真の変容

目覚めと共に

毎晩見る夢の中、、、あなたは仕方なく仕事に行くとしましょう。退屈な仕事、嫌味を言う上司、言うことを聞かない部下に囲まれて仕事が進みます。そしてある瞬間、これは夢だ、、、という気づきが起こります。あれ???これ絶対に夢だよな、、、、、、。です。すると夢が変容します、重い重い現実風の夢が、、、軽い夢に変わってしまうのです。明晰夢です。夢自体の重さが「変容」するのです。

では

この現実、、、この現実と呼ばれている世界が、、、夢だ!!!!と気づくとどうなりますか????重い重い現実風夢が、、夢に変わります。俺は今間違いなく夢を見ている、、、に変わります。その瞬間、、重い重い空気が様変わりしていくのです。ただの夢、、、、そしてこの私は、、夢の登場人物「私」じゃなくて夢を外から見る「私」だ、、、、に変わります。主人公のパラダイムシフトが起こるのです。真の変容が始まります。この夢から重さが消滅します。

この夢に

これが夢だと見抜かれた「これ」は、、、そこには夢を見る「神」「真我」の存在が登場します。するとどうなるか????神、真我の反映が始まるのです。「これ」に真我、神が反映されてきます。「これ」に真の幸福、愛が反映されてきます。幻想の幸福、愛じゃなくて、、、真の幸福、愛が反映されてきます。「これ」は現実と呼ばれるかつての姿ではなく神、真我の反映に変わるのです。これが真の変容です、ニューアース、地上と呼ばれる天国です。

自我ではない相手

会話

多くのケースでは自我VS自我の会話が起こります。自我とは思考ですから思考VS思考です。思考に向かって意識が言葉を話しかけるのです。向かう先は思考です。ですがグルは、、、思考に向かって会話をしません。グルは、、、自我が思考であることに既に気付いています。だから思考に向かっては会話が起こらないのです。グルは思考の先、思考に気づく存在に向かって話しかけるのです。すると自我の向こうで、、、自我を超えた存在に気づく意識の動きが起こるかもしれない。。。これがグルの役割です。

グルも幻想

とはいえグルも幻想です。グルが話しかけるというのも幻想です。事実ではこの意識の中で「相手」の先にある存在に向かって話しかける意識の動きが起こるのです。この意識の中に現れる幻想であるグルと相手と呼ばれる幻想の中で、、その先の存在に話しかける動きが起こったとき、、、変容が起こるかもしれない、、ということです。

気づきの中で

気づきの中で、、意識の動きだけが起こります。それ以外の動きは何も起こっていません。幻想は動き続けますがそれこそが意識の動きなのです。そしてその意識の動きは全て気づきによって気づかれ続け、、それがこの意識の動きに変容をもたらすのです。それが「相手」という幻想の中で起こる時、、真の変容です。グルはこの気づきが起こした変容の姿です。グルが実在するのではありません。実在の反映がグルです。実在に気付いた「この意識」の反映がグルです。

日本人に夢を??

海外経験

海外経験者は「日本人は覇気が足りない」だから俺こそが、、日本人に覇気を与える存在になりたい。。なぜ日本人は、、、、元気がないのか????となったりします。海外との違いに違和感を抱き、、日本人を鼓舞する存在になるのだ、、と決意を固めます。「俺流」を証明したいわけです。俺流をこの幻想の世界の中で証明したいのです。そして意識をそこに一点に集約させることでそれを成し遂げるわけですが、、、、、

現れた幻想「俺流」は消える

この世界に現れることができるのは「幻想」だけです。つまり証明されてしまった「俺流」は、、、幻想です。思考幻想が形になって現象化したに過ぎません。そしてその現象は、、、やはり幻想ですから当然消えるのです。証明された「俺流」はそこから消えるべく、、動きます。「俺流」を貫けば貫くほどにそれによる苦しみが起こり、、、やがて手放すことになるのです。

それが悪いことではない

俺流が悪いとか良いとかの話ではないのです。全ての俺流はやがて消える運命にあるのです。そして消えるためには「手放す」必要があり、、「手放す」ためには「手放したくなる」ような現象、幻想が起こり続けるのです。そしてどこかで「もういいや」が起こって、、それが手放され、、俺流は消えていくのです。そこで俺は考えます、、、俺は何をやっていたのだろうか????です。

真実に目覚める

俺流に散々放浪されてきた俺様は、、、、やがてもう、、俺流には一切執着がなくなり、、、もう真実を知りたい、、となります。俺流に拘っている時間があるならば、、、真実に目覚めたいという欲求に変わるのです。もういい、、俺様の考えなどどうでもいい、、、、これって時間の無駄やん、、、、となります。真実に「俺流」は存在しません。真実は「誰にとっても」真実でなくてはならないからです。俺流の真実はないのです。ですがこそがエゴの解体、自我の終焉です。

気づきが崩壊する?????

常軌を逸した感情

突然の会社の倒産、勤めていた会社が突然倒産に、、、その時あなたの感情は常軌を逸した状態になります。「どうしよう」「ローンは??」「子供の進学費用」「仕送りはできるか??」です。次から次へと感情が踊り狂います。ですが、、、ですが、、、その常軌を逸した感情に「気づく」気づきはどうですか????揺さぶられて感情に気づくことができなくなった?????なりません。絶対に絶対にならないのです。我々はこの「気づき」です。何もダメージを受けることができない、かつてもこれからも全くダメージを受けることがない「気づき」です。

無味無臭、透明無色の気づき

その気づきとは無味無臭、透明無色です。この幻想世界には一切ない「もの」です。この幻想物理世界、幻想時空間には一切ない存在です。それが気づきです。だからここで何があったっていいのです。だって何も影響を気づきは受けないのだから。では逆になんのために「気づき」に何一つ影響を与えれないこれらの幻想が存在するのでしょうか???何の意味があってこれら幻想は存在するのですか???

無限である自覚

「無限である気づき」の中には無限であるがゆえに、、、「自身が無限である自覚」が含まれています。含まれていなくてはなりません、無限ですから。その「自身が無限である自覚」が生み出されるためには「自身は有限である」という勘違いが最初に必要で、、その勘違いの先に、、、間違えた、、私は無限だ、、、という気づきのプロセスが必要になるのです。ですからあなたが今有限だという自覚があるのならばそれが大正解です。そしてもしかしたら有限じゃなくて無限かも???という気づきが起こっているならば大正解です。そしてまさに今無限であるという自覚があるのならば、、あなたは完全に役目を果たしたのです。

せっかくここまでやったのだから

恐怖心

絶対に後悔はしたくない、、、一回の人生を後悔する人生だけはごめんだ、、、だから一生懸命努力して、、、後悔しない人生を歩むのだ。。。。。。と努力し見事目標を達成。。。。ところが、、、思ったような感じじゃない。。。でもここで手放してしまったら、、、今までの努力が水の泡だ。。。。。。頑張ってきた「自分」を無下にするのはできない。。。。これが執着です。「恐怖」という土台によって頑張ってきた努力は、、、その努力によって何を解決してこようとも、、、その恐怖そのものが新たな問題を生み出し続けます。つまりこの戦いに終わりはないのです。

最終決戦

恐怖心は「ラスボス」です。そしてこのラスボスは絶対的に消える運命にあります。ですから、、、、この恐怖との戦いに勝つのは「あなた」であることは最初から分かっています。だから安心してこの恐怖心と戦ってください。問題が次々に起こるのは「恐怖」がここにあるよ!!!としっかりとしっかりと自己表明してくれていたわけです。そしてこの恐怖の存在理由は「無知」「勘違い」以外にありません。

リアクションマシーン

自我

自我とはリアクションマシーンです。なぜ????記憶で自我は構成されているからです。ですからこちらの「来週飲み会やるよ」に対して「相手の記憶」がそのままリアクションをします。相手の判断じゃないですよ、、記憶が判断を起こし、、、リアクションが生まれます。相手の自我が判断を下すのではありません。記憶から判断が起こり、、『YES』『NO』が起こるのです。これが皮算用、取引です。だからただのリアクションマシーンです。

では

このリアクションマシーンをリアクションマシンーンと見破れていない期間は「苦しみ」の自動運転に乗っているだけです。毎日毎日ただリアクションマシーンのリアクションに付き合うだけです。自身のリアクションマシーンと周囲のリアクションマシーンに寄り添うだけです。ですがどこかで、、、あれ????これってただの機械的反射に過ぎなくね????ここに何一つ自由意志なんて関与してないだろ????という疑問が生まれます。まさにそうです、あなたは真実に気づいたのです。

ここから

そこから我々はリアクションに沿うのではなく、、リアクション自体を変えていく方に関心が移ります。記憶が生み出すリアクションを変えるには、、、記憶そのものを変える以外にないではないか。。。という話です。ではどうやって変えるのか?????意図してそれを変える????記憶を意図して変える????違います。勘違いの記憶を勘違いと見抜き、、その記憶が自動削除されるよう促すのです。するとリアクションが変わってしまうのです。勘違い記憶が全て消え去った時「悟り」の瞬間です。

絶対不動

我々

我々は絶対不動の存在です。ですから現れては消える「私」は私では絶対にないのです。現れては消える「私」は幻想です。勘違い記憶が生み出す幻想です。我々は絶対的不動の存在ですから現れては消えてしまうような柔な存在ではないのです。そんな気分的存在では絶対にないわけです。ですからどんな悪口、罵詈雑言、、、一切一切気にする必要がありません。なぜならばその対象は「気分屋の私」に向けられているのですから。それは絶対的不動の「私」から生まれた幻想です。幻想の方の悪口は、、、ピントが完全に狂っています。

どこに?????

絶対不動の私はどこにおるんでしょうか???そんな絶対不動の私はどこで見かけることができるんですか????残念!!!!!見かけることができる「私」は100%「幻想」の方です。気分屋の方です。見かけちゃダメなんです、発見しちゃダメなんです。そうです、、、、本当の私は、、、姿形がなく、、、匂いもなく、、触れることもできず、、、味もなく、、、、全ての幻想に気づく「気づき」の方です。万物の「ステージ」の方です。森羅万象の動きに「気づく」方です。

だから

だから本当の私は「お腹が空く」ことも絶対にないし、、、困窮に困ることもない、、地位名声を受けることもないし、、死にかけることもない、、何もない、、、何一つ経験を持つこともない、、、全てがない存在です。つまりなーーーーーーんにも気にする必要がない存在です。何一つ失ったこともないし何一つ得たこともない、、、、これが我々の真実の姿です。さあ、あなたは今日から絶対的不動の存在として生きてください。無味無臭の存在として生きてください。隣の女性から「臭い」と罵られても、、、「へーそうですか」と他人事に捉えてください。

恐怖、恐怖、恐怖

土台

この幻想の体を「自分」としたことから同時に「世界とは分かたれた個別分離した自分」という概念が記憶の中に初期設定されました。そこからは全五感は全てその初期設定に属するようになり、全思考は同じくその初期設定に属します。そして全感情もその初期設定に属すのです。こうして現れた現象は全て初期設定に組み込まれ上書き保存されていくのです。年齢を重ねれば重ねるほどにこの上書き保存が強固になることから「分離感」「孤独感」「不足感」「恐怖心」もそれに準じて増えていきます。この状態で「よし明日から新しいビジネス始めよう!!!!」とはならない。。明日から山にこもって悟ろう!!!!とはならない。。。そんな発想は勘違い記憶から出力されないわけです。アベシ、ヒデブー、、、です。

徳川鎖国

鎖国を辞めろ!!!!開港せよ!!!!!海外からのプレッシャーに対して「じゃあ開港しまっせ!!!」とはならない、、、、年齢を重ねた重役ほど、、、不可能。。。。。。仕方なくペリーは「だったら攻撃しまっせ」と恐怖心を植え付けます。なぜこのプレッシャーが必要なのか?????簡単です。開港する恐怖心よりも、、攻撃される恐怖心を上にすれば、、、、恐怖心で動く徳川幕府は「YES」しか答えがないからです。バレているのです、、、、開港しない理由は「恐怖心」であることが、、、、この時点で完全敗北、勝ち目ZEROです。

それでも、、、、、

恐怖心で重鎮は動けない、、、決断するという選択肢が恐怖心で行えない。。。。。そこで現れたのが「若者」です。まだ勘違い記憶が少ない「若者」が、、、このままで海外列国に日本は植民地化させられる、、、と気づき、、動いたのです。何が違うのか??????若者には恐怖心が少なかった、、、ただそれだけです。若者が優秀なのか????ただ上書き保存された記憶量が少なかっただけです。つまり大人はこの上書き保存システムに気づき、、勘違いの記憶を削除できた時、、、、若者を超えます。意識的にこの勘違い記憶を削除できた時「行動」が若者を超えるのです。

非二元と「原因と結果」

困った事態

因果応報、、、、過去世のカルマ、、、女性からの怨念、、、、まあまあ巷では大流行りです。実はあの芸能人は女遊びが激しくて「生き霊」が半端ない、、、、、あの芸能人は好き嫌いが激しいから「周囲からの怨念」が半端ない、、、、、これ全て「原因と結果」「因果応報」の話ですよね。。。。。そして人間はこの手の話が大好きです。ですが、、、ですが、、、、非二元の立ち位置から説明すれば、、、因果応報は存在しない、、、以上。。。。となります。

時空間が存在しない

因果応報があるないの前に、、、ちょっと伝えないといけない事実が、、、、、時空間ありません。物理空間ありません。。。。はい、、、、どうやって因果応報が起こりえるのですか????説明してもらっていいですか?????全国の霊能者の皆皆様、、、、、物理空間、時空間が存在しないのに、、、どうしたら因果応報が可能なのでしょうか?????いっちょそこよろしくお願いします。。。。

つまり

つまり、、、つまり、、、因果応報とは、、、この時空間が存在するという「固定観念」が支えた幻想だということです。この物理空間が存在するという「固定観念」が支えた幻想の中でしか起こり得ないのです。その固定観念が消えた瞬間、、、当然因果応報も消えます、その幻想が木っ端微塵に消えます。女性からの怨念????それを成立させるためにはその女性の存在が存在するという「固定観念」が絶対的に必要なのです。だから、、、記憶喪失になった瞬間、、その怨念も消えます。記憶喪失になった瞬間消えてしまう「怨念」は存在しますか????そうです。幻想以外に存在できません。

スピと悟りの決定的違い

何?????

スピと呼ばれるジャンルと、、悟りの圧倒的に違いは何でしょうか???兄弟、姉妹、同ジャンルに考えられるわけですが事実では全く違うのです。一般的に言うところのスピとは、、、、現実世界の拡大、、です。物質だけじゃないんだ、、、物質以外にも、、波動があって、、、アストラル体があってエーテル体があって、、霊も居て、悪魔も居て、天使も居て、、、、とアイテムを増やしていくのがスピです。ですが、、、事実では、、、それらは全て「幻想」です。しかもその幻想を生み出すのは「勘違いの記憶」です。情報源、発生源は「あなたの勘違い記憶」です。この事実を空気を読まずに言ってしまうのが「悟り」です。

つまり

全ては記憶が生み出す幻想であるが故に、、、、その記憶を書き換えれば何でも登場してしまうのがこの幻想世界です。悟りは、、、その事実を容赦無く突きつけます。昨日UFOをガチンコ見たんです、、そうですか、、、そのUFOも確実に100パーセント幻想です。つまり実在はしません。確実に見たんでしょ、、だったら幻想です。これが悟りのメッセージです。現実を信じる人にも嫌われ、スピ好きにも嫌われる、、、全員から嫌われるメッセージが悟り、非二元のスピーカーが発するメッセージです。

戻れない、、、

だからってもう戻れません。なぜって?????だって幻想を実在と信じている期間はどうやったって「苦しい」のですから。。。だから絶対に嫌です。戻るのは不可能です。非実在を実在と信じていた頃に戻りたい????勘弁してください。。。。絶対に嫌ですね。。。この体を実在と信じていた頃に戻りたい????絶対に嫌ですね。。。この体の中の私を信じてた頃に????絶対に嫌です。