先ずは「苦しい」を終わらせる

悟りを求める人々の大勘違い

なぜ覚者と質問者との間のコミュニケーションは食い違うケースが多いのか???質問者は自分が幸福のなる方法を聞きたがります、、ですが覚者は、、自分が居ないということ回答し続けます。その回答を聞いて、、自分が居なるための方法を質問者は問いてきます、、覚者はもともと自分が居ないから自分を無くす方法が無いと答えます。質問者はでも自分が居る感覚は確実にある、、どうすればいいか?と問いてきます、、覚者はどうすることができる自分が居ないと回答します。

これは非常に難解な問答になる

今まで生きてきて、、この体の中の自分が居ない、、、などのメッセージを聞くことは皆無です。総理大臣、国連事務正長ですら、、体の中に自分が居ると信じて疑わないでしょう。だからこそこの世から苦しみを解消することは不可能なのです。つまり大前提の勘違い、、ここに全ての根本理由があるということです。ですがこれを理解するのは至難の技、、なぜならば一歩外のでれば今もその前提で世界は回っています。TVを観ても、小説を読んでも、映画を観ても全部が全部このパターンです。

気づきの意識がこのカラクリに気づくまで続く

このカラクリに気づくのは個人ではありません、個人が居ないということを個人が気づくということは不可能です。マリオにのめり込みすぎてしまった子供がハッとゲームを止める瞬間が悟りです。個人に意識し過ぎてしまいこの世界にのめり込むことに、カラクリを発見し気づき直すことが悟りです。悟りとは気づきの意識の気づきのことです。この気づきが起きますと「苦しい」は消えます、、するとこれからの人生の課題や、人生の目的、、など今まで重要課題がどうでもよくなります。今までくるしかったから色々な課題を見つけては改善していたことに気づくのです。

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