マリオの動きは全体がメイン

マリオが進んでいるのではない、全体が変化している

マリオゲームを進める時、マリオが前に向かって進んでいると多くの方は思っていますが実際は画面が動いているだけです。画面上の画面そのものが変化することでマリオは先に進んでいる錯覚を起こしています。これ実はこの物理次元でも同じでして人間が動いているではなく画面が変化しています。我々が駅に向かって歩く時変化しているのは全体景色の方です。我々の動きに連動して景色が確実に動いているのです。人間が動き回り景色、背景は全く動いてないというのがこの人間の共通認識ですが実際は逆です。

景色が変化している実感が湧かないのは我々が景色そのものだから

我々の本質は全体です、全体の方が本質であり、この体の中に居るとされる私、自分こそが偽りです。偽りの自分が駅に向かって歩く時に本質である景色が変化してみせます。本質が景色そのものですから景色が動く時に何も感じないのはそのためです。コーラは中のコーラの動きを感じることはできません、中の異物(自分)の存在しか認知できないのです。コーラとは景色、異物とは駅に向かう自分です。

目の前で動いている昆虫の前に進む感覚が湧かないのは自分自身だから

人間は完璧な勘違い、180度の勘違いをしています。実感が湧くこと、感じることは異物の全体の中での動きです。全体が全体のまま動く時そこには何もありません。目の前の木の成長をあなたは実感できません視覚以外で。気が伸びるそのものの感覚を感じることは不可能です。それは全体の全体による動きだからです。コーラのコーラによる動きです。コーラの中で異物が動く時にコーラはそれを認識します、その認識を自分のモノとするのが自分、人間です。覚者がいう「自分は全部だった」というのはこのことです。「自分が消え去り全体だけがあった」全体を感じる自分(異物)の消滅です。

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