2つではないのだから1つ???

違う

このコップがあってそれを見る「私」が居る、、、これが二元の世界です。机があってその机の存在を認識する私が絶対に居るのだから二者が存在する。。。。あなたが居てあなたを認識する「私」が必ず存在するのだから合わせて二者である。。。。ところがこの「あなた」という存在が記憶から飛び出た認識、知覚であると分かった時、同時にそれを認識する「私」も必要なくなる、、、、だから二つじゃないのだから一つ????ではない。。。。。二者が同時に消えるのです。

二者が同時に消えたにも関わらず

コップという知覚、、私という知覚は記憶が生み出した概念に過ぎないと分かった時、、全てが消えます。ですがその概念が概念として存在するためにはその概念に気づく「気付き」が絶対に必要です。概念が気づかれないままであれば、、、概念は概念として存在できないのです。ですから、、我々は概念を超えた「気付き」です。気づきはこの幻想の世界には存在しない存在です。ですから幻想用語でいう一つ、、とは違う。。幻想の中の全てでない存在です。幻想の全てを超えた存在です。

神の安心感

響き渡る

あなたがこの体ではなくこの体の魂でもなく、、、全ての経験に気づく気付きあることを自覚した瞬間、神の波動がここから現れます。神の波動がこの幻想の世界に響き渡るのです。なぜか?????多くの方は全くこの自覚がない中で生きています。神の自覚が一切ない世界を生きるのです。だから常に皮算用、取引、ギブアンドテイク、、、、の中で生きるのです。人間波動の中で生きます。ですがあなたがこの全ての経験は気づきによって気づかれているという事実に目覚めた時「神が現れます。」神が現れ、神の波動がここに轟くのです。

神になる努力

人間が神になるために私は何をしなくてはならないですか??????相当な修行が必要ですよね????残念、、、神になるための努力は全く必要ありません。なぜならば、、神は既に神としてこれまでも存在しないことがなかったのですから。既に神として今神活動をしちゃってんですから、、何かをしなくてはの前に神は神の仕事を今もこうしてやっています。だから「思い出す」以外にやることが何もないのです。

え??????

つまり神は最初から神で神仕事をずっとやってきたのです。そしてあなたはその神です。だからあなたは何もしなくていいどころか立派に神の仕事をこれまでもやってきました。だからその自覚を思い出すだけです。その神の仕事とは、、、全ての経験、五感、思考に気づく、、、ということです。気づかれない経験、五感、思考は、、、、気づかれないのですから、、、存在しないに等しいわけです。つまり全てに気づく気付きの存在無くして、、、全ては成り立たない、、わけです。それをやってきたのが神である「あなた」です。真我であるあなたです。絶対であるあなたです。THE ONE であるあなたです。

自我を首にする

総責任者を首にする

我々全行動、全思考、全感情の総責任者を「自我」としてきました。全ての自由意志の総責任者「自我」です。その私がその自分が「記憶」の中から湧き上がり、、、あの人は優秀だ、あの人は優秀ではない、、と判断を下します。世界の会話の99.99999%は、こういう会話です。ですが事実では全く違います。事実では、、自由意志は存在しません。つまり総責任者は存在しないのです。だからもう自我を首にしてください。まさかの自我を首にしても何も生活に支障がないのですから。

思考中毒

アルコール中毒、カフェイン中毒、ドラッグ中毒、、、、中毒というのは本来必要ないにも関わらず、、、、摂取してしまう習慣傾向のことを言います。重要なのは、、本来は必要がないということです。そして思考も全く同じです。自我という自由意志の総責任者は、、、存在しなくていいのです。にも関わらず「どうしよう、こうしよう、こうすべき、、、私が判断を下さないと。。。」と日々責任を重く重く受け止めて思考をしています。それ全く意味ないです。だって自由意志がないのですから。。。つまりこれ思考中毒です。自我中毒です。自由意志責任追求中毒です。

今日から

アルコールを思い切って辞めることにします。最初の一ヶ月は地獄かもしれない、、、ですが二ヶ月後、、間違いなく、、普通にしかも健康になっています。それで死ぬことはない。。。カフェイン、ニコチン、全て同じです。最初の一ヶ月だけ地獄、、だけど死にはしないどころか、、、健康になっちゃう。。。。のです。思考中毒も全く同じ、、、、、、自由意志がないことを前提に生きてみてください。。。。。。死なないから。。。。むしろ、、、二ヶ月目には健康になっちゃいます。

価値観

あらゆる

自我が芽生えてからというもの、、、あなたは間違いなく、、、、あらゆる価値観を渡り歩いてきたはずです。「親の言っていることを信じるのが正しい」「会社が言っていることを信じるのが正しい」「経済新聞が言っていることを信じるのが正しい」「経済アナリストが言っているのを信じるんが正しい」、、、、と。。。。これあなただけじゃなく全員がこうやって価値観を渡り歩いていくのです。。。。これに例外はありません。。なぜ????なぜ例外がないのでしょうか???

現れたものは消える運命にある

「価値観」とは「世界はこうなっている」という確信です。この確信は記憶から現れるのですが、、、全ての現象は現れてしまった以上、、、消える運命にあります。つまりその確信は消える運命にあるのです。「親の言っていることは正しい」これを確信すればそれを反映する幻想世界があなたの目の前にガツンと現れますが、、、現れた以上はどこかで消えなくてはならないのです。だから、、、、必ず「苦しく」なるのです。苦しいから、、、どこかで、、、いや、、違う、、、これは親の言っていることが間違っているのだ、、、、とその固定観念を手放すことになります。

そうやって

価値観を渡鳥のように渡り歩き、、、、徐々に徐々に、、、価値観そのものを疑うようになります。価値観にすがって生きているうちは「苦しい」のでは?????です。価値観そのものが苦しみを生み出すのでは???です。そして最終的に「価値観」そのものを持つのを辞めよう、、、と決めます。価値観こそが苦しみを生み出すのだ、、、、だから価値観ではなく、、「真実」のみを知ろう、、、と。

つまり

つまり価値観とは最終的には真実に目覚めるための、、繋ぎです。価値観を渡り歩くことで最終的に真実にたどり着くのです。価値観のドミノの先に「真実」が待っています。だから安心してその価値観を抱き締め、、そして手放し、、、抱き締め、、手放し、、、、真実に辿り着いてください。最後が「真実」であることは最初から分かっているのです。なぜならば価値観とは手放すことが最初から決まっているのですから。

働かなくてはならない

固定観念

「働かなくてはならない」という固定観念が存在しない時、あなたは働くことができません。つまりあなたが働くことができているのは「その固定観念」のおかげです。「働かなくてはならない」という固定観念こそがその環境を生み出し、、働くことを可能にしているのです。だとしたらですよ、この固定観念が抜け落ちたら、、、、「働くこともなくなる」のです。なわけない?????やってみればあなたも分かりますよ。

大人

矛盾がない

我々は生まれて直ぐに「自身の体」を食べさせる能力を持っていません。ですからどうしても周囲の大人の意見を鵜呑みにするしかない。。食べて行くためには大人から捨てられてしまってはダメなわけです。だから大人、両親の言葉を鵜呑みにすることで生きていきます。大人が信じることを信じなければ捨てられてしまうかもしれない。。。だから両親の言うことは絶対。。。。となります。

そして

そして両親は矛盾がない世界に生きているように見える。世界を確信して生きている。だから大人が言うことは正しいのだ、、、となります。それもそのはず、、確信こそが世界をそうさせるのですから。子供には確信がない、、、だから、、、確信のある大人は矛盾がない世界に生きているように見えるのです。そして事実、大人は確信が作りだす世界に矛盾なく生きるのです。

だがしかし

大人が生きるその確信した世界は、、、寄り添えば寄り添うほどに「苦しい」世界です。大人の確信をこちらが確信すれば「苦しい」世界になります。悔しい、、、でも反論できない、、、、、となるのです。そして一旦はそれを受け入れ、、その苦しい世界で楽しく生きる大人を探しました。誰か居ないか????楽しく生きる大人はいないのか?????です。するとちらほら居るわけです。それは映像世界の中、本の中に居たります。こうして周囲の大人とは違う大人を発見しその違いに関心が湧くのです。「疑い」がこの現象を生み出しました。

疑い

周囲には居ないが、、人生を楽しんでいる大人は実は居るのでは?????という疑いが確信を崩し、、その崩しが、、、例外という現象を生み出します。確信が疑いに変わった時、、新しい現象が目の前で出現します。そしてこの疑いが最終的には「覚者」「グル」と呼ばれる真実の伝達者を出現させるのです。あなたが今このブログに辿り着いたのは「疑いの力」です。大人が確信した世界に疑いを持ち、、このブログを出現させたのです。真実への思いが、、真実のメッセージを出現させます。

完全な無知

疑い

我々は、、、完全な無知の中に居る時、、、「疑い」が消えます。完全な無知の中にいる時、、、矛盾がありません。世界が確実にあってこの物理空間が確実にあってこの時空間が確実にあって、、、その中にこの肉体を持った私が確実に存在する、、、これが確信になった時、、、その確信こそがこの幻想世界を「そう」させます。全く矛盾がないのだから「疑問」も当然起こらないのです。

ですが

この世界には矛盾が一切ない、、、だが、、、この苦しみ、孤独感はどうしたものか?????これが残された課題になります。分かった、、、確かに矛盾は何もない、、、だがこの苦しみはどうしてくれよう。。。。となります。そこで賢い人間は考えます、、、、、実は初期設定自体が間違っているのでは?????この苦しみが解消しない理由は「初期設定自体」に矛盾があるからでは????となります。こうして真理の探究に入るのです。

時空間

時空間、物理空間、この世界は実は幻想で、、、だがしかし「この意識」これは確実に今実在する。。。この時空間は「この意識」の中に現れた幻想に過ぎない。。。。という気づきに至った時、、、全ての概念が吹き飛びます。そしてこの意識自体は何か????この意識は、、、この意識に気づく「気づき」がなければ存在できない。。。つまりこの意識はこの気付きに依存しているのだ、、、となるのです。全ては「この気付き」から始まり、この意識が現れ、、この幻想の全てが現れます。全てはこの気付きに依存した「現象」です。ならばこの気づきは、、、無限の現れを生み出しているのだから気づきであり無限なのだ、、、という気づきが「この意識」の中で起こります。

何者かになりたい

幼少期

幼少期は「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ワンピースのルフィー」になりたくて、、中学生になったら「メッシ」「ロナウド」高校生になったら売れている「俳優のような姿」会社員になれば「活躍している先輩」や「ホリエモンのような起業家」、、、、我々は常に常に憧れの存在になりたい存在です。女性であれば「高年収の旦那に好きな仕事で食べている私」に憧れる。。。。。これが我々のデフォルトです。我々は人間であるという初期設定から始まり、、人間ならば、、「こういうイメージ人間」で在りたいという欲求が起こります。この欲求こそは初期設定が起こすのです。つまり憧れとは初期設定を生み出す記憶が作るのです。なぜ????だって今が苦しいからです。初期設定に「苦しみ」が最初から設定されてしまっているのですから。

憧れ

少年がサッカー選手に憧れる姿を見て大人は「ホッと」します。大人は、、、夢を見る少年を見て「いいね!!!!」ってホッとします。ですが、、、これ既に苦しみのゾーンに入っていることに大人は気づいていません。今が最高で最高ならば、、、憧れって生まれません。今がもう既に苦しいから「憧れ」を抱くことでこれを解消しようとしているのです。だからってこれが悪いことではないんです、そうなっていますよ、、というメッセージです。

無常の自覚=悟り

無常

仏教では無常という言葉が出てきます。この無常を理解できれば悟ったようなものです。では無常とは何か?????簡単です。今目の前の視界は確実に変化していますよね。冷蔵庫の音が鳴り、外ではカラスの声、照明の光はチカチカします。無常とは変化という意味です。変化しない「これ」が存在しないのです。思考も当然勝手に起こります。感情も勝手に起こります。思考感情を無にしよう、、、不可能です。これが無常、変化です。朝起きて寝るまで完全に無常です。

ですが

一方で「この意識」の存在、この意識の存在に変化はありますか?????この意識がない瞬間があって、、、絶対に絶対にないのです。この意識はここで何が起ころうとも不変に存在しています。ですから実はこの意識という不変の存在の中で「無常」「変化」という幻想が起こっているのです。無常の幻想、変化する幻想が、、、不変の「この意識」のなかで起こっているのです。この自覚が起こった時、、、何一つ矛盾、疑問が起こらなくなります。「私」とは無常、変化の中の幻想ではなくて、、この意識、、、不変の意識のことだったのです。消えてなくなる私は「幻想」の方です。ですが多くの場合、私を指すのは「不変」の存在ですよね???それはこの意識のことです。

悟り

悟りとはこの圧倒的自覚のことです。「今後の私の人生が心配」この思考は、、、、「不変の私」が自覚できた時には起こりません。この意識である私は、、、この変化無常の幻想がどうあろうとも何も変わらずにこの意識であり私なのですから。。。。巻き込まれる私は幻想のことであり、、幻想ゆえに実在として存在しないのです。存在しない存在を心配するというのが「無知」「悟りが閉じた状態」です。悟りが開いた時、、存在しない存在(幻想)を心配することは不可能です。なぜならばその思考が起こっている時も、、真の私、この意識はドカンとここに不変で在り続けているのですから。

全員が宇宙人

ニューアース

エックハルトトールやイエスキリストが説く「ニューアース」とは、、、、全く新しい地球の出現ですが、、、これはこの物理空間に異変が起こるということではなく、、、この時空間、物理空間が実在せず、、この体も実在せず、、幻想だったという気づきに至った「この意識」の世界のことです。これが幻想であると見抜かれようともこの幻想が消えてなくなるわけではなく、この体も消えてなくなるわけでもなく、、ただ幻想としてここにあり続けるのです。そしてこの意識は何も変わらずにこの意識のままです。これがニューアースです。この自覚がこの幻想の世界に波及した時、、真の平安がここで達成されるのです。

宇宙人とは

この意識の中で全ての幻想が遊んでいることに気づいた「この意識」の中で周囲に気づかれるアバターのことです。つまりこの事実に気づいた瞬間あなたは「宇宙人」です。宇宙人とはテクノロジーが進化しテレパシーで会話をし、願望執着が抜け落ちたアバターのことを言うのではなく、、この意識の中でそれがはっきりと気づかれた状態のことです。この意識から反映されたアバターが宇宙人と呼ばれます。事実ではこのアバターは幻想であることが見抜かれています。だからこのアバターは実在としては生まれてきてもいないし死にもしないということです。生まれて死ぬという表現は幻想を実在と勘違いした概念の中でのことです。つまりそれは妄想、幻想、幻夢です。

さあ幻想を遊べ

ここは神の遊び場である、、、というのは真実です。リーラとこれをヒンズー教では呼びますが、、その通り。。。「これ」がまさにリーラであり、、「これ」の中であらゆる幻想が起こり、思考という幻想も起こり、感情という幻想も起こり、、、でも何も変わらない「この意識」が存在します。これがリーラです。あなたは何も変わらない「この意識」であり変わるのは幻想だけです。つまりこの私も現れては消えるのですから幻想です。私の全思考、全感情、全行動は現れては消える幻想ですから、これを神の遊びと呼ぶのです。どんな勘違い、どんな困難、どんな快楽が起こってもそれは現れては消えるのですからそれは幻想です。そして何も変わらないこの意識が真のあなたです。神とは「この意識」のことでありあなたのことです。あなたは神です。この意識を誰かに取られたことはありますか????ありませんね。なぜならばこの意識はここに現れる幻想に取られることは不可能だからです。なぜなら幻想はこの意識に依存しているのですから。だからあなたのこの意識は今まで誰にも取られたことがないのです。あなたが神である証拠です。