この意識

ここに意識があって

意識があります。間違いなく意識が存在します。そこを疑うことは誰にも出来ません。生きているという実感と言っても良いでしょう。この実感できる「意識」、「生きているという実感」が万物の中にも全て含まれていてその意識こそが万物の動きを司っています。ここに意識がハッキリとあってそれがこの体の中で感じることができるのだから、万物の動きも修行によってコントロールできるのか???水族館に行って魚の群れをコントロールできるのか???出来ません。不可能です。仏陀をもってしても水族館の魚を思うがままにコントロールは出来ません。

つまり

「意識の動き=万物の動き」はコントロールが効かないのです。意識がこの体の中にありありと存在しているにも関わらず渋谷センター街の動きをコントロール出来ません。つまり自由意志がないのです。自由意志がない証拠に渋谷センター街の人の流れをコントロール出来ないのです。つまりこの体というスモールコスモスの中も自由意志はないのです。思考が勝手に動きます。感情が勝手に動きます。何もかもが全自動、森羅万象の動きと同じです。

ということは

思い通りにしてやろう!!!という意気込みは危険です。全てをコントロールしてやるという意気込みは無知から生まれます。この感覚が強化されていきますとカルマ(勘違い)が増大し苦しみが増大するのです。真逆です。完全に逆です。完全完璧に逆です。つまり全てがコントロールのない世界でありその世界は「この意識」なのだという気づきが起こった時、解放が起こります。サレンダーです。究極の諦めです。

明日大地震が来るかも

小さい子供

二歳児の前で「明日大地震が来るかも」と話しかけても彼らは「????」何も感情が起こりません。何もです。彼らには「意識という言葉も知らない意識」が存在しています。確実に存在しています。その意識の前に「言葉」は何の影響も与えることが出来ません。どんな詐欺師も二歳児を脅して騙すことが出来ないのです。騙すためには言語を理解できる能力が必要になります。当たり前のことですが「この意識」は言葉では損傷を与えることが不可能なのです。

では?????

小学五年生に「明日大地震が来るぞ」と伝えれば震え上がります。どうしよう????困った、、、、何をしたら、、、、間違いなくパニックになります。ですが「意識」にはダメージがないことは分かっていますね。ではこのダメージ、パニックは誰が起こしているのでしょうか?????「意識」は完全無傷です。それが分かっています。では何が起こっているのでしょうか???

思考

「意識」から「パニック」の思考が起こっているだけなのです。それによって負の感情という思考も「意識」から生まれます。ですが意識は無傷です。意識の子供である思考感情が暴れているだけです。子供が暴れ狂っても親である意識は何一つ損傷を受けていません。これが事実です。「パニックが起こっているだから大問題だ!!!!!」という思考も「意識」の子供です。それも意識の変容に過ぎないのです。だから問題が起こりようがないのです。

でも本当に来たら、、、、

でも本当に本当に大地震が来てしまったら????それは大問題ですよね?????違うんです。大地震が来れば勿論パニックになります。当たり前です。大地震が来ても「家で寝てる」はないでしょう。ですがここで起こるパニックも当然思考の動き、意識の動きに過ぎないのです。意識自体は何一つ損傷など受けていません。この意識は何一つ損傷を受けれないのです。意識の子供である思考が荒れるだけです。その荒れた思考も意識の海に吸収されていくのです。

空想

事実

我々は普段どうやって苦しんでいるか知っていますか???そりゃ現実が苦しいから、、そりゃ貯金がないから、、そりゃ彼女が居ないから、、、、、違います。全く違います。「空想」で苦しんでいるのです。今彼女が居ないから将来孤独死に。。。。。今貯金がないから将来貧困者に。。。。。。今子供が居ないから老後ホームレスに。。。。。。と「空想」で苦しんでいるのです。解決方法を教えます。もしもその「現実」が訪れたら「対処」して下さい。それだけです。100の空想の万が一、、一つが事実になったら「対処」すればいいのです。

人間は苦しむ道具

「万が一」の事実を想像して苦しむのは非常に滑稽なことです。万が一の現実が、、、起こる方が難しいにも関わらずそれを空想して苦しむというのは非常に「おかしな」ことが起こっています。なぜ????なぜこんな非合理的なことをするのか????なぜですか????答えは簡単、人間は「空想して苦しむ」道具だからです。苦しむために作られた道具です。だから早くこのメカニズムに気づいて「人間」卒業しちゃってください。

泥仏

全てが意識

この世界の全てが意識で出来ていることに気づきますと、、、意識以外が存在しないことにも気づきます。つまり泥仏の真の意味に気づきます。泥も仏も全て意識です。だからそこには何も差異がないのです。そして泥仏に気づいた「わたし」も当然意識ですから私と泥仏を離す差異もないのです。全てが意識に吸い込まれていきます。

差異

差異を生み出すには「中身」が違う必要が本来はあります。金と銀は元素が異なります。ですがその元素の中身は意識です。この意識です。その場合金と銀は違うように見えるが一緒になります。金という知覚と銀という知覚は異なっています。ですがその知覚の中身はこの意識です。つまり二つは一緒になってしまうのです。こうして明晰に観察していきますと全て中身は一緒になるのです。全て意識です。意識の海に全てが包まれていきます。

生きよう

基本

とても基本的なことを言います。我々は朝起きると「今日も生きよう」とします。自由意志なしに。この「今日も生きよう」という意志が自由意志なしに起こるのです。つまりこの「意志」は内蔵されているということです。全てにこの意志が内蔵されています。だから今日も朝起きよう、食べよう、泳ごう、歩こう、、、、と続きます。「意識+意志」が内蔵されているのです。もっともっと正確に伝えれば「意識と意志」で全てが出来ているのです。つまり目の前の机も「意識+意志」で出来ているのです。

意志がなければ

生きようという意志が今ここでありありと存在しているから生きているのです。だから自由意志なんてないんですよ!!!という真実を伝えちゃっていいんです。我々自身が「意志」で出来ているんですから。だからちびっ子は公園でめいいっぱい遊びます。意志が自然と起こっているのです。ブランコに向かう意志があるのです。

自死

では自死は何でしょうか????意志がなぜ死を選ぶのですか???なぜですか????おかしいじゃないですか!!!!!簡単です。楽になろうとする意志です。意志が楽になろうと意志したのです。そして自死に関しても自由意志はありません。だから自死がこの世からなくなることもないかもしれない。なぜならばそれも意志の力だからです。

陽子=意志=愛

中性子=意識=調和

足立育郎さんという波動研究家の方が突き止めたには「陽子=意志=愛」であり「中性子=意識=調和」ということです。世界は愛と調和で出来ているというのが波動学が出した答えです。その通りです。全くもってその通り、そしてその「意識と意志」は間違いなくこの体の中で感じます。感じますよね???これがなかったら今生きているという実感も生きようという実感も湧かないはずです。でも間違いなくそれが今ここにあって「今ここ」=意識+意志=調和+愛です。ラブアンドピースというビートルズのスローガンはこれです。というかこれしか存在していないのです。

じゃあ

苦しいという感覚も「ラブ&ピース」ですか????そうです。その通りです。それが原料になって自分という感覚を思考で作り出し(意志)苦しい(意志)が起こっています。意識と意志が動きとして起こっているのです。これが体験をおこします。その体験の原料も「ラブ&ピース」です。つまり本当に我々は最初から愛に包まれ調和に包まれています。そのことをスッカリ忘れて今に居るのです。

タコ踊り

もしも

もしもあなたが道を歩いていたら「おっさんが素っ裸でタコ踊り」をしている姿を目撃したとしましょう。「え!!!!」となります。「マジで!!!」となります。そして次の日その姿が自然に勝手に湧いてきてしまう。なぜ????なぜその映像をフラッシュバックするの????しなきゃいいじゃん!!!!でも間違いなく翌日も翌々日も翌翌々日も、、「フラッシュバック」の映像が、、、その映像は夢の中でも。。。。。なぜですか????自由意志があるならそんな映像思い出さなけりゃいいじゃん!!!でも出来ない、、、何度でも何度でも。

結論

結論を言いましょう。自由意志がないからです。自由意志がない決定的証拠がこれです。ないんです。自由意志は。ただしそのフラッシュバックを認識する存在が確実にいます。勝手に湧いてくるフラッシュバックに気づいてしまう存在がいます。それが「あなた」です。勝手に湧いてくるビジョンに確実に気づく存在が「あなた」です。つまり我々は自由意志の覇者ではなく勝手に浮かぶビジョンの認識者です。

大転換

大転換が起こります。天変地異です。次元が一瞬で変わってしまうのです。なんだこりゃ!!!!です。俺は思考を操る「自分」という存在じゃなくて勝手に湧いてくる思考の認識者に過ぎなかった。。。。感情の認識者に過ぎなかった。この体が自分だという誤解も勝手に今まで湧いていてその認識者に過ぎなかった。そして全ての思考、全ての感情が勝手に湧く大元、根源こそが自分だったのです。ただそれをシレッと認識するだけです。

映画は既に撮り終わっている

人生

自由意志が存在するためには時間と空間が必要です。AかBかを選ぶ自由が存在するためには時間と空間がどうしても必要になります。ですが実際にはありません。時間も空間も科学的に存在できないのです。ですから自由意志は100%嘘です。自由意志という感覚を生み出すには自分という感覚を生み出し時間という感覚を生み出し空間という空間を生み出す必要があるのです「ここ」に。その生み出した存在それが本当の「私」です。「本当の私」の中にその全ての感覚を生み出し自由意志という感覚を生み出すことに成功したのです。

だが

だが実際には空間も時間も存在しないので自由意志は存在しません。そしてこの映画は既に撮り終わっています。データとして既に存在しています。そのデータがここで解析され今データの一部が再生されているに過ぎないのです。今そのことに気づくというシナリオがこの映画の中で起こりました。データにおいてその部分がここで再生されたのです。

データが再生されているに過ぎない

データの一部がただ再生されているに過ぎない、、この気づきはかつての「自分」を木っ端微塵にします。映画の中の主人公はただのデータの再生部分に過ぎなかったのです。撮り終わった映画を「人生」と勘違いしていた存在が今、撮り終わった映画だと認識しました。「意識と意志」の中でそれが起こったのです。そのことが「意識と意志」の中でその気づきが突然起こり、、、そのことに気づく存在が現れます。それが真我です。

何のため???

撮り終わった映画

これが完全完璧に撮り終わった映画なら何のために「自由意志」という感覚を生み出すんですか????全く見意味ですよね!!!この滑稽な映画は何のために必要なんですか???????それは自由意志があるという勘違いすらも映画の幅として必要なのです。この映画の数は「無限」なんです。無限ということは「勘違いも」無限の必要になります。ですから全ての映画がある必要がありその映画には「勘違いの主人公」も含まれていなくてはならないのです。

そうか!!!!

だから我々はこの映画の中で「映画」というものをなぜか観てしまう。なぜか???映画という最初からエンディングが決まっているエンタメを観るのです。これ大ヒントです。大ヒントにも関わらず「時間」「空間」という感覚があまりにもリアルだから「自由意志」もリアルになり、、、、勘違いが抜けないのです。ですが時間空間は100%存在しないので自由意志も100%存在しません。

マトリックス

思考から出ろ

映画マトリックスは完全に覚醒を描いた映画です。思考から出ろ!!!!思考が作り出す世界から出ろ!!!これがメッセージです。では、、、、、空間も時間も嘘ならば世界も嘘です。ならば思考から出るとはどこから出ることを言うのでしょうか???世界も存在しないのです。どこから出れば脱出成功ですか???どこから????

どこでもない

我々は最初からどこにも存在していません。世界がないのですから。世界がないのですからこの体も本当は存在しません。何も存在しないのだから脱出すべき「スペース」もありません。では何が存在するのか????それは五感です。五感は100パーセント存在します。その生み出された五感を思考が編集して「世界があるのだ」という観念をぶち上げたのです。ただ思考が突然起こり「世界」を誕生させたのです。ですがそれも思考の中でです。

ないないない何にもない

何も存在できないのです。空間も時間もないのですから。起こっているのは五感とそれを編集する思考感だけです。それだけです。それしかないのです。それ以外があったら裁判官に提出してください。絶対に提出できないので。そして本当の私とは、本当の我々とは、、その五感と思考感に気づく「気づき」です。これが正体です。五感と思考感に紛れもなく気づいているから「体」があると信じてきたのです。違います。五感と思考感覚に気付いていたのは「気づき」です。

五感があるのだから「体」もあるのだ

全てはここから勘違いが始まります。この気づきは紛れもなく事実だから事実から逆算すれば絶対に「体」も存在するに違いない。世界も存在するに違いない。これです。これが起こっているのです。気づきは「五感」と同じ次元では起こりません。気づきは「思考」と同じ次元では起こり得ないのです。ですからこの体が五感に気づく、思考に気づくのは不可能なのです。これでしっかりと騙されてしまいました。