探求をやめない限り全体は見えない

先ずは探求をやめる

自分とはこの居心地の悪さを常に解消すべく動き回る存在です。自分とは孤独感、喪失感の根本を見ようとはせず常に何かしらの行為でこれを解消しようとする存在です。自分に行動、探求を許せば自分はひたすらにこの行動を続けていくことになります。なぜならば今というここにただ居るのは非常に苦しいからです。だかこそ先ずは探求、行動を辞めなくてはなりません。いかに苦しくても先ず行動を止めること、ここがスタートです。

行動の先に真実がない

先ずは動け、、、これを人間は真理のように言います。ですが全体は自分の行動の中では絶対に見えないようになっています。なぜならば自分が動けるのは時空間の中だけだからです。目を見開いて全開で行動すればそこから時間、空間が生まれ出し、、幻想の世界にどっぷりと浸かることになるのです。そこには全体、神は居ません。

全体は個人が動くのを辞め、個人を解体すると現れる

全体とは個人が動くことを諦め、個人という構造を解体することでそこから現れます。個人という存在が全体を隠しているのであってその個人が全力で存在を探すのがギャグになります。個人という存在が抜け落ちた時こそ全体が出現します。個人が実は幻想であることを見抜くことで見える世界も幻想であり、、ゆえに動くことでは何も掴むことはできず、そしてそこに気づくしかありません。

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