否定とは分離の錯覚の中でしかできない

もしもこれが宇宙のアートだと分かっていたら

もしもこの我々が見ている世界が宇宙のアートだと分かっていたら、何も否定するものは在りません。あろうはずがないということです。なぜならばアート作品に分裂はなく全部で一個です、このアートの全体性が完璧であるならば部位部位に分けてこれを否定するんど起きようがないということです。ということで我々が日々行ってい否定とはこの大宇宙アートをバランバランに分裂させ部位別に否定するという行為をしているのです。まず「自分」を分裂させてから自分以外を分裂させ部位別攻撃をしているのです。

宇宙アートから切り抜いた時点で生気を失っている

ピカソの絵のごく一部を切り抜いて否定批判をする行為は滑稽です。なぜならばピカソの絵は全部で一つであり切り抜いた時点で価値は激減しているのです。バラバラに切り裂いて部位別批判をしてもその行為には意味がないのです。あるとすれば「自分」を優位に立たせるための戦略でしょう。我々は本来は最高傑作の宇宙アートを切り裂いてお互いに批判し競争し罵詈雑言を言い合うという意味不明の行為をしているのです。ですがこれも神の遊び、宇宙全体の遊びですから完璧です。

子供から無邪気が失われていくのは当たり前

大人になるということは無邪気が失われていくことです、元気が失われていくことです、、なぜならば宇宙全体の偉大なアートを思考、言語で名前を付けて徹底的に切り裂いていき生命力を奪っていくからです。奪っている「自分自身」も当然生命力が奪われていきます。徹底的に切り裂かれた世界を孤独に生きていくことになるのです。ですがそれも神が考えた遊びです、小さく切り裂かれた自分からこの世界を眺めてみたいという神のゲームです。どこまで切り裂かれても神は神ですからいずれは神に全員戻ります。

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