大人への恨み

子供が大人を恨む理由

今苦しいですか??今不足感を感じますか???今違和感を感じますか???それらネガティブな感情を抱かせた張本人は見かけ上の両親です。なぜならば海として生きていた存在に「あなたは波である」という洗脳を何十万回も行ってそれを固定化させたからです。「私は波である」この感覚を錯覚として覚えることで、、エンドレスに苦しさ、不足感、孤独感を引き起こすのです。そしてこのことを何かが気づいています、だから子供は親を心の底で恨んでいるのです。

先ずは親を超える

この洗脳を脱するためには先ずは親を超えることをお勧めします。親よりも抽象度をあげていくのです、親よりも俯瞰した物の見方ができるようになっていきます。これによって子供は親よりも俯瞰した見方を手に入れいずれ自我をも俯瞰できるようになるのです。自我を俯瞰するとは自我の構造を理解するということ、すると自我の自動反応によって苦しむということが無くなっていきます。自我によって苦しまされるのは自我の動きに無意識だからです。

自我とはこういうものである

自我、エゴとは何か???これを冷静に理解できれば自我の動きが起こった時にそれを俯瞰、観察できるようになります。自我によって人が苦しむのは自我が立ち上がった際に起こる不快感をさらに自我が解決しようとから周りするからです。ですが自我が立ち上がるがゆえの苦しみを自我が解決しようとすることで苦しみがデフォルト化します。つまり絶対に解消されないといううことになります。この動きが俯瞰することで止まるのです。

豊かさはセルフイメージの反映

自分を波と捉えるか否か

これは夢です、完全に夢です。自身を海ではなく小っぽけな波と捉えれば、、、それが反映されたような豊かさを手に入れます。自身を広大な海として捉えれば、、広大な豊かさを引き寄せます。毎晩見る夢でも同じですがその気分がそのまま投影されるということです。自身を小さい小さい波と捉えればその通りの現実(現象)という夢が起こります。

私はこの体思考感情だけではない

多くの方が持つ概念はこの私とはこの体思考感情のみである、、です。この広大な世界でこの小さな体のみが私です、、です。この概念は真実とはかけ離れ貧しい思考なのです、、そうなるとそれが反映された現実という夢が訪れるのです。ですがこの私とはこの体思考感情だけではなく、、本当はこの世界そのものなんだ、、という概念を所有しますと、、それを反映した現実という夢を起こすことができるのです。

私は海だ

私は波だ、、、に比べれば私は海だ、、、というのは途方もなく豊かな考え方ではあります、、ですがこれは概念の外には出れていません。なぜならば海は「私」はという概念を所有するはずがないからです。私という概念は私以外の存在を感じているからこそ起こるのであって、、海は海以外の存在を知るはずがないのです。だから海は「私」という概念を知りません。

救わなくていい

救っている暇はない

マリオはゲーム中常に苦しいのです、マリオの中に自分が居るというこの感覚によって違和感不足感が消えないのです。常に憤りを感じゆえになんとかこれを解消しようと前に前に進んでいきます。より高いステージに上がれば人生は向上するはずだ、、この違和感が癒えるはずだと。ところがマリオが感じる感情の全ては根本の不足感を癒すことは絶対にありません。なぜか???この不足感違和感はマリオから生じていないからです。生じているのは本質からです。だからクッパを倒した、レベルが上がった、楽勝だった、、というマリオありきの感情がこれを癒すことはあり得ないのです。

マリオになっちゃった苦しみ

マリオになっちゃった苦しみこそがこの苦しみの本質にも関わらずマリオがこれを解消しようとする動きは本末転倒、意味不明、無理ゲーです。ということでマリオの中には自分が居ないという気づきは起きるその時までこのラットレースは続くのです。だからだから、、途中でノコノコも救わなきゃ、クッパも救わなきゃ、クリボーも、、、は邪念です。

マリオじゃないが分かれば

自分はマリオじゃない、、、これが分かれば、、、、全ての苦しみから解消されます。その時にクッパもノコノコもクリボーも、、、救わなくてはいけない可哀想な人々だということがないこともわかるんです。世界に救ってあげなきゃいけない人々は実は居ないことが明白になります。明晰な意識がそれを露わにします。

なぜそんなことを???

成功者に限って

なぜあの有名人がそんなことを????それっていっぱいありますよね!!!一般人よりも100倍恵まれているように見えるにも関わらず、、、なぜそんなバレることがわかるようなミスを。。。です。答えは簡単です、、「苦しみ」の根本原因を解消せずにストーリー上の解決ばかりを図りそれでも解決しないから自暴自棄状態に入っているのです。つまり誰か頼むから止めてくれ!!!です。

お酒がどんどん強くなる感じ

最初は少量で飲んでいたにも関わらず収入が増えることで良いお酒をガンガン飲めるように、、ところが毎晩飲んでいたら、、、、飲んでも飲んでも簡単には酔っ払えなくなっていく。そして毎晩毎晩潰れるまで飲んでしまう。「苦しみ」の根本原因に手を付けずに「私」が解消しようとすれば多くの人は全く同じパターンに入っていきます。

苦しみを刺激で解消しようとする試み

人間にとって娯楽とは「苦しみ」を一瞬忘れさせてくれる刺激です。本当は一切苦しみは片時も解消されていないのです。何か大きなモノを得たという錯覚で「意織」を騙しているのです。これは完全に騙しですから同じ手口では効果が無くなっていきます、結果より大きな騙しが必要になり、、最終的には止められなくなるのです。海であることを忘れた波は常に不足感を感じています、、その波がお金を手に入れた瞬間、、不足感が無くなったような錯覚を得るのです、、ですがお金を得ても海に戻るわけではないので、、根本の不足感が癒えるわけがないのです。ですからこの手口は二回目以降効果が薄くなります。意識を別の代替品で騙す方法です。

周囲ありきを辞める

多くの方の行動原理

なぜ学校に行くの??なぜ働くの???なぜ結婚するの???なぜ???なぜ????全部が全部周囲がやっているから、周りがそうしているから、、、です。誰一人学校に行かず、誰一人就職せず、誰一人結婚していない状況であなたはやりますか?????絶対にしないですよね!!!!!つまりつまり、、私たちは周りがやっているからという理由で全部やってるのです。自分で選択して行動しているつもりかもしれませんが周囲の状況に反応しているだけなんです。

釈迦は「人生とは苦」と説いた

だから釈迦は悟り、、「人生とは苦」と説きました。生きるということで周囲の影響を受けずにというのは不可能なのです。ではどうしたらいいのか????周囲が幻想であることを見抜くのです、周囲はあなたが作り出した観念が投影した幻想です。。周囲を実在していると「感じて」いるから「私」はそれに反応を起こすのです。みんなが苦しんで頑張っているから「私」も、、が幻想、ストーリーです。

誰も苦しんでいない

今までは完全に騙されていました、、周囲が苦しんでいるから、、周囲が頑張っているから、、周囲も、、、、は全部そう感じるだけ。そのような事実は絶対に絶対にないのです、、なぜならばこの夢で起きる全ては気づかれるからです、、絶対に、、気づかれていることだけが確実に起こっていることです。気づかれないことは起きていないのです。

苦しみの本当の原因を知らないだけ

収入が少なくて苦しいんです。。。。

働いても働いても収入が上がらなくて、、、苦しいんです。。このような相談を受けた時に、、、それは嘘だ!!!!と思う人はまずいないでしょう。収入が少ないってひもじいよね、何のストレス発散もできないしね!!と共感するでしょう。。。。ですがですがそこが間違っているのです、そこの判断が間違っているのです。だから一緒になって収入が上がる方法を考えてあげちゃったりするんです。

「私が居る」という感覚のみが苦しみを作り出す

この世界の苦しみの原因の全てが「私が居る」という感覚です。「自由意志を持つ私がこの体の中に居る」この感覚だけがこの世界に苦しみを起こしています。収入、地位、評価、財産、、これがらシンプルに苦しみを生み出すことは不可能なのです。この私にそれが起きた時、、、、全部苦しいに変換されるのです。逆言えば「私」にかかれば全部が全部苦しいになるんです。

周囲はそんなこと気にしていないけど

残念ながら苦しんでいるのは「私」だけです、、、というよりも「私」という感覚だけがそれを起こしますから、、周囲に苦しいが大発生しているという事実はありません。たった一つの事実は今苦しいが確実に起こっているということ、今ここで。私という感覚が確実に今ここで苦しいが起こっているという事実だけが確かです。それ以外は全て空想妄想フィクション、、事実ではないんです。だから周囲がどうとかああとか実は本当にどうでもいいんです。周囲1千万人が「私」に同情してくれてもそう見えているだけ、そう感じるだけです。これが真実です。

「友人Aが死んだ」と他の友人からLINEが、、

えっ?????

大学時代の友人から、「クラスメイトの友人が亡くなったよ。。。」と連絡がありました。多くの場合人は「なんで????」「何があったの????」となります。ここで重要なこと、、それはこの時点はその友人が亡くなったという事件は実際には起きていないということ、この宇宙で。その友人と長い期間会っていないということその友人はこの宇宙には存在していなかったのです。そして今回「友人Aが死んだ」というLINEが現象として初めてこの宇宙に登場しました。これに対しなぜ????というラインを送り返すと、、「癌だったらしい」「交通事故で」、、、、というラインのみがこの宇宙に現象化するのです。

ショック!!!悲しい!!!は夢の中の住人の反応

夢の中に「私」が居る思っている人々の反応はこうです「なぜ????こんな若くに、、、」「残された家族は????大丈夫か」「もう自分もそんな歳なのか、、、、」「なぜあの子にそんな、、、、」ショック、悔しさ、恐れ、、、様々な感情思考が起こるのです。これが夢の中、イメージの中、幻想の中に住人の反応なんです。

真実は

真実はこうです「ただラインだけが起きた」です。その子がこうやってああやって死んだという事実は起きていないんです。勿論その子に会いに行こうとすれば「連絡が取れない、、お葬式をやっている、、家族から代わりに連絡が」という反応現象が起きるでしょう、、ただそれだけです。苦しんだその子、残された家族の悲しみ、、そのようなものはイメージ以外には起きません。え??????じゃあどういう反応を????

社会通念上失礼がないように振る舞う

だからといってラインを無視すれば怒られるでしょうし、、本当は何も起きてないんだよ!!と反応すれば怒られるでしょう、、、ですからそこは周囲に合わせればいいのです。そして亡くなった友人の中に「私」という存在が居ないようにこの体にも「私」が本当は居ないことを思い出していきます。「私」とは感覚でしかありません。こいうやって周囲のドラマの本質を見抜いていきますと安らぎ、安堵という人間の感情ではない何かが漂い始めます。

夢の中で解決しようとする動き

私が居るという感覚が苦しみを生み出すが

私たちはこの体の中に私が居るという感覚を何年もかけて生み出していくわけですが同時にそれは苦しみ、憤りを生み出します。そしてその苦しみ、憤りを「私が」所有することでこの「私」が解決しようという動きが起こります。つまり私というイメージ、感覚を覚えたことで苦しみが生み出されたにも関わらずそれをイメージの中感覚の中でさらにこれを解決しようとする動きが起こるのです。すると解決しようとするのはイメージ、感覚である「私」ですからまた苦しみ、憤りが起こるのです。

ラットレース

この「私」というイメージが、、苦しみを解消しよとすることでこの苦しみ解消劇場はラットレース化します。これを釈迦は「人生は苦」と表現しました。つまり人生とはラットレースですよ、、ということです。周囲を見渡せば当然ながらこの体の中に「私」が居るという大前提で動いています、つまりこのイメージの世界の住人なのです、全員が。そうなるともう解決方法は無いよね!!と諦めも起きるかもしれません。

ところが

ところが実際には、、「周囲もラットレースをやっている」というのがまさに思い込みなのです。周囲の人間もラットレースをしているように見える感じるだけなのです。これは最大のトリックです。周囲もラットレースで苦しんでいるのだから私も、、、がまさにイメージ化なのです。本当は全部イメージ、幻想なのでそれはないのです。今私が私という存在をイメージ、感じることでこの苦しみを所有しているだけなのです。

悟りすらも獲得しようとする自分

多くのことを成し遂げてきた、だから悟りも

私は獲れるものは全部得てきました。学歴、スポーツ、社歴、結婚、キャリア、財産、地位、名声、、、、だから私は最後悟りも獲得します。私って感覚を無くせば悟りを開けるんですよね????じゃあやったります。思い切っきりこれって自分が成し遂げようとしています。残念がら悟りはその個人が消滅することなんです。全部を成し遂げてきたこの最も親しい自分という感覚が抜け落ちることです。

自分って感覚はどこにあるんだろう????

そういえば自分って感覚はどこにあるんでしょうか?????目の奥????当然この体とリンクしていますから体に緊張といて残っているはずなんですよね。この感覚、この感覚が抜け落ちない限り、、どうしても私が悟りを開こうとしちゃいます。どんなにあらゆる情報を集めてもそれを集めている自分という感覚が残っていれば自分が肥え太るだけです。

自分が悟りたい、、は自分を強化する

悟りって何だ????覚醒って何だ????ノンデュアリティって何だ????追求すれば追求するほどに探求すれば探求するほどに、、、緊張感が出ますよね、、、その時に自分が居るって感覚は強化されているはずなんです。例の目の奥???あたりにあるやつです。体の緊張感が「この体この思考この感情は自分」という感覚を保持していますから、、それに気づき手放す必要があります。

私を取るか至福を取るか

私は至福を取れない

ノンデュアリティ、悟り、解放、、、、これらの言葉は魅力的に聞こえますね。。。。ですがこの言葉には、、私は到達できないのです。私こそが非ノンデュアリティ、非悟り、非解放を作る出す大元だからです。ですから私が解放に至る、私が悟る、私が目覚める、私が至福に至る、、、、というのは無理ゲーです。至福とはまさに私という概念、感覚が抜け落ちた状態、世界のことです。

でも確実にありますよね???

私っていう感覚、自分っていう感覚って確実にありませんか???体の奥、目の奥、、、個人差はあるんでしょうが。。。。この感覚が無くなるってありえるんでしょうか????この感覚がある限り、、至福ってありえないんです。なぜならばこの感覚こそが憤り、違和感、孤独感、分離感を生み出す張本人だからです。この感覚を所有しながら至福とか安堵とか平和とかありえないんです。

WE ARE THE ONE

無理無理、、、だって私という感覚がありますよね?????この私の感覚が孤独、分別、差別を作り出して居るんですから、、、、、みんなが一つなんて感覚を感じれるわけがないんです。この体の中に自分っていう感覚が抜け落ちた時に全てが理解できます、安堵、平和、歓喜そのものです。