究極の解放感

問題すら愛おしい

この夢では何でも起こります。トラブルも起こります。友人同士の喧嘩も起こります。ですが既に深刻さがありません。それすらも愛おしくなります。トラブルが起こったという認識は記憶が作り出すのです。記憶こそがトラブルの生みの親です。だから何も深刻さはないのです。記憶という原料でできたトラブルが起こるのです。記憶が形を変えてトラブルになります。ですがその記憶の原料は夢でありつまり自分自身なのです。

自分自身の変容

そうです。トラブルとは自分自身が変容してそこに現れたのです。トラブルを因数分解するとまさかの自分自身が飛び出てきます。なんだ全部自分じゃないか!!!と気づきます。だからどんなトラブルがこの夢で起ころうとも深刻じゃないのです。記憶とはこの夢の世界の言語の集積です。言語の集積が記憶となりその記憶が目の前でトラブルを生み出しています。紐解いて見れば言葉でしかないのです。

あいつが、こいつが

人の相談を受けます。実はあいつからこんな仕打ちをされていてもう我慢の限界なんです。この悩み、、この悩みは「あいつ」という存在が実在し「私」が実在しているという前提でしか成立しません。ですがこの夢の中の「あいつ」は100%実在できません。そもそも空間が存在しないのです。夢の一部として「あいつ」が登場し記憶があいつを知覚させるのです。

究極のメッセージ

誰も生きていない

夢の中の住人はアバターの世界です。そこには間違いなく「誰か」が存在して見えますがそれは全て存在の投影、アバターです。つまりそこには「存在」は存在せずアバターだけがここに投影されます。インターネットゲームの中のあらゆるアバターの奥には各プレイヤーが存在するようにここの現れでる人物は全て「存在」のアバターなのです。ですから苦しんでいる「実在」は皆無です。苦しんで見えるアバターは存在します。そこには苦しみはあるかもしれませんが全て存在の投影です。

存在

では存在はどこに居るんでしょうか??存在は物質ではないので「どこか」には存在しません。この夢を見ている「存在」としか表現しようがありません。もっと言えば「夢と存在」という二者が存在するのでもありません。夢自体が「存在」です。その存在のアバターが人物として投影されるのです。そしてこの夢に「気づく」気づきこそが真の私です。真我です。

夢と気づき

夢と気づきには分離しているのか???そこにも分離は存在しません。気づきがそのまま夢となりその夢も現れては消えるのです。ですから全てが気づきとも言えます。全てが真我です。空です。根源です。根源が「意識=存在」になって意識、存在の変容である夢を見るのです。それがアバターとして人物に反映されます。この夢では人物同士がコミュニケーションを取りますがそれは存在のアバター同士のコミュニケーションです。

収縮するエネルギー

体を意識する

体の中に不快感がありますと我々はこの自分を強く意識します。自分という感覚を強化させます。ヨガは体の緊張を取り除くことでこの動きを緩和するのです。体の不快感を取り除き「自分」という感覚が現れないように導きます。大勢の人の前に立つ時「緊張」「収縮」が起こり自分が強く意識されるのです。ですがこのことが分かっているならば緊張収縮が起こってもそれはただ全体の私の中でそれが起きたのだという自覚になるのです。収縮からの「自分」ではなく、、ただの収縮になります。

世界の中の自分

「世界とは分離した自分が存在するのだ」という固定観念は収縮を生み出します。この観念が収縮を生み出し収縮があるから自分が存在するのだという縛りが生まれます。収縮こそが自身の存在の絶対的証拠だということです。この仕組みを壊します。固定観念こそが収縮の正体であり、、収縮が自分を証明するものではないのです。ただ固定観念によって収縮が起こっているのだという気づきに変えます。事実では自分など存在しません。、ただここに夢が起こっているだけです。

固定観念と収縮

固定観念がただ「これ」を夢と変えます。一番大きなアイテムが「自分」です。その自分は収縮するエネルギーとなりそれがあるからさらに自分という固定観念を強化します。ですが本当はただ「これ」という意識が現れているに過ぎません。意識という窓に固定観念という網戸が作られてその結果収縮が起こるのです。これが分離感を強めます。

アイデンティティだけが残る

アバターはこの夢には必要です。この夢では人間が人格を持って登場しますからそれを否定することは不可能です。人間は個人として知覚されていきますがそれは真実ではありません。その知覚が起こるだけです。個人という実在が存在すると勘違いするから益々個人という観念が強化され収縮が起こります。収縮があるからこそ個人が存在するという観念が強化されるというスパイラルに入ります。

私のDVD

どこかにある

私の人生というDVDは今ここに実は存在していてそれが流れています。次に何をやるのかがそのDVDには間違いなく存在してそれが流れているだけです。このディスクの動きが激しい時時間が早く進んだと感じ、そのディスクの動きが遅い時、時間をゆっくりと感じます。動いているのは映像であって時間ではないのです。映像の動きが早い時「あれ、、もう1時間経ってる」となります。ディスクの動きが遅い時、、まだ1時間しか経ってない汗となります。

ヨガ行者

ヨガを極めていく人は自分自身のDVDの内容を分かっている人です。ですから無駄なことをしません、だって分かっているのですから。ところがそのこと自体もこのDVDには載っているのです。どちらにしても自分自身を分かっている人というのはDVDに能動的にアクセスできる人のことです。この事実を聞いて「困る」という反応を起こす人はこの事実には触れません。この事実は隠された事実です。オープンシークレットという本がありますがまさにそうでこの事実は公の秘密です。

救世主

NEO

マトリックスの映画ではNEOが救世主として登場します。NEOこそが全てを救うのだと。ではあなたの夢での救世主は誰でしょうか???「あなた」です。あなたが完全完璧に救世主です。この夢から覚めることができるのはあなたです。なぜならばこの夢はあなたがまさに今作り出している夢だからです。あなたが存在しなかったらこの夢は存在しないのです。朝目覚めた瞬間にあなたが起動して世界も現れるのです。

あなた

あなたが今まさにこの夢から目覚めるのです。それは今です。いつか目覚めるのだという思考は夢の中の時間というアイテムによって生まれる思考です。時間も夢の中の一種の機能に過ぎません。時間すら本当は存在しないことにも目覚めるのです。時間という体験、空間という体験がこの夢の中で起こっているに過ぎません。あなたはまだこれを現実と信じる経験を積み続けたいですか??それとも夢を夢と見破った経験を積みたいですか??それを見破った時、経験から「あなた」が消えます。救世主のあなたは消えます。

違い

自由意志がないから

この世界は全て神が操っている世界です、神です。神から勝手に現れる世界です。ということは見える全ての人の行動は神が牛耳っています。誰一人自由意志では生きてはいません。その場合人間の動きの全ては「違い」でしかありません。渋谷駅に行けば1万人がそこに現れます。その全て、その全ては自由意志ではなく神によって動かされている人々です。

つまり

これは神が生み出したアートなのです。渋谷駅は何万人も含めてアートです。ですがあなたはアートだと感じていません。雑踏でしか感じていません。それが悪いのではなく催眠がガッツリ効いています。外国人が渋谷駅に感動するのは先入観という観念を通していないからです。観念を外していきます。「最近の若者は、、、」というオッサンの観念を外していきます。「不景気だな、、」という観念も外します。だって誰にも何も責任がないのですから。。。すると渋谷駅が神のアートに写ってきます。

何が起こっても気にしない

起こってもいないから

何が起こっても気にしないという言葉があります。ですが事実を言いましょう。何も起こっていません、最初から。起こった「事実」というのは思考が作り出した創造物です。五感の動き以外には思考が起こした「出来事」しか存在しないのです。出来事とは思考のことです。世界一周旅行をしても何も起こらないのですか???起こりません。五感の動きと思考感情の動き以外が何も起こりません。

会社の上司

会社の上司に完全に「ボコボコ」にされています。それでも何も起こっていないと言うのですか???五感の動き、思考の動き以外何が起こっていますか??それらは全て7つの感覚の中に収まっています。事実ではそれ以外が何も起こっていません。そんなことを言ったら世の中の会話の内容は何なんですか???全て勘違い、間違いです。事実では何も起こっていません。

しかも自動運転

しかもです、しかもその7つの感覚は自動で起こるのです。こちらが一才の関与なしに自動で起こります。もうこうなったらお手上げです。何も起こってもいなくてしかも7つの感覚は自動です。え????じゃあ私たちは何をしているんですか????安心してください。私すらも思考の動きです。その思考こそが今自動で起こったのです。もうお手上げです。お手上げ過ぎます。私も存在せずこの体も存在せずしかも移動もせずただ七つの感覚だけが自動で起こっています。

何もない

目覚めますと実は何も存在していないことに気づきます。オールナッシングです。ゼロです。完全なゼロです。ですから物質も存在せずこの宇宙も存在せず体も存在せずだから移動も何もしたことがないのです。ただ7つの感覚だけが自動運転で起こり続けています。これがこの私の人生というDVDの正体です。

今というのは空間でも時間でもない

「今ここ」という言葉があります。この言葉は今という時間とここという空間ではありません。そうではないのです。そんな時間も空間も存在しません。「今ここ」とは五感か思考、感情の感覚のことです。これ以外に今ここは存在しません。五感が現れ思考は現れ、感情が現れるその瞬間が今ここです。だから「私」という実在など存在する隙間が存在しないのです。今ここという時空間が存在しないにも関わらずどうやって「自分」は存在できますか????物体である体すらも存在する隙間がないのです。

なんてことはない

自分を消そう、自分を消そう、、、と意気込む前に、、、五感と思考感情しか存在していなかった、、それ以外に何一つ存在などしていなかったと気づいた時、、、、消そうとしていた「自分」が思考でしかなかったことに気づきます。もしくは収縮した感覚を自分と思考していただけだったと気づきます。それ以外が存在しません。どこを探しても五感と思考感情しかないのです。

180度の転換

地球の周りを太陽が回っていると考えていた時代が最初にあって、次に地球こそが太陽の周りを回っていたという時代があって、、、最後には地球も太陽も何も存在していなかったという気づきの時代に入ります。あったのは五感と思考、感情の感覚だけです。エネルギーすら存在しません。感覚のみです。参りました。何もなかったのです。この気づきに気づきますと、、最終的に五感プラス思考、感情の感覚は何によって気づかれているか???という問いが起こります。気づきと「五感プラス思考プラス感情」だけが存在します。空即是色、色即是空の空とは気づきであり色とは五感+思考+感情のことだったのです。

不安な将来

地球

地球の将来が不安なんです。このまま地球の環境が汚染されてしまったら地球は滅びてしまうのでしゃないでしょか。。。どうしたらいいのでしょうか。。。その地球はどこに存在するのですか????空間がないのです。地球とは存在しない存在のことです。だから未来の地球というのも当然存在しません。地球自体がないのですから。

でも視界では

でも視界ではしっかりとその映像があります。汚れた地球の映像は検索すれば直ぐに見つかります。残念、それも映像でしかありません。信じられないですがそれは視覚です。視覚があるから「地球」が存在するというのは「思考」の感覚です。じゃあ人類はガンガン地球を汚してもいいのでしょうか???残念、、、汚すか汚さないかを決める「人類」自体が見つかりません。地球すらないのですから。どうやって誰が汚すのですか???

でも環境破壊は現に行われている

違います。人間という画像が地球という画像を汚す画像があるのです。つまり人間が自由意志で地球を汚す条件である「人間」も「地球」も存在しないのですから「自由意志」も存在できません。人間が存在しないでどうやって自由意志が働くのでしょうか???不可能です。壊滅状態です。つまり我々は「私という人生ドラマ」のDVDをただひたすら観ているだけなのです。

悔い改めたい過去

あの時、、あの場所で

あそこであの決断さえしなければ私の人生は間違いなく今よりもハッピーだったのに!!!こういうのありますよね???絶対ありますよね。私もあります。学生時代、毎日暇を持て余していましたからあの時起業していたら、、という後悔はあるんです。ですが残念ながら、、これ無知です。完全に無知です。五感+思考感情感覚しかないのです。つまりこれをコントロールしていたはずの「体」が存在しないのです。だから決断というのは不可能なのです。もっと言ってしまえば五感の移り変わりの途中で自動で思考感情が起こっているだけです。

つまり

自由意志どころか体も存在せず、地球も存在せず、宇宙すらも存在しないのです。五感が移ろい、思考が移ろい、感情が移ろうのです。ただこれだけです。本当にそれ以外が存在しないのですから後悔は不可能どころではないのです。後悔しようとしたら体も地球すらもないことに気づいてしまうのです。自由意志はどこで発動すればいいのですか???不可能でしょ。

連綿と続く思考

思考は勿論起こっています。間違いなく起こっています。ですがそれをコントロールする体もないのです。脳がないのです。だから思考はただ起こったのです。自動で「どこか」で起こってもいません。どこか自体がないのです。五感が移ろい思考が移ろっているだけです。その思考の中には「自分が決めている」という思考も含まれているのでこの勘違いが起こったのです。