神エネルギーがただ揺れ動く世界

神は動く神を作って見せた

動かない神いこれを空と呼びます。動く神それを色と呼びます。オーロラの光は確実にあるように見えるが実はない、、、これぞ色の世界、動く神の世界です。蜃気楼は確実に見えるが実はない、、これが動く神の正体です。この地球、日本、東京は確実にあるように見えます、ですが無い。これが動く神の正体です。全部が全部蜃気楼です、この蜃気楼は見えるだけでなく、触れて、匂え、聞こえる蜃気楼です。人間とはこの蜃気楼の中で「我が人生」を構築できる蜃気楼です。だから人間の体には月偏が付いてて、胃、胴、脳、腸、、、となります。人間が見ている月は惑星自体ではなくそこを照らす太陽の光です。要は蜃気楼です。この人間の体が蜃気楼であることを太古の人々は見抜いていたのです。

この世の真実を知った人間は活動を止める

この世は神エネルギーが揺れ動く世界です。本当はただそれだけ、今もこの世は揺れ動いています、だから朝が来て昼があり、夜がきます。この神エネルギーの揺れ動きの中で人間は独自の進化を遂げまさかの独立した自分が居るという意識を発明しました。この人間は神の揺れ動くエネルギーの中で自分と自分以外というアイデアも発明しました。そして人間目線での経験を記憶し「我が人生」すらも発明したのです。私の人生、あなたの人生、あの人の人生、、、奇跡の大発明です。そしてこの人間はこの人生が終わってからも次の転生があるという発明までしてのけ、この自分を永遠のモノにまでしていったのです。奇跡です。

人間社会は慌ただしく真実が隠れる

この人間社会はとにかく慌ただしいのが特徴です、蜃気楼である人間は何もしないで止まっていると途端に苦痛、退屈、孤独、不足が襲ってきます。この苦しみはこの蜃気楼が独立した別個の存在であるという意識、人間意識が発達ことから生まれました。なぜならばそれは幻想、錯覚だからです。この錯覚は錯覚ゆえにじっとしていると壊れてしまいます。常に対象を見つけ、対象があるから自分もあるという維持機能を発動させなくてはならないのです。自分が居ると錯覚し続けるには常に新たな対象が必要になります、何かを食べているから食べる自分が居る。友人と遊んでいるから自分が居る、称賛を浴びているから自分が居る、喧嘩しているから自分が居ると、、、この自分を維持し続けるには何か対象が必要になります。自転車に乗り続けるには漕ぎ続けなくてならない、、人間であり続けるには動き続ける必要があります。そして動き続ける限り真実が隠れます。

(Visited 5 times, 1 visits today)