自我の欠落こそ真のアイデンティティー

真のアイデンティティーは自我の欠落である

自我は本当の自分は誰か?本当の自分とはより崇高な自分ではないか、、と自身の向上に努めます。魅力ある自分、崇高な自分、霊的向上を果たした自分、バイブレーションが高い自分、、、、とこのように自分というものを大前提としてどこかに真の自分になれる機会を常に探していきます。ですが実際には皮肉にもこの自分の欠落こそが真のアイデンティティー、真の自分です。これは分離世界の消滅であり、全体の現れでもあります。

分離世界とは全く違う場所に真のアイデンティティーがあるわけではない

神はどこか遠くにいるのではなく、ノンデュアリティーもどこか遠くに在るのでもない、非二元も。そうです、自我が神、非二元、ノンデュアリティーを隠しているだけであって今ここにそれは存在しています。人間の脳が自分を作り、世界中に分離したあらゆる物、人を創造しました。これは全部人間の思考が作り出した幻想です。この魔法が溶けれ今ここに神、全存在、非二元が現れます。

自我はこれまで自助努力を尽くしてきた

自我はこれまで最大の努力をして人生をなんとか幸福に近づける努力をしてきました。ですがこのラットレースは尽きることがない地獄です、いかに早くこれは地獄だと悟ことが重要になります。そしてこの自我ベースの人生には限界がありこれを死ぬまで続けても至福には至れないことをいかに早く気づくかです。そして今再び自分に問うのです、自分とは何か?この探求が始まるといつかどこかでこの世の真理にぶち当たります。この自分こそが幻想であり、自分が見る世界もやはり脳が作り出した幻想である、、それを見抜くとそこに真実が広がります。

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