宇宙人

「これ」

我々はこの見える幻想世界の中の幻想の体でもなく、、この幻想の世界でもない、、、この幻想の世界がいかに変化しようとも全く何も変わらない「この意識」です。この意識自体が我々で、、この意識の中のこの体は私のアバターです。その自覚が起こった時、神の波動が現れます。この幻想の世界に神の波動が波及します。その時、このアバターもその波動の影響を受けたアバターになります。そしてこの幻想の世界の他人にもその影響を与えます。

宇宙人とは

これを幻想と見破り、、この体も幻想と見破り、、、「この意識」が真実の私なのだと見抜いたこの意識の中のアバターです。ですからそのアバターは自分自身だという自覚は持っていません。アバターは「この意識」を反映した幻想に過ぎないと見抜かれています。ですからアバター自体は生まれてもいないし死にもしません。それはただの幻想です。それが見抜かれています。このアバターが死ぬことを恐れている「この意識」=宇宙人は存在しません。

見える宇宙人

ここに宇宙人が現れたとて、、それは幻想に過ぎず実在しません。ですが、、この幻想をアバターに過ぎず、、この意識が真の私であると気づく「この意識」は存在します。それが反映されたアバター=宇宙人は存在します。なぜらならば無限の意識状態があり、、その意識状態にはそのことに気づく状態も必ず含まれているからです。

宇宙人として生きる

この体は幻想に過ぎず、、この意識だけが実在で、、それ以外は全て幻想に過ぎないという自覚の意識状態に達していればそれはもう宇宙人と同じです。もう物的自己を持っていないのですから。そう信じる固定観念が既にないのですから。ですがこの幻想世界での会話は続きます。コミュニケーションは続きます。宇宙人としてこの世界に生きるようなものです。宇宙人とは他の惑星から降り立った存在ではなく、、ただこの体、この世界を幻想と見抜き、、「この意識」を実在と確信した存在のことです。

サッカーを上達する

リフティング1万回

少年がJリーガーに質問します。「どうしたらプロになれますか????」選手は答えます。「リフティング1万回できるようになったらなれるよ」、、、、、少年は質問します。「どうしたら1万回できるようになれますか???」選手は答えます。「とにかく練習だね」、、、少年はさらに質問します。「どうしたら練習できますか???」選手は答えます。「とにかく頑張ることだね」。。。。質問は続きます。「どうしたら頑張れますか???」、、、、、、、、、何か見えてきました?????少年はどこまで行っても「どうしたら」、、、、です。。。。選手は既に答えを言っています。

覚者

覚者は悩める者の質問に既に回答済みです。「どうしたら幸福になれますか?????」という問いに対して「事実、真実をありのままに見なさい」で回答済みなのです。ですが質問者は「どうしたら事実を見れますか???」「どうしたら、、、」「どうしたら、、、、、」が続くのです。。。。。これらの質問に対し覚者は「情熱を持って誠実にそこに向かうのだ」で一刀両断するのです。ですがこれ真実です。質問者の「どうしたら、、、、」の真の狙いとは、、、、、、何もパワーを使わずに悟れる方法を教えてください、、、、、だからです。そしてそれに対する回答は、、、、「そんなものはない」です。

つまり

多くの方の真の悩みとは、、、どうしたら1ミリもパワーを使わずに「悟れるか」です。絶対に絶対に無駄をしないで悟りたい、、、、、ミスなく、、遠回りなく、、悟りたい、、、です。。。。。だから絶対に失敗しない悟り方を教えてください、、、、が本音です。それに対する覚者の回答は「真摯に、誠実にただそこに向かうのだ」になります。そしてそれ以外に道はありません。なぜならば「あるがままにみる」一点の曇りもなくそう心懸ける以外にないからです。

リアリスト???

何をもって、、、

あの人はリアリストだから、、あの人は現実主義だから、、、、、これどういう意味でしょうか????しっかりと貯金をする、しっかりと国家資格を取る、しっかりと投資運用する、、、、つまりこの現実と呼ばれる世界で「先手、先手、先手」を取って準備を重ねれる人を「リアリスト」と呼びます。では真実から彼らを分析してみましょうか????この世界は事実として「幻想」です。そしてあなたは事実としてこの体という幻想ではなく「この意識」です。ですからあなたは事実として「変わった」ことが一切ありません。この幻想の世界によって影響を受けたことが一回もないのです。これが事実です。これが真のリアルです。

でも

でもこの体、この幻想の体は思いっきりこの幻想の世界から影響を受けますよ?????そうですね。。あなたがこの幻想の世界をどう「定義」するかによって自由自在に影響を受けます。「この世界は全員が裏切る」そう定義すれば、、そうなります。この幻想の体は世界によって裏切り続けられます。「この世界は全員が自分勝手」そう定義すればこの幻想の体は幻想の世界によって振り回され続けます。ですが、、、事実として真のあなた「この意識」は何一つ影響を受けていません。これも事実です。

真のリアリストになる

では結論から言いましょう。。この幻想の世界での「真のリアリスト」とは、、、これを幻想と完璧に見抜き、この体もこの世界も幻想であると見抜き、、この世界は固定観念の反映に過ぎないと見抜き、、、真の私は「この意識」であり、、、この意識は何一つ幻想の影響を受けていないと見抜くことです。「そうしたら幻想を上手くコントロールできますか????」という質問が出てくるうちは、、、真の私「この意識」が幻想の影響を全く受けていない、、、ことを自覚できていません。

理想の幻想

理想の幻想を追い求めているうちは、、、残念ながら、、、、真の私「この意識」が幻想の影響を全く受けていないことを自覚できていない段階です。全く全くこの意識は幻想の影響を受けていないぞ!!!という自覚があるにも関わらず理想の幻想はどうしたら手に入れれますか???とはならない。。。理想の幻想とは、、全く影響を受けていないという自覚から、、、反映されます。

進化

何????

多くのケースにおいての「進化」とは、、、、勘違いの記憶が生み出した「私」の進化です。記憶が生み出した「私」が変化変遷していく様を進化と呼びます。では具体的には何が進化なのでしょうか????大人になっていくとは何でしょうか????目安としては「恐怖心」が消えてなくなっていくことです。自身の存在とは何か????に気づいていく深さです。それがこの記憶が生み出すアバター「私」に反映されていく様を進化と呼びます。

つまり

アバター「わたし」自体が進化したのではないのです。アバター「私」は幻想ですから、、幻想が進化するのは不可能です。「この意識」の中で私とは誰か????という気づきが起こり続け、、、その反映としてアバター「私」が進化を遂げるのです。つまりそれは反映に過ぎず、、アバター「私」はただの鏡に映った、反映された映像に過ぎないのです。「この意識」の中で自分とは何か?????の答えが明確に見えていく時、、、その深さに反映されたアバターの姿が作り出されるのです。

意識の進化

この意識の中で、、、私とは何だ????という思考が起こります。なぜ「苦しい」のだ????という思考が起こります。。。そして全ては「この意識」の中の活動に過ぎない、、、この体も、、この思考も、この太陽も、この地球も、、「この意識」の中に現れた幻想、幻夢に過ぎない、、、という気づきが起こるのです。実は幻想以外何も起こってはいないのではないか????幻想の動き以外何も起こってはいないのではないか???つまり真実では何も起こっていない、、、この気づきが「この意識」の中で起こるのです。これが進化です。

思考

それがこの意識の中で分かってきますと、、、俺は誰だ????苦しみとは何だ???という思考の動き、幻想思考の動きが消えていきます。それまでは幻想を実在とする幻想思考の動きが果てしなく続いていたのです。ですが今は全てが幻想と見抜かれています。「この意識」は幻想の中で何が起ころうと変化することなく在り続け、、私とはまさにその「この意識」です。これまでの私は不変の「この意識」の中に現れる幻想思考に過ぎなかったのです。

最初から最終ゴール

幼少期

幼少期に何かに渇望することはありません。なぜならば最初から最終ゴールに居たからです。そこから自我が芽生え、、、勘違いの記憶が起こることで、、、記憶の中にドカンと収まってしまいました。記憶の牢獄です。記憶の奴隷です。では最初の最終ゴールとは何だったんでしょうか???最初何だったんですか????最初「この意識」だったんです。そして今もこの意識しか在りません。ですが今はこの意識の中にこの体があってこの体の中にこの意識が存在すると信じています。信じる思考が記憶から自然に勝手に起こるのです。これが自我と呼ばれるものです。この自我の動きがある時「苦しみ」が起こります。それも「この意識」の中で起こっています。

つまり

つまり最初からこの意識しか存在しないし、、今も実はこの意識しか存在していません。この意識の中であらゆる思考が起こり感情が起こりをやっているのです。つまり1、2歳児の頃の状態と何も違わないのです。ただ「この意識」の中に勘違いの思考が起こっているかいないかだけです。「この意識」の中に勘違いの思考が起こっている時「苦しみ」という幻想が「この意識」の中に起こるのです。ただそれだけです。だから我々にできることなどないのです。ただこの勘違いの思考が「この意識」の中に起こらないようにするだけです。

どうやって??????

やるべきことはハッキリしました。我々が何者かになるとかの話じゃないんです。我々すらも「この意識」の中の登場人物に過ぎず、、つまり幻想だったということです。「この意識」の中に勘違いの思考が起こらなくなる、、ただそれだけなんです。そのためにすべきことは「真実のメッセージに触れる」ただそれだけです。

思い出話

同窓会

同窓会に参加します。その多くの会話は「思い出話」です。当然ですね。当たり前です。で、、、その思い出話は当然「記憶」から出現します。記憶が無かったら思い出話はできません。未来というのはこの思い出話の延長線上で話されます。記憶の中の情報が事実という前提で、、その上で未来についての推測がされるのです。過去が事実という前提で、、その先の予想をするのが未来です。天動説が正しいという前提で未来の地球を語るのです。

未来の話すら

結論から言ってしまいましょう。その未来の話は楽しいですか???ワクワクしますか????恐らくしないんですね。。。なぜでしょうか?????なぜ?????だってその話の初期設定に「苦しみ」が含まれているからです。だからその初期設定のまま未来の話をしてもそこには「苦しい」がセットでついてくるに決まっているからです。未来というのは本来楽しいものであって欲しいものです。ですがそうではないのは「初期設定」自体に「苦しみ」がガッツリ含まれてしまっているからです。

悟り

悟りとはその初期設定が嘘です、と断定してしまうお話です。その思い出話、、「勘違い」です。。。と断定してしまう話です。え???????じゃあ未来の話も意味ないじゃん、、、となってしまうとんでもなく空気を壊す話です。え・・・・・・じゃあ何が本当なの????私とは過去の思い出話がされようと、、未来の話がされようとも、、、全く動じることなく「ドカン」とここにある「この意識」「私は在る」という感覚なのです。ですから、、、、、思い出話、未来の話は「この意識」の中に現れては消える幻想です。思い出話に出てくる私も当然幻想です。

これが分かると

同窓会で、、あらゆる思い出話がされますが、、それが「この意識」の中で行われます。私の中で思い出話という幻想が起こります。何が起ころうと、、、「この意識」は微動だにせず、、ここに在ります。思い出話はそのまま幻想に変わります。だから何でもいいのです、何が話し合われても全部幻想の動きです。未来の話も幻想の動きです。その幻想が幻想として出現できるのは「この意識」「私は在る」が何も変わらずにここに在り続けるからです。

狂気

正気

我々は実は狂気の中で生きています。なぜそれを言い切れるのか?????なぜならば完全な勘違いの中で生きているからです。今も勘違い記憶から次々に思考が現れて消えていきます。それに伴ってあらゆる感情が現れては消えていきます。その勘違い記憶から現れる思考によってそのまま「苦しい」という感情が現れては消えていくのです。ただそれだけです。苦しいという感情に伴って現れる思考によってさらなる苦しい感情が生まれます。それを解消するために「快楽」という相手を思考が思いつきそれに手を伸ばします。その瞬間だけ「苦しい」という感情が消えますが、、なぜ「苦しい」のか???には意識が向かいません。

つまり

全く苦しみの原因が分からないまま、、、生きているのです。これは苦しい、狂気の沙汰です。苦しみの原因が分からずにただ快楽に逃げているのですからこれは苦しい。狂気とは、、、苦しみの原因が分からずに快楽苦悩を行ったり来たりしている状態のことです。つまりほぼ全員が狂気の沙汰です。だから安心してください、みんな狂気の沙汰で生きているのですから。ここから逃れようとする試みが起こっているだけで奇跡です。

依存症

ノーコントロール

依存症とは何でしょうか?????個人のコントロールが不可能になってしまった嗜好品や対象のことです。薬物依存症、アルコール依存症、ニコチン依存症、セックス依存症、ギャンブル依存症、、、などなど、、、、あらゆる依存症というものがあります。この症状になってしまったいる人を他人は哀れに思ったり、蔑んでみたりします。ですが大変面白いことにコントロールなど実は誰もしたことなどないのです。それはお酒だろうと買い物だろうと、努力だろうと自己研鑽だろうと、資格取得だろうと、、通勤だろうと、、、何もかもです。

つまり

依存症の方は、、人間は行動をコントロールなどできないという悟りをある種強引に開かされているのです。不可能、コントロール、、、という事実をまざまざと見せられているのです。体感としてコントロールなどないことを知っているのです。依存症をバカにする人は「全てはコントロールできるのだ」という洗脳をまだ強く持っているのです。依存症の方は、、コントロールできない、、、ことを体現しています。

何一つコントロールなどできていない

アルコール依存症、ニコチン依存症、、、、では我々の本性は、、、森羅万象依存症です。あるがまま依存症です。幻想の動き依存症です。全思考、全感情、全行動、、全自動依存症です。そうです、我々は何一つ自身の自由意志などでは何もしたことがないのです。ノーコントロール、、全行動がアルコール依存症の人同様に何もコントロールできていないのです。だから安心してください、、、、諦めちゃってください。アルコール依存症を笑うあの人も、、その笑うという行為もノーコントロールです。

感情の嵐

あっていい

感情の嵐があるなんてまだまだ私は駄目ですよね????悟りとかとんでもないですよね????違います。感情は、、、ただ起こるのです。あなたの責任とは一切関係なく起こります。ですからあるがままにしておいてください。感情から逃げないでください、、しっかりとそれを認めた上で、、、ただ観察します。そうか、、こんな感情が現れてきたか。。。。。です。嵐の日、、、嵐を無視したところで、、、びしょ濡れになります。嵐をしっかりと認識し、、、嵐を観察します。感情も同じ、、感情をしっかりと認識し、、観察するのです。

感情への右往左往

感情になぜ過剰反応するのか????なぜ過度に逃げるのか???それは私を感情の当事者だと勘違いしているからです。感情の当事者だから、、、この感情に右往左往するのです。過度に扱ったり、過度に逃げます。感情を生み出す総責任者だと思っているから、、右往左往し、、逃げたりします。ですが事実では全く違います。感情とは「この意識」「私は在る」の中で起こる、、、遊びです。幻想です、幻夢です。どんな感情が起ころうと、、、この意識、私は在る、、、、はビクともしません。私とは「この意識」であり「私は在る」であり不変です。

だから

感情の嵐が起こり続けていようとも「この意識」「私は在る」は、、、、、全く何も影響を受けずに不変で在ることに気づいてください。全く何も影響を受けていないことに気づいてくでください。なぜ影響を受けないの????なぜ?????なぜならば「この意識」「私は在る」が最初に「ドカン」と在って、、、、感情や思考はその後に起こる、、ただの幻だからです。幻がいかにいかに激しく動こうとも「この意識」「私は在る」は何も影響を受けることができないのです。

本当の私

本当の私とはこの体でもなく感情でもなく思考でもなく、、、この全く不動で不変の「この意識」「私は在る」「生きている」という感覚のことです。本当の私が本当の私なのは「体、思考、感情」が激しく動こうとも何も影響を受けていないことが証明です。何もです、何も影響を受けないのです。影響を受けたという思考は、、幻想の方です。真実に目覚めた時「そうか、私には実は何も起こっていないのだ」という気づきに至ります。今日株価が10分の1になっても、、、やば、、、、まずい!!!!という感情が起こるその背景に、、、何も影響を受けていない「この意識」「私は在る」「生きている」が存在するのに気づいてください。

全てここに在る

無いものはあってはならない

神がここに存在しないなら、、、神は全部ではなくなってしまします。神は無限ではなくなってしまいます。集団意識がここに存在しないなら、、集団に所属できない意識が存在することになってしまいます。潜在意識がここに存在しないなら、、潜在意識は「潜在」しない意識になってしまいます。ですから潜在意識は確実にここに潜在しています。つまり全て最初からここに存在するのです。ここに存在しない存在は存在しないのです。

ハワイ島は?????

でもハワイ島は今ここに存在しないですよね??????いいえ存在します。幻想ではない形で今ここに既に存在しています。あなたは先ず「ハワイ島」をイメージで想像します。これも幻想です。幻想イメージとしてハワイ島を想像し、、、航空チケットを予約します。そして成田から一っ飛びして、、、無事「ハワイ島」が幻影として現れるのです。幻影のハワイ島が現れることができるのは「幻影」ではない形で既にここに最初からあったわけです。

幻影に気づくあなた

ハワイ島が幻影で現れ、、グアム島が幻影で現れあなたによって「気づかれ」ます。気づくあなたは「間違いなく幻影」ではなく、、、あなたから全ての幻影が生まれています。つまりハワイ島もグアム島も「あなた」から生まれた幻影です。つまりあなたは最初からその幻影の全てを持っているのです。だから、、、あなたが動く先に「ハワイ島」も「グアム島」も現れることができるのです。

有名アーティスト

ビヨンセが日本に来ます。あなたはビヨンセに会いに行きます、、、コンサート会場に。そして見事、生ビヨンセに会います。ですがビヨンセは幻想です。この幻想が確実にしっかりとあなたの前に現れ、、気づかれたのは「あなた」は幻想ではなく、、、気づきだからです。その気づきから「ビヨンセ」という幻想が生まれたのです。つまりビヨンセという幻想はあなたである「気づき」の子供です。ビヨンセに驚くのではなくあなたの中にビヨンセが最初から存在していたことに驚いてください。