いつも何かを欲しがりいつも不安

なぜ????

この世界を幻想と見抜けていない時、、、、心の穴を埋めるべく、、、何かで満たそうとします。ですがその穴は「幻想」で埋まるわけがなく、、結果常に不安です。心の穴は、、、幻想では埋まらないのです。なぜならばこの心の穴は「勘違い」が引き起こす穴であり、、、勘違いを解消する以外に方法がないからです。つまりどんな幻想をもってしても心の穴は埋まらず、結果常に常に焦るのです。これが現実世界を生きる人間の特徴です。

勘違い

ではどのような勘違いでしょうか????それはこの幻想の体の中の私が全経験に気づく存在だとする勘違いです。この五感は現れた瞬間「気づき」によって気づかれる内容です。思考が現れればそれは気づきによって気づかれます。だから今もこのブログを読み、、、その内容が気づきによって気づかれます。ですがこの気づきの内容に気づく存在をこの体の中の私と思考することから「私」は世界の中の小さい小さい存在であるという分離感が生まれたのです。

本当は

本当の我々はこの五感、この思考、、、に気づく気づきです。この気づきはこの幻想の次元には存在しません。つまり我々はこの幻想次元を完全に超えた存在なのです。にも関わらずこの幻想の体の中に存在する「私」としてしまったことで分離感からの苦しみが生まれるのです。だからいつも何かを欲しがりながらも何かに怯えます。

問答無用

自我を徹底的に無視せよ

真実に触れていきますと、、、記憶が右往左往します。記憶が動揺し、、、緊張感、恐怖感を吹き出してきます。ですがそんなことは無視してください。散々この記憶、勘違いの記憶によって苦しみを量産されてきたんですから。。。。「私」は記憶の被害者ではありませんよ。なぜならば私も記憶の中に含まれているのですから。私も記憶の一部です。ゆえに記憶から「私」を救うのだ!!!!マトリックスの世界から私を解放せねば!!!!は完全にピントがズレています。私もマトリックスの世界の一部です。マトリックスの世界が解放されたら私もそこには存在しません。

つまり

もう私のことなんて忘れてください。ストーリーにまつわる全てを横に置いちゃって問題ないです。なぜならば、、、真実に目覚めればストーリーも勝手に変容していきます。つまりストーリー上の努力など一切しなくてもそんなレベルではない大変化が起こるのです。だから気にしなくていいのです。ただ真実に触れていきます。ただ勘違いの記憶を解体していくのです。ストーリー自体をでっち上げる、、、勘違いの記憶自体を消していきますとストーリー内容も自然に変わるのです。

気づきがストーリーに反映される

私が気付いたんじゃない

気づきは、、私によってなされることは絶対にありません。気づきと気づきの内容は一対です。ですから現れ=気づきです。故にそれを気づく「私」は存在しないのです。ですが気づきの内容にばかりフォーカスしますと、、気づき自体が忘れ去られ、、、いつしか内容の全ては「私」によって所有されます。「私」が気付いたというストーリーが記憶に刻まれます。そこからは気づきの内容の全ては「私」にストックされていくのです。

ですが

どこかで、いや違う。。。この気づきと気づきの内容は一対なんだ、、、という気づきが生まれます。つまり私によって気づかれたのではない、、、、という気づきです。ところが、、、記憶は恒常的に、、、私の気づきストーリーを起こしますから、、、、私が真実にも気付いた、、というストーリー展開を見せます。ですが確実に軽くなっていくことからストーリーにも軽さが帯びてくるのです。ですがどうしたって記憶から私が飛び出て来ればそこには深刻さは残ります。

記憶が、、、、

真実への気づきに対して、、記憶は気づきを「私」が掻っ攫うことで抵抗を見せます。ですがそれも放っておくのです。私はいつも主人公であり、、今回の真実への目覚めも当然主人公であろうとします。なぜならば「私」の気づきでなかったら、、、誰の??????という話だからです。でもいいのです。そんな自我活動、偽りの記憶活動にも目もくれず、、、、真実に触れ続けてください。。。いつしかストーリーは軽くなっていき、、、ストーリーが現れようとも何も気にしない、、気にならない、、状態になっていきます。

選択からの解放

どっち?????

我々は日々選択を決断されます。どちらがいいのか???どちらがより有効か????どっち?????日々決断を迫られるのです。ですが真実に目覚めていきますと「どっちでもいい」が起こります。本当にどっちでもいいのです。なぜ????既にお気楽だからです。緊張感こそが「選択」を重視させます。苦しさこそが「選択」に重きを置かせます。既に解放されている時「どっちでもいい」が起こるのです。

個のフィルター

個のフィルターを通じて世界を眺めた時のみ「どっち」がベターかという選択が起こります。全てが全自動、全てが森羅万象後の動き、、、この自覚が芽生えた時、、、「個」というフィルターが消え去り、、、選択による恩恵が消えます。最初から恩恵があるのですから。。。探していたのは「これ」だったのです。記憶の中での選択に幸福はありません。幸福は記憶の外にあるのです。選択とは常に記憶の中で行われます。ですからどっちを選んでも「苦しみ」「地獄」から抜け出ることは不可能なのです。

無関心

真実のみ

真実のメッセージに触れろというけど、、家賃、電気代、水道代、塾の費用、老後の確保、、、、あらゆるやるべきことがあってそこに関わらないわけにはいかないんです。どうバランスを取れと????勿論家賃を払い、電気代を払い、子供の塾代もしっかり払ってください。。ですが関心を持たなくて大丈夫です。意識を過度にそこに向ける必要がないのです。なぜならば記憶が生み出すそれら生活のあらゆることの中であなたが幸せになることは絶対にないからです。関心を向けても幸福になれないことが分かっているのだから関心を向けないでください、期待をしないでください。横断歩道を渡るときに何か「期待」をしますか???しませんね。。。同じです。

真実以外に

真実を知る以外に「期待」を手放すのです。宝くじに当たろうが、理想の相手を手に入れようが、、好きな場所に住もうが、、株が急上昇しようが、、、、、記憶が支えるそれらの中で、、幸福はあり得ないのですから。記憶が飛べば全て終わります。そんな記憶に支えられた、記憶に依存した幸福は、、、苦しみの変容に過ぎません。宝くじ三億円当たるのはドラッグでいう「ハイ」な状態です。「ハイ」が来れば「ロウ」が来ます。つまりそれも苦しみの一出来事なのです。

それで生きていけますか????

逆です。関心があるから関心がある分野で苦しむのです。生活に関心があるから生活に苦しむのです。世間体に関心があるから世間体に苦しむのです。関心がなければそれで苦しむこともできません。異性に関心がなかったら異性で苦しむことはできません。出世に関心がなかったら出世で苦しむことができません。常にそうなっています。全ての関心を真実に向けます。真実は我々の偽りの記憶を崩壊させ、、、ただ生きているだけで楽ちんにさせます。

マトリックス

映画

マトリックスという映画があります。これ悟りの映画です。目覚めの映画です。この映画のタイトルが「エゴ」ではなくマトリックスという題名なのが真相をついているわけですがなぜか分かります????「エゴ」というタイトルでもいいわけです。分かりやすいわけです。。。ところが、、、、そうじゃない、、エゴではなくマトリックス、、、思考が織りなす世界、、その思考は記憶のことです。記憶の織りなす世界です。エゴの織りなす世界ではなく、、思考、記憶の織りなす世界なのです。なぜか????エゴとは記憶、思考だからです。エゴすらも記憶なくして成立しないわけです。

つまり

勘違いの記憶が消えればエゴも消えます。自我も消えます。エゴ、自我とは勘違い記憶が支える、、産物です。つまり、、、エゴの創造主は「勘違い記憶」です。じゃあ勘違い記憶を消すにはどうしたら????いいの????真実を知ることです。真実に触れることです。真実に目覚めることです。ですが勘違い記憶はこれを拒否します。つまり自我はこれを拒否します。???????じゃあ無理じゃね????じゃあ不可能じゃね???

そうです

自分という存在を信じているうちは不可能です。自分に絶対的信頼があるうちは不可能です。自分という存在を疑い、、、これ信用できないぞ!!!!!!とならないと不可能です。自分ってなんか信用置けないよね。。。。ってならないと真実に触れようとは思わないわけです。自分って存在に散々散々痛めつけられて酷い目にあわないとこうなりません。ですから、、そういう意味では自我の被害者、エゴの被害者にならないと不可能でしょう。。。。八方塞がり、倒産、闘病、投獄、、、、、あり得ない辛酸を舐め尽くさないと、、、無理かも。。。。。。。だからこれに興味を持っていない人は、、、イージーゲームをしてきてるかもです。

記憶は認めない

「私」は記憶を超えた存在だ、、、この事実を記憶は認めません。これを記憶が認めてしまったら、、記憶の惨敗です。記憶が織りなすサバイバル思考がもう使えません。記憶の中の住人という初期設定があるから、、記憶が織りなすサバイバル思考が機能するわけで、、、、記憶を超えた存在であることを認めてしまえば、、もう機能しなくなるのです。ですから、、、記憶はこの事実をシャットアウトします。ですがそれを認めた上でさらにこのメッセージに触れていきます。意識が記憶を超えて記憶の削除に意識が向かいます。既にもう記憶の惨敗は見えています。

記憶の中の住人

自我とは記憶の中の住人です。ですからその自我が記憶を消すような行動を取ることは不可能です。つまり記憶を削除する動きは「自我」の動きでは既にないのです。記憶に不幸の原因があると気付いた「意識」の動きです。意識が記憶を超えた動きをするのです。既に最初から自我以上の存在であると自覚した意識の動きです。記憶というものを冷静に俯瞰した意識の動きは、、記憶解体に恐怖心がありません。そもそも恐怖心とは記憶の動きだからです。

感情など、、、

感情とは思考の動きによる副反応です。記憶を超えた意識の動きに記憶から感情が湧きます。「怖い」と。ですがその怖いという動きすらも記憶の反応に過ぎないことを気づく「意識」はこれに負けません。というよりもそれを遊びます。むしろ怖いという反応が起こるということは、、そこに記憶の解体があるわけです。「恐怖心」こそがそのメッセージの真実性が証明させます。こうして記憶を超えた意識は勘違い記憶の解体に動くのです。それが真実のメッセージに触れるということです。

犯人が分かってくる

楽になるから

嘘を嘘と見破れるようになると、、、、「楽になっちゃいます」。。。。今の声って何????あ、、、それエゴの声ですから。。。。勘違いの記憶の声っす。。。。この気づきで、、、、楽になっちゃいます。なぜ????だってその声が起爆剤になって、、、苦しみのゾーンに入るからです。。。なんであんなこと言っちゃたんだろう?????「いやいや、、自由意志ないですから。。。」この気づきで楽になちゃいます。。。。だからもう嘘が、、、続かない。嘘の思考が続かない。。。続く前に「THE END」です。。。

思い起こせば、、、、

今から思い起こせば、、、一日中、、勘違いの思考、勘違いの会話、、、、そりゃ、、疲れまっせ。。。。疲れて当然、、、苦しくて当然なんです。人を責め、自分を責め、、、、、苦しんでいた。。。。将来のために、、、、不安を拭うために。。。。。そりゃあ疲れる。。。。。自身の恐れが、、、、問題を作り続け対処し続け、、、、疲れる。。。。

だから

真実のメッセージに触れていきますと、、、、その嘘が即座に終わり、、、楽に戻る。。。。思考が思考が、、、の渦のスタートで、、、鎮静。。。。終わり。。。。。楽ちん。。。。。となります。勘違いの記憶が消えていき、、、、もう、、、、勘違いの思考すらも、、、起こりにくい。。。。。静寂、、、、だけど好奇心の衝動が起こり、、、、毎日が躍動する。これまで勘違いの思考に振り回されてクタクタだった体に火が灯る。。。。

エゴの声

全て

明日ランチであれ食べよう、来週彼氏をここに誘おう、そういえばあの仕事今週終わるかな、、、、あらゆる声が心の中で囁きます。この声、、、、誰の声ですか????私ですよ!!!私に決まってるじゃないですか!!!!、、、、はい残念、、、それエゴの声です。?????私とエゴは違うんですか???はい違います。エゴとは「真実の私」をこの体の中の「私」とする勘違いの動きです。その動きの延長線上がエゴの声です。つまりそれ私の声じゃないんです。。。。つまり苦しみ続ける動きのことです。

悪魔の囁き

じゃあエゴの声って悪魔の囁きみたいなもの????そうとも言えます。だって苦しみ続ける動きだからです。ですからそれはどこかで「見破る」必要があります。どこで?????今です。今見破ってください。断言しますが「真実の私」は思考しません。真実の私は声を表明しないのです。つまり、、、、私の声って存在している時点で嘘です。偽りです。だからどんな声がしたっていいんです。放っておけば。。。。完全放置しちゃって何も問題がありません。

じゃあ日常会話は?????

そんなこと言ったら日常会話って何ですの?????勿論、勿論、、、私とあなた、、、という会話がどうやったって生きていく上で必要です。ですがその会話、、、全ては偽りの私を大前提にしています。そのことが分かっていればオールOKです。本当の私は全てに気づく「気づき」ですから、、、姿形もないのです。この幻想の世界には登場できないのです。だから体の中の私は、、、偽りの私です。でもそれでいいのです。それが分かっていれば何も問題が起こりませんから。

悟りのメッセージで夢を叶える???

不可能

悟りのメッセージが多くの願望実現メソッドと異なるのは、、、、「自由意志」がないということを伝えちゃうことです。自由意志がないことが分かって「俺の夢叶うかな??」という発想は絶対に絶対に出てきません。ですから願望実現に関心があるうちは、、、本当の気づきには至っていません。本当の気づきに至った時、、、何が起こっても大丈夫、、、こっちです。

ジェットコースター

ジェットコースターに乗っている時、、、あのカーブを右に曲がったら次は絶対に降下してやる!!!!という思考は絶対に絶対に出てきません。なぜならばそこに自由意志が通用しないことを分かっているからです。人生も全く同じです。ジェットコースターのように、、、まるで先が見えないことこそが「楽しい」のであって右に曲がるぞ!!!!「ほら、、、当たった!!!」ではないんです。こんな感じか!!!楽しい!!!、、、となります。圧倒的お気楽な中であらゆる出来事が起こるのみです。

じゃあ、、、、ホームレスになってもそう言い切れますか?????

だとしたらですよ、、、、、、、会社が倒産し失業、、、再就職ができなくて、、ホームレスに!!!!、、、、それでもお気楽ですか??????結論から言ってしまえばそうです。ですが断言しますが、、あなたはホームレスにはならないでしょう。。。。。なぜならば見栄もプライドもない時、、、、社会保障に預からない理由がないからです。ハローワークのお世話にならない理由がないのです。全てのプライドがズタズタになって、、、全てを諦めなければ、、、ホームレスになろうとは思いません。ですからあなたは無敵です。圧倒的に無敵です。