心身の危険が迫った時には恐れを抱くでしょう。ですが絶対的深刻さは子供にはないのです。そこから子供は言葉をお覚え、知識を吸収することでこの夢にどっぷりと浸かり始め分離感覚を強固にしていきます。つまり分離を絶対視する、夢ではなく現実と呼び始めます。

自我が完成すれば大人、サバイバル能力は高まるが深刻さも高まる

夢であるのも関わらずこれを現実であるとハッキリさせるのは多くの知識が必要になります。知識を得ていくことで少年、少女は大人になり、、夢を現実と錯覚できるようになるのです。そしてその方がこの夢の中ではサバイバル能力が優れていきます。自分は自分、他人は他人、人を一切頼らない、頼れるのは自分だけ、、、強烈な分離意識は強く生きることはできますが同時に不足感、孤独感、欠落感を生み出し続けます。自身(ワンネス・完全・完璧・至福)がこの心身こそを自分と勘違いすれば不足感が湧いてくるのは当然です。

セックス中毒は思考抜け落とし中毒

セックスは思考から体に意識を強制シフトさせるツール

これは夢です。ワンネスが見る夢です、そしてその夢の中に埋没すると不足感、欠乏感が湧き出してきます。セックス中毒という言葉を聞いたことはあるでしょうか。これは男性女性問わず実はたくさんいます。一般的にはsexをすると幸福ホルモンが分泌されて一時的に至福感に至れるということになりますが悟りの観点からも説明がつきます。セックスは体を使った行為です、セックス中に考えことをするってなかなかできません、明日の予定や来月の予定、仕事のブレスト、、できません。思考を強制的に止めてくれる動きなのです。思考が全く止まらなくなってしまった人間の強制思考停止ツールなのです。そして体に意識を完全集中することで何が起きるか?無心が起きます、無思考が起きます、無感情が起きます、無我が起きます、、するとこれは夢から覚めた状態、ワンネスの状態、大いなる一つの状態に至るのです。これによって多くのストレスを抱えた社会人や悩み多き学生、一日中考え事をしている主婦などがハマるのです。

セックスが悪いのではない

セックス=悪のようなイメージを持つ人もいますがそんなわけがありません。ですがセックス中毒になってそのままそこから抜け出れないのは不健全と言わざるをえません。というのは全く自由が無くなってしまうからです、そこから抜け出せない状態は。あらゆるリスクも厭わないようになる可能性もあります。多くの場合はセックス中毒は不倫や浮気、セクハラ、暴漢など、、次のリスクに切り替わっていきます。

セックスから体の感覚の重要性を思い出す

体に意識を向けますと歓喜、至福、安堵が押し寄せてきます。思考が抜け落ち、無思考、無心、無我に至るのです。だからこそ悩みやすい思春期は部活動が設定されています。体に感覚を戻すことを国単位で行っているのです。セックスから至福を思い出したらそれに溺れるのではなく体の感覚に戻すルーティンを作るのです。ヨガ、スポーツ、登山、マラソン、、積極的に無我に入る方法を探ります。

1日を反復行為で整えていく

いかに反復で構築するか

これは夢です。ワンネスが見る夢です、この夢にどっぷり浸かる方法は思考に取り込まれることです。思考をグルグル回転させていると夢にどっぷり浸かれます。思考とはこの夢にワンネスを没入させる最強ツールです。この心身こそが自分自身であるという自我を強固に維持する方法、それが思考どっぷりです。だからこそもしもこの夢から覚めるには思考を止めることです、思考の波を鎮めることです、それだけで平和歓喜、安堵が押し寄せてきます。いかに思考を使わず反復作業を継続することで1日を構築します。リズムで作業をこなしていきます。

書道、茶道、剣道の反復は驚くべき

日本では書道、花道、茶道と反復の重要性を説く道がありました。いかに反復から思考を削ぎ落とし邪念を落とし、思考を落とし、書と一つになる、花と一つになる、茶と一つになるという道です。これこそが私が提唱する無我、無心、ワンネスに至る方法です。思考を無法地帯にしますと夢の中にどっぷりと浸かっていきます。自我とは思考のことであり、その思考が暴れるとは自我が暴れることと同意です。結果夢から出れなくなり不足感に苦しみ続けることになるのです。これを打破してくれる行為こそが反復行為です。思考を抜け落とし無心、無我、ワンネス、大いなる一つになってしまうのです。

夢から覚めるためには夢が覚めた状態にならせていく

一度でも無我状態、無心状態、大いなる一つ状態を体験できた方はその感覚を絶対に忘れません。覚醒剤に手を出してしまった人間がもうそこから逃げられないのは思い出してしまったからです。覚醒状態を。それと一緒で反復で無我に入る、無心に入るを知ってしまった人間はもう人生の価値観は反転します。そこから戻ることは絶対にありません。これは知識ではないからです。反復を繰り返し自我を削ぎ落としていくことを覚えると人生は苦しみの連続からいかに多くの時間を無我に居られるかになっていきます。要は夢から覚めた状態になっているかになります。

ノンデュアリティーを個人が情報として取り組もうとしてもダメ

悟りは個人が幸福になる情報ではない

非二元の情報は、個人が幸福になるための情報ではありません。その個人がいないという情報、メッセージです。夢の中の主人公が幸福になることではなく、これが夢だと告げるメッセージです。個人が一生懸命をこれを理解して幸福を勝ち取るのはこの夢物語のサクセスストーリーの定石です。ですがこれはそれでは至福には至れません、という全否定のメッセージです。夢の中での主人公の努力を尽く否定するメッセージです。もちろんこの夢自体がワンネス、空の表現ですしそこでの主人公の経験は全部ワンネス、空の経験です。そこに何一つ間違いがないのも事実です。ですがもしもこの苦しみを終わらせたいならばこれが夢だということ、見ている現実は実在しないことを諦める必要があります。

私がいてあなたがいる、、絶対に嘘

私がいて、あなたがいる、、、本来は一つのエネルギーの表現ですからこの二人いるという感覚は間違いなく錯覚です。私という生命現象とあなたという生命現象がある、、二つの分離した実態がある、、これは完全に錯覚です。本来は一つのエネルギーしかありませんから。分離体験、個別体験は間違いなく錯覚です。この錯覚が今起こる苦しみ、不足感、欠乏感を生み出しています。分離体験は錯覚ですが間違いなく認識できます。ですがこの認識が不足感、欠乏感を生み出すのです。

至福か不足体験か

夢の中でこの主体客体の世界に居続ける限り苦悩、不足、孤独は永遠に続きます。もしも夢から覚めて主体客体の世界から抜け出たならば苦しみは終わります。主体客体の世界、そこに独立した物がありそれを独立した自分が手に入れるという世界が錯覚であることを見抜くことです。そうすれば不足感、欠乏感の根源に迫ることができます。ですがそこに迫るのはこの夢の主人公(私)ではなくただ認識が迫るのです。

夢(二元)の中では至福になれない

夢の中にラブandピースはない

多くのミュージシャンがラブ&ピースについて楽曲を作りますが残念ながらこの夢の中ではそれはありません。ラブ&ピースが理想主義者の掲げるプラカードに見えてしまうのは仕方ないのです。要はこの夢物語ではこれはないのです。ではそれはどこにあるのか?それは夢から覚めた場所、ワンネス、大いなる一つがある場所です。音楽家がそれでもラブ&ピースを掲げて歌を歌う理由はそれを求める願いからです。

夢の中は不足感が湧き出る場所、そこでは平和は一時的な快楽

ではなぜ夢の中にラブ&ピースは無いのか?それは夢の中に自身がいる時、不足感、欠落感が湧き出してくるからです。夢の中では不足感がひたすらに湧いてきます。ここは夢ですから基本不足感が沸き続ける場所なのです。夢とは全存在、ワンネス、大いなる一つが表現する場所、現象化する場所、この現実社会のことです。この場所にラブ&ピースを探すのは不可能です。ワンネスが人間体験をする場所に平和はありません、なぜならば平和とはワンネスそのものだからです。

桃源郷は夢の中にはない

これは夢です。今あなたが見ている世界は紛れもなく夢です。そしてこの夢の中には桃源郷はありません。私服の場所はありません。この環境で永遠の幸福を手に入れることは絶対にできません、なぜならばこの夢はワンネスが不幸体験をするために誕生した場所だからです。絶対的幸福であるワンネスが絶対的不幸を体験するためにこの夢を創造したのです、なぜこの夢に中で絶対的幸福を得ることができるのでしょうか。そもそもの誕生、創造目的に反しています。

これが夢だと分かって深刻に落ち込むことはできない

親の自殺も、環境破壊も、戦争も、、、

それでも人間か?ということになりますが親の自殺も環境破壊も戦争も全て夢の中での出来事です。気にする必要はありません。それでも人間なのか?ということになりますが実は人間ではありません。この夢の登場人物でしかありません。人間風に見える生命現象です。人間という確立した、分離した存在では断じてありません。だからこそ親の自殺も環境破壊も、戦争も深刻に捉える必要はないということです。軽く扱えということではなくそのそもが分離した存在はこの夢にはいないという話です。

人間の死は重く受け止め、豚の死は仕方ないと考える浅はかさ

人間が一人戦争の被害に遭えば重く受け止め、養殖用の豚の死はニュースになることは絶対にありません。同じ生命でありながら恐ろしいほどの差別をするのがこの人間です。ですがそもそもこの夢の中において独立した人間も、豚も存在しません。夢ですから。夢の中でそのような存在が現れただけです。だからこそそれをどう扱うかは自由です。環境問題反対派は豚の養殖についてすら動物虐待のメッセージを打ち出しますがそもそも動物という独立した存在はいません、夢ですから。

人種差別も、経済的不均衡も、、

これは夢です。ですから人種差別、経済的不均衡すらもこの夢の中でただ起きてるだけになります。この世で起きていることは全てワンネスの表現、そこに正負、優劣はあろうはずがないのです。ですからこれも全て夢の表現、現れということで受け入れていきます。許しがたい事件も夢の中でただ起こり続けます。それに対し深刻に受け止めるのも自由、真剣に受け止めないのも自由です。

物質があるという大前提は破綻している

小学生の頃からこの理論はおかしいと感じていた

めちゃくちゃな話ですが我々が生きているこの物質界は物質があるという大前提で成り立っています。ですがこの物質があるというこの理論は破綻しています。もしもここにコップがあるとしてそのコップが存在するためにはテーブルが必要になります。テーブルが存在するためには部屋が必要です。部屋が存在するためには家が必要であり、家が存在するためには土地が必要になり、土地が存在するためには日本という国が必要になり、、日本は地球が必要で、地球は太陽系、太陽系は銀河系、銀河系は宇宙が、宇宙が存在するためには宇宙を取り囲む環境が必要になります。この理論でいうとどこまでもそれを囲う環境が必要になり、、無限大に環境が必要になってしまうのです。つまり理論として破綻しているのです。

これは夢だという理論だけがこれを打開する

そんな中、この視界に広がる世界はワンネスが見る夢だという理論を読みました。私はこの理論を読んで人生で初めて目から鱗が落ちる感覚を得たのです。この物理次元は理論上破綻している、それを打破してくれた唯一の理論が「これは夢だということ」です。ここに広がる世界が夢だという理論以外どう判断しても理論破綻しているのです。夢、幻想でなければ、この物理現象界は説明がつかないのです。

間違いなくここにコップはある

間違いなくここにコップがあります。ですがこのコップをありのままに認めてしまったら理論破綻します。コップは間違いなく目の前にありますがこれは夢の中で確実にあるということです。幻想として確実にあるということです。これが真実です。コップの存在、白い、硬い、厚い、重い、粗い触感これは紛れもない事実です。ですがこれは夢です。この事実を認め夢であると腹落ちしていく以外に進むべき道はありません。

夢物語の絶対条件、不足感

不足感から逃げるか、不足感と向き合うか

これは夢です。そしてこの夢の中では常に不足感が湧いてきます。この夢の中で生きている限り不足感から逃げることはできません。この夢を創造するワンネス、夢そのものであるワンネスはその中に自分(主人公)という小さな小さな存在を作り上げました。この小さな小さな自分の構成物質はワンネスですから自身が実はとてつもなくかつては大きな存在であったことを知っています。にも関わらず今この夢の中にいる自分(主人公)はあまりにも小さい。そのためこの夢の中で主人公でいる限り不足感、欠乏感が次から次へと湧いてくるのです。多くの方はこの不足感とどう向き合うか?逃げます。友人とのおしゃべり、TVゲーム、雑務、忙殺、タスク処理、、、不足感から逃げ切って人生を切り抜けようとするのです。そしてこの作戦に限界を感じた時に病死もしくは自死を選びます。

不足感から逃げずに立つ向かう

不足感を生み出しているのはこの夢の中で主役を張っている時です。主役を張るためにはこの心身こそを自分自身だという思考を維持し続ける必要があります。本当はワンネスそのものであり、一時的にこの夢物語に閉じ込められた主役を演じているだけであってそれは偽りの姿です。偽りを維持し続けるためには常にこの思考(自我)を維持する必要があるのです。逆に言えこの自我を手放すとワンネスに戻ってしまいます。夢物語の中からポコッと抜け出てしまうのです。不足感と向き合う方はこれをやります、何かに真剣に向き合う、集中する、誠実に取り組むことで思考を止め、自我を落とし、その場で無心、ワンネスにシフトします。これで不足感を解消します。

最終的にはそこから夢を覚ます

いつでも夢から覚めた状態に戻ることができる主人公は夢物語に居ながら夢の外にいつでも抜け出ることができます。本当は夢から抜け出る主人公はいないのですが主人公をその場で消し去ります。いつでも自分(主人公)を消し去る感覚を覚えていきますと無我、大いなる一つ、真我、ワンネスの状態が根付いてきます。夢から出た状態です、時間や空間に作用されずそのままで歓喜、幸福、安堵になってしまうことです。

この夢物語の中で目標が叶いにくい理由

ほとんどの目標がこの夢では叶わないわけ

簡単に目標が叶うならばそれはワンネスの不完全体験になりません。完全であるワンネスは完全であることは知っています。完全であるワンネスが知らないことは不完全であることです。だからこそこの夢では簡単に目標が叶うわけがないのです。というよりもほとんどの目標は結果叶わずに終わります。夢の中で自己啓発本はたくさん出版されているのは目標が叶わないからです。目標が叶わないことがデフォルトです。

必死になると目標が叶うわけ

ところがこの夢の中で、生死を左右するような絶対絶命の時には人は火事場のクソ力という力が湧き出ていとも簡単に目標が達成できてしまったりします。これはどういうことなんでしょうか?もしくは3億円という懸賞金がかかったりしたら多くの方はこの目標を達成することもできるでしょう。そしてその自信もあるはずです。絶対絶命の状態、三億円の懸賞金がなぜ人を本気にさせかつ結果を出させるのでしょうか。それはそれらの要因によって思考が抜け落ちるからです、無思考になります。自我が出る余地がなくなります。すると不思議中からパワーが湧いてきて通常の7倍近い力が湧いてくるのです。究極の味方だと思っていた思考が抜け落ちた時、人は圧倒的な力が湧きます。無思考、無我、=ワンネス、大いなる一つです。火事場の糞力は無心に入ることによって誰でも発揮できます。

無思考になることで目標が叶うとなると人は思考を信用しなくなる

これは夢です。この夢の中で目標を叶える方法は思考を手放すことです、無思考になることです。何度も反復を繰り返し思考の出る幕を無くした時に無心、無我、ワンネス状態になり目標が叶っていきます。この感覚を一度でも身につけることができるともう思考に頼ることを一切しなくなります。思考は最強の道具ではなくなり適材適所使うための非常用器具になります。無心、無我、ワンネス状態とはこの夢から一時的に覚めた状態です。一時的に分離しているというこの錯覚から目覚めることができます。ワンネスは一時的に夢から覚めて目標を易々とクリアします。こうして夢から覚めた状態を徐々に思い出していきます。書道、花道、茶道などは何度も反復作業を繰り返すことでこの感覚を思い出していきます。火事場の糞力が出る感覚、夢から覚めた感覚、歓喜、平和、安堵にシフトする感覚を思い出していきます。