自我の完成無くして悟りなし

自我の完成は人間ゲームの山場

これは神のリーラです。神が作った遊びの場、神は神のままでは苦労も不幸も孤独も味わえない、、、だからこそこの世界を構築しました。そうなりますともしも自身の両親が超お金持ちで一切働く必要がない、友人も一人もいらない、結婚も何もする必要がない、、となった場合に苦労というものをしなくてもいい状況になります。これは神が望んだことなのでしょうか?完璧完全な神がわざわざこの超不自由極まりない世界を作ったにも関わらずその恩恵?に浸らない人間がいればどうなるか?自我が完成しないわけです。自我が完成しなければ居心地の悪さ、欠乏感、不足感などが湧いてこないということになります。

ちゃんとした大人になることの苦しさ

大人になるのは苦しいことです、大人になることは分別をわきまえるようになること、この分別とはつまり分離世界を完成させることになります。この「自分」は他人とは完全に異なる存在であるということを証明することになります。これは苦しいことです、分離感、不足感、欠乏感が湧いてくる状況を自ら作ることになるのです。ですがこれは同時にこの体の存続を絶対的なものにしていきます。何かに頼る、依存するというのはこの体の存続においてはリスクがあります。

自我が完成するからこそ、、、

自我が完成するからこそあらゆる目標を達成することができます。結婚、子育て、出世、名誉、地位、安定、、、あらゆるアイテムを所持することができます。そしてそれを達成したときに次の欲求が湧いてくるのです。結局のところその先に何があるのか?ということです。この自分とは結局なんなのか?という悟りに向かった衝動が自然と芽生えてきます。分離意識全開、自我全開は悪いことでは断じてありません、むしろそこからが本当のチャレンジであり楽しさでもあります。

(Visited 2 times, 1 visits today)