無常
仏教では無常という言葉が出てきます。この無常を理解できれば悟ったようなものです。では無常とは何か?????簡単です。今目の前の視界は確実に変化していますよね。冷蔵庫の音が鳴り、外ではカラスの声、照明の光はチカチカします。無常とは変化という意味です。変化しない「これ」が存在しないのです。思考も当然勝手に起こります。感情も勝手に起こります。思考感情を無にしよう、、、不可能です。これが無常、変化です。朝起きて寝るまで完全に無常です。
ですが
一方で「この意識」の存在、この意識の存在に変化はありますか?????この意識がない瞬間があって、、、絶対に絶対にないのです。この意識はここで何が起ころうとも不変に存在しています。ですから実はこの意識という不変の存在の中で「無常」「変化」という幻想が起こっているのです。無常の幻想、変化する幻想が、、、不変の「この意識」のなかで起こっているのです。この自覚が起こった時、、、何一つ矛盾、疑問が起こらなくなります。「私」とは無常、変化の中の幻想ではなくて、、この意識、、、不変の意識のことだったのです。消えてなくなる私は「幻想」の方です。ですが多くの場合、私を指すのは「不変」の存在ですよね???それはこの意識のことです。
悟り
悟りとはこの圧倒的自覚のことです。「今後の私の人生が心配」この思考は、、、、「不変の私」が自覚できた時には起こりません。この意識である私は、、、この変化無常の幻想がどうあろうとも何も変わらずにこの意識であり私なのですから。。。。巻き込まれる私は幻想のことであり、、幻想ゆえに実在として存在しないのです。存在しない存在を心配するというのが「無知」「悟りが閉じた状態」です。悟りが開いた時、、存在しない存在(幻想)を心配することは不可能です。なぜならばその思考が起こっている時も、、真の私、この意識はドカンとここに不変で在り続けているのですから。